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2017年9月に作成された記事

2017年9月26日 (火)

バイエルンオペラ『タンホイザー』を観る

待ちに待っていたバイエルンオペラ『タンホイザー』、夏前の新国立のワーグナーオペラでは、体調が悪かったので、今回の五時間オペラ、耐えられるかと、不安だったのだけれど、すがすがしい秋晴れで、足の痛みもなく、オペラ友人のS子さんというお連れもあり、足取りも軽やかに出かけることができた。
ところが開演前、携帯がないことに気がつき、もしや場内に落としていて、あの、ワルキューレの受信音が鳴りひびくのではないかと、気が気ではないまま、一幕を観続けることになってしまった。休憩時間にS子さんの助けも借りて、スマホでたどり、タクシーの車内に落としていたことがわかり、まずはほっとした。上部が開いているバッグは気をつけなければと、つくづく悟った。

ペトレンコ指揮の音楽はまことに美しかった。これを聴くことができただけでも来た甲斐があったと思うくらい、毎日新聞評に、まれにみる音楽性と統率力、とあったが、抑制がきいていて、それでいて物語をおぎない語ろうとする、ワーグナーの意図を知り尽くしたように流れる音楽に耳を奪われていた。

お目当てのフォークト、今世紀のワーグナー歌手の、救世主のような彼のテノールはやはり独特、決して乱れることのない澄みきった声はこれ以上ないくらい的確に音をとらえ、表現し、聴く者の耳に吸い込ませてくれる。
今回は歌い上げる声ばかりではない、あの三幕の「ローマ語り」、涙をもさそう可哀そうな物語を、低めの悲劇性をよく表す声質におさえて表現した。
今回もう一人、大注目の歌手、マティアス・ゲルネは一幕では、さすが、と聴かせる朗々たるバリトンだったが、毎日評にもあったように、スタミナが失速、あの一番の聴かせどころの『夕星の歌』のアリアが、オケに負けていて、いまひとつ迫力不足、残念であった。
ゲルネ50歳、フォークト47歳、三歳の差はオペラ界では大きいのだろうか。Photo_2


演出はかなり奇抜、上半身半裸に見える衣装をまとった乙女二十人が的に見せかけた円形の画面の中の人間の目に矢を射る。目が真っ黒になるくらいの的中率である。あれはどこかの学校の弓道部の女子学生なのだろうか、それともなにかからくりがあるのか、それにしても彼女らが客席に向かって弓をかまえたときは、どきりとしたほどだった。Photo


ヴェーヌスブルクも、メトライブを観たときのイメージがまだ残っているので、それに比べると、シンプルすぎるくらいの舞台、ヌメヌメした感じの人体の山の上にヴェーヌスが鎮座し、そのままの姿勢で歌う。そのヌメヌメ人間は山海塾みたいに、その後も何度か集団であらわれ、身をくねらせる。舞台美術を省く傾向のドイツ系のオペラは、シンプルで歌手に集中できていい、と言えないことはないが、メトライブやパリで上演されたばかりのモンテカルロ歌劇場の舞台をYouTubeから見ると、総合芸術として仕上がっていて、やはり臨場感が違うだろうな、と想像できる。ホセ・クーラのタンホイザーは大成功だったそうだ。
指揮や演出、あちこち欲張りな彼、54歳でまだ、この役を演じきったとは、驚きである。
私も、もう少し若かったら聴きに行くのに。
初めてこの人を知って、リサイタルに行き、ファンになってからウイーンの『ドン・カルロ』まで聴いたのだけれど、デビュー当時の迫力が失せかけていて失望したのだった。

タンホイザー役の彼、見た目が、すっかり太めで、美貌度は減ったが、彼の復活はうれしいニュースだ。
 

2017年9月21日 (木)

アクセス情報

衆議院会館で開かれる講演会に行くことになったのだが、これまで行ったこともないところなので、主催者にも訊き、ネットからもアクセスを探した。地下鉄の国会議事堂前か、永田町から、ということだったが、前者は渋谷を通らなければならず、後者は構内が複雑で、エスカレーターや階段の接続有無もよくわからない。迷っていたら、夫が母校の日比谷高校の近くじゃないか、と思いだしてくれて、溜池山王から、というルートが見つかった。六番出口、これがエスカレーターの接続がよく、出てからもすぐ左の坂をのぼって信号、また左、という容易い道順、危なげなく到着した。

