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2017年7月に作成された記事

2017年7月27日 (木)

『ダウントン・アビー』終わる

日曜の楽しみが消えた。『ダウントン・アビー』が終了したからだ。Photo

第二次世界大戦をはさみ、変わりゆく貴族社会とそれを支える使用人たちの人間模様を
手際よく、丁寧に描いた、制作者であり、脚本家のジュリアン・フェロウズはさすがだったと思う。映画『ゴズフォード・パーク』でこのひとを知った。彼はこの作品でアカデミー賞を獲得したが、『ダウントン・・』でもエミー賞を受賞している。

貴族社会の日常とそこに渦巻くエピソードをよくこれほど、細やかにしかも、品格あるタッチで描けるものと、感嘆していたのだが、彼自身が外交官の子息で、伯爵令嬢と結婚し、その女性の家に男子がいなかったために相続のゴタゴタを経験し、ついには伯爵令嬢待遇の男爵の爵位を得たという経歴があると知って、納得がいった。Photo_2


俳優歴もあるという、ケンブリッジ出の秀才であるが、この写真、おつむは薄いけれど、顔立ちはご立派。お人柄もよさそうな気がする。ダウントンの上の階の伯爵一家は誇り高くあっても、下の階の使用人のひとりひとりに気遣いのできるひとたちであった。せりふの端々に人生の深みを感じさせるものがあり、場面転換の見事さ、エピソードづくりの巧みさ、日本の朝ドラの作者も、少しは学んでほしいものだと、思いつつ、目の離せぬ展開を楽しんだ。

好きな登場人物はメアリーの最初の夫マシューの母親イザベル、彼女と伯爵の母ヴァイオレットとの友情はとりわけ美しく描かれていた。身分違いをお互い意識することはあっても、それを超えた教養や誇りを尊敬しあっていることが心を打つせりふにあらわれていた。
デイジーと、バロウが最後にどうなるのか、目を離せなかったが、めでたし、めでたし、で安心した。あまりにすべてがめでたし過ぎたという気もしないではないが、ドラマは長ければ長いほど、後味がよいのがうれしい。そういうこともフェロウズは心得ているのだろう。Photo_3


この作品、できれば原語で聴きたかった。いまその不満をおぎなってもらうように、見とれているのがイマジカの『ブライズヘッドふたたび』、これで観るのは三回目、人間わすれることがあるので、何度みても細部に見落としていた珠玉のせりふなどを見つけて、退屈することはない。これまたイギリスドラマ必見の名作、ジュレミー・アイアンズ、ローレンス・オリヴィエやクレア・ブルームが美しい英語をひびかせて楽しませてくれる。Photo_4

2017年7月24日 (月)

旅の余話

帰途、健康村から上毛高原までの送迎サービスの車の中は、同年齢の女性の同乗者と二人だけだった。彼女はもう十数年、年に数回健康村を利用していて、いつも満足して帰ると話していた。
次の予約を紅葉の季節にしてきたので、わたしもこれからこの場所を訪れ続けるようになりそうだ、と思った。

個室にはトイレがないので、廊下を隔てて十数歩の場所まで歩かなければならなかったけれど、夜中に行くときもさほど不便を感じなかった。浴室は地下までエレベータまで降りて、そこから長廊下、ワンブロックぐらいの距離を歩いた先にあるのがちょっと遠いと感じたけれど、前回よりも膝の痛みは軽減していたのか、そういうことが苦にならずにいられたのは、こころが解放されている心地よさがあったからだと思う。朝風呂に入って髪をシャンプーする余裕も持てた。

旅の心地よさとは何なのだろう? 高級旅館やホテルに泊まりたいという気持ちは失せている。わたしの経済状態では一泊四、五万するような宿泊場所は自分が無理をしているという感じが否めないし、凝った料理に満足するかどうかも確かではなく、いかにも客サービスだけというマニュアル的親切は空しいだけである。
あるがままの自然が美しく、自分が無理をしないで溶け込める場所、それに加えて健康村の親切は心からのものだ。従業員の皆がここで働く喜びをいっぱいにして、対応してくれている。

