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2017年11月28日 (火)

『孫育てのころ』

『ばぁばの出番』を掲載してから、共感とご支持をいただき、アクセスもとても多かったので、いまの世の中、人知れず、ばぁばやじぃじの出番を務めている方が大勢いらっしゃることがわかりました。
四年前、ばぁばの出番のその後をつづったもの、切れ切れのエピソードですが、『孫育てのころ』と題して、同じく同人誌『婦人文芸』に掲載されたものも、ここに載せます。


                            孫育てのころ     

子育てSOS

「わたし、下の子ができてから、三歳半の上の子に当たっちゃうんです」というテレビの声に吸いよせられた。電話で視聴者の悩みを聞く番組である。
 声の主は三十二歳の主婦で、夫の帰りが毎日遅く、子育ては女の仕事だと言われ、相手にされないため、自分の感情を抑制できなくなるほど、追い込まれているらしい。
 でも夫がいるだけいいじゃない。父なし子を2人かかえている我が娘と引き比べながら、わたしは思った。
 相談者の夫は土、日も好きな草野球にひとりで出かけてしまうのだという。
 番組のゲスト回答者たちは、夫にもっとへばりついて、悩みをきいてもらうべきだ、下の子をおぶってでも、野球について行けばいい、などと言っている。
 そんなことができるくらいなら、とっくにしているのではないか。できないほどの切羽つまった状態だからこそ、電話してきたのだろうに。

三歳保育の幼稚園に行き始めたうちの孫もかなりママのイライラをぶつけられている。
きのうの朝、留守番をしに行ったら、娘はブスっと不機嫌な顔で化粧をしていた。
 いつもの「ばぁば」というはずんだ声が聞こえないので、「奏くんはどこ?」と訊くと、「ノロノロ歯をみがいてんのよ」という。
 洗面所をのぞいてみると、奏平はこわばった顔で、歯ブラシを動かしながら「ママに怒られたの」と、ぽろっと涙をこぼした。
 そのあと、丸一日つきあい、夕食も用意し、後片づけもして、帰ろうとしたとき、奏平がテーブルの下にうずくまった。
 「ああするときはいつもウンチしちゃってるんだから」娘は吐きすてるように言う。
 「ボクしてないよ。幼稚園で出たんだもん」
 「また嘘言って。出まかせばかり言うんじゃないの!」
 ひどい言葉だ。排泄のことに目くじらたてても、機能の発育が遅れぎみなのだとしたら、仕方がないだろう。
 こうして母娘の言い争いが始まり、けんか別れをしてしまった。
 重い後味をかかえながら、わたしはまだこちらから娘に電話をする気持になれないでいる。


図書館にもの申す
 図書館の児童室にほとんど毎週かよっている。週末必ずあずかる孫たちに、就寝まえ読み聞かせる本を探すためだ。
 おびただしい本がアイウエオ順に並んでいて、一、二歳児向けの絵を主にした字の少ない本だけが、小さなケースに入って区別されている。
 五歳と三歳の孫たちに、どんな本を選んだらよいのか、いつも迷ってしまう。
 二十数年まえ、息子と娘のお気に入りだった『いたずら機関車チュウチュウ』や『グリとグラ』はすぐ目にとまるけれど、いまの世の中を写しだした名著もたくさん出ているだろうに、それがどれなのか、どこにあるのか、さっぱりわからない。
 係のひとりにたずねてみたら、それを探すための本というのをおしえてくれた。
 「でも、そうやってしらべて、また探すっていう時間がつくれないんですよ。図書館のほうで、なにか一目でわかるような情報を出してくださるわけにはいかないんですか? せめて動物とか乗り物とか、ジャンル別に並べられてたら、まだましなのに、こんな不親切な並べかたではね」わたしたちの年代の正義感がほとばしり出る。
 係のひとが眉をよせた。「この仕事するようになっても、児童書専門なんて軽視されてますからね。すでに決められたやり方を変えたりすることはむずかしいんですよ」
 これでは、子供がコミックに走るわけだ。楽しい絵本に出遭ったときに見せる、子供たちの、あの目の輝きをどうやって保ちつづけるかが大切なのに。
 かつてアメリカに暮らしていたとき、地域の図書館には常時、児童書専門の司書がいて、子供たちに話をきかせたり、紙芝居をしたり、児童書に関するあらゆる質問に応答してくれたものだ。
 仕方がない、自分の知恵で探すことにしよう。
 あまり長いストーリーではないもの、父親が亡くなっているので、できれば父親が登場しないもの、絵が魅力的であること、などを条件にしながらようやく探しあてたのが『やさい』『しりとり、しりとり秋の巻』『おべんとう、おべんとう、なんだろな』『きょうりゅうの飼い方』『おばけがぞろぞろ』
 奏平と唯は『きょうりゅうの飼い方』がたいそう気に入り「ねえ、ばぁば、こんどきょうりゅうの子供買ってきてよ」などと言っている。