グーグルマップの一つ目小僧みたいなしるしが嫌いだ。いざ徒歩の項目をクリックしてたどろうにも、私はスマホを持っていないので、いまひとつ確かさが足りない。実際に行ってみたことがあるひとから、訊くのが一番なのだが、道案内の言葉をわかりやすく、的確に話すひとが少ないことを痛感する。

澁谷に行くのはまだ、できれば避けたい。でも大好きな東横のれん街には、ときどき無性に行きたくなる。いい漬物店と、菓子店、おせんべいの店が充実しているし、独りご飯用のおいしい店も各種そろっている。
澁谷へ行くのに、中目黒で途中下車してバスを使うというルートを知った。教会の婦人会で、出会ったある高齢者のメンバーからの情報である。これを試した。中目黒を降りるとすぐ右手に渋谷行きのバスが待っている。二種類あるから、頻繁に来る。乗ってからおよそ十分、ガード下のちょっと先に停車してくれるので、のれん街にも近いし、ブリッジクラブにも近道になる。

いつも耳をそばだてて、好奇心をはりめぐらし、情報を得ながら、暮らしていかないと、高齢者はどんどん出遅れて、便利さへは遠回りになってしまう世の中である。

2017年9月17日 (日)

ピカール食品入りのランチ

夫が落ち込んでいる。
マージャンの会が四組あったのに、メンバーは亡くなったり、重病だったりで、今や二組だけ、その、残り一組のほうを企画してくれている高校時代からの親友が駅のホームで転倒して入院したのだ。夫も転倒しそうなのに、二本杖で品川の救急病院に馳せつけた。幸い命に別状はないとのことだったが、会は復活しそうにない。

仲良しがみんないなくなりそう・・と沈んでいる。カレンダーの丸印は最後の一組のマージャン会と、歯科医の予約だけ。わたしのほうは○のない日のほうが少ないくらいなのに。

なんとか新しい楽しみをと、高齢者「憩の家」で、ビリヤードはどお?
よく通る声をしているので詩吟でもやってみたら?
とすすめてみるのだが、今さら新しいことなんて、と首をふる。
つきあっているのは学生時代か、ビジネスを共にした人たちだけ、偏屈で、頑固なのである。
それどころじゃない、このごろすごく疲れるとも言いだすし、ごひいきDeNAベイスターズも四位に落ちてしまったので、これは何とかしなければ、と思った。

娘に緊急メールし、孫たちとそろって三人、ランチに来ることになった。六人分を手作りするのは、正直、シンドい。というわけで、出かけた帰りに麻布十番のピカールに寄ってラザーニャとカナッペを買ってきた。冷凍食品二つはドライアイスもついて重たい。ネットから注文するほうがよさそうだ。

オーブンで五十分、かなり時間がかかる。この二品とあと手作りの玉子とキューリのサンドイッチ、コーンとグリンピースのオリーブオイルいために、ゴーヤのピクルス。
娘も孫たちも褒め上手だけど、それだけではなさそう、おいしい~っつ、こういうの食べたかったんだといいながら、あっというまに平らげてくれた。002_2


夫は歴史にくわしく、終戦直後は天津にいたので、料理人がつくる家庭料理のことや、いまだに覚えている中国語の発音の指導をうけたときのことなど、一度も咳こまずに饒舌に語った。いま問題の北朝鮮の情勢なども説得力ある見解を述べる。孫たちもじいじのためだから、と興味を示すふりをするのではなく、本当に面白そうに聴き入っていた。

高齢者はみな記憶をよびさましてそれぞれの過去を語ることを必要としているのではないか?そういう場はだれかが用意しなければ、わたしにも、子供や孫たちはそういうときをつくるだろうか?でもわたしにはそれを語るブログという場がある・・・などと思いながら耳を傾けていた。

2017年9月15日 (金)

麻布十番あれこれ

麻布十番はいうところは、今から40年まえ、アメリカでの駐在員生活を終えて帰国して以後ずっと、縁の深い場所になっている。

そもそも、日本語を外国人に教える仕事にさそわれて、現在の『国際日本語普及協会』が『西尾グループ』として活動を始めたころ、麻布二の橋の金物屋の二階に事務所があって、そこに通うようになった。その後、事務所は転々として、どんどん大きくなり、教室を持つ場所にまでなっていったが、最初のころは十番内を移動していたので、それぞれの商店が個性を発揮して、輝いている変遷をみつめながら、通っていた記憶が鮮やかなのである。