川場村の道の駅、田園プラザでインゲンや、いまが旬のブルーベリーや、ラズベリー、フキノトウ入り味噌、シソジュースなどを買い込んだ。食生活が楽しくなってくるようなものを沢山、安価で求められる幸せもここにはある。ジュースは別便にしたけれど、あとのものはスーツケースに入れて、宅急便で送った。ほかに宿からユズ酒やリンゴ酒なども別便で送ってもらった。
スーツケースの宅急便が届いて、開けてみると、あら、大変、ラズベリーがドロドロになってしまって、汁がもれ、バジャマを汚し、次の敬語講義のために借りた図書館の本の表紙を染めてしまっていた。

衣類は漂白剤につけて、対処し、書籍は幸いビニールカバーがついていたので、ウエットティシュ―で消すことができたのだけれど、ブルーベリーは全く現物のままなのに、ラズベリーは冷凍ものだったのだろうか?
生の果実が一晩であんなにドロドロになるなんて、想像もしなかった自分をつくづく迂闊だったと悔やむばかりである。

2017年7月21日 (金)

世田谷健康村ふたたび

五月に予定を入れておいた世田谷健康村行き、夏の上毛高原はあまり涼しくないと聞いていたので、それほど期待せず、ただ三日間家事が休めれば、という程度で出掛けたのだけれど、よかった、来てみて。
涼しくはないが、空気はさわやか。遅咲きのアジサイが満開である。005

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今回はベッドの洋室があるという「なかのビレッジ」の方へ。内部のデザインがかなり凝っていて統一感が素晴らしく、エレベーター脇の窓から見える風景なども一番効果的なアングルをとらえていたりする。どちらの設計ですか?と訊いてみたら、坂倉設計事務所という応えに、やはり、と納得した。008

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着いたその日の夜、ホタルを見に行くプランがあるけど、参加しませんか、とさそわれ、二つ返事で、申込書に名前を記入。このまえホタルを見たのは三十年まえぐらいだろうか、アメリカの友人の庭に飛び交うホタル、あれ以来だ。010

で、そのホタル見物、参加者はわたしのほかに、大正生まれのご婦人二名、車で連れていかれた先は、十分ほどの田んぼの前、その晩は湿気が少なく風が吹いていたせいで、ホタルの数はすくなく、ぽつりぽつり、光り出した程度だったが、徐々に光り、飛ぶ姿を目で追うのにスリルがあり、あのアメリカの豪華版と対照的で、俳句が出てきそうないかにもはかなげな日本のホタル、の感動があった。

夕食は和食専門のシェフが限られた予算で川場の野菜をたっぷり使った自慢の料理が六品、お椀はなめこ汁だったり、とろろとキノコ汁だったり、それに夏目漱石糠漬けがつく、申し分のない味ばかり、一日目はゴマ豆腐、二日目はトマト豆腐、若鮎の塩焼きやビーフシチュー、ウナギ柳川鍋もおいしかった。028

川場のお米がいいので、朝食は和食にした。旅館のように凝り過ぎのものはなく、日本の朝食にこれだけは必要というものがこの味こそ、というつくりで出される満足がある。015


四季折々の花の寺としても有名な吉祥寺にも案内してもらった。本殿の庭には清流の滝も見られ、そこでお抹茶をいただいてしばし静寂に浸る。仏像がいろいろ保存されていたが、おだやかないいお顔の仏さまだった。016

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2017年7月17日 (月)

五十年まえの刺繍作品

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ベッドわきの壁にかけてある二枚の額、五十年まえアメリカのイリノイ州エヴァンストンに住み始めたときに、作った刺繍作品である。

到着したときは真冬真っただ中の十二月、0度C以下も頻繁にある寒い、寒い毎日だったが、家の中は半そででも平気なくらいのセントラルヒーティングにこの国の資源の豊かさを思い知らされたのだった。

ようやく子供たちを連れて外出できるくらいになって、出かけた公園で、すでに一年ぐらい前から駐在している日本人女性と知り合った。子供たちも同じ年ぐらいだったので、家を行き来するようになり、彼女が刺繍などの手芸の達人であることを知った。

刺繍のキットを売っている店に行きましょうとさそわれて、遠出をする。彼女はクロスステッチ名人だったが、わたしは単調な刺し方があまり好みではなく、もっと違う材料を探していた。
刺繍のキット、キットというのは一つの作品に必要な図案、布地、刺繍糸や針などすべてが袋に入っているセットのこと。
せっかくアメリカに来たのだから、思い出になるようなアメリカのものを、と探して、見つけたのがこの二作品、セーラムの港の風景と、フィラデルフィアの、アメリカ国旗を作ったと言われるベッツィ・ロスの家の図案。

