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2017年11月に作成された記事

2017年11月29日 (水)

自由ヶ丘緑道のライトアップ

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今の時期、近所の街のライトアップは見逃してしまうことが多いのだけれど、この日は外出の帰り、五時過ぎ、緑道にあるブティックをのぞきに行って、ライトアップに見とれた。
派手ではないけれど、緑道らしい趣の可愛いライトアップであった。

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これは同じく緑道にある、娘のお気に入りのカフェのライトアップ、ライトなしでも、入りたくなる場所なのだけれど、
これもこの場所にふさわしく、幻想的な雰囲気である。

2017年11月28日 (火)

『孫育てのころ』

『ばぁばの出番』を掲載してから、共感とご支持をいただき、アクセスもとても多かったので、いまの世の中、人知れず、ばぁばやじぃじの出番を務めている方が大勢いらっしゃることがわかりました。
四年前、ばぁばの出番のその後をつづったもの、切れ切れのエピソードですが、『孫育てのころ』と題して、同じく同人誌『婦人文芸』に掲載されたものも、ここに載せます。


                            孫育てのころ     

子育てSOS

「わたし、下の子ができてから、三歳半の上の子に当たっちゃうんです」というテレビの声に吸いよせられた。電話で視聴者の悩みを聞く番組である。
 声の主は三十二歳の主婦で、夫の帰りが毎日遅く、子育ては女の仕事だと言われ、相手にされないため、自分の感情を抑制できなくなるほど、追い込まれているらしい。
 でも夫がいるだけいいじゃない。父なし子を2人かかえている我が娘と引き比べながら、わたしは思った。
 相談者の夫は土、日も好きな草野球にひとりで出かけてしまうのだという。
 番組のゲスト回答者たちは、夫にもっとへばりついて、悩みをきいてもらうべきだ、下の子をおぶってでも、野球について行けばいい、などと言っている。
 そんなことができるくらいなら、とっくにしているのではないか。できないほどの切羽つまった状態だからこそ、電話してきたのだろうに。

三歳保育の幼稚園に行き始めたうちの孫もかなりママのイライラをぶつけられている。
きのうの朝、留守番をしに行ったら、娘はブスっと不機嫌な顔で化粧をしていた。
 いつもの「ばぁば」というはずんだ声が聞こえないので、「奏くんはどこ?」と訊くと、「ノロノロ歯をみがいてんのよ」という。
 洗面所をのぞいてみると、奏平はこわばった顔で、歯ブラシを動かしながら「ママに怒られたの」と、ぽろっと涙をこぼした。
 そのあと、丸一日つきあい、夕食も用意し、後片づけもして、帰ろうとしたとき、奏平がテーブルの下にうずくまった。
 「ああするときはいつもウンチしちゃってるんだから」娘は吐きすてるように言う。
 「ボクしてないよ。幼稚園で出たんだもん」
 「また嘘言って。出まかせばかり言うんじゃないの!」
 ひどい言葉だ。排泄のことに目くじらたてても、機能の発育が遅れぎみなのだとしたら、仕方がないだろう。
 こうして母娘の言い争いが始まり、けんか別れをしてしまった。
 重い後味をかかえながら、わたしはまだこちらから娘に電話をする気持になれないでいる。


図書館にもの申す
 図書館の児童室にほとんど毎週かよっている。週末必ずあずかる孫たちに、就寝まえ読み聞かせる本を探すためだ。
 おびただしい本がアイウエオ順に並んでいて、一、二歳児向けの絵を主にした字の少ない本だけが、小さなケースに入って区別されている。
 五歳と三歳の孫たちに、どんな本を選んだらよいのか、いつも迷ってしまう。
 二十数年まえ、息子と娘のお気に入りだった『いたずら機関車チュウチュウ』や『グリとグラ』はすぐ目にとまるけれど、いまの世の中を写しだした名著もたくさん出ているだろうに、それがどれなのか、どこにあるのか、さっぱりわからない。
 係のひとりにたずねてみたら、それを探すための本というのをおしえてくれた。
 「でも、そうやってしらべて、また探すっていう時間がつくれないんですよ。図書館のほうで、なにか一目でわかるような情報を出してくださるわけにはいかないんですか? せめて動物とか乗り物とか、ジャンル別に並べられてたら、まだましなのに、こんな不親切な並べかたではね」わたしたちの年代の正義感がほとばしり出る。
 係のひとが眉をよせた。「この仕事するようになっても、児童書専門なんて軽視されてますからね。すでに決められたやり方を変えたりすることはむずかしいんですよ」
 これでは、子供がコミックに走るわけだ。楽しい絵本に出遭ったときに見せる、子供たちの、あの目の輝きをどうやって保ちつづけるかが大切なのに。
 かつてアメリカに暮らしていたとき、地域の図書館には常時、児童書専門の司書がいて、子供たちに話をきかせたり、紙芝居をしたり、児童書に関するあらゆる質問に応答してくれたものだ。
 仕方がない、自分の知恵で探すことにしよう。
 あまり長いストーリーではないもの、父親が亡くなっているので、できれば父親が登場しないもの、絵が魅力的であること、などを条件にしながらようやく探しあてたのが『やさい』『しりとり、しりとり秋の巻』『おべんとう、おべんとう、なんだろな』『きょうりゅうの飼い方』『おばけがぞろぞろ』
 奏平と唯は『きょうりゅうの飼い方』がたいそう気に入り「ねえ、ばぁば、こんどきょうりゅうの子供買ってきてよ」などと言っている。



