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2016年9月に作成された記事

2016年9月30日 (金)

『ある天文学者の恋文』を観る

一作の映画を観たあとで、自分とまったく同じような感性でうけとめているひととの共感をわかちあう至福を、このブログを書いていることで得られるようになった、その友人、K子さんから面白そうな映画がくる、とおしえられて、共に観たジュセッペ・トルナトーレ監督の新作『ある天文学者の恋文』、最初から最後まで画面に目をすいよせられつつ、観終った122分だった。Photo


親子ほどに年の違う、老天文学教授とその教え子の恋物語である。
六十代後半のジュレミー・アイアンズ、往年の二枚目も、この年齢、大画面で老醜は隠しきれないのではないかいう懸念があったが、ギリギリセーフ。何といっても、折り紙つきの演技力だし、品格と知性ただよう風貌は、人生の最後までロマンスを全うできる役柄に、これほど打ってつけのひとはいない。
相手役のオルガ・キュリレンコ、ウクライナ出身の女優、魅力的だが、たくましいと言いたいほどの大柄である。
冒頭近く、場面が一転して、映画をまちがえたのではないかと思うほどのアクションシーンが展開、彼女は天文学専攻の博士課程に在籍しながら、スタントウーマンのバイトをしているのだった。
それが妙にハマッテいると思って経歴を調べたら、007のボンドガールだと、わかって、なるほど・・・
死と隣り合わせの、軽業のような仕事をなぜ、そこまでするか、だが、それには、この女性の封印されている謎の過去が関係している。
老教授は死病にとりつかれ、亡くなったと報道がありながら、嘆き悲しむ彼女のもとに、まるで彼女の行動をどこかで盗み見ているように思われるほどに、機を逸せず、カードや、メールや、プレゼントが届く。二人のやりとりはメール、携帯、スカイプ、ビデオメッセージという現代の通信技術の粋をきわめたものだ。そのスピード感に、どれがいつ、どうなってと推理が追いついていかぬほどの、展開でストーリーは進む。
だが、その恋文がただの通信手段に終わっておらず、観客の心に残る重みを保っているのは、この教授が現在の通信技術以前の書き言葉で相手の心をとらえる時代に生きていたからこそであろう。

めまぐるしさばかりではない。教授の別邸、オルタ湖上のサン・ジュリア島の風景画面はうっとりするほどのゆとりの美しさに酔わされる。Photo_2


二年まえのマッジョーレ湖上のペスカトーレ島のステイに思いを馳せ、なつかしさがこみあげる場面でもあった。

忘れがたい画面が目の奥に残っている。ヒロインが悲しみをこらえつつ、公園のベンチに座っているとき、一匹の犬が近づいてきて彼女に何かを訴えるように見つめるそのシーン、それと前後して一枚の枯葉が彼女の部屋の窓にはりついて、意味ありげにはためくシーン、トルナトーレ監督の真骨頂とも言える映像美の魔術だ。

あまりにも沢山の要素が入り混じる映画ではあるが、それでも納得しつつ見入ることができたのは、一人の人間の死を濃密にとらえて、描き切ったからだろう。

このところミステリー、サスペンスの世界で観客を魅了することを究めつつあるようなトルナトーレ監督はまだ六十歳、画面に人生観と映像美を混入する術も頂点まで達しそうな気がする。

強盗におそわれて頭部を怪我したりする災難があったらしいが、どうか長生きして私たちを楽しませてもらいたいものである。

2016年9月27日 (火)

久々の一家団欒

日曜日、久しぶりにお寿司をにぎった。教会の愛餐会でこってりしたキーマカレーを食べてしまったので、夜はなにかあっさりしたものを食べたかったのだが、週末しか一緒に食事をしない息子が食べるというので、そういうわけにもいかず、自分も食べたいということを優先して妥協したメニューである。
握り方は自己流だから、形もふぞろいだったりするのだけれど、すし飯さえおいしくて、ネタが新鮮でさえあれば、握りたてがこれほどおいしいのかということは実証済みなので、わたしはよく、握りずしをつくる。

最初にホームメイド握りずしを体験したのは、サンフランシスコ、カーメルそばのアプトスという住宅地居住の、サダコさんとラリー夫妻の家。メニューを提案したのは同行の料理名人H子さん、スーパーで新鮮なネタを沢山買い込んで、女性三人手分けして、大量の握りをこしらえた。あのときのおいしさ、楽しさ、忘れがたく、我が家でも試すことになったのだ。
サダコさんもラリーもいまはあの世のひと、握るたびに思い出し、亡き姿をしのぶ。

