玉電は楽し
きのうの朝日新聞の『玉電好きです、時代を超え』という記事を読み、ああ、やっぱり、わたしだけではなかったのだ、と思った。
現在残存している、三軒茶屋から下高井戸までの世田谷線は、戦後二年ほどして、三軒茶屋の奥、太子堂というところに居を定めてから、何度も利用していたので、なつかしさもひとしおなのである。
世田谷線のちょうど真ん中あたりの駅「世田谷」というところに、表千家の茶道を習いに通っていた。その先生はとてもお料理上手な方で、お茶菓子も乏しい時代、サツマイモからつくるお手製の茶巾絞りを出されたりするほどで、およそ、十年、大学を卒業するくらいまで、おけいこに通い続けた。ところが、そういう、利休のわび、さびをそのままあらわしているような茶道様式が徐々に変化し、お弟子さんも代議士夫人が多くなって、とうとう、お茶会で使う御道具に金の風呂釜などを使われるようになり、何かそういう変化がうとましくなって、辞めてしまった。そのころから時代や、人心の変貌を受け入れがたく思うようなところが、わたしには、あった。
太子堂にはまだ兄一家が住んでいるが、三軒茶屋、三茶から十分ぐらい歩くので、そこは素通りして、近頃わたしが、よく世田谷線を利用するのは、下高井戸の映画に行くためである。
見損なったわたし好みの映画を、ひろい集めて上映してくれるような小さな映画館、チケット売り場まで階段があって、膝が痛いときにはつらかったけれど、通ううちにその階段でひざの調子がよくなっているのをわかるようにもなっている。
下高井戸にはユニークなマーケットもあり、素晴らしく鮮度のいいむき海老を売っている店を目当てに、買い物も楽しい。またいまどき珍しい、雰囲気のあるコーヒー専門店も二軒ぐらいあって、軽食もOKなので、映画の帰りに立ち寄ったりする。ネコがいっぱいいる喫茶室も魅力なのだが、まだそこには入ったことがない。この先の楽しみである。
沿線の景色は変わった。昔は樹木が多く、畑などもあったが、今は中小住宅がぎっしり並んでいる。それでも終点までわずか十五分ほどの車内の時間は縦長の配置の椅子にゆったり腰かけ、過ぎ去った時間を取り戻せるような錯覚を可能にしてくれる。
三茶も変わった。個人商店はがんばっていたが、あまりあかぬけない街だったのに、今やしゃれたデザインのカフェや国際色豊かなレストランなども立ち並ぶ、若者に人気の場所に様変わり。
わたしが通っていた教会には同級生の彼が牧師をしているので、近々の日曜、キリスト教関係の友人と、所属教会の礼拝を失礼して、二人で訪問しようと約束している。
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