デイケアに通う
カーブスは辞めてしまったものの、定期的な運動が必要であることは感じていた。プールに通おうかと思ってはいたのだが、家事を手早く片づけることが苦手になっている昨今、一時間に一本のバスを見逃すことも多く、思うように実行できない。
そんなことから、夫のケアマネージャーさんに相談して介護保険適用の通所のデイケアで体操をさせてもらうようになって、一カ月が経過している。それでなくても運動ぎらいのわたしにとって、ドア・トゥー・ドアのお迎えつきというのは、気が向かないことへの億劫さを取り去ってくれるので、ありがたい。
坂の多いこのあたりの高台の頂上付近の住宅地、晴れた日は遠くの山山や富士山までくっきり見渡せる、外国人が居住していたという洋館でのデイケア、午前の部の転倒予防体操は椅子に腰かけたまま、手足をあらゆる方向に動かすという、非常によく考案された運動、みなが号令に声を合わせ、高揚感を高めつつ、励む一時間、これもよかったのだが、午後の部には階上でもう少しハードな、マット運動がある、と聞いて、この二度ほどそちらをためしている。
きのうは女性参加者三人、わたしのほかに、大正生まれの方と、八十五歳の方であったが、かなり厳しい前屈運動をみごとにこなされていた。これも身体のひねり、前屈のヴァリエーション多数、最後は仰向けとうつ伏せで足を屈伸、十分すぎるほど身体を柔軟にする一時間だった。
熱いお茶や、冷たいポカリスエットのサービスがあって、部屋のほぼ中央にある螺旋階段の上り下りには目の行き届いたサポートがあり、ヘルパーさんたちの優しさに感謝する。
運動のまえには、血圧と体温の計測があり、集中力を高めるための、イラストの中の間違い探し、などもして、終わったあとはしばし歓談のあと、マージャンを一時間、階下では、歩行に困難を抱えている方たちが、書道や、塗り絵などをされていたけれど、お仲間と同じことをするという時間を共有する、ゆとりと、抑制、節度が感じられて、認知度のトラブルなどは全くあらわれていなかった。
わたしはこの中で一番若く、ノーマルに近いと感じることは多いのだけれど、いずれは通うことになるかもしれない場所を早めに体験できて、得をしているのではないかとも思う。
足腰に痛みが出るようになって、それまで当たり前にできていた生活がむずかしくなってきたとき、いつも在宅でいなければならないのは、ストレスが生じるものだ。
デイケアのこれからの役割、在り方を十分に考慮していると思われるこの施設には、感動する場面が少なからずある。
(サギ草の鉢植えー初めて見る花、清楚で美しい)
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コメント
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cannellaさんが感動されたというデイケアの記事で、楽しく、明るく、密度の濃い運動の内容に、これこそが「未病」の時に積極的にやるものだと思いました。
まだまだ元気な状態の時に、公的な場をたくさん設けて、積極的に参加者を募る、喜んで参加する、そういう仕組みを作れば、長命になった生涯を生き生きと過ごすことが出来るでしょう。
地方の自治体によっては、それが進んでいるところもあるようですね。
投稿: ちゃぐまま | 2017年9月15日 (金) 16時28分
ちゃぐままさん
いつもご訪問感謝しています。そしておはげまし、うれしいです。
介護保険はずいぶん早くからおさめていますよね。それが有効になるのは、本当にひどくなってからではなく、実はそのまえから、ひどくならないように予備軍たちの、集まり場所が必要ではないか、とこのごろ、しきりと思います。街に出ると、足をひきずりながら買い物をしていたり、重そうなカートを一寸きざみに引っ張りながら、歩いているご婦人、孤独な表情でどの食べ物を買おうかと迷っている高齢男性とか、本当に、本当に老人が多いですよね。自分をふくめて、若い人たちの負担にならずに、みんな笑顔で暮らせるようにするにはどうしたらよいのだろう、と考えることが多いです。
投稿: ばぁば | 2017年9月17日 (日) 16時25分