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2016年11月に作成された記事

2016年11月28日 (月)

ひとり温泉

温泉大好き人間なので、こんどは日帰りでなく、一泊温泉を実行しようと、お気に入りの「泊まり」の項目には、十項目ぐらい調査済みの宿が登録してあった。
ようやく、今週になってひまができたので、さて、出かけようかと、空き室を検索したが、全く見つからない。「ゆこゆこ・・」とかいう空き室探し専門業者に助っ人を頼んでみたが、週の中日はどこもダメ。
ダメダメと知ると、なお、行きたくなる。
kiku子さんのブログで読んだ小涌谷の「水の音」という宿がよさそうだと、覚えていたので、直接電話して、空室のある日はいつ?と訊いてみたら、金曜に一室だけ空いてると、わかり、翌日は「いとこ会」という親戚の集まりがあって、ちょっとつらいな、と思ったが、これを逃すと当分むずかしそうなので、予約を決めた。Photo

長野や伊豆なども候補地だったのだけれど、近いのが何より、それも直行で行ける箱根がやはりいい。
路線で検索したら、出てくるのは小田原経由ばかりだったけれど、昔なつかしいロマンスカーにして、ネットからチケットを購入。
前日は雪でどうなることやら、だったが、そこは晴れ女の強み、当日はからりと晴れあがった。
車窓からの富士山が美しい。002


着いた箱根湯本はかなりの混雑、週末とあって、カップルが多い。昼食どころはどこも行列。梅干しで有名な村上二郎商店で、ゆかりとわさび漬けの土産ものを買い、おまんじゅうの老舗「月のうさぎ」の三階で二八そば食べようと列に並ぶこと三十分。
水ようかんみたいなデザートとお豆腐つきのおそばはおいしかったが、小涌谷に二時に着くはずが大幅に遅れ、しかも登山電車は満員。
車窓の景色は紅葉の赤が赤茶けていたけど、晩秋の景色に残雪がまじって、なかなか風情があった。010

宿は共立メンテナンスの運営するホテル、何度か宿泊した草津の『木の葉』の系列である。
そろいの作務衣に着替えて、過ごす湯めぐりの数時間。
部屋づきのサービスなしなので、かなり自立心がないと難しいステイ。四階のわたしの部屋の金庫が戸棚の一番下、かがまないと貴重品が入れられず、しかもまちがった操作方法が記されていて、さっそくフロントにTELしてクレイム。
大浴場に部屋のキーを入れる引出がついていて、そこに入れようと思えば、財布など入るのだが、その大きさをフロント係りはよく把握しておらず、説明しなかったので、これについてもクレイム。

夕食は治部煮風鍋つきの和食を選んだが、正解だった。どれもちょうどよい量で、ほとんど残さず食べられるほどの美味。とりわけぷりぷりのお造りは鮪、勘八、目鯛、つぶ貝、四種の刺身のつまがすべて異なるという気遣い、つぶ貝についたワカメエキス、海藻クリスタルと言う光った春雨のようなものが味もよく、効果的だった。005

温泉は、浴場までの行き方が複雑で、草津のほうがずっとすぐれていたが、お湯そのものはすばらしく、計四回、入る。
夕食が五時半だったので、九時過ぎには小腹がすいて、夜泣き蕎麦なる半玉のラーメンまで平らげる食欲。

翌日は十二時、神保町学士会館集合なので、九時四十五分のロマンスカーに乗るため、宿を八時半に出る。登山電車がきのうと違ってガラガラだったので、早朝の景色を楽しむことができた。

新宿に着いてからも都営新宿線までかなり歩き、帰りも夫と共に三田線でタクシーにも乗らず帰宅したが、足の痛みはまったくなし。
ただし、保養に出かけたというのに、身体はくたくたに疲れてしまった。


2016年11月22日 (火)

多忙な数日

サントリーホールの翌日はNHKホールへ、アンスネスのシューマンコンチェルトを聴きに行った。渋谷を避けていた年数に加え、そこから遠いNHKホールへはなおさら、もう十年以上出かけていない。
『スタジオパーク行』というバスを見つけるまで、しばらくかかる。直行でNHKに着くのだけれど、そこからホールまでかなり歩く。膝に痛みがあったら、相当つらい場所だと思った。しかも一階ロビーまで階段で降りなければならない。
アンスネスのシューマンは音のうねりが美しく、ここぞというフォルテも十分でさすが、アンコールのシベリウスの小曲も満足だったが、その日のオールシューマンの残り『マンフレッド』と『ライン』のオケ曲のほうは、NHK交響楽団の音に感動がなかった。以前からそうなのだ。ただ、優等生軍団が演奏しているだけ、少しはましになっているかと思ったのに。前日のシュターツカペレ・ドレスデンのワーグナーの余韻が強すぎるせいかもしれない。