支えあう日々

 幼くして父親を失った子供たちには、できるだけ親しく接することができる若い男性の存在が必要である、というアメリカの心理学書の一節がたえず頭にあった。
 叔父にあたる息子がその役を果たしてくれればいいのだが、という意識も強くなっていた。
 息子は百八十センチ近い長身で、近ごろ髪も薄くなってきているし、太りぎみである。しかも寡黙で、ニコニコ笑ったりしないから、ヌスッとあらわれると威圧されるような印象を与えるのだろう。孫娘の唯は、オジサンを見るときまって泣きだす。
 オジサンは姪を彼なりに愛していて、抱き上げようとしたり、遊び相手になろうとするのだが、子供はおびえるばかりで、拒絶反応を示す。見ていて辛く感じた。
 十月の連休第一日目は幼稚園の運動会。夫とわたしが一日付き合うことになっていたので、早起きし、おにぎりやトリのから揚げを用意していると、突然二階のインターホンが鳴った。
 九十歳の義母に事件が起きていたのだ。
 明け方手洗いに起きようとして、転び、インターホンになかなか手が届かず、無理な姿勢のまま、苦闘していたらしい。
 いよいよ最悪の事態になったかな、と思った。その日は義姉にかけつけてもらって急場をしのいだ。
 義母が起き上がるのに手助けの要る状態が二日ほど続き、娘一家への援助が手薄になった。だが娘も風邪ぎみで、疲れているのがわかっているから、気が気ではない。
 せめて差し入れでもしようと、ちらし寿しと春巻きをつくり、息子に届けてもらうことにした。
 夜になって、子供たちが寝たころ、娘から電話があった。 
 「オニイマね、一時間以上もいてくれたのよ。子供たちもすっかりなついて、何度もタカイタカイしてもらったり、ウルトラマンごっこの相手してもらったり、まとわりついて離れないほどだったわ」
 よかった! 肩がすっと軽くなるような気がした。
 義母も少しずつ快方に向い、ひとりで起きあがれるようになり、隣でやすんで付き添う必要はなくなった。
 家族が協力しあって、崖っぷちを歩いているという意識はつきまとうけれど、神は耐えられないほどの試練は与えないという言葉を信じられるようになっている。



リフレッシュ

 ひとりきりになりたい、という思いが絶えずしていた。
 四月は孫たちの体調が悪く、預かる日が多かった。そしてとうとう、四歳の孫息子が悪性の風邪から脱水症状になり、緊急入院。二歳半の孫娘の面倒をみるかたわら、病院に通う日が続いた。
 耳の中でいつもかすかなセミの声がしている。聞こえも悪くなっているような気がして、診察を受けたら、ストレスによる突発性難聴とのこと。
 孫息子が一週間で無事退院したのを見届け、夫にことわって、新宿発の高速バスに乗った。
 行き先は山梨県長坂。命を第一とする生活の知恵や技を学ぶフリースペースという宿。南アルプスが臨めるログハウスの主は三十七歳のT君。自然食穀物菜食の調理の達人、自然農で自給自足を志し、独特の整体術で体調をととのえている。
 かつて翻訳の仕事をしていたとき、仕事で疲れた女性が憩う宿、穂高養生園を知り、その厨房を仕切っていたT君がその後独立したというニュースに、一度訪れてみたいという念願を果たしに今回出かけたのだった。
 相客がいなかったので、わたしは彼を独占して、玄米自然食の調理を教わった。
 到着した日の夕食メニューは、ニラの酢味噌和え、ゴボウとネギ、岩ノリの柳川もどき、ナメコのゴマ和え、フノリと玉麩入りの味噌汁。自然の味がこれ以上ないほど生かされた美味を味わう。
 翌日は彼の農業の見学。ビニールハウスもなく、化学肥料も使わぬ自然のままの栽培法をあちこち見せてもらい、その夜の夕食に使うための摘み草をした。フキ、クレソン、野ビルなど。
 摘み終わってから、丘の上の大木にゆったりとよりかかって休む。広々とした田畑を見下ろしながら、トリの声など聴いていたら、耳鳴りが消えているのに気づいた。
 昼食は薄緑もあざやかな明日葉めん、ネギと、おろしショウガ、すりゴマの薬味。
 午後は、再び畑に出かけた彼の留守番をし、ピアノを弾いて過ごした。
 夜は近くの温泉健康センターに車で連れていってもらう。程よい温度のいい湯だった。
 寝るころになって家のことが気になってくる。電話してみると、やっぱり事件が起きていた。
 娘が過労で入院していたのだ。
 夫は大丈夫だから、ゆっくりしておいでと言ってくれたが、翌日早朝のバスを予約した。
T君は玄米のおかゆでパンを焼いてくれて、お弁当に、と渡してくれた。
 二泊三日の休日で、わたしは完全に元気回復し、またみんなのためにがんばるぞ、という気持がみなぎってきたのであった。