支えあう日々

 幼くして父親を失った子供たちには、できるだけ親しく接することができる若い男性の存在が必要である、というアメリカの心理学書の一節がたえず頭にあった。
 叔父にあたる息子がその役を果たしてくれればいいのだが、という意識も強くなっていた。
 息子は百八十センチ近い長身で、近ごろ髪も薄くなってきているし、太りぎみである。しかも寡黙で、ニコニコ笑ったりしないから、ヌスッとあらわれると威圧されるような印象を与えるのだろう。孫娘の唯は、オジサンを見るときまって泣きだす。
 オジサンは姪を彼なりに愛していて、抱き上げようとしたり、遊び相手になろうとするのだが、子供はおびえるばかりで、拒絶反応を示す。見ていて辛く感じた。
 十月の連休第一日目は幼稚園の運動会。夫とわたしが一日付き合うことになっていたので、早起きし、おにぎりやトリのから揚げを用意していると、突然二階のインターホンが鳴った。
 九十歳の義母に事件が起きていたのだ。
 明け方手洗いに起きようとして、転び、インターホンになかなか手が届かず、無理な姿勢のまま、苦闘していたらしい。
 いよいよ最悪の事態になったかな、と思った。その日は義姉にかけつけてもらって急場をしのいだ。
 義母が起き上がるのに手助けの要る状態が二日ほど続き、娘一家への援助が手薄になった。だが娘も風邪ぎみで、疲れているのがわかっているから、気が気ではない。
 せめて差し入れでもしようと、ちらし寿しと春巻きをつくり、息子に届けてもらうことにした。
 夜になって、子供たちが寝たころ、娘から電話があった。 
 「オニイマね、一時間以上もいてくれたのよ。子供たちもすっかりなついて、何度もタカイタカイしてもらったり、ウルトラマンごっこの相手してもらったり、まとわりついて離れないほどだったわ」
 よかった! 肩がすっと軽くなるような気がした。
 義母も少しずつ快方に向い、ひとりで起きあがれるようになり、隣でやすんで付き添う必要はなくなった。
 家族が協力しあって、崖っぷちを歩いているという意識はつきまとうけれど、神は耐えられないほどの試練は与えないという言葉を信じられるようになっている。



リフレッシュ

 ひとりきりになりたい、という思いが絶えずしていた。
 四月は孫たちの体調が悪く、預かる日が多かった。そしてとうとう、四歳の孫息子が悪性の風邪から脱水症状になり、緊急入院。二歳半の孫娘の面倒をみるかたわら、病院に通う日が続いた。
 耳の中でいつもかすかなセミの声がしている。聞こえも悪くなっているような気がして、診察を受けたら、ストレスによる突発性難聴とのこと。
 孫息子が一週間で無事退院したのを見届け、夫にことわって、新宿発の高速バスに乗った。
 行き先は山梨県長坂。命を第一とする生活の知恵や技を学ぶフリースペースという宿。南アルプスが臨めるログハウスの主は三十七歳のT君。自然食穀物菜食の調理の達人、自然農で自給自足を志し、独特の整体術で体調をととのえている。
 かつて翻訳の仕事をしていたとき、仕事で疲れた女性が憩う宿、穂高養生園を知り、その厨房を仕切っていたT君がその後独立したというニュースに、一度訪れてみたいという念願を果たしに今回出かけたのだった。
 相客がいなかったので、わたしは彼を独占して、玄米自然食の調理を教わった。
 到着した日の夕食メニューは、ニラの酢味噌和え、ゴボウとネギ、岩ノリの柳川もどき、ナメコのゴマ和え、フノリと玉麩入りの味噌汁。自然の味がこれ以上ないほど生かされた美味を味わう。
 翌日は彼の農業の見学。ビニールハウスもなく、化学肥料も使わぬ自然のままの栽培法をあちこち見せてもらい、その夜の夕食に使うための摘み草をした。フキ、クレソン、野ビルなど。
 摘み終わってから、丘の上の大木にゆったりとよりかかって休む。広々とした田畑を見下ろしながら、トリの声など聴いていたら、耳鳴りが消えているのに気づいた。
 昼食は薄緑もあざやかな明日葉めん、ネギと、おろしショウガ、すりゴマの薬味。
 午後は、再び畑に出かけた彼の留守番をし、ピアノを弾いて過ごした。
 夜は近くの温泉健康センターに車で連れていってもらう。程よい温度のいい湯だった。
 寝るころになって家のことが気になってくる。電話してみると、やっぱり事件が起きていた。
 娘が過労で入院していたのだ。
 夫は大丈夫だから、ゆっくりしておいでと言ってくれたが、翌日早朝のバスを予約した。
T君は玄米のおかゆでパンを焼いてくれて、お弁当に、と渡してくれた。
 二泊三日の休日で、わたしは完全に元気回復し、またみんなのためにがんばるぞ、という気持がみなぎってきたのであった。


