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2017年6月に作成された記事

2017年6月25日 (日)

久方ぶりの講師体験 4

講義の日の十日前、風邪をひいてしまった。鼻かぜが三日も続き、薬を一日に九錠も服用することとなる。胃まで傷めてしまうと困るので胃薬も併用するから、まさに薬漬け。
ようやくおさまったかと思ったら、今度は咳がでてきて、更に薬攻めの日が四日も続く。

夫にはずいぶん助けてもらった。洗い物はすべて引き受けてくれ、料理も何度かまかせることになってしまう。こんな状況でうまくいくかしら、としょげ込むわたしを、絶対うまくやれるよ、オレが保証する、など励ましてもらった。

自室に閉じこもって、声を出して講義の予行演習をしてみたら、思いのほか、よどみなく言葉がでてきて、時間配分の見当もついたので、それは安堵したのだが、練習問題の体裁をよくしようと、テキストに添付することにして、自分でワードにうちこんだら、それが、かなり疲れる作業で、肩がパンパン、マッサージにも通うことになった。
ともかく、この年齢で報酬が支払われる仕事をするのは健康管理の気配りも加わり、途中で投げ出す迷惑だけは避けなければならないので、本当に大変とつくづく思った。

さて、当日、現役で仕事をしているひとたちが受講者なので、夜7時からの二時間授業である。
8時ごろはいつも居眠りをしている時間だから、大丈夫か、なども心配だったが、風邪も全快、目はぱっちりして度胸も出てきた。
受講者は思いのほか多くて八名、みな目をキラキラさせて、練習問題はほぼ満点、敬語の誤りの実例や、英語と日本語との敬意表現の違いなど、討論形式にしてみたら、いろいろな意見や質問がとびだし、テーブルは活気づいた。笑い声も何度かひろがり、教務のひとまで見学に入ってきた。

授業内容は二時間でぴたりとおさまったので、やれやれだったが、受講者たちの関心の高さは驚くばかりだった。
あとまで残って質問をするひともいたりして、十年ぶりの講義が不安でならなかった部分はまずは、杞憂に終わり、疲れを忘れて足取りも軽やかに帰途につくことができた。(了)

2017年6月23日 (金)

久方ぶりの講師体験 3

今回この仕事に私を推薦してくれたのは、同級生のSさんである。現在トップ同時通訳者の最高齢のひとりだと思うが、彼女はこれまでも、何度となく翻訳関係や、日本語教師の仕事を紹介してくれた。私の娘が夫を亡くし、三歳と一歳の孫のサポートを手伝うことになったときも、“あなたはこういうときこそ、外に出る口実をもっていたほうがいい”と言ってくれて、オーストラリア人の会社重役に日本語をおしえる仕事の話をもってきてくれた。

その彼女と数年ぶりに会うことになって、自由が丘のカフェで待ちあわせたとき、彼女は相変わらずのすらりとした足にヒールの靴をはき、スマホを片手に、グーグルに案内してもらったわ、と颯爽とあらわれた。一週間後ILOの仕事に出かけるのだという。
私が、授業見学三回の話をして、ああいう優秀なひとたちに、敬語概論なんか必要なのか、幼稚すぎるのではないか、と問いかけると、「そんなことはない、実地で感じるけれど、いまの若いひとたちには絶対に必要だから、自信をもってなさい。私たちは安心して敬語の多い通訳を任せられる最後の世代とよくいわれるのよ」と言う言葉をもらった。

いろいろな日本語関係、敬語本を読んで改めて悟った。確かに、家庭で両親の電話のやりとりを身近で聴いていた私たちの世代はまるでスピードラーニングみたいに、自然と日常の敬語を耳に入れていたわけで、なんの抵抗もなく、尊敬語も謙譲語も口に出てくる最後の世代なのかもしれない、と。

彼女がまだ仕事をしている、という、写真入りの年賀状を見る度に、もう引退の年齢なのでは、と思ったりしたけれど、今回でわかった。彼女は正しく「余人をもって代え難し」の逸材なのである。(続く)


2017年6月22日 (木)