そして、いま
奏クン、イッタン
 あ、ごめん。うっかりこういう呼び方をしてしまって。いまあなたたちのお父さんが亡くなった当座に書いたものを読んでいたところなので、もう大学生と高校生になっている現実のあなたたちのことが意識から遠のいてしまったのね。
 そう、奏平はもう大学生、週三回スーパーでバイトしながら大学に通っている。奨学金の保証人はオジサンになってもらったのよね。大学生でも自立をちゃんと考えている。大人になったものだと思います。
 そして、唯ちゃん、じぃじが週一回あなたの家にごはんを作りにいくあいだに、お料理、すっかりおぼえたって、ききました。えらかったね。調理未経験の高校生にお料理の一から教えるのは、めんどうだし、もどかしいと思うのに、じぃじはよくやったと思います。もうお弁当も自分で作れるんだって?
 あなたは小さい時から、食べものを本当においしそうに食べる子だった。ばぁばは作りがいがあったのよ。いつだって「おいしい~っ!」って叫んでくれるんだもの。お世辞じゃないのよね。必ず、お代わりある?って訊いてくれてたから。
 あなたがいま、オーケストラ部に所属していて、こんなにもトロンボーンが好きになったのは、元はといえば、あなたが小学生のとき、お母さんが土曜に集まって演奏する吹奏楽のクラブにあなたを参加させたことから始まっているんじゃない? あなたはあそこで管楽器を吹く楽しみをおぼえたのだと思う。
 あなたたちも薄々感じていたと思うけど、お母さんとばぁばは仲のいい母娘じゃなかった。中学生ごろから彼女の反抗がひどくなってね、笑顔を見せなくなったの。いまから考えてみると、お母さんは、ばぁばの、自分たちと同じような育ち方をした人だけに心を許すというような、固定観念がいやで仕方がなかったのね、きっと。
 就職も結婚も親の助言は一切拒否して我を通したのよ。
 あなたたちが生まれてからも、わたしたちはよく衝突したわ。でもあなたたちがばぁばをとても慕ってくれたから、お母さんの気持も少しずつほぐれてきたみたい。
 一番驚いたのは、奏平が中学生になったとき、収入をふやさなくては、と言って、英語学校でも教えるようになったこと。一時は飲食店のバイトまでして三つの仕事をこなしていたわね。よく身体が続いたと思う。
 ぎりぎりの暮らしを、どこかで見守るあなたたちのお父さんの存在があるように感じることがよくあったわ。
 十五年の年月はわたしたちにもう一度こどもを育てる、つまりひとを育てるとはどういうことかを学ばせてくれました。泣いたり笑ったり、怒ったり喜んだり、どんな出来事に遭遇しても逃げずに向っていけた。あのころ書いたもの、どれを読んでも、本当にばぁば一生懸命だったんだなって思う。
 あのころはじぃじもばぁばも元気でした。朝起きてもどこも痛いところはなかったし、どんなに疲れても一晩寝れば、すっかり元気になったわ。でもいまはダメ。自分の身体を何とかまともに保つのが精一杯。
 いいときにがんばれたと思います。そして思うの。何よりも一度だけ与えられたこの人生を生きるためには、まず身体を大切に、その身体を構成していく食べものを食べることをたいせつにしなければいけないんだなって。そうしていれば、つらいことにも耐えられる精神が養われるのよ。
 あなたたちと密に過ごした十五年間、良い時間だったとなつかしく思います。
ありがとう、心身ともに健康に育ってくれて、本当にありがとう。
 
 
 


 
 


2017年11月26日 (日)

ブログの効果

孫娘の音楽会は私たちファミリーの人生での一つの区切りを意味するものとして、その詳細をしるしたのだが、そのあとで、『ばぁばの出番』のエッセイを載せた部分も含めて、孫娘に読ませたい、とふと思い立ち、コピーして送った。

しばらくして、娘から電話があった。その声がめずらしく、しんみりして、いつもの早口と異なるのに驚いた。

涙が止まらず、夢中で読んだ、と言うのである。

孫娘も同じだったらしく、ママに読ませたいと郵送したのだった。
そのことを夫に伝えたら、夫もパソコンに顔をくっつけるようにして読みふけり、目をぬぐった。

書き言葉の効果をこれほど感じたことはない。

昔起こったことを、感情移入して読みふけり、家族みんなが、同じ感想を共有できたということは、ブログあっての力である。

同人誌に載せたものをそのまま読んでもらうよりも、ずっと効果があった、という出来事はブログライター冥利につきる体験のひとつとして記憶にとどめておきたい、そう思った。

