『ダウントン・アビー』終わる
日曜の楽しみが消えた。『ダウントン・アビー』が終了したからだ。
第二次世界大戦をはさみ、変わりゆく貴族社会とそれを支える使用人たちの人間模様を
手際よく、丁寧に描いた、制作者であり、脚本家のジュリアン・フェロウズはさすがだったと思う。映画『ゴズフォード・パーク』でこのひとを知った。彼はこの作品でアカデミー賞を獲得したが、『ダウントン・・』でもエミー賞を受賞している。
貴族社会の日常とそこに渦巻くエピソードをよくこれほど、細やかにしかも、品格あるタッチで描けるものと、感嘆していたのだが、彼自身が外交官の子息で、伯爵令嬢と結婚し、その女性の家に男子がいなかったために相続のゴタゴタを経験し、ついには伯爵令嬢待遇の男爵の爵位を得たという経歴があると知って、納得がいった。
俳優歴もあるという、ケンブリッジ出の秀才であるが、この写真、おつむは薄いけれど、顔立ちはご立派。お人柄もよさそうな気がする。ダウントンの上の階の伯爵一家は誇り高くあっても、下の階の使用人のひとりひとりに気遣いのできるひとたちであった。せりふの端々に人生の深みを感じさせるものがあり、場面転換の見事さ、エピソードづくりの巧みさ、日本の朝ドラの作者も、少しは学んでほしいものだと、思いつつ、目の離せぬ展開を楽しんだ。
好きな登場人物はメアリーの最初の夫マシューの母親イザベル、彼女と伯爵の母ヴァイオレットとの友情はとりわけ美しく描かれていた。身分違いをお互い意識することはあっても、それを超えた教養や誇りを尊敬しあっていることが心を打つせりふにあらわれていた。
デイジーと、バロウが最後にどうなるのか、目を離せなかったが、めでたし、めでたし、で安心した。あまりにすべてがめでたし過ぎたという気もしないではないが、ドラマは長ければ長いほど、後味がよいのがうれしい。そういうこともフェロウズは心得ているのだろう。
この作品、できれば原語で聴きたかった。いまその不満をおぎなってもらうように、見とれているのがイマジカの『ブライズヘッドふたたび』、これで観るのは三回目、人間わすれることがあるので、何度みても細部に見落としていた珠玉のせりふなどを見つけて、退屈することはない。これまたイギリスドラマ必見の名作、ジュレミー・アイアンズ、ローレンス・オリヴィエやクレア・ブルームが美しい英語をひびかせて楽しませてくれる。
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