バイエルンオペラ『タンホイザー』を観る
待ちに待っていたバイエルンオペラ『タンホイザー』、夏前の新国立のワーグナーオペラでは、体調が悪かったので、今回の五時間オペラ、耐えられるかと、不安だったのだけれど、すがすがしい秋晴れで、足の痛みもなく、オペラ友人のS子さんというお連れもあり、足取りも軽やかに出かけることができた。
ところが開演前、携帯がないことに気がつき、もしや場内に落としていて、あの、ワルキューレの受信音が鳴りひびくのではないかと、気が気ではないまま、一幕を観続けることになってしまった。休憩時間にS子さんの助けも借りて、スマホでたどり、タクシーの車内に落としていたことがわかり、まずはほっとした。上部が開いているバッグは気をつけなければと、つくづく悟った。
ペトレンコ指揮の音楽はまことに美しかった。これを聴くことができただけでも来た甲斐があったと思うくらい、毎日新聞評に、まれにみる音楽性と統率力、とあったが、抑制がきいていて、それでいて物語をおぎない語ろうとする、ワーグナーの意図を知り尽くしたように流れる音楽に耳を奪われていた。
お目当てのフォークト、今世紀のワーグナー歌手の、救世主のような彼のテノールはやはり独特、決して乱れることのない澄みきった声はこれ以上ないくらい的確に音をとらえ、表現し、聴く者の耳に吸い込ませてくれる。
今回は歌い上げる声ばかりではない、あの三幕の「ローマ語り」、涙をもさそう可哀そうな物語を、低めの悲劇性をよく表す声質におさえて表現した。
今回もう一人、大注目の歌手、マティアス・ゲルネは一幕では、さすが、と聴かせる朗々たるバリトンだったが、毎日評にもあったように、スタミナが失速、あの一番の聴かせどころの『夕星の歌』のアリアが、オケに負けていて、いまひとつ迫力不足、残念であった。
ゲルネ50歳、フォークト47歳、三歳の差はオペラ界では大きいのだろうか。
演出はかなり奇抜、上半身半裸に見える衣装をまとった乙女二十人が的に見せかけた円形の画面の中の人間の目に矢を射る。目が真っ黒になるくらいの的中率である。あれはどこかの学校の弓道部の女子学生なのだろうか、それともなにかからくりがあるのか、それにしても彼女らが客席に向かって弓をかまえたときは、どきりとしたほどだった。
ヴェーヌスブルクも、メトライブを観たときのイメージがまだ残っているので、それに比べると、シンプルすぎるくらいの舞台、ヌメヌメした感じの人体の山の上にヴェーヌスが鎮座し、そのままの姿勢で歌う。そのヌメヌメ人間は山海塾みたいに、その後も何度か集団であらわれ、身をくねらせる。舞台美術を省く傾向のドイツ系のオペラは、シンプルで歌手に集中できていい、と言えないことはないが、メトライブやパリで上演されたばかりのモンテカルロ歌劇場の舞台をYouTubeから見ると、総合芸術として仕上がっていて、やはり臨場感が違うだろうな、と想像できる。ホセ・クーラのタンホイザーは大成功だったそうだ。
指揮や演出、あちこち欲張りな彼、54歳でまだ、この役を演じきったとは、驚きである。
私も、もう少し若かったら聴きに行くのに。
初めてこの人を知って、リサイタルに行き、ファンになってからウイーンの『ドン・カルロ』まで聴いたのだけれど、デビュー当時の迫力が失せかけていて失望したのだった。
タンホイザー役の彼、見た目が、すっかり太めで、美貌度は減ったが、彼の復活はうれしいニュースだ。
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