2017年11月20日 (月)

おすすめレシピ

夫の世代は戦前がかかっているせいか、世辞など、コケンにかかわるとでも思っているかのように、妻のつくった料理を、おいしいのが当たり前としていて、めったに褒め言葉を言わない。わたしは外食したら、代金を払うけれど、家では「おいしかった」というのが代金よ、と主張しているのだけれど、黙っているときはおいしいんだ、などという言葉が返ってきて、あいかわらずの沈黙の食事風景なのである。

あまり沈黙だと、わたしは一緒に食べるのも不愉快になってきて、自分の食べかけを持って自室に引っこんでしまうこともあった。

最近はそれが少し変わってきた。もしかしたら、これが最後の食事になることも、という年齢になったせいであろうか。食べ終わったあと、「おいしかったよ」と早口で言うことが多くなっている。

先日、めずらしく、こころの底からというように、うまい、を連発したレシピ、それがこのカリカリ豚バラにゅうめん、雑誌『明日の友』で見つけたもの。
付け合せは彼の好きなカボチャの煮物。001


そうめんをかためにゆでる。
豚バラを塩コショーして弱火でカリカリに焼いて、ペーパータオルの上に。
そこにニラを2センチくらいに切っていためておく。
その鍋に、だし汁(二人分)、酒大さじ1、みりん小さじ2、薄口しょうゆ大さじ1、塩小さじ1/3を煮立て、そうめん加え、豚肉のせ、黒コショーふり、好みでナンプラー少々をふる。

そうめんは全部使いきらずに残してしまうこともあるが、こうすれば、この時期でも食べられるし、うどんやそばより、むしろ軽めで、豚バラカリカリ、ニラと一緒にしてもあっさりと食することができる、いいレシピだと思った。


2017年11月15日 (水)

『蜜蜂と遠雷』読後感 2

内なるなにかに突き動かされるように言葉がほとばしっているこの作品、著者はそれほどにクラシックのピアノに魅せられているのだろうと想像して、経歴を調べたら、クラシック音楽好きの家庭に育ち、ピアノを習っており、その教師はディヌ・リパッティのピアノを聴かせたというから、これは幼くしてよほど音楽性を養われていると推測できた。

この小説、構想12年、取材11年、執筆7年をついやしたと、著者担当歴20年の編集者が語っている。モデルと言われている、浜松のピアノコンクールに通い詰めたという逸話もあり、執筆のための、それだけの恵まれた条件と時間とを持ち得ただけの重みは、確かに読み進むにつれてしみじみと伝わってくる。

演奏者によって、よく知っている曲がまるで初めて聴くような気がしたり、テクニックはまったく同程度の演奏者でも、雑念がまったく入り込む余地のないほど集中できる場合とそうでないときとがある不思議、そのカギが、この小説の中で明かされているような気がした。
「人間は自然の音の中に音楽を聴いている…弾き手は曲を自然のほうに『還元』する…」
「ショパンのバラードには幼い時の感情、うらべうたを歌うときに感じるさみしさ…が含まれているような気がする…この一瞬一瞬、音の一粒一粒が今たまたま同じ時代、今この時に居合わせた人々に届くとしたら…」

「音楽をわかっているという自惚れだけが肥大して…おのれの聴きたいものだけを聴いて生きてきた…鏡の中に自分の都合のいいものだけを映してきた…」という言葉は私自身を言いあらわしているかのように、打ちのめした。
もっと別の自分になるのは、まだ間に合う。苦手だなどと決めてしまわずにどんな音楽にも接していきたい、という思いにもさせてくれた。

それをはからずも悟られていたかのような、作中の演奏順に聴けるナクソス・ジャパンの、CD発売宣伝のためのプレイリスト、視聴15分を活用、まずはプロコフィエフとバルトークを堪能した。

2017年11月13日 (月)

『蜜蜂と遠雷』読後感 1.

自分からは手にすることをしなかった本である。「読み始めたらやめられなくなるほどの本だから…」と貸してくれた若い友人、ジュン子さんに、感謝をささげる。彼女は類いまれな本を選ぶ目をもっていて、これまでもどれほど心の栄養をもらったかしれない。Photo


作者恩田陸という名は知っていた。ミステリーの若手女流作家程度の知識でしかない。このひとがクラシックのピアノミュージックにこれほどの造詣があるとは、まさに舌を巻くほどの、描写の連続である。

日本の地方都市で開かれたピアノコンクールが舞台。四人の主要登場人物がどのように第一次、二次、三次、本選へと挑戦していくかが、克明に描かれる。生まれながらの天才としかいいようのない少年、ジュリアードの優等生で、優勝候補と期待されている、日系の容姿も端麗な青年、小さいときから才能を発揮し、将来を嘱望されながら、挫折し、復帰を志す女性、そして表現力と感性には恵まれながら、音楽の道を断念し、就職したが、このコンクールにもう一度挑戦しようとしている成人男性、この四人、それぞれの視点でそれぞれの選曲がどのように演奏されたが、まるでこの目で見、聴いているかのように描写される。
音楽を言葉にすることがどれほどむずかしいかは想像に絶するのに、著者はいとも軽やかに、豊かに、しかも短く、即興的に感性あふれる表現でやってのけている。