同じころ、所属して国際婦人クラブも奨学生の選考の場所に国際文化会館をよく利用したので、そこから坂を下ったところに位置する十番を通って渋谷方面のバスに乗る、ということが多くなった。まだ地下鉄南北線が通っていない頃の話である。

現在も十番の有名店『豆源』は当時から流行っていた。商店街中ほどの『永坂更科』の蕎麦店も有名だったが、現在は一の橋のほうの永坂本店のほうが味が繊細でおいしい。
そして当時国際婦人クラブの会員でもあった、エイミー加藤さんがオープンした『ブルーエンドホワイト』はこれまで日本人の発想にはなかったセンス抜群の、藍のブルーと白だけを使った服飾雑貨の店として、精彩をはなちつつ、長続きしている。

七年まえからその店のウインドに飾られていた刺し子作品に魅せられその作者吉浦和子先生のレッスンに通うようになった。ところが五年目に膝を傷めて、体調管理がむずかしく、針仕事が手につかなくなってしまって、挫折状態である。

『ブルーエンドホワイト』店が閉めると言うのを聞いて、もう無くなってしまうのかと残念に思っていたら、隣のピーコックがイオン経営のオーガニックスーパー『ビオ・セボン』とフランスの冷凍食品『ピカール』をオープン、その二階に移転したというので先日、国際婦人クラブの例会の帰りに立ち寄ってみた。Photo


一緒に行った友人は日本語教師時代からのお付き合い、十番は私以上にくわしいひと、ブルーエンドホワイトは建物二階、エスカレート付き、ずっと広く明るくなって見事なリニューアルを果たしていた。Photo_2

下のスーパーも大きなテーブルがあって、まわりで購入したものを食することができるコーナーが便利、隣の『ピカール』には洗練されたおいしそうな冷凍食材が満載、私はとりあえずグリンピースの冷凍の大袋を買う。グリンピースはフレッシュなものより、輸入ものの冷凍のほうが緑が美しく、手早く料理できて重宝するのである。友人はその晩の夕食用にカナッペを選んだ。
その晩、感想を知らせてくれると言っていた彼女が電話してきて、オーブンで六分、仕上がりも美しく、美味だったと、おしえてくれた。

東京もどんどん、グローバルに変貌する。近々、もう一度、この便利で、胸のときめく場所を再訪したいと思っている。


2017年9月 8日 (金)

小さな不都合つきイタリア

イタリア旅行情報専門サイトJITRAのメールマガジンは、もうイタリア旅行を辞めてしまった私には、関心のうすいものになっているのだけれど、冒頭のエッセイだけは読むことにしている。
その書き手の編集者はミラノ在住、いつもイタリアと日本を行き来する際の比較などを面白く綴っているからだ。

最新号で、彼女は日本からミラノに戻ったときのことを書いている。なんでもマルペンサ空港に夜遅く到着した際、着陸はしたものの、地上に降りる準備がととのっていないというアナウンスがあって、十五分くらい機内で待たされたという。当然降り立ってからは、みなトイレに駆け込み、そのトイレが四か所しかないので、長い行列のあとにつくことになる。
次に預けた荷物をピックアップするのだが、十台ぐらいあるベルトコンベアのどこに行っていいやら、『手荷物ご案内』用の表示もなく、探すのに時間がかかった。
市内に行くマルペンサ・エクスプレスの切符売り場はもう閉まっていて、自動販売機しかない。この販売機が問題、うまく機能しなかったり、つり銭が出てこなかったり、というトラブルの多い代物、幸い、運よくチケットは買えたけれども、彼女はつくづく思ったそうだ。トイレの数が十分で、手荷物受取の表示が大きく出ていて、自動販売機には何のトラブルもない成田が、何と素晴らしいことか、と。
それでも電車を降りてからタクシーに乗り、窓からライトアップされた神々しいまでに美しいドゥオーモを見て、胸が熱くなるほど感動し、イタリアと言う国は比類のないほど美しいものが存在しているけれど、それと同時に多くの小さな不都合に遭遇することにもなる。居住する者にとってはそれらを丸ごとうけとめなければならない、と締めくくっていた。

