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2017年2月に作成された記事

2017年2月26日 (日)

『花森安治の仕事』展へ

この展示会は、ぜひとも同世代の友と行きたいと思い、同級生をさそったら、二つ返事でOK。
田園調布から千歳船橋行きバスに乗り、彼女は上野毛から乗って出会うという段取りのよさ。
「美術館まえ」まで三十分足らずで到着。
世田谷美術館は建ったときとほとんど変わらない好ましいたたずまいで、レストランも以前と同じハイセンスは雰囲気、終わったら食べにいくことにして、名前を記入する。

展示物は地味すぎるぐらい、時を経たものばかり。原稿はどれも色あせているし、『暮らしの手帖』の表紙はカラフルではあるが、作品ではないから、デザインは素晴らしくてもインパクトが弱い。Photo


強烈な印象はむしろ花森氏の文章にあった。「戦争がないということは・・・夜になると電灯のスイッチをひねり、ねるときはねまきに着がえて眠るということ・・・」これは経験したひとでしかわからない、ようやく得た心の安らぎだったと、あの七歳のときのことをまざまざと思いだした。

「直線裁ち」の服のことを「動きやすく、着てらくで、うすくしい服、こんな服を着たとき、ひとはだれでも、ものごとは素直に考え、生きていることを幸せなことと思い、ひとにはやさしくしてあげようと思うようになる・・」と述べている。
本当にそう、女性はそういう、着る楽しみをもっているけれど、いまこれだけいろいろな服があふれていて、そのうちでどれほど、そういう思いをさせてくれる服があるだろうかと考えさせられ、またそういう服を選択するむずかしさのことも思った。
最後の部屋で大きく掲げられた「見よ、ぼくら一銭五厘の旗」の詩は反戦の思いと、空しさと、あれほどの思いをしたあとの、今の現実への怒りがこめられていて、胸せまる迫力の言葉である。

彼の夫人への私信や、お子さんへの絵入りのハガキなどには、率直で優しい、好ましい愛情がにじみでていて、人柄がしのばれた。Photo_2


このひとは編集者でなく、作家や画家としても十分に成功したと思われる逸材だったことは確かだが、『稀代のマルチアーティスト』と称されているように、その才能をフル回転させることに生きがいを感じていたひとなのだろう。

書籍の装填も素晴らしい。一番関心をもって眺めたのは、創元文庫のミステリーの表紙である。Photo_3


ともかく一見の価値ある展示の数々、しかも過ぎ去った過去だけでなく、現在にあってなお、暮らしとは、真に人間が生きるにふさわしい衣食住とは?を考えさせられつつ、時間がすぎていった。


2017年2月21日 (火)

オペレッタ『天国と地獄』を観る

オッフェンバックという作曲家が好きである。歌劇『ホフマン物語』を何度観たことか。

でも彼はオペレッタを作り出したひとである。今から160年まえのパリで、2百回以上上演されたという、その傑作『天国と地獄』をかねてから観たいと思っていた。

東京オペレッタ劇場が内幸町ホールでそれを上演することがわかって、チケットを早くから買い求めた。オペラとは格段に異なる安価な4000円、自由席、一体どういう舞台になるのだろう。音楽は?舞台美術は?衣装は?Photo


200席にも満たない多目的ホール、その日は満員だった。高齢者が多い。
音楽はピアノとヴァイオリンのみ、舞台美術はかなり斬新、最後の地獄の場面は片目をつむった真実の口が大きくかかげられていて、あっと驚く趣向。

ギリシャ悲劇『オルフェオとエウリディーチェ』をパロディー化したせりふの多い現代調。
芸達者な歌手たちである。脚本も意表をついていて、トランプや小池百合子まで登場させる思い切りのよさ。十分に笑わせてくれたあとで、登場人物の実力十分の歌唱のすごさに圧倒される、そのギャップが楽しい。