わたしには少々苦手だった、プロコフィエフとかバルトークとかの音楽を、ぜひ聴いてみたいと思わせるほどの、表現力なのである。
いや、まったくスゴイと思いながら、この本、507ページを、上毛高原の宿で、一日で読んでしまった。(続く)

2017年11月10日 (金)

上毛高原で静養

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これで三度目、定宿化してきた世田谷区民健康村、今回は温泉つきのフジヤマビレジに二泊。紅葉まっさかり、というのを当てにして予約を入れておいたのだが、寒波の訪れが早かったせいで、盛りは過ぎて、紅葉の紅は赤茶けていた。花見のピークどきをとらえるのがむずかしいのと同様、紅葉の見ごろを当てるの容易くはないことがわかった。017_4

それでも絶景の名残りは明らかである。024_3


英国の旅行家、イザベラ・バードはかつて明治初年に日本の奥地を歩き、日本は山と森と水の国であり、それらが複雑でおそろしいほど変化に富んだ表情を見せる、と言ったそうであるが、その日本の原風景のような上毛高原にも、まさしく山と森と水があることを実感した。023_3


筋肉痛、関節痛、神経痛にとりわけ効果あり、という温泉に七回ぐらい入浴した効果は明らかで、膝の裏側に痛みは出なくなり、和室に敷いた布団での寝起きだったが、夜中にトイレに起きる時も、何にもつかまらずに、立ち上がれるようになっていたのがうれしかった。

2017年11月 6日 (月)

まだ咲いてる

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不運な天候にたたられ続けるユウガオだが、この日は開花したのが日暮れてからだったせいか、翌朝までしぼまずに、高貴な姿を見せてくれていた。
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つるはどんどん伸びて、とうとうシュートを越えてぶらぶらしているので、考えた末、夫の二階の部屋のバルコニーの手すりに麻ひもを結びつけて下にたらし、それをシュートにからめてつなげたら、ま、いいか、というようにまたからんで伸び続けている。

2017年11月 3日 (金)

『ばぁばの出番』

孫たちが独立を果たしたこの機会に、二人が幼かったころのことを思い出しておきたいと思いました。
十年まえ、まだわたくしが『婦人文芸』という同人誌に所属していたときに書いたもの、少し長いのですが、ここに載せることにいたします。

            
                            ばぁばの出番   
 
  命の教え  
       
 初孫は八月十五日の終戦記念日に誕生した。両親が音楽関係の仕事をしていたので、〈平和を奏でる〉ことを願い、奏平と名付けられた。
 暑い日の出産だった。微弱陣痛が一昼夜も続き、ついには陣痛促進剤が使われたので、娘の苦痛の叫びは尋常ではなく、産声を聞いたときの安堵はこの上ないものであった。
 ところが、生後三日目異変が知らされた。新生児黄疸の熱が下がらないのだという。大学病院に運ばなくてはならなくなり、産婦は安静にしていなければならないので、救急車には私が付き添うことになった。 
 看護婦に抱かれた奏平は泣き声もたてず、こけし人形のように穏やかな顔をしていた。助かるのだろうか? 新生児を外に連れ出して大丈夫なのだろうか? 私は神に祈った。「私の命を縮めてでも、どうかこの子を生きながらえさせてください」
 産婦はほどなく退院はしたが、産後の疲れをやすめるひまもなく、あふれでてくる母乳を搾って、病院に届ける配達人にさせられた。三時間おきに、三十分かけて搾り、冷凍し、一日分をアイスボックスに入れ、毎日車で十五分ほどの病院へ運ぶ。それが、一週間続いた。
 夜中に目をさまして、娘の部屋をのぞくと、肩を丸めた彼女が懸命に搾乳器で母乳を搾っている。代わろうにも代わってやれないもどかしさと憐憫のため息をおしころし、ベッドに戻るのだった。
 長い七日間が過ぎ、待ちに待った退院のとき、と喜んだのも束の間、奏平は再び発熱し、一週間の入院延長を言いわたされてしまった。落胆に疲労が加わり、吸う主のない乳房はかたく腫れあがって化膿し、乳腺炎を起こしていた。医者は化膿止めと抗生物質のクスリをくれただけで、大切な母乳の保存には無力であった。これではいけない、このままにしておくわけにはいかない、ふいに脳裏に記憶の断片がよみがえった。痛くない乳房マッサージを発案した助産婦さんがいるというニュース、それを図書館で目にしたことを思い出したのだ。
 住所をつきとめ、御茶ノ水駅の近くのオッパイ・ルームと称するその場所に、高熱で真っ赤な顔をした娘を連れていった。きびきびした助産婦さんが、娘をやさしくベッドにみちびき、乳房に蒸しタオルをそっとかぶせる。やがて指がなだめるように何度か円をえがいてから、まるで生き物のように踊り始めた。
 一時間ほどで戻ってきた娘の顔はやすらかで、赤みもとれており、三十九度あった熱は三十七度に下がっていた。マッサージは痛みがまったくなく、きわめて心地よかったのだという。
 近頃の若い女性の身体はすでに栄養たっぷりなので、その上カロリーをとりすぎると、乳質はにごり、赤ん坊はアトピーに、母親は乳腺炎の再発をまねくことになりかねないと知らされた。
 以後定期的なマッサージを受けながら、カロリーをコントロールした菜食中心の食生活を実行し、奏平の退院の日には最上質の母乳を準備することができた。
 新しい命はファーストフードや外食の多かった母親の食生活を変え、母子ともどもこの上なく健康な体をつくることを教えた、そう思われてならない。