さて、きょうの握り、ネタはサクで買うと高いし、好みが偏るので、すでに盛り合わせになっているものを使うことにしている。
田園調布のプレッセは三種の盛り合わせが2000円くらいと高いので、バスで足をのばし、ピーコックでその半値の、マグロ、ハマチ、ホタテの一皿を買う。あと、玉子焼きと。

付け合せは夫が豆苗好きなので、和え物をつくることにして、エノキも買った。
レシピはちゃぐままさんのブログでヒントを頂戴する。
豆苗とエノキをチンする入れものに入れ、ラップして一分半、ゴマ油と醤油をからめ、あと、すりゴマをふる。味が足りなければ塩少々。005


調理の途中、娘から電話で、遅ればせの敬老のプレゼント、チャイのアルバムを届けるというので、夕飯食べてって?ということになり、鯛の刺身一パック買ってきて、と頼んで、追加のこしらえをした。

チャイのアルバムは彼女がスマホで撮りためた写真のベストショット七十枚が見事に整理されている立派なもの。チャイの瞬間の表情が生き生きととらえられている。007

それにしてもカレが一番圧倒的にいい表情をしているのは夫に抱かれている数枚。
冬はいつも夫のふとんに潜り込んで寝ていた。
今年はさみしくなるわね、と言ったら、夫は考えないようにしていると、固い表情で応えた。

2016年9月22日 (木)

雨にたたられ・・

何という長雨だろう。涼しいから助かるなんてものでもない。
気持ちも沈みがちになる。
植木屋さんは最初に頼んだのが7月の初めだったから、かれこれ三か月も遅れている。
何しろ雨にたたられまして、と言っていたのが、まだ続いているのである。

たった三十坪の小住宅のまわりの樹は、シンボルツリーのミモザと、生垣のアカメと
やたらに丈ばかりのびる、ローリエの樹ぐらいなのだけれど、このあいだ通りがかりに目がついて、とやってきた半纏姿の年かさの植木屋さんは、近くで仕事して、もうすぐ終わるから半日でやれる、と言ったが、いくら?と訊いたら、五万円というのに驚いて、頼むのをやめた。
我が家出入り二十年の剪定名人、ヤマダさんは、ひとりで何もかもこなす凄腕だが、六十をとうに超えている。
年齢的にもきつい仕事だから、はかどりを早くするのは大変だろうと思うが、費用は三万円弱でしてくれるし、何より植物を愛し、知識も十分。

近所に『ベンリー』という便利屋が植木もやります、と宣伝しているし、植木一本だけでも出張します、というチラシも入ってきているけれど、やっぱりヤマダさんを待ちたい。

ミモザがあまり伸びすぎて、通行の邪魔になりますと、警官から注意を受けたこともあるので、下のほうだけ、夫が花ばさみで切ったけれど、何しろイタリア好きの樹だから、ともかく、元気で伸び続けるのである。

この雨がやんだら、そろそろモクセイが香ってくるのだろう。
我が家のモクセイも蕾をつけている。
雨さえ降らなければ、一年中の、今の季節は一番好きなときなのだけれど・・・

2016年9月16日 (金)

日帰り温泉体験

少し涼しくなってきたので、いよいよ温泉行を実行しようかと、お気に入りに登録しておいた宿泊情報を検討し始めたのだが、これは、というところがなかなか見当たらない。
食が細くなっているのに、ご馳走攻めは、負担になるし、遠くまで出かけるのは億劫、かといって何度もでかけたこともある、近場の箱根や伊豆など、わざわざ泊まりにいかなくても、などと思ってしまう。
枕が変わると眠れない、などといって、宿泊つきの旅行を渋るようになった義母のことを今なら同感しつつ、思い出したりもする。

今週はほとんど毎日予定があったのだが、一つキャンセルがはいって、翌日の約束も午後からという余裕ができた今日、ふと思いついて、日帰り温泉行を実行することにした。

娘が日帰りの温泉にしては、なかなかいい、と教えてくれたところだ。
『喜楽里(きらり)別邸』秩父の宮沢湖のほとりにある、飯能からバス十分と言う場所。Photo

自由が丘からFライナー特急で一時間半、直通、バスは一時間に一本しかなく、出たばかりだったので、仕方なくタクシー、1280円、着いたところはいかにも秩父の山すそ、寂寥とした場所だったが、温泉施設はなかなかよくできていた。
館内は作務衣か浴衣かのチョイスで過ごす。ロッカーに貴重品や着替えをあずけ、あとはバーコードを記した腕輪をはめて、食事や買い物などの支払いはすべてそれで済ます仕組み。
食事はバイキングとそば店があり、二階の岩盤浴の施設そばに喫茶もある。
温泉は美人の湯と称する天然温泉だそうだが、露天風呂は変化があって楽しめた。とくに寝ころび湯は仰向けに寝て下から温泉が湧いてくるのが、心地よかった。Photo_2