久方ぶりの講師体験 2

CNNのニュースの通訳の日本語チェックも頻繁にし、一般のTVチャンネルのトーク番組などものぞいて、いまの日本語を確かめることもしてきたのだが、そこから見えてきたものに、少なからず驚愕した。いかに敬意表現が軽視されているかを知ったからである。

若者のあいだにはタメ語「ウッソー、マジ、メッチャ、ヤバイなど」が定着し、「です、ます」形が敬語だと思っている連中もいる。敬語では親しみがあらわせないから使いたくないという発言もある。

相手や場面に配慮し使いわける相互尊重の自己表現として尊重されるべき敬語が軽視されるようになった背景も推量がつくようになった。

敬語に関する文化庁の答申は過去に三度、戦後まもなく1952年の『これからの敬語』は、私、あなた、れる、られる、です、ます形を敬語としようという、簡略、かつ、おそまつな改革で、それがおよそ五十年以上も放っておかれ、ようやく2003年に『現代社会における敬意表現』が発表されたが、すでに混乱はますます激しくなっているので、とりわけむずかしい謙譲語を二つに分けると言う改良作を打ち出したのが2006年の答申『敬語の指針』だった。

このところ、あちらこちらから攻撃されている文科省は、大切な日本語教育を重視してこなかったのではないか、と疑いたくもなってくるし、受信料を徴取しているNHKにも、しっかりしたチェッカーは消えてしまったか、に見える。それほど、ドラマやインタビューなどに、二重敬語の「おっしゃられる」や謙譲語の「あげる、くれる、もらう」の通称「やりもらい」表現の誤りが氾濫しているからである。(続く)

2017年6月20日 (火)

久方ぶりの講師体験 1,

敬語の授業が終わった。

以前、イタリアのホームステイに関する本を出版したとき、請われて講座の講師をつとめてからおよそ十年以上を経ている。

都内に三十年続いている、同時通訳者、翻訳者の養成学校で、すでに現役で仕事をしている人たち向けの、特別授業ということで、希望者を募っての二時間授業だった。

どういう授業形式なのか、受講生はどういう人たちなのかを知るために、三度、見学をした。
一度目はある大手企業の決算報告を見ながら、億だの兆だのがとびかう数字を英語にする聞き取り授業、二度目はパネルディスカッションのヴィデオを見ながらの同時通訳授業、聴き取り苦手のわたしには、おおまかな内容は把握できても、一語一語は到底キャッチできず、受講生ほぼ全員の能力に脱帽していた。そして三度目は現役トップの同時通訳者の一人であり、この学校の経営者でもある校長自らの授業、ヒラリー・クリントンが母校ウェルズリー大学の卒業式で述べたスピーチが教材だった。
生徒数は四名から七名前後、長方形の大きなテーブルを囲んでの授業である。

これなら教壇に立つよりはゆったりしていられるが、それだけにテキストと話の材料を充実させてどんな質問にもこたえられるように、自分に自信をつけ、皆に話しかけるような余裕を持たなければ、と思った。

準備期間は二か月近くあり、すでにテキストはできていたので、知識をふやすために図書館通い、アマゾンでもこれはという参考書を買い足し、十冊ぐらいの待遇表現本を読んで、付箋をはりめぐらし、さらにそれに番号をつけて、テキストのどこに組み入れるかをプラン。最後は自作の練習問題と、敬語の教本からの問題を組み合わせて、テキストの項目ごとに、ふりわけ、現実に起きている敬語のあやまりの実例などの逸話を持ち出し、受講生の意見なども訊きながら、退屈することのないよう、緊張感を持続させながらの授業になるような配慮をほどこす。(続く)

2017年6月15日 (木)

この一週間

鼻かぜは治ったが、阿佐ヶ谷のブリッジ名人のお宅に一日レッスンに出かけたあと、今度はいきなり咳が出始めて、再び体調があやしくなりかけている。
花ダイコンのタネをくれた近くの友人が、庭の桑の実(マルベリー)をシロップ漬けにしたから、あなたに食べてもらいたい、と言ってくれたので、京都から取り寄せた漬物を持ち、中原街道の信号で待ち合わせて物々交換。
毎朝、ヨーグルトにかけて食べる、このマルベリーの色鮮やか、ほどよい甘さの美味に救われ、体調が好転しはじめた。
さわやかな涼しさでありがたいのだけれど、ぞくっとするときに、気をつけないと、風邪がしのびこむ。
パソコンやりすぎで、年齢にしては過労だったのだろう。