その日

日めくりカレンダーの日付がその日のままになっている。
その夜九時ごろ、電話が鳴ったのだ。「隆志さんが倒れたの。いま救急車を呼んだんだけど…」娘の切迫した声だった。
コートの袖に手を通すのももどかしく、夫と車に乗った。
「脳出血かしら? それとも心臓…?」
「若いんだから手術すれば助かるさ」
それ以上の会話は交わさなかった。
人気(ひとけ)のない住宅地の闇に点滅する救急車の赤いライトが不安を一層かきたてる。倒れた原因は心臓だと知らされた。夫は娘につきそって車に乗っていき、私と孫二人が取り残された。
「パパね、キイキ悪いんだって。かわいそうにねぇ」三歳の孫息子は心配顔でそう言うが、一歳の孫娘はふいにあらわれたばぁばを見て満面の笑顔なのがつらい。ともかくパジャマ姿のふたりを一刻も早く寝かしつけねば。孫娘のほうはお気に入りのタオルを顔に当てるとすぐ寝てくれた。
声が上ずりそうになるのをおさえ、孫息子のために『グリとグラ』を読む。
「奏くん、パパがよくなるように神さまにお祈りしようね」小さな手を組ませながら言った。
「うん、ボクお祈りする」
 子供たちの寝息をたしかめてから、居間のソファーに横になった。疲れているはずなのに、目が冴えきっている。娘の結婚生活四年間はまことにめまぐるしかった。式をあげたその年に長男が生まれ、一年半ほどしてまた身ごもり、その間に二度も引越しをして、この年、家まで建ててしまった。十五歳年上で音響の仕事をしている婿は旅が多く、ゆったりと休んでいる姿を見たことがない。私は内心不安だったのだ。
午前一時にようやく電話が鳴った。
「心筋梗塞だ。ダメだったよ」夫の沈んだ声だった。
 〈運命が牙をむいておそいかかってくる〉自分が以前翻訳した小説の一文が不意によみがえった。

