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2016年12月に作成された記事

2016年12月30日 (金)

予期せぬ訪問者

今年の我が家の重大ニュースは、なんといっても愛猫チャイの死である。
毎日写真に向かって、会いたいよう、と言ってしまう。喪に服したいくらいだ。

一カ月ぐらいまえ、夫と我が家にいてくれた二匹のネコ、チナコもチャイも本当にいいネコだったね、としみじみと話していたら、ガラス戸の外で、ニャオという声がしたような気がして、見ると、なんと、真っ白いチナコの身体にチャイの顔がのっかったようなネコがすわっているのを見て、血の気ひくぐらいびっくりした。001_2

近づいても逃げないし、甘えてくるし、毛並をつやつやしているので、野良猫ではなさそう、チャイのエサが残っていたので、やってみたら、がつがつと食べた。

むやみと餌付けをしないように、と新聞などでも書かれているのを思い出して、何十年とネコを飼っていて、野良猫情報にもくわしいネコ博士の友人に訊いてみたら、外で餌付けをするのは問題だけど、家の庭でする分には、こちらの責任でやってるんだから、いいのよ、と言われてなるほど。

毎日来るとちょっと困るかな、と思っていたら、行き場所はいっぱいあるのか、それとも飼い猫が一時的に訪問しただけなのか、数日に一度姿を見せるようになった。

別のネコ好きの友人にそのことを話したら、あなたね、それって、チャイちゃんがあなたたちが寂しがっているから、行ってやってくれ、とよこしたのよ、きっと、などと言うのである。

この一週間ぐらい来なかったのだが、きょう、ガラス戸の外、少し脇のほうに黙って啼きもせず、座っていたので、エサをやった。いつもなら甘えてくるのに、さわろうとすると逃げる。白が薄汚れているようでもあるし、心なしかやせたようでもある。寒風吹きすさぶ朝、野良になったのだとしたら、これからが難儀なことだろう。

食べたら、さっさと姿を消してしまったけれど、どうか温かい、寝場所があって、冬をのりきってくれますように。

2016年12月29日 (木)

師走の発見

年賀状は書き終え、あと、今年、親しい交友が始まって感謝しているのに、電話が通じないひとに長い手紙をワードで打って、郵便局にだしに行き、ついでに、お正月用の現金をおろした。

お昼どき、家に残り物もないし、朝はパン食だったので、サンクスというコンビニでおにぎりを買った。中に入ると、品物が恐ろしく少なくなっていて、がらんとしているので、こんなに売れちゃったの?と店員さんに訊いたら、なんとサンクスとファミマが合併するので、工事が始まるからだという。

鮭はらみ、というおにぎりを買って帰ったのだが、それを一口食べたら、吐き出したくなった。鮭は生みたいで、なまぐさく、のりもべたっとしている。鮭はらみはローソンのほうがはるかにおいしいとわかった。

もう食べる気が失せ、仕方がないので、凍り御飯をチンして、前日レシピ整理をしたとき、これは、と思って出しておいたおにぎりメニューをつくってみた。

ゆかりと、黒すりゴマと、塩コブ少々きざんだものをまぜて、にぎる、というもの。
いや、これが絶妙においしかった。

やっぱり自分でつくったものが一番・・・

2016年12月27日 (火)

年賀状停滞

年賀状を書きかけているのだが、億劫でしかたがない。

この数年、旅行のときのスナップを入れたものを手作りし、手書きのひとことをつけて出しているのだが、今年は膝を傷めて旅行なしだったので、誕生日に撮ってもらったものを挿入した。杖をついてレストランで祝ってもらったときの、その説明が一言で終らず、面倒なことになっている。
PCのメールに慣れてしまっているので、手書きがとても億劫なのである。
つくづく、年賀状はもう終わりにする年齢なのだと実感する。
一年に一度やりとりをする関係というのは、それだけ疎遠になっているということだ。
交友関係が年齢と共に、せまくなるのは当然であるし、わたしはブログがご縁の交友もふえてはいるが、メールのやりとりをできる人たちなので、あらためて年賀状を送る必要もないのである。カードも音楽つきのEカードが喜ばれるので愛用している。