そう、過去二十一回の私のイタリア一人旅でどれほどこの小さな不都合を経験したことだろう。到着時、荷物に両手をとられる不自由なときに、トラブルにまきこまれることを、とりわけ用心し、迎えを頼むことが多かった。
ローマ、テルミニ駅からオルヴィエートに直行するという旅のときのこと。
迎えはローマ在住のRさん、列車探しを手伝ってもらう。イタリア語ベラベラの彼女に訊いてもらったのだが、駅員のだれもが違う答えをする。まさに発車まぎわにやっと目当ての列車にたどりつくことができた。ところが乗ってから、こんどは停まる駅名の表示には次の駅が記されていないので、不安になる。オルヴィエートの前の駅名が知りたい、あといくつ駅があるのだろうか・・・ちょうど検察にやってきた鼻ピアスの男性乗務員に尋ねてみた。
ところがわからないから調べてくると言ってどこかに行ってしまった。我が国のJRでは考えられない事態である。

列車チケットの自動販売機や、道路に面しているATMはトラブルの話をよく聞かされていたので、利用したことはない。

メルマガの編集者はミラノ在住でイタリア人同様の生活者であっても、やはり不都合を経験しているということを今回知って、所詮、旅人に過ぎないからかという意識のもたらす劣等感が薄まったような気がした。

旅をしていたときは、そういう不都合を経験し、それが新たな活力の源となり、この次からは大丈夫、という勇気が出たのだけれど、それはどんなに長く歩いても、痛みが出ない足と、安定した体調を保持していられたからだ。
いまはそれがもう失われつつある。
旅に終わりを告げるときが来たのだった。

2017年9月 4日 (月)

玉電は楽し

きのうの朝日新聞の『玉電好きです、時代を超え』という記事を読み、ああ、やっぱり、わたしだけではなかったのだ、と思った。
現在残存している、三軒茶屋から下高井戸までの世田谷線は、戦後二年ほどして、三軒茶屋の奥、太子堂というところに居を定めてから、何度も利用していたので、なつかしさもひとしおなのである。

世田谷線のちょうど真ん中あたりの駅「世田谷」というところに、表千家の茶道を習いに通っていた。その先生はとてもお料理上手な方で、お茶菓子も乏しい時代、サツマイモからつくるお手製の茶巾絞りを出されたりするほどで、およそ、十年、大学を卒業するくらいまで、おけいこに通い続けた。ところが、そういう、利休のわび、さびをそのままあらわしているような茶道様式が徐々に変化し、お弟子さんも代議士夫人が多くなって、とうとう、お茶会で使う御道具に金の風呂釜などを使われるようになり、何かそういう変化がうとましくなって、辞めてしまった。そのころから時代や、人心の変貌を受け入れがたく思うようなところが、わたしには、あった。

太子堂にはまだ兄一家が住んでいるが、三軒茶屋、三茶から十分ぐらい歩くので、そこは素通りして、近頃わたしが、よく世田谷線を利用するのは、下高井戸の映画に行くためである。
見損なったわたし好みの映画を、ひろい集めて上映してくれるような小さな映画館、チケット売り場まで階段があって、膝が痛いときにはつらかったけれど、通ううちにその階段でひざの調子がよくなっているのをわかるようにもなっている。

下高井戸にはユニークなマーケットもあり、素晴らしく鮮度のいいむき海老を売っている店を目当てに、買い物も楽しい。またいまどき珍しい、雰囲気のあるコーヒー専門店も二軒ぐらいあって、軽食もOKなので、映画の帰りに立ち寄ったりする。ネコがいっぱいいる喫茶室も魅力なのだが、まだそこには入ったことがない。この先の楽しみである。

沿線の景色は変わった。昔は樹木が多く、畑などもあったが、今は中小住宅がぎっしり並んでいる。それでも終点までわずか十五分ほどの車内の時間は縦長の配置の椅子にゆったり腰かけ、過ぎ去った時間を取り戻せるような錯覚を可能にしてくれる。

三茶も変わった。個人商店はがんばっていたが、あまりあかぬけない街だったのに、今やしゃれたデザインのカフェや国際色豊かなレストランなども立ち並ぶ、若者に人気の場所に様変わり。
わたしが通っていた教会には同級生の彼が牧師をしているので、近々の日曜、キリスト教関係の友人と、所属教会の礼拝を失礼して、二人で訪問しようと約束している。

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