額装は徒歩距離で行ける額装店に注文したのだが、実にふさわしい出来栄えだと、感嘆した。さすがアメリカ、色もサイズもそれを選ぶセンスをもっている店で、その後足しげく訪れることになった。

2017年7月10日 (月)

COOL JAPAN 上野特集

久しぶりにCool Japanを観た。十年以上にもなる長寿番組だが、日曜の六時台は
いつも忙しいので、つい観るのを忘れてしまう。
この日は「上野」が特集、これはぜひ観たいと思い、録画しておいた。
中学生のころ、親友が池之端に住んでいて、よく泊まりにいったりしていたので、不忍池界隈は本当になつかしいところである。その友人はすでに三十代で急逝してしまったのだが・・・

司会の鴻上尚史さんの仕切りぶりがいい。外国人ばかりの出演者にうむを言わせぬ貫録がある。
外国人の選ぶ上野のベストファイブ、五位はなんと上野東照宮、以前出かけたときはいつも工事中で中まで入った覚えもない。ところが修復工事が完成したこの場所、日光にも引けを取らぬ素晴らしさである。色鮮やかな動植物の彫刻、まばゆい金箔をふんだんに使った装飾、これはぜひ一度行かなければ、と思うけれど、このごろは上野と聞いただけで、交通のことを思い、シンドイと感じてしまう、年齢相応の弱りようである。
イタリア人のフラビオさん、聖なる場所をふんだんに実感させてくれるところ、イタリアの世界遺産と共通するものを日本のいたるところで歴史の重みと共に感じると、語っていた。
四位と三位は不忍池と動物園、池の中程にまで動物を移動させる橋などがあり、シロクマが水中に潜って戯れるさまを見られるようになっていたり、サル山があったり、いかに動物が居心地良く過ごすか、思いやりあふれる施設が感動的だと口々に発言する外国人出演者の優しさがうれしかった。
二位は国立博物館、私を案内してくれた下町生まれの日本通の友人のことを想った。彼女にどれほど、日本の良さを教えてもらったことか。谷中や、根津周辺、のお寺散策、まだ足がまともだったころに、沢山歩けたことは幸いだったと思いたい。いまは美術館歩きも積極的にならなくなっている。
 
一位は意外にもアメ横であった。大学生のころ、アメ横は、アメリカからの輸入品の宝庫だった。化粧品や、靴、アクセサリーなどを友人と連れ立って買いに行った。
いまのアメ横はアジアの食べものや、居酒屋などもひしめく、多国籍風のマーケット、威勢のいい外国なまりの掛け声に活気づく場所、だれとでも友達になれる、と出演者たちは言う。
パイナップルやイチゴを串に刺して食べさせるところもあり、イギリス人は切った果物をこういう風に食べさせるところは自国にはない、と言って喜んでいた。

日本は静寂とカオスが隣り合っている不思議なところ、という感想をもらす外国人たちに
我が国の良さをあらためて教えてもらったような気がした。

2017年7月 8日 (土)

購読新聞異聞 2

六日夕刊、九州豪雨の朝日の写真は衝撃的だった。二面のページ半分ほどを覆う、土砂崩れの壮絶さ、撮影者の名前入りのショットが三枚、一面にも一枚、惨状が一目で伝わってくる。
日本経済は白黒の小さな写真のみ、テレビの映像は一瞬のものだが、新聞はそれを何度も目にすることができるからこそ、天災の恐ろしさが心に刻まれる。

日本経済の「私の履歴書」は愛読している。このところ、私と同年齢のひとたちが続いているので、自分の育ったころの世情が、よみがえってきて興味がつきない。高田賢三氏のときは、彼がレナート・カステラーニ監督の『ロミオとジュリエット』を観て、ロミオ役のローレンス・ハーヴェイに夢中になって、ファンレターまで出したという記述に「あっつ!」と思った。私もどれほど熱をあげたかを思い出したからである。現在、日本ガイシ特別顧問の柴田昌治氏が執筆中だが、「非常に気難しく気位の高い祖母がいた」との一文に、我が家とそっくり、とうなずいたのだった。
こういう一カ月という時間をかけての連載ものは朝日にはない。しかも自叙伝でありながら、ドキュメンタリーのように当時の世相も伝えるものなので、読みごたえする。