年賀状を沢山ほしいなどとは思わない。追って書きなしの、お義理みたいなものはなおさらで、返事は出さないことにしている。
八十歳を契機に終わりにするひとに同感したい。

ひとつだけ、うれしいことがあった。筆記具はボールペンを使っていたのだけれど、どうも書き心地がいまいちなので、三十年ほどまえ、初めてもらった翻訳料をはたいて買ったモンブランの万年筆を取り出してみた。インク保持機能がダメになっているのだが、インクをつけながら書いてみたら、これが実によい。字が生き生きしているように見える。しかも一度インクをつけただけで、ハガキ半枚分ぐらい書き続けられることがわかった。さすがのブランドである。

今回、絞りに絞って三十枚だけ出すことにして、あと十枚ほど、残っているけど、気重である。

ブリッジゲームのテーブルトークで、年賀状は元旦に書くことにしております、と言っていたひとがいて、なるほど、と思ったりした。

七十代最後の来年という年は、いろいろ整理をするときだなとつくづく感じてしまう。

2016年12月26日 (月)

クリスマスウイーク

バーカロディナーから始まった、クリスマス行事多忙の一週間、23日の娘の家でのファミリーディナーは前日まで、招待の詳細がわからず、中止かな、と思ったら、夜中近くに電話があって、予定どおりとなった。
職場の昇進試験で忙しかったというので、メニューの補助を申し出て、ミートローフとサラダドレッシングを持参。
トマトソースのショートパスタ、チーズとホワイトソーストッピングのメインがとても美味、数種の新鮮野菜にオリーブやカテージチーズを加えたサラダも取り合わせがよかった。003

きのうの残りだけど、飲む?と言って出された野菜スープが、またどうしたら、こういう味になるかと思うほどの出来栄えで、母親を超えたな、と思わせるメニューに、ま、いつ死んでも、これなら大丈夫、と寂しさ混じる一安心。
自由が丘一よ、と大層おすすめのフランスパン、タラモクリーム添え、未体験の味。
持参したプレゼントの、低反発の枕、ソファーや車での仮眠のときに役立つ、ミニ枕、キッチンのスポンジと吸盤つきホールダー、サンドイッチコンテイナーなど、実用品のみの一式が大層喜ばれ、いいチョイスだったらしい。
夫はかなり耳が遠くなったし、話題も盛り上がらない、彼らと、同じトピックの話は難しいけど、いまのうちに、わたしたちの人生から参考になることを話しておければ、と思うことも多いこのごろ、というのも、近頃、母ともっと話しておけばよかったと、しきりに思うからなのだけれど、それもこちら側からだけの、思い込みなのかも知れない。

翌日のクリスマスブリッジトーナメントは、クラブで、クリスマスの語呂合わせなのか、特製のクリ饅頭がふるまわれた。強敵多数だったが、なんとか二位にくいこむ。

25日は教会のクリスマス礼拝と愛餐会、食後のプログラムが長引きそうだったので、途中で失礼して、二子玉川へ。
というのも、夫へのプレゼントを買い損ねていたからだ。
高島屋まで行かずにRISE を歩く。目的はカジュアルなマフラー。三軒目のメンズオンリーの店でアイルランドの手編みマフラーを見つける。白とグレイが半分ずつ、縄編みの模様が浮き立つ仕上がり、白だけにも見せられるし、グレイだけにも見せられる、いい仕上がりのロングマフラー。これに決める。
おしゃれで好みがうるさいひとなのだけれど、めずらしく、喜ばれた。

娘のプレゼントも、夫へのプレゼントもデパートまで行かず、RISEで間に合った。
バス利用の消費者がこんな具合だと、高島屋の売り上げにかなり影響が出ているのではないだろうか。