日曜は教会へ、礼拝後、所属している社会委員会で書記をつとめる。
帰宅したら、どっと疲れが出て、翌日は午後、友人二人をお茶に招いているのに、その準備がつらくなっていた。
マッサージが必要、出かけて、首の付け根あたりの急所にお灸もしてもらう。

月曜日の早朝から午後のもてなし準備、久しぶりにレモンパイを焼くことにしていた。レシピは見なくても大丈夫、とは思ったが、かなり我流になっているのをおそれ、五十数年前から使っている、もう赤茶けてちぎれそうになっているYWCAの料理教室のレシピをたしかめつつ、作り始める。ふと気づくと、中身のレモンクリームにいつものきび糖を使ってしまい、練っているうちに、茶色くなっている。これでは玉子の黄身を加えても、黄土色になってしまいそう、やり直さなくては・・・グラニュー糖を買いに走り、(といっても膝をかばう身、走るのは無理)やり直しているうちに、あせったのか、下に敷く生地を焼いていたパイ皿をオーブンのふたの上で取り落としそうになり、一部くだけてしまった。どうしよう!!!見ていた夫が「忙しすぎるからこういうことになるんじゃないか」と言う。「そう、わかってるんだけど、もうこういうことができるのも最後だと思うからここ一、二年は無理してもこなそうとしてるのよ」とわたし。
今からやり直すのは体力的に無理、幸いパイ生地をこねたのが残っていたので、それをのばして焼き、つぎはぎして、なんとか仕上げたのが右の写真。004

出来上がりを見て夫が「失敗しても修復できる腕を持ってるのは大したもんだよ」とおだててくれた。

同年代の二人の客は未亡人、ひとりだと、お菓子なんか焼くことなくなっちゃってるの。お手作りのパイ、うれしいわ、と言ってくれた。あと、キューリのサンドイッチと、フルーツケーキ、おかきやナッツ類、ぶどうと柿を切って出す。

話ははずんで、五時過ぎまで。出身校は違うのだけれど、国際婦人クラブで親しくなった四十年の付き合いの三人、戦争を経験し、女性観の変遷を潜り抜けてきた共感をわかちあいながらのおしゃべり、話題はつきなかった。

2016年11月19日 (土)

サントリーホールで『ラインの黄金』を観る

数か月ぶりにサントリーホールに出かけた。
きょうの演目はワーグナーのホールオペラ『ラインの黄金』

六本木一丁目で降りて、サントリーホールへの矢印を進んでいたら、ガラス張りのビルの中に誘導されて、あわてた。サントリーホールに行くのだけれど、と二度ぐらい人を呼び止めて確かめ、進みながら、びっくりしていた。両側に食事どころや、青果店や、肉のかたまりをぶらさげた精肉店まであって、すごい変貌ぶりなのである。
六時半開演とあって、ひとりで外食をするのが億劫になり、家で済ましてきたのだが、こんなに、軽く入れそうな店があるのなら、とちょっと後悔していた。
商品の値段をみると、煎茶のティーバッグ入りの袋が千円以上していたり、けっこう、どれも高値である。だが以前より便利になったのは確かだ。

席は二階の前から十番目ぐらい、入りは七分ぐらいで、空いている前の席に移動したくなったが、だれもそんなことをしていないので、ぐっとこらえた。
きょうの主役はオーケストラ、新時代のカリスマ指揮者として名高いクリスチャン・ティーレマン、休憩なし、座りながら、およそ3時間余のぶっとおしの指揮。
後部の高いところに、歌舞伎の襖絵つきみたいな舞台ができていて、雪を頂く山山が描かれている。左わきは水を暗示するのか、ブルー、右は茶系の壁がある。その上方かなり高いところに字幕が出るのだけれど、わたしの席からはその字幕がしっかり読み取れない。視力が落ちているせいなのか、オペラグラス持参だったので、グラスをひざに下すことが少ないぐらい、ちょっと疲れる観劇だった。