当時のフィガロ紙が「ともかくあかぬけている、気が利いている、聴衆を魅了してやまない、心地よく響くメロディ、楽しい」と大絶賛した言葉はそのまま、今日まで生きている仕上がりとなっていた。

オーケストラなどなくても、決して邪魔をせず、しかも見事なアンサンブルのピアノとヴァイオリンのデュオが、また素晴らしい。
こういう工夫に満ちた、親しみやすい舞台こそがオペレッタの身上。
あのあまりにも有名なフレンチカンカンのメロディのほかのも聞き惚れるアリアや二重唱、三重唱などがひっきりなしで、本当に満足した。

昔の浅草オペラというのはこういう作品の連続だったのではあるまいか。
肩の凝らないオペレッタこそ、今の日本が必要としているものなのかも。
八月公演の『ボッカチオ』が見逃せない。

2017年2月17日 (金)

通りすがりに

近くに住む友人からお茶に招待され、車を出すついでがあるからと、拾ってもらえた。
ついでに見せたいところがある、と言って、通った場所が、石原元都知事邸、まえにカメラをかかえたマスコミ陣が列をなしている。
これが毎日続いていて、それを見に来るひとも大勢いるのだそうだ。
「ご苦労さん、ご苦労さん」などと虚勢をはって出てくる当主は、シミも増え、むくんで容貌のおとろえがひどい。

このひとがトップ当選で都知事となったとき、東京をよくしてくれるのではないかと、半信半疑ながら期待しようとした。とりわけ築地の移転問題に真剣にとりくんでくれて、なんとか、豊洲なんぞに行かないようにしてくれればいいのに、と思った。
築地に一度でも足を運んで、日本の市場を代表するあの活気の中を歩いたならば、市場はあそこでなければ、という気持ちを実感できるのに、彼はそれをしたのだろうか。
週三回の出勤では無理だったのだろう。それを助言するひともいなかった、いや、いたとしても怖くて言いだせなかったのかも知れない。

過去の栄光、と自分だけの思い込みに、すがっているひとに哀れをもよおしさえする。

男性は晩年になって過去をふりかえるとき、自分は社会にどれほど認められたか、なにを成し遂げたのかということに思いをめぐらすものなのかもしれない。
それが思い通りでなかったとしても、晩年になってこそ明らかになるのは、社会でどう生きたよりも、毎日ひとりの生活者としてどう生きているか、のほうが、より意味が深い、よりj重要なのではないかと、いうのが実感としてせまってくるのである。

石原氏の虚言、それを追うマスコミ陣のはがゆさを見ながら、むなしさがつのる日々である。

2017年2月13日 (月)

『たかが世界の終わり』を観る

ユニオンチャーチのバイブルクラスで映画『沈黙』についてディスカッションすることになっていたので、みんな一緒に観に行くという六本木ヒルズはやめにして、きょう二子シネマに一人で出かけたのだが、時間を間違えてしまって、朝十時始まりのを見逃してしまった。
二度目のを、夕方まで待つのは、つらいし、あきらめようかと思ったら、先日孫息子が、これは絶対見逃せない、と力説していたグザヴィエ・ドランの『たかが世界の終わり』がちょうど始まるところだったので、急きょ方針を変えて、観ることにした。カンヌのグランプリをとり、アカデミー賞の外国映画賞も獲得したというのだから、大いに期待していたのだが、意表をつかれることばかりで、作品にのめりこめなかった。
不治の病をかかえた36歳の劇作家が家族に別れを告げるために。12年ぶりに帰郷するという物語。Photo