2016年12月21日 (水)

東京のバーカロ体験

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ヴェネチアでバーカロに行き損ねたわたしのことを、覚えていてくださった、N子さんご夫妻に東京バーカロ体験をお誘われして、二つ返事でいそいそ。
急行のとまらぬ井の頭線富士見ヶ丘駅そばの『フェッロ』へ。
駅から一分だけれど、人通りは少ない、隠れ名店という感じ。期待が高まる。

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この肉塊からじかに、こそげとって、供される生ハムのおいしさ、開店と同時ぐらいに入ったので、ゆったりとした雰囲気のなかで、極上の味を。

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ちょうどよい量の前菜の絶妙の取り合わせ、大好きなレンズマメ、ポレンタなどいかにも女性らしいオーナーシェフのセンスの良さを感じられるメニュー。



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イタリアではドルチェから修業が始まったというもうひとりの男性シェフ作のデザート、初めて味わうマルケ州のクリスマスケーキ。あまりおいしくて、並べて供された別種のクリスマスケーキがどこのものだったか、聞いてすぐ忘れるぐらい、食べることに夢中。

背もたれなしのスツールでの二時間余だったけれど、おいしさとおしゃべりの楽しさに酔い、疲れをまったく感じなかったのが不思議。

これだけのものが東京で食べられるのなら、もうイタリアに行かれなくても満足、という時間が過ごせた。

2016年12月19日 (月)

『真田丸』終わる

『真田丸』が終った。一回も欠かさず、観ていた。
と、いうのも、冒頭の音楽に衝撃をうけるぐらい、魅せられたからだ。時代劇にヴァイオリンのソロを使うとは、何という発想力、それがしかも、血沸き胸躍らせるいいメロディである。これまでの大河ドラマの筆頭をいくぐらいの傑作だと思う。
左官のひとがつくったという題字もいかにも築城のイメージを彷彿とさせる効果があったし、合戦のすさまじさを象徴する動画もよかった。

とかく大河ドラマではナレーションが話題になるが、有働アナは耳障りのいい声音をときに張りつめて、ドラマの格調を高めることに貢献していた。俳優の演技だけでは表現しきれない、歴史の持つ重みを、彼女の声が語りつくしていたように思う。

どんなドラマが展開するのか、期待いっぱいで見始めたのだが、イメージしていたものとはかなり違った。真田幸村と言えば、配下にいたとされる忍びのものが想像されるが、それがさっぱり出てこない。わずかに疾風のごとくにスピード感あふれる登場をする「佐助」にその面影がある程度だ。
ともかく、毎度毎度、戦国時代の権謀術策のやりとりばかりなので、観終ると、またか、とフラストレーションがたまった。

これまでの大河ドラマでは父親役はすぐに死んでしまうものが多かったが、今回は違った。
長生きなのである。『真田太平記』で幸村を演じた草刈正雄が自ら望んでこの役を勝ち取ったと言うだけあって、なかなか渋い演技で好演していた。『・・太平記』のギラギラした丹波哲郎とは異なり、すっきりしたしぶとさいっぱいで演じきり、今回一番得をしたひとは、このひとではないだろうかと思われたほどだ。

ネットのレビューでは脚本をめぐって、かなり酷評があふれていた。わたしもそれにうなずくところもあった。

堺雅人というひと、なんとも優しい目をしている。だが、あの銀行ドラマの主役のときのように、ここぞというときには鋭い眼光がみなぎり、圧倒されるが、彼が、ようやくその魅力を発揮しはじめたのは、44話、真田丸が築かれたころからだ。

まだか、まだか、とじらしておいて、最後ちかくで幸村が、こうあってほしいというイメージぴったりの凛々しさをみなぎらせる、衝撃を、脚本家はねらっていたのではないか。

最終回は、そういう意味で、幸村の雄々しさ、あの時代の武士の美学をすべて見せてくれたことに、わたしは満足した。Photo

2016年12月13日 (火)