 通夜と告別式には幼い子供たちを出席させるにしのびないということで、私が自宅で世話をすることになった。丸一日、家にいては時間をもてあましてしまうので、近くの児童館に連れ出した。
 若いママたちが子供をベビーカーや自転車にのせて、次次にやってくる。オルガンが鳴り体操が始まっても孫たちは仲間に入ろうとしない。子供につきそって歌い、身体を動かしているママたちがみんな、元気で頼もしい夫を持った幸せな人たちに見える。私はそっと輪から抜けだし、孫たちを図書室に連れていった。
 しばらくしてまた体操の部屋に戻ろうとしたのだが、奏平が、イヤだ、と言う。
 「ボクきらいなの」ここニ、三日この言葉の連発なのだ。〈きらい〉は拒否、不愉快、哀しみの全てをあらわしているのだろうか。
 告別式から戻った娘は、大勢の友人が焼香にきてくれて、涙を流してくれたと報告した。中学から大学を通しての友人、サークルの仲間、仕事の同僚、全ての友人、知人に躊躇することなく訃報を知らせている。
 私はむこう一週間にしていた約束の相手だけに断るわけを話した。しかも他の人にはしゃべらないで、と頼んでしまった。突然襲った悲劇を、これからの人生のハンディのように感じてしまっている。
 そんな本音の裏側で別の声がささやく。〈これは神が与えた試練なのだ。どう乗りこえるか人生の正念場だぞ〉と。娘親子のために自分の生活を犠牲にして尽くすべきなのか? それほどには強くなれない自分を知っている。
 これまでの私の人生は、子供たちの入試の失敗や、親の病気といった程度の困難にはぶつかってきたが、おしなべて平穏だったのだ。婿の夭折という爆弾のような悲劇に遭遇し、哀しみより先に不安におびえ、そのくせ妙に冷静になって、行く末を考えている自分をもてあましていた。
 いまの状況の捉え方を知りたい。不幸の乗り越え方のよりどころがほしい。そういうことが書かれている本はないのか。図書館中を探しまわったが、そのような書物は見つからなかった。
 そうだ、アメリカには〈セルフ・ヘルプ〉という実用書の分野がある。アメリカの友人に頼んでみよう。ヘレンがいい。彼女なら今の状況を理解してくれるだろう。二十数年前夫のアメリカ駐在に伴い、四年間イリノイ州のエヴァンストンで暮したとき、娘が幼稚園で仲良しになったエリーサのママ、ヘレン。知り合ってまもなく、私宛の封筒に戦時中の大統領トルーマンの切手を貼ってしまったと詫びたヘレン。アメリカ人にはめずらしく、しゃべるよりも、書くことに自分の気持ちを語るひとで、お互いの息子と娘が同年齢だったこともあり、帰国後も文通しあって、親しさを保ってきた。娘は成人してから、夏の一ヶ月を単身、彼女の家で過ごしたこともある。
今の私のふがいなさ、娘を慰める言葉に窮しているこの状況を書き表すには、あいまいな言い回しの少ない英語という言語がまさにふさわしかった。依頼の手紙を出すと、ほどなく「あなたの慰め方を教えてくれて、ありがとう」という書き出しの返事と共に、一冊の本が送られてきた。
 『愛するひとを失った哀しみをどう乗り越えるか』と題するその本は、〈失ったことを理解する〉〈生き抜く〉、〈癒されていく〉、〈成長していく〉の四つの段階に組まれ、わかりやすい言葉で一ページずつ、九十四章にまで順を追って、悲しみをのりこえていくプロセスを記している。
 驚いたことに、心理学者と精神分析医と詩人との共著なのだった。心の動きを正確にとらえながら、大丈夫だ、と励まし、納得させつつ、右ページに美しい愛の詩を掲げる。その構成は心にくいまでに読む者の心をとらえる。
 「一大変化が起こったのだから、それに付随する変化を起こさないように/忙しくしていられるならば、癒されているのである/成長していくものをそばにおくこと。新しい観葉植物、ペットなど/電話を利用して、できるだけ人と話すこと/イライラしたら楽器にぶつけるのもよい…」などなど。日々、日常をこなしていく中で哀しみや苦しみを消化させていくやり方を教えている。
 娘にこの本を渡したのだが、音楽を教える仕事と、幼稚園の入園準備で目が回るように忙しく、読みとおせなかったらしい。つまり忙しくしていられたのだから、癒されていたのである。海を隔てた友人が私たち母娘のことをおもい、これほどの良書を贈ってくれたという事実も励みになって、起きたことを受け止め、明日に向かっていく勇気が出せるようになっていた。


孫たちとの日々

 一歳の孫娘は父親の顔さえ覚えておらず、さしあたって成長に影響はみられなかったが、三歳の孫息子のほうにはいろいろトラブルが起きていた。まず排便の失敗。幼稚園に入るまえなのに自分からなかなか教えようとしない。ママは気が気ではなく、しょっちゅうパンツの中をのぞいている。
 「奏クン、ウンチおしえてね、おねがいだから」
 「ウン、おしえる」返事はいいのだが、当てにはならない。
 当時八十七歳の実母は兄のところで自宅介護されていた。歩行が困難なので、トイレにも付き添いが必要だった。
 「おばあちゃまったら、ちっとも教えてくれないのよ。もう三日も便秘してるのに」
久しぶりに訪ねた私に、義姉がしきりにうったえる。
 「お母さま、したくなったら教えなくちゃダメよ」
 「うん、そうだねえ」返事はまともだが当てにはならない。
 実母と孫息子とはちょうど上りと下りの電車がすれちがう接点のような状況らしかった。ひとが生まれてからどのように老いていくかを両面からつぶさに見せられているという実感があった。

 幼稚園が始まってからは、自分の気に入らないことが起きたり、思うように作業ができなかったりすると、感情をたかぶらせたり、部屋を出ていったりすることが多くなった。トランプ遊びをしていても自分が負けるとカードを叩きつけたりする。忘れ物も多いと聞く。娘があまり困っているようなので、区の子育て相談に電話をかけた。事情を話すと、穏やかな声の女性が言った。
 「そういうことがあとになって起こるより、今起きてよかったんですよ。夜寝るとき、なるべくお母さんが一緒に寝て、本を読んだり、お話をしたりしてください。お母さんが疲れているなら、お子さんに読ませてみるのもいいでしょう」
私はひととき心がやすまった。

 娘は小学生や音楽学校を受験する学生たちにソルフェージュや楽典を教える仕事をしており、それが毎週土曜日だったので、孫たちは土曜の朝から我が家にきて泊まり、ママが日曜の夕方迎えにきて夕食を共にして帰るというのが決まりになった。孫たちが五歳、三歳になるころまで、どのように長時間を楽しくすごさせるかが、私たち祖父母の課題であった。歩行がむずかしくなった義母の自宅介護もあって、祖父母二人で出かけるのがむずかしいときもあった。
プールに泳ぎにいくのはもっぱら私の仕事だった。けれども子供プールに入れておけば楽というわけにはいかなかった。大きいプールで泳ぎたいといって騒ぐ奏平をなだめながら、孫娘には浮き輪につかまらせ、すぐ戻ってくるからね、と言いきかせて、奏平の泳ぐのを助けるのだが、ばぁばーっ! と叫んで出てきてしまう孫娘のところに駆け寄らなければならず、二つ身体があればと切実に思ったこともしばしばだった。