そして、いま
奏クン、イッタン
 あ、ごめん。うっかりこういう呼び方をしてしまって。いまあなたたちのお父さんが亡くなった当座に書いたものを読んでいたところなので、もう大学生と高校生になっている現実のあなたたちのことが意識から遠のいてしまったのね。
 そう、奏平はもう大学生、週三回スーパーでバイトしながら大学に通っている。奨学金の保証人はオジサンになってもらったのよね。大学生でも自立をちゃんと考えている。大人になったものだと思います。
 そして、唯ちゃん、じぃじが週一回あなたの家にごはんを作りにいくあいだに、お料理、すっかりおぼえたって、ききました。えらかったね。調理未経験の高校生にお料理の一から教えるのは、めんどうだし、もどかしいと思うのに、じぃじはよくやったと思います。もうお弁当も自分で作れるんだって?
 あなたは小さい時から、食べものを本当においしそうに食べる子だった。ばぁばは作りがいがあったのよ。いつだって「おいしい~っ!」って叫んでくれるんだもの。お世辞じゃないのよね。必ず、お代わりある?って訊いてくれてたから。
 あなたがいま、オーケストラ部に所属していて、こんなにもトロンボーンが好きになったのは、元はといえば、あなたが小学生のとき、お母さんが土曜に集まって演奏する吹奏楽のクラブにあなたを参加させたことから始まっているんじゃない? あなたはあそこで管楽器を吹く楽しみをおぼえたのだと思う。
 あなたたちも薄々感じていたと思うけど、お母さんとばぁばは仲のいい母娘じゃなかった。中学生ごろから彼女の反抗がひどくなってね、笑顔を見せなくなったの。いまから考えてみると、お母さんは、ばぁばの、自分たちと同じような育ち方をした人だけに心を許すというような、固定観念がいやで仕方がなかったのね、きっと。
 就職も結婚も親の助言は一切拒否して我を通したのよ。
 あなたたちが生まれてからも、わたしたちはよく衝突したわ。でもあなたたちがばぁばをとても慕ってくれたから、お母さんの気持も少しずつほぐれてきたみたい。
 一番驚いたのは、奏平が中学生になったとき、収入をふやさなくては、と言って、英語学校でも教えるようになったこと。一時は飲食店のバイトまでして三つの仕事をこなしていたわね。よく身体が続いたと思う。
 ぎりぎりの暮らしを、どこかで見守るあなたたちのお父さんの存在があるように感じることがよくあったわ。
 十五年の年月はわたしたちにもう一度こどもを育てる、つまりひとを育てるとはどういうことかを学ばせてくれました。泣いたり笑ったり、怒ったり喜んだり、どんな出来事に遭遇しても逃げずに向っていけた。あのころ書いたもの、どれを読んでも、本当にばぁば一生懸命だったんだなって思う。
 あのころはじぃじもばぁばも元気でした。朝起きてもどこも痛いところはなかったし、どんなに疲れても一晩寝れば、すっかり元気になったわ。でもいまはダメ。自分の身体を何とかまともに保つのが精一杯。
 いいときにがんばれたと思います。そして思うの。何よりも一度だけ与えられたこの人生を生きるためには、まず身体を大切に、その身体を構成していく食べものを食べることをたいせつにしなければいけないんだなって。そうしていれば、つらいことにも耐えられる精神が養われるのよ。
 あなたたちと密に過ごした十五年間、良い時間だったとなつかしく思います。
ありがとう、心身ともに健康に育ってくれて、本当にありがとう。
 
 
 


 
 


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コメント

寝る前に読ませてもらいました。心が澄んでいくのがわかります。
子育て孫育てを頑張っている人たちばかりでなく、70を過ぎた私にも、
心に光と温かさを、強さとは何かを教えてもらいました。
ばぁばさまは、どんなつらい時でも一条の光を見つけ、それに支えられ、
その光を大きくしていく・・・、感謝の心を持って歩いてこられたのだと思いました。
なかなかそうはなれませんが、読む私の心を強くしてくれました。
いつもありがとうございます。

ちゃぐままさま
いつも励ましてくださり、ありがとうございます。

ある、女性牧師に、言われたことがあります。苦難に遭ったときには、首うなだれず、天を仰いで、どうしたらよろしいでしょう?と問いかければ、必ず応えが得られる、と…・わたしは、それをしてきたという、思いがあります。

親の介護で、どうしようもなくなったときも、その方の「明日を思い煩うな」という言葉があるでしょう、というお応えに、すうっと胸が軽くなったのをおぼえています。

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