P.D.ジェイムズを読む

読み始めたらやめられない、傑作長編ミステリーをかかえている幸福感はなんとも言えないものだ。晩年に足やら腰やらの痛みをかかえていても、いっとき、読書の世界に没入できる楽しみがあれば、小さな悩みは忘れていられる。
P・D・.ジェイムズの本が面白いということを伝えきいて何度が読もうと挑戦したのだが、これまでそれが果たせずにいた。
と、いうのもせっかちなわたし、最初にハートをわしづかみにされないと、前に進んでいかないという、性格がわざわいしていたのだと思う。

実母がちょうとわたしの今の年頃に、P・D・ジェイムズは面白いねえ、と電話をかけてきたのを、思い出し、読書時間が沢山とれそうになった、この二週間、ついに、もう一度挑戦してみようと、まずは英国推理作家協会賞を受賞した『死の味』上下二冊を、図書館から借りてきた。

導入部およそ10ページはやはり長く、ちょっと退屈、上下巻読み終わったいまは、その導入部が重要なのだということがわかるのだが、漢字が多く、翻訳文も古びている。65歳の独身女性を、ウォートン嬢というのが気になる。いまならミス・ウォートンだろう。
訳文につっかかり、登場人物の名前を覚えるのに苦労しつつ進む数十ページ、政界でも活躍した準男爵が浮浪者と共に、教会で惨殺された導入部から、詩人でもあるダルグリッシュ主任警部はじめ、階級制度がくずれつつあるイギリスの赤裸々な様相を明らかにする、登場人物を目配りよく配置させる具体的な描写に、次第に目をうばわれるようになってきた。

ジェイムズ女史は人生を語るのが巧みだ。女性警部とその祖母との関係、死体の目撃者、ミス・ウォートンの孤独な生活、アパートで物音にうるさい階下の家主に気兼ねをして、しびんをつかって排泄し、それをわからぬように、昼間始末するところなど、ミステリーの興味だけではない、重厚な本格小説を読んでいるような筆致に魅せられてくる。
自然の描写も美しい。「ロンドンの東・・・青みがかった深紅に染まっている。深々としたブルー・ブラックの夜に水彩絵の具の筆を注意深く一振りしたような空だった」など。

音楽にも詳しい。病理学専門医が精神浄化のために聴く、テレマンのヴィオラ協奏曲ト長調、それがどうしても聴きたくなってyoutubeを検索、なるほどとうなずく。

犯人は下巻の中途で明らかになるが、それからが目を離せぬ面白さである。いかにしてつかまるか、複雑な人間関係がどう解き明かされるのか、その興味で、ページに目が釘付けとなる。

それぞれの登場人物の人生模様、心理描写がしっかりと描かれているので、読後の満足感は非常に大きいものとなった。

2016年12月 7日 (水)

84歳がんばる

夫は毎朝九時ぐらいに起きてきてすぐ入浴する。風呂場から、低いうなり声がするのを、わたしは笑いをこらえて、聞いている。
飲みこみ違いでむせるのを防ぐために、舌を出して、十数えるくらいの間、声を出すのを四回くりかえしているのである。
あれって、効き目があるらしい、むせなくなったよ、と喜んでいた。

勝負事が好きだし、強いので、マージャンには勇んで出かけるが、あとの会社のOB会やクラス会などは、億劫がって出かけたがらなくなってきた。

愛想はいいのだけれど、ほんとは社交嫌いなのだ。
わたしの一人ご飯の日が少なくなってきた、ということだが、近頃考え方を変えてみた。

孫たちも成人して、仕事やクラブ活動に忙しく、ほとんど訪れなくなったので、夫の張り合いは激減している。これではいけない、まだ手も動くし、料理の腕もなかなかなのである。
と、いうわけで、わたしがブリッジのトーナメントなどで出かけたり、教会の行事がある日などは、レシピと、材料をテーブルの上にそろえて、夕食を作ってもらうことにしたのだ。
そしてそれを食べるときは、くどいくらいに、褒めて、おいしそうに食べてみせる。
でも、それは演技ではなく、本当においしいのである。
先回のボルシチや、きょうのBLTサンドイッチは絶品であった。
彼はちょっと得意そうに言う、要は下ごしらえだよ、と。