朝日の声欄は一般人のオピニオン、投稿記事である。これが面白い。数日前の「日本語教師の報酬がいかに少ないか・・・」には経験者として大きくうなずくものがあったし、きょうの財務省の理財局長が国税庁長官に就任について、悪い人事ではという見出し、同感と叫びたくなった。この理財局長、国会答弁のとき「承知してございません」などというおかしな日本語を発したひとだったからだ。
大胆な正論を投稿するひとの勇気を称えたいし、これを掲載した朝日にも拍手したい気持ちになった。

新聞を二つ購読するのはちょっと贅沢だけれど、テレビや雑誌からは得られない、「今」をしっかり把握できる時間が長くなって、朝の充実感も増している。


2017年7月 6日 (木)

購読新聞異聞 1

朝日新聞の無料お試しキャンペーンを、お願いします、と、学生の勧誘員が来たので、わたしは、新聞は朝日だと思ってずっと購読していたのに、あのスキャンダルで失望し、今はあちこち試した上で日本経済に落ち着いていて満足しているからいいわ、と、言ったのだけれど、彼がもっともだというふうにうなずき、どれほど改良したかぜひこの機会に読んでみてくださいと言うので、アンケートつきのこのキャンペーン、引き受けてみる気になった。

整骨院の待ち時間のときに、ときどき目を通すのだけれど、確かに目を惹きつけられる記事が多いと、感じていたこともあったからだ。

そう、確かに改良されている。日本経済には読者の投稿欄がないので、一般の人が今、何に関心を抱いているかを、新聞からじかに知ることができないのが物足りない。それに天気予報が、三面記事の場所なので、いちいちめくらなければならないのが不便、それと、テレビ番組の一押し紹介がないのが物足りない。朝日は、それらすべてを満足させてくれるし、あの零落した当時の弱弱しさが消え、勢いがついているように見えた。得意の文芸欄はまだ書き手が残っていたのか、ニュースや紹介記事もいい文章の、読ませるものがふえている。

わたしは六時半起床で三十分をベッドに半身を起こした姿勢で、新聞を読みふける。その一週間は視点の異なる新聞の読み比べが楽しく、早朝の目覚めは充実した気分だった。

先月末、朝日新聞がおずおずという感じで、感想を訊きに来たとき、わたしはインターネットのブリッジゲームに参加しており、夫が応対したのだが、朝日は嫌いだからいらない、と言っている声がしたので、わたしはゲームの途中だったけれど、購読することに決めたからと、大声で知らせた。勧誘員の歓喜の声が聞こえて、あのときの勧誘員は奨学生だったから、さぞ喜ぶだろうと言ったので、いいことをしたような気がしてほっとした。夫がなんだか悪いみたいだね、とかなんとか応えていたので、なんのことかわからなくて、ゲームが終って見に行ったら、驚いた。魚沼のコシヒカリ5キロと、夫の好みの缶ビール、「のどごし」2ダースがおいてあるのだ。

こんな大盤振る舞いで新聞店大丈夫かしら、と思ってしまう。お米もビールも一度にこれほど沢山買ったことはないので、収納場所に困り、まだ玄関先においたままになっている。(続く)

2017年7月 2日 (日)

きょうの選挙

今日が都議選の投票日だというのに、選挙公報が届いてないので、日本経済の新聞店に電話した。
我が家はチラシを断っているので、入れなかったという。「選挙公報はチラシじゃないでしょう。大事な情報ですよ。このまえも入れてくれなくて、催促の電話したのよ、忘れないように、黒板に書いておいてください。あなたのお名前は?」とまで言ってしまった。
このところ出かけて歩くことが多かったので、また膝の痛みがぶりかえしている。その鬱憤がこもってるみたいだ、と夫がコメントした。

届けられた広報を一覧したけれど、このひとだ、という直観がわかない。

選挙カーからの「お訴え」と称する叫びは声は大きいだけで、よく聴きとれず、なんのためにやってるのか、あれでは意味をなさない。もっと人柄がわかるプレゼンテーションはないのだろうか。

自分を語るという800字くらいの文を書かせてみてはどうなのだろう。文は人なり、というから、ただの経歴や似たような公約文よりは、判断材料になると思う。

二日後、教会の婦人会で「感話」と称する話を頼まれている。そのときまでに痛みをやわらげなければならないので、長歩きをなるべく避けて、きょうは礼拝に行かなかった。でも選挙には出かけようか、でも今まだ迷っている。

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