続、続、なつかしさの限界
もてなし行事は終わったものの、このままではいけない、という気がしていた。
エイちゃんはわたしの実母の血筋をひく最後の生存女性、目もとなど、晩年の母にそっくり、はっきり本音をいうさばさばした気性も、在りし日の母を思い出させる。この、大好きなひとと、まだ話がし足りていない、もう一度会わねばと心の声が叫ぶ。
翌日の午後のフライトで離日することがわかっていたので、朝方、帝国ホテルに出かけることにした。
四年まえシアトルの家を訪ねたとき、エイちゃんはちょうど今のわたしの年齢だったのだ。
危なげないハンドルさばきで車をあやつり、わたしが行きたいところはすべて連れていってくれた。シアトルのステイのあと、わたしは、かつて暮らしていた、シカゴ郊外のエヴァンストンを訪ねたのだけれど、帰途、もう一度シアトルの空港経由で日本に戻るとき、わざわざ空港までやって来て、新鮮なカキが手に入ったので、とカキフライのお弁当を持ってきてくれた。まさに実母が生きていたらそうであったろうというような思いやりをくれたのだ。あのときの彼女の年齢になった今、わかる。わたしを歓待するためにどれほどの努力をしてくれたか、を。
帝国ホテルは旅行者ですごく混雑していて、昔の格調高いイメージとは異なる雰囲気だった。エイちゃんのツアーメンバー十数名はすべて日系のアメリカ人、ほとんどが七十歳以上、九十を超えた夫婦も参加している。何十か国も旅行したとか、クルーズに何度も参加したとか、お金持ちが多くて話が合わない、と聞いていたが、メンバーの多くは、疲労のせいなのか、笑顔が少ない。親類縁者が送りにきているひとはいなかったので、付き添いに来たのは正解のようだった。ツアーコンダクターがシャトルバスのチケットをもってくるのを待っているあいだ、ロビーのベンチに並んで腰かけていたが、コンビニで買ったというおにぎりをおいしい、おいしい、と言いながら、ほおばっているひともいた。エイちゃんもホテルの朝食のおかゆがすごくおいしかったと話していた。祖国の食べもの、それだけは、境遇は違ってもこの人たちに共通するなつかしさなのだろう。
集合時間が12時45分だというひとと、1時45分だというひととがいて、はっきりしない。エイちゃんも補聴器がどこかにいってしまったと、バッグの中をかきまわしている。同じようなトラブルをかかえているひとも多いのかもしれない。
エイちゃんだけみなより一つバッグが多い。おみやげで増えてしまったらしい。バゲージクレームしなければならなくなると面倒なのではないか、とよぎる心配を打ち消す。
いやいや、ここは親切を頼まなければしてくれない外国とは違う、親切をしたくて待っているひとばかりの日本なのだから、大丈夫。
くれぐれも気をつけてね、エイちゃん、わたしは心をこめてハグを交わし別れた。
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