もう一つ、近頃、彼に頼むのは、礼状書きである。お歳暮の礼状や、親戚筋への挨拶など、これまでわたしがしていたことを、任せることにした。
義父が書家であったせいもあるが、おおらかで、率直な性格そのもののような、男らしい、いい字である。それをまた褒め過ぎるくらい褒める。文章も心情あふれる内容なので、それも褒める。
もちろん、便箋、封筒、葉書、切手、糊など、すべてそろえて、お願い、するのである。

先日、ポストに入れるばかりになっている封筒を見たら、宛先の表書きが少しゆがんでいた。

彼らしくない、これと同じことを、義母の手紙で感じたのはいつだっただろう、老いは確実に進んでいる。

でもそれができるだけゆるやかであるのを祈るばかりだ。

2016年12月 2日 (金)

スマホトラブル

早朝、目黒駅の上りのエスカレーターで、中ぐらいのカートを引いた女性の後ろについていたのだが、そのひとがふいにカートを持つ手をはなしてスマホを取り出したのを見て、わたしはぎょっとして彼女をつついた。「危ないですよ、カートから手を放しては」
彼女は、ああ、と照れ隠しみたいな笑い声を出したまま、降りてからも立ち止まってスマホをいじりつづけた。

親戚の会でスマホのことが話題になったとき従姉妹が経験話を語った。中学生が六人ぐらい輪になって皆スマホに夢中になっているのをみて、彼女は何かゲームをしているの?と問いかけると、一人が、ここのみんなとメールやってるんだよ、と応えたそうなのだ。
彼らはもう、互いの目をみながらしゃべり合うという喜びを忘れてしまったのだろうか?

二子へ行くバスの後部座席で、バス待ちしながら知り合いになったらしい二人の年輩の女性がずっとスマホの話をしていた。
>ほんとうになんでこんなものを始めてしまったか、と後悔することばかりなんです。このあいだも、ちょっと指がすべって、受信拒否になっちゃって、三か月分ぐらいの電話がたまっちゃって、それを正常に戻すのが大変で・・・自由が丘に行っても受け付けしてから一時間以上待ちますでしょう?
やっとみてもらっても、早口でベラベラ言われるのが理解できなくて・・・終わってからもなんでこんな思いをするのかって、むなしくなるんですよ。
>わたしだけじゃなかったんですね。よかった、お会いできて・・・

わたしはバスを降りてから、その女性を呼び止めて言った。
ちょっとお話が耳に入ってしまったので、お節介かもしれないんですけど、自由が丘のドコモはおやめになったほうがいいです。受付がダメですから。大岡山をおすすめします。受付のひとだけで直っちゃう経験をしてるので・・・
>まあ、ありがとうございました。おかげさまで気分がすっきりしました。

わたしはいまだにガラ系である。平たい板を取り出して、指をすべらせているスマホ愛好者をカッコイイと思うことは相変わらずだが、ばぁばには必要ない!!と強く主張した娘と孫たちの言葉を信じている。必要なことは全部デスクトップのパソコンで調べられるし、連絡先が全部登録してある携帯ですべての用は足りる。携帯メールはブリッジの約束確認と、待ち合わせたときの確認やりとりぐらいで、十分。電車やバスが後れているのをいま車両がどの辺にいるかなど、検索の必要を感じることはめったにない。

わたしが十年ぐらいかかってようやく会得した、ネット技術を、あの小さい画面で習得するのは、高齢者にとって、身体に害を及ぼすことになりかねないのではないかと懸念するばかりだ。

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