オケの音は申し分なかったが、登場人物の衣装が超現代的、神々の王ヴォータンは黒のスーツに白いマフラー、あとの巨人族やニーベルン族もTシャツみたいなラフな出で立ちで、声はそろっていていいのだけれど、ちょっと、という感じ。

でもさすがワーグナー、クレッシェンドが迫力、人間の心理描写にぴったりの音で効果を出す。そして怒涛のような高鳴りの和音にまきこまれる高揚感、これがたまらなくて、わたしはまだ、これからもワーグナーを見続けると思う。

外に出たら、彩も美しいクリスマスツリーに目を奪われた。
1年が経つのは早いとつくづく思いながらシャッターを切った。Photo

2016年11月14日 (月)

アメリカを憂う

恐れていたことが起きた。「史上まれにみる不人気候補のどちらがましかを競った大統領選」の勝者はこれだけはあってはならないと思われたほうの人物。
日本経済新聞のワシントン支局長の言葉どおり「米国民は過激な異端児に核兵器のボタンを預け、経済と政治の変革を託した」のだ。

政治や経済は苦手分野だが、アメリカで生活経験のある一主婦としてのわたしは、その後も何度か訪米するたびに、彼らの築いてきた自由で多様なこの超大国が著しく変質し、民主主義が劣化していくのを目撃してきた。
かつて全米の一、二を誇るといわれる文化を有していた郊外の街が、自然も町並みもそのままなのに、デパートも店も姿を消し、住民がそぞろ歩きを楽しめる場所ではなくなっている一例。
四つ星ホテルのフロントの応対や、朝食などのメニューの貧しさに、まだ郊外の邸宅をB&Bにした場所のステイのほうがましだったと思われるような経験もあった。
そのB&Bの経営者は元基礎医学の大学教授だった婦人で、両親の介護のために仕事をやめたと話す、下半身が痛々しいほどの肥満体。福祉制度が貧しいので、近所で助け合いながら、なんとか暮らす毎日、ゲイだという隣りの糖尿病を患う老人のインシュリン注射をしにいく日課を持つ。
「小さい国のほうがよほど福祉が充実している」と“小さい”と言う言葉に戦勝国をにおわせながら、語った。

そう、大きくて資源が豊かでも、あまりに多様な人種のるつぼのアメリカ、現在、それを統治するのを持て余しているかに見える。

トランプ勝利ニュースのあと、「あんな大統領のいる国に暮らすのはもういやだ」と一青年は語った。

わたしも、あの世にも奇妙なヘルメットヘアーの顔を、これから四年も見続けるのが、いやになっている。

2016年11月 8日 (火)

フルーツケーキのこと

四十数年まえ、アメリカに四年住んでいたとき、ホームメイドスイーツに夢中になったのだけれど、フルーツケーキづくりの記憶がない。アメリカ人の家で缶入りの市販のものをふるまわれて、それがとてもしつこい味だったのは覚えている。それで興味をなくしたのかも知れない。

帰国してほどなく国際婦人クラブに入会、奨学金の基金獲得プランである版画展示即売会の企画委員会メンバーとなってボランティア活動をはじめたとき、その会場の控室には、常にホームメイドスイーツがふんだんにあって、休憩するのが楽しみだった。そこで食べたフルーツケーキのおいしさが忘れられずレシピ探しを始めたのだった。

当時のアメリカ料理本の王道をいくもの、『Joy of Cooking』や『Better Homes New Cook Book』など調べたのだが、これというのが見つからず、結局一番気に入ったのが主婦の友社出版の『家庭で作れるケーキ300種』の森田咲子さんのレシピだった。レシピの最初に、正式につくるのはたいへんだが、これは自分流にくずしたもので、アメリカ人にも好評だった、という一文がある。パウンドケーキを焼き慣れているものには、とても親しみやすく、取組みやすい好レシピであると思う。