CNNのニュースをよく見る。メディア側はトランプ非難が明らか、大統領がいま脅威なのは凄腕のモラー特別検察官なのだろう、きょうのニュースでは、コミー元FBI長官に好意を持つ、この人までをも、解任しようと試みていたのだそうで、さすがにメラニア夫人に止められたとかで、思いとどまったと報道していた。

ロンドンの高層マンションの火災の映像が恐ろしく、どれほどの住民が逃げおくれたかを想像して心が痛む。『タワーリングインフェルノ』という映画があったが、現実のインフェルノは正視に耐えぬほど恐ろしい。

ロンドンの住民は度重なる暗いニュースに心が重いのだろう。インタビューするCNN側の饒舌に圧倒されるように、応えるロンドン当局の役人の表情は硬く、寡黙で、それが返って、衝撃の大きさを伝えていた。

2017年6月 9日 (金)

新国立劇場『ジークフリート』を観る

前日教会の婦人会と六月に講義する学校への外出があったので、この日の五時間余のオペラは、万全の体調とは言いかねた。
少し風邪をひきかけていたのをおさえつつの観劇だった。

第一幕は舞台も森の中の鍛冶小屋の情景がリアルでしかもこれまでの物語がとても自然に語られるドラマ性が見事で引き込まれた。
でもジークフリード役のグールドの肥満すぎる腹部がどうしても、邪魔になる。
せめて少しカモフラージュできるような濃い色の衣装にすればまだごまかせるに、空色だからよけい目立つ。どう見ても若者というよりは太目のオジサンである。Photo

二幕目の半ばから鼻水が出てきた。
しかもこの第二幕、音楽もどちらかと言うと単調、ジークフリードが角笛を吹くところのオケの呼応は素晴らしかったけれど、舞台も右奥の窓みたいな長方形縦長のライトが気になって森のイメージが薄れる。
そして日本人ソプラノ扮する小鳥の衣装がひどすぎる。まるでバーレスクショーみたい。Photo_2


ワーグナーはこの二幕で十二年も中断したのももっともと思われるような、曲想の弱りを感じた。

三幕目はまたメロディーに力がよみがえって、見応えありだったが、なにしろ鼻水がひどくなったので、ブリュンヒルデと抱き合うのをやっとのことで見届けて、帰途を急いだ。


2017年6月 4日 (日)

さ庭べに

母は生前「さ庭べ」という言葉をよく口にした。散歩から帰ると必ず「日本のさ庭べはいいねえ」と言った。
近頃それを痛感する。我が家の庭がまさに「さ庭べ」だからだ。
ネット検索してみたら、正岡子規の「いたつきの癒ゆる日知らにさ庭べに秋草の花の種を蒔かしむ」が源と知った。
母は子規のこのうたを知っていたのだろうか。
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阿佐ヶ谷の小さな生花店で買った小さな花の苗、もう終わりかけていたけれど、まだ咲くかもしれない、と店員の女性が言った言葉を信じた。
苗のカバーを外してみたら、根がのびきって、苗のまわりをかこみ、なおもそとまで顔を出しそうなほど・・・かわいそうに。
やさしく根をはずし、整理して大きな鉢に移し、毎日水をやり肥料も与えた。
二週間後、花が咲き始め、今がこれ・・うれしい、という花の声が聞こえるみたいで、毎日何度も目をやってしまう。
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今年のアジサイ「隅田の花火」はことのほか元気がいい。まだ以前のうちにいたころ、娘が母の日にプレゼントしてくれたもの。これを仮住まいにもっていき、また持ち返って、さ庭べの隅に植えた。
近頃娘はことのほか忙しくてあまり会えない。でもこれを眺めて娘の優しい気持ちを感じ取ろうとしている。

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