おくる日に
願わくは、花の下にて、春死なむ、という西行のうたを実現したような、友の訃報であった。
前日教会の婦人会で会ったばかりだったので、すべての会員に衝撃が走ったと思う。
大学の同窓であると知ったのは四年前、洗礼を受けたあとのことで、大学時代は科も違うので、出会ったこともなく、未知のひとだった。
彼女はすでにこの教会員として五十数年、多くのひとの信望も厚く、まぶしい存在であって、羨望を感じた。
独身を通した彼女はキリスト教系の団体でキャリアを得、外国にも歴訪し、楽器を弾く趣味もあり、恵まれたホーム暮らしをしていた。
死因は誤飲からくるものだったらしいが、同い年のわたしも近頃、よくむせたり、なにも食べていないときでも、長電話の途中で突然咳き込んだりする。自分に同じようなことが起きても不思議ではない、同年齢なのである。
訃報を聞いてすぐに思ったのは、大学の同級生に知らせたほうがいいのではないか、ということだった。婦人会の幹事に了解を得て、大学の名簿をたどり、名前を憶えていた附属出身のひとに電話した。「そのひと、知らないから・・」という応えに、驚きもしたが、卒業後六十年近くでは、そういうこともあろうかとも思い、次のひとへ・・・「うち、今大変なの、夫が胃がんで、娘が乳がんで・・」という返事で、また次のひとへ。今度は「確かに承りました。責任をもってお知らせします」という応えにようやく安堵。
葬儀の日は久しぶりの晴天で、教会近くの桜並木は見事に名残りの花を咲かせていた。
礼拝堂が満員になるほどの参列者、讃美歌の選択もよく、パイプオルガンが美しく鳴り響いた。お説教も故人とのエピソードが語られ、感動をさそった。
大学の同級生は十人近くが来てくれていて、みなわたしを探し、手をとって「よく知らせてくださいました」と言ってくれた。
「棺にお花を供える最後のお別れがあります」と言ったのだが、「いいわ、可哀そうだから、見るのがつらい・・・」と応えたひとの気持に同感するものがあった。
ご主人とお嬢さんが癌をわずらっている、と言った同級生まで来ていて、事情を説明してくれた。
なんだか、大学魂がよりそった気がした。(続く)
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同年齢のご友人のご逝去、さぞショックだったことと存じます。亡くなった方の年齢が、自分と同じだったり下だったりすると、とても深いところで悲しみが広がります。大学時代の方々が10人以上も弔問に来てくださったのは、何よりのお見送りでしたね。私は、この頃逝きどきという事をしばしば考えます。思いがけない死は、とても悲しいものですが、長引く寝たきり状態の姉を見るにつけ、生きることの辛さを感じてしまいます。願わくは、さーっと逝きたいとの願望が今、私にはあります。
投稿: aiai | 2017年4月13日 (木) 11時41分
aiaiさま
「とても深いところで悲しみが広がり・・」本当にそうですね。
著名人の死亡記事にも、衝撃を受けるときがあります。
古くは、ヒッチコックのとき、喪にふくしたい気分になりました。
逝きどきについては、わたしも考えるときが多いのですが、地球が一番美しい今を過ごしていると、まだまだもう少し、ここにいたいと願ってしまいます。
投稿: ばぁば | 2017年4月14日 (金) 10時22分