ともかく大写しの画面ばかり、それも語気荒い、本音だらけの、ののしりあいのせりふの連続で、疲れてしまう。伴奏の音楽もすさまじい音響で、難聴をわずらった友人が、これがひどいからシネコンにはいかないと言う気持ちをまさしく理解できた。
マリオン・コーティヤール、ヴァンサン・カッセル、名優揃いの大写しの一瞬、一瞬の表情の変化がすさまじく、これが満足というひともいるだろう。だが、しんみりとした胸にしみいるような場面が好きなわたしにとっては、内容のまったくない、わめきあいは不快でしかなかった。
だが、死病を患い、ほかのみんなは普通に生きていられるその生活感の差の中に歴然とあらわれる孤独を、ギャスパー・ウリエルはよく演じていたと思う。

高齢で死にゆくときも、みなから置き忘れられるような、孤独感を味わうに違いない。そのとき、饒舌になるのか、寡黙になるのか、わたしはどちらなのだろうか、などと思ってしまった。

エンドロールとともに歌われる「誰にも届かぬ心の叫び、ただ神のみが耳を傾ける」の言葉が心にひびいた。

2017年2月10日 (金)

老いながらP.D.ジェイムズ

P.D.ジェイムズの三冊目、『皮膚の下の頭蓋骨』を一月半ばから読み始めているのに、さっぱり読み進まない。改行が極端に少なく、しかも一行一行を読みとばせないほど、風景描写も心理描写も深みのある叙述なので、味わっていると時間がかかるのである。
図書館に頼んで、二週間延期してもらった。

高齢で不治の病に侵されている、劇評家のモノローグに感情移入してしまう。「老年特有のいくつかの欠点をさらけ出しはじめた・・・ちょっとした心遣いを好むようになった・・定まった手順を守るのに大騒ぎをする・・・一番の旧友とすら会うのに気乗りがせず・・着替えや入浴まで重荷と感じるほどの不精・・・そして肉体的機能のことばかりが最大の関心事・・」
膝の痛みが一大事だった昨年はうなずけることが多かった。

オリンピックが2020年、田園調布中央病院が多摩川に完成するのも、雪ヶ谷の東急ストアが建て直るのもやはり2020年、そのころ、今のように元気でいられるかどうか・・
あと三年先は夫の今の歳に近い。生活者としてまだなんでもこなす今の彼は立派だと思う。

きょう二か月ぶりにプールで泳いだ。バタ足の力が弱くなっていて、クロールもバックも浮き方が弱い。でも今のわたしの身体を一番ととのえてくれるのは、やはり水泳だと思う。
泳いだ後のすがすがしさは大切な感覚。

帰宅してジェイムズの続きを読む。ようやく半分、いまかいまかと恐れていた、すさまじい惨劇が起こる。
俄然読み進みやすくなってきた。

読書ができる目の力と根気があることを感謝して、またこの一年を過ごさなければ・・・

2017年2月 8日 (水)

春めく朝に

陽射しが春めいた今朝、ちょっとうれしいことがあった。

一カ月半ぶりに、ノラだか、ネグレクトネコだか、いまもって不明の白ちゃんがやってきたのだ。この寒さでもしかすると不幸なことが起こっているのではないかと心配していたのだが、ニャオ、二度も啼いて、わたしに来ていることを告げた。
早速餌をやろうとしたのだが、ウッドデッキの下に隠れてしまう。やっぱりノラ化したのかな? でも何度も呼ぶと、顔を出して、目をほそめて微笑んでくれた。パトリシア・ハイスミスが確か、ネコが目をほそめるときは微笑みかけているのだ、と書いていたのをおぼえている。
エサをすぐ食べようとしないで、去ってしまった。
「元気でいるからね」と知らせに来ただけなのだろうか。

うれしいことはもう一つ、トレリスにかけてある寄せ植えバスケットに黄色のプリムラを加えようとしていたら、お隣さんのアフリカ婦人がハローと声をかけてきた。
とても感じの良い、きれいな英語を話すひとで、お子さんたちは元気?と訊くと、みんな遠いインターに通っているので、忙しくしていると答えた。あまり静かなので驚いていると、言ったら、この辺は住宅街なので、騒がないように言っている、というので、高齢者ばかりだから、耳も遠いので、大丈夫、なんでも困ったことがあったら、言ってね、これを、ご主人には言ったのだけれど、奥さんに言っておきたいと思っていたので、よかった、会えて。