 渋谷にある東京都児童館や、青山の子供の城にも何度足を運んだことか。ある日義母の排便の始末が長引き、出発が後れ、浮かない気分のまま、二人を子供の城に連れていくことにした。急行は土曜とあって混んでいて、二人の子供は押しつぶされそうになり、笑顔が消えていた。渋谷駅で、奏平が児童館の方がいいと言い出す。妹はイヤッ、と言ってきかない。二人の言い争いが終わらないので、ジャンケンで決めることにした。運悪く彼が負けて、地べたに寝転んで大声をあげる。しまいにはボクひとりで行くといってさっさと階段のほうに消えてしまった。戻ってくるだろうとしばらく待っていたのだが、姿を見せないので、孫娘の手を引きながら、児童館に向かった。門衛のおじいさんに訊いたのだが、そういう子は見かけなかったと言われ、呼び出しのアナウンスを頼み、おじいさんに孫娘をみていてもらって、五階までくまなく探したのだが、見つからない。「ぼくなんか死ねばいいんでしょう」などと言うこともあったので、不安は増すばかりだった。ついに自宅に電話し、夫にきてもらうことにして待っていたとき、私を呼び出すアナウンスが聞こえた。東急の渋谷駅からで、奏平を保護しているという。もう少し駅で待っていればよかったのか。
 まったく何という一日だろう。ともかく無事でよかった! 叱りたくなるのをおさえ、駅の事務所の椅子に神妙な顔で坐っている奏平に、歩みよった。
「奏クン、あなたも一生懸命探したかも知れないけど、ばぁばも児童館まで行って、一生懸命探したんだよ。でも困って駅員さんのところに行って話したのはえらかった。ほめてあげる。これからはこんなことがないようにしようね」

 駒沢公園には数えきれないぐらい通った。石造の動物がおいてある、ブタ公園、ウマ公園、リス公園、どこも孫たちは大好きで、いつまでいても飽きるということがないくらいだった。
孫たちが十歳、八歳になった二月のある日、久しぶりに、夫も一緒にブタ公園に出かけた。大小四体の目を閉じた石のブタがうずくまっていて、その後ろにトンネルをくりぬいた小山がある。その山がきょうはなんだか低く見えた。二人が成長したせいなのだろうか。二人は早速その山によじ登り、真ん中の穴から、トンネルに降りたち、おっかけっこをしたり、滑り台を競争でかけおりたり、すごいスピードなのに危なげなく遊びはじめた。
「手がかからなくなったよ」ため息と共に夫が言った。ひとりで幼い二人を連れて、片時も目をはなすことなく、世話をしたこともあったのだ。
二人乗りの自転車に私と奏平が乗って公園を半周したのだが、彼の方が勢いよくこぐので、バランスをくずし、道路わきに座礁してしまった。
「ばぁばったら、まったく…」と笑いながら言ってうしろを向き「すみません。お先に行ってください」と後車のひとに挨拶したのには驚いた。
夜は鍋料理。奏平は食べたあと、自分の皿にコップをのせて台所に運ぶ途中でコップを落とし割ってしまった。「ごめんなさい!」と間髪入れずに言う。
「すぐあやまってえらかったね」と私が言うと、孫娘が言った。
「ばぁばがせっかく買ってくれたコップなのに」
妹に言い返そうとしない奏平に、また驚いていた。

中学二年になった奏平は私の背をようやく越した。最近はおだやかになってあまりキレることがない。先日娘の家に留守番に行ったとき、小学校の卒業記念文集を見つけた。六年間で一番印象に残ったのは…という書き出しが圧倒的に多い中で、奏平の文は違っていた。
「石が深沢に転がっていた…」で始まるその内容は、自分たちが一年のとき、石ころのようにちっぽけな存在だったが、「力を合わせる」ことを重ねて、岩石のような塊となって何かを動かすことができるようになった、というものだった。それを学年ごとの運動会を例に出して、チームワークがどのようにしてできたかを具体的に述べている。
運動会は父親が華やかに登場する場である。応援する父親、ボランティアで働く父親、父兄参加の競技で張り切る父親。どんな思いで見ているかということばかりを想像していたのに、こんなことを考えるようになっていたとは。
クラスのランキング五項目に彼の名があった。〈キャラがこい人〉四位,〈早く結婚しそうな人〉四位、〈将来有名になりそうな人〉二位、〈ありえないことをし出す人〉二位、〈長生きしそうな人〉四位。
ばぁばの出番は確実に減りつつある。救急車の中で神に祈ったことがほんとになるなら、私の寿命は長くはないかもしれないが、奏平がほんとに早く結婚して長生きするのなら、それを見届けたいという欲が出ている。


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