続、おくる日に
「いいお式だったわね」教会員の友人と話しあいながら帰途についた。住まいが徒歩距離のそのひとと別れたとき、うしろから一人の女性が追いついた。いつか折があったら、ゆっくり話をしたいと思っていた、大学の二年先輩のひとだった。礼拝にはいつもご主人が一緒だったので、話しかけにくかったのだ。
彼女の妹さんとは中高が一緒で大学の科は別だったが、いろいろ接点があった。その妹さんは二年まえ急逝してしまった。そのことについても話したかったのだが、わたしの中学からの大親友だったひとがお嬢ちゃんを附属の幼稚園に入園させてまもなく急逝してしまったとき、さっき追いついたその彼女のお嬢ちゃんも同じ幼稚園だったことから、車での送り迎えをずっと援助されていたことを、聞いていたので、そのことにも、感謝の気持ちをあらわしたかったのだ。
わたしたちは、どちらから言いだしたのでもなく、しぜんに、お昼を一緒にしましょうということになって、駅中のベーカリーに入った。
そういえば、その場所は故人のお気に入りの場所でもあった。最後に見かけたときの彼女は、教会のお葬式が重なったので、婦人会長として、義務を果たさなければならず、本当に疲れたと言っていた。あのときのこわばった表情は今でも目に焼き付いている。
わたしたちはいろいろなことを話した。お互いの共通の話題には、不思議と必ず故人が登場した。大学生活のこと、親戚のうちから通っていた故人は薪でお風呂をわかすような生活をしていて、苦労もあったが、いつもほがらかで、教会生活や、自ら選んでかちとった就職先の日常などが、本人以外の人の口から語られる今だからこそ、よりあざやかに浮かびあがった。
わたしたちのお互いのことも飾らず、ありのままの自分のことが話せる雰囲気のままに、教会生活で出会う困難のことも語ることができて、話し合ったあとは、なんとも言えない心の安らぎを感じた。
「これも彼女のお引き合わせなのでしょう」それが共通の感想だった。
生前、そのひとのことを知りたかったのに、そのチャンスに恵まれなくても、そのひととかかわったひとの生活を知ることから、直接本人と語りあうよりもっと、強烈に故人のイメージが描かれることもある、そのことを、まるで故人がプランしてそうさせたような巡りあわせを、実感した忘れがたいひとときであった。
「心と体」カテゴリの記事
- 耳石はおさまったのか?(2022.12.11)
- その後10日間が過ぎ…(2022.11.26)
- 異変が…(2022.11.20)
- 耳つまみのこと(2022.11.08)
- メガネ騒動(2022.08.29)
良い見送りをされましたね。
故人を語り合うことで、故人が鮮やかになる・・・そうですよね。
そして、その話をできる互いが貴重に感じる。
お葬式。
それは、故人、参列者、いろんな人に真実の姿が見えてくる場所だと思っています。
投稿: くちかずこ | 2017年4月15日 (土) 21時55分
くちこさん
そうなんです。でも近頃、こういうお葬式をする方が少なくなってきました。
夫の麻雀仲間もいつのまにか亡くなられていて、とてもショックだったようです。
身内の方たちも故人がどういうひとと親しかったか、よく知り得ていないようなのです。
故人がかかわっていたグループ、サークルの人たちの方が、付き合い事情にくわしいでしょうからね。
投稿: ばぁば | 2017年4月16日 (日) 20時10分