こちらは髪をシャンプーしたばかりで、すっぴん、ちょっと恥ずかしかったけれど、黒いお方もお化粧なしだから、ま、いいか・・・

あまり静かなので、お子さんだけ帰国したのか、と思ってしまったり、わたしはつくづく、思い込みがはげしいのだなと苦笑する。

2017年2月 5日 (日)

七十代最後の誕生日

誕生日当日の明け方の夢見が悪く、海外旅行に参加している自分の携帯品がすべて紛失して途方にくれているというものだった。その割に足つきがしっかりしていて、あちこち駆け回っている。夢をまざまざと覚えているというのはよくないというのを気にしながら、目覚めた。

夫がくれたハッピーバースディのオルゴールつきカードに励まされる。
まずは一日ブリッジトーナメントに出かける。夜は夫と二人、浜松町世界貿易センタービル39階の東京会館のレストランで食事をすることになっていた。

ブリッジは急きょ人数がふえたとかで、コンピューター入力が手間取り、およそ一時間遅れの始まり。幸先がよくない、と思えたが、意外、チームメイトが強力で、優勝できるという幸運。もう十年続いているパートナーの見事なプレイにも支えられた。

東京会館のレストラン『レインボー』は丸の内の頃の行き届いたサービスがそのまま再現されていて、しかも目のさめるような夜景に圧倒される。005

夫はポタージュにステーキ、わたしはコンソメとホロホロ鶏のポワレ、デザートだけ、好みがおなじでリンゴのタルト、二人とも趣味や音楽、読書の好みは違うけれど、それでも共通点はあるところを象徴しているような選択。
店は名前入りで、記念写真をとってくれ、わたしのデザートの皿にはチョコレートでHappy Birthdayの文字が飾られていた。006


味、サービス共に、すべて満足感ゆたかな、夕食のひとときであった。

2017年2月 3日 (金)

ご近所事情

我が家の右奥隣り、二か月まえから、トンカチの音が鳴り響いている。これまで三車体分の駐車場だったところなので、地ならしからが大変だった。段差をならすために盛り土がされ、コンクリートでかため、木造の枠組みがされる。住友林業が請け負っているので、手慣れた見事な手順であるが、片流れの屋根の三階建て、陽当たり風通しなどに影響大で、我が家の右通路に設置してあった、物干しはシーツなどの大きいものを干すだけにしていたが、よい乾燥は望めそうもない。
でも私の部屋のまえのウッドデッキは陽当たりに関しては影響なしで、去年植えたチューリップとムスカリは順調に発芽している。

四年まえは三軒だった一帯が、三十坪の小住宅十一軒と化してしまった。
ほとんどの住人は若く、逆に、我が家の左の隣組組織のほとんどが高齢者である。
右隣りの貸し家には、なんとアフリカ大使館の一家が越してきた。
中学生と小学生のインターナショナルスクールに通うお子さん三人がいるのに、物音や笑声もしない、すごく静かな家なのが不思議。そのうち、引越トラックが来て、家具など運び出しており、想像するにお子さんたちが帰国したらしい。ますますひっそり感が増した。
ゴミ出しのことで、相談されたことがあったが、その後は顔を合わせることはほとんどない。

東京の近所づきあいも変わってきている。以前は出入りするお米屋さんなどが近所の情報を熟知していたけれど、お米もスーパーで買うようになってからは、それもなくなってしまった。
先日戸籍調べなのか、お巡りさんがやってきたけれど、彼はわたしよりも知識がなさそうだった。
なにかが起きたときの連帯感というものには期待できず、個々に守りを固めるしかないのだろうか。

ともかく健康で暮らさなければ、とづくづく思う。

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