材料 長方形のケーキ型一本分
小麦粉        カップ軽く二杯
ベーキングパウダー  小さじ半杯
バター(わたしはケーキマーガリンを使う)カップ半杯(ケーキマーガリンなら一本分)
砂糖         カップ三分の二杯
玉子         4個
塩          小さじ半杯
シナモン       小さじ2杯
クローブ       小さじ1杯
オールスパイス    小さじ2杯(わたしはこれを省略することがある)
ナツメグ       小さじ半杯
レモン汁       大さじ1杯
クルミ        カップ半杯(きざんでおく)
レーズン       カップ1杯
レモンピール     大さじ3杯
オレンジピール    大さじ3杯
レッドチェリー    カップ半杯
グリーンチェリー   カップ半杯
ブランデーまたはシェリー種  カップ半杯(わたしはラム酒もまぜる)

肝心なのはレーズン以下を細かく刻み、一晩以上、(一週間という説もなるがわたしは長くて三日ぐらい)酒につけておく。現在はすでに酒に浸したレーズン、果物の砂糖漬け、それと、果物の砂糖漬けもすでに刻んだものもが売られている。

手順はパウンドケーキを焼くときと途中まで同じ、バターまぜ、砂糖加えるところまで。
玉子は黄身と白身にわけ、最初は黄身だけまぜ、粉、ベーキングパウダー、塩、シナモンなど四項目のスパイス混ぜ、それらをふるい、バターのまぜものに切るようにして加える。(かきまわしたりこねまわしてはならない)そこに酒にひたしたレーズン類を液体ごと加え、レモンジュース、クルミも加え、最後によく泡立てた卵白を入れ、(重いものを軽いものに混ぜるのがコツ)切りこむようにサクサク混ぜる。
オーブンにもよるが、中火で一時間くらい、さらに火をよわめて三十分。真ん中にナイフなどさしてみて、何もついてこなくなるまで焼く。

市販のもののように、もっとこってりした味にするにはオレンジジュースやモラセスという糖蜜を混ぜるということがわかったので、今年ぐらい試してみようかと思っている。

日持ちするので、よく冷めてから五ミリくらいの薄切りを毎日楽しみに食べるのがおすすめ。Photo


(写真はネットの画像からできあがりが一番似ているものをピックアップした。実物の方はクルミがこれほど大きくない)

2016年11月 4日 (金)

生活不活発病のこと

一昨日の国際婦人クラブ昼食会のテーブルで話題となったのは、朝のテレビ番組で知ったという「生活不活発病」についてだった。テーブルではわたしのまわりの数人のうち、六十代前半のひともいたが、そのひとたちでさえ、自分もそうなりかけているので、なるべく出かけるようにしていると言っていた。

帰宅して録画してあった、その番組を見る。
病みかけているという女性はなんとわたしと同年齢、彼女には歩行のトラブルはなさそうだったが、夫君の病気が影響を及ぼしているらしい。
この「生活不活発病」という「病」の字が大げさだという気がする。病気という概念が、不安をかもしだす。むしろ、シンドローム、症候群というような兆候なのではあるまいか。

わたしの場合、今年初め、膝を傷めたときがまさにその始まりだった。膝の痛みは腰の痛みを発生せしめ、しゃがむことがつらいので、やりたくない家事が増え続けた。あのときは調理も最小限、ケーキづくりなどする気も起きなかった。
ましてや海外旅行など問題外、でもそれを悔しく思う気持ちはなかった。膝を治す、ということは無理でも、ともかく、おさまりをつけさせねばならない、そのことが目標になって数か月を過ごしてきた。

めげずにすんだのは、楽しみなことがあって、それをやりたいという気力が残っていたからだろう。ブリッジゲーム、杖をつきながらもクラブに出かけた。徒歩距離にブリッジクラブがあるのも幸いした。ホームメイドのケーキがふるまわれる楽しみもある。いまあのときつらかった階段を楽々と上り下りできる喜びを感じる。痛みつつも通ったから、それが徐々におさまる行程も見極めることができた。

ネット上でも世界中のひとたちとプレイできるBBOに入っているので、ひとたびゲームをし始めると時間の経つのを忘れる。

パソコンを全くしないという高齢者が多いけれど、しないよりはするほうが、楽しみがふえるのではないだろうか。日常あたまに去来する疑問はすばやく解答を得られるし、アマゾンはなんでも売っているから、デパートまで出かけずに買い物ができる。

好奇心こそがこれからの人生を生き抜く生気を保ち続けるもとだと、思うのだが、ネット検索はそれをいつも満足させてくれるので、いくら目が疲れても、肩が凝っても、日に何度となくパソコンの前に座ることになってしまう。

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