展望テラスがあって、宮沢湖が一望できる。露天風呂からも眺められるとのことだったが、いまは雑草が生い茂り、かすかに見える程度。Photo_3


食事は十割そば、温泉に浸かった後で、二階の喫茶部であんみつを食べ、寝椅子でしばし仮眠、もう一度入浴して、おみやげにおまんじゅうと、梅しょうゆなるものを買い、〆て3170円、交通費もあわせれば、五千円ほどの温泉体験。

帰りも特急で帰ったが、列車内の冷房が効きすげてまいった。七分袖のテンセルのセーターに、スカーフを巻いていたのだけれど、冷えてしかたがない。このFライナー、冷房を弱くした車両がないのである。
この時期、やはり出かけるときはジャケットか、長手袋の防寒グッズ必要なのに、それを忘れたボケ具合にしばし落ち込んだ外出でもあった。

2016年9月10日 (土)

事件・・・

午後予定があるので、その日は朝早く泳ぎに行こうと九時過ぎのバスに乗った。

いつものように緑ヶ丘交番で降りて、五差路の自由が丘方面への横断歩道に向かい、信号が緑になったのを確かめて渡り始め、真ん中付近まで来たとき、信じられぬことが起こった。
左の方から車が疾走してきて、わたしの体をかすめたのだ。右腕が接触したのを感じた。
すぐに声を上げて車をとめる。その車、なんとデイケアホームの車なのである。
降りてきたのは初老の男性、後方の車が気になってバックミラーを見ていたと、あやまった。
警察に検証してもらったほうがいいということで、そばの緑ヶ丘交番に行く。若い警官がいたが、不慣れなのか、何から手をつけていいやらわからず、埒があかない。そこにベテランらしい年かさの警官が加わってようやく、検証やら、書類記入やらが始まった。
わたしの手は痛んでなかったし、身体も別状ないので、接触事故ということで、互いの連絡先を交換、近くの碑文谷警察に連絡する方法などを知らされ、病院に行って一応医師の検査の結果を今日中に提出ということになった。

レントゲン写真、異常なし、医師の触診もOKで、その後も異変は起こらなかったので、問題はなさそうだと、確信はあるものの、こればかりはわからない。後日何か異常が出てくるとも限らないので、いつも以上に神経をはりめぐらしている。
帰宅したら、保険会社から電話があって、とりあえず、医院の費用、帰りにタクシーを使ったので、その費用を負担するという返事があった。
デイケア―ホームからは毎日詫びの言葉と共に、こちらの状態を気遣う電話がかかってくる。
お詫びのご挨拶にうかがいたい、と何度も言われたが、ことわった。

緑の信号で横断歩道を渡っていても、安全とは限らないことを、身をもって知った。
それにしてもこの程度ですんだのは信じられない。

チャイのネコ天使が、急いでかけつけてきてくれたと思わずにはいられないのである。

2016年9月 6日 (火)

『暮らしの手帖』異聞

『ととねえちゃん』を毎日観ている。タイトルのイラスト画が素晴らしい。
とりわけ茶色いネコが階段をかけのぼっていく姿に在りし日のチャイの姿が重なる。

脚本もなかなかよくできていて、次々展開するエピソードもテンポよく、面白さも工夫されていて飽きさせない。

先日、緑ヶ丘プールに泳ぎに行ったら、学童使用が終らないとかで、一時間待たされることになってしまったので、近くの図書館で時間をつぶすことにした。
あいうえお順によくそろえて展示された雑誌の部屋があるので、そこで、『暮らしの手帖』でも読んでいようかと、「く」のところを探したのだが、見当たらない。
係りの人の話では、全部貸出し中で、最新号は貸出できないのだけれど、それもない、ということはだれかが読書中なのだろう、とのこと。
その人気に驚いた。

暮らし、ということに本当に興味が出てきたのは結婚してからだが、『暮らしの手帖』にはあまり興味がなかった。花嫁修業で、和、洋、中華の料理はしっかり習得していたし、暮らしの知恵がほしいとは思わなかった。『暮らしの手帖』が「こころざし」を持った、珍しく立派な雑誌だということはわかっていたけれど、センスのよいファッションや美しいインテリア、旅の情報満載の『ミセス』や『家庭画報』のほうに目が向いていたのである。
自分がそのレベルの暮らしに手が届かないことはわかっていても、より高度なものを見ていたいという、あこがれがあった。

『暮らしの手帖』が、商品試験なるものをして、非常にくわしい情報を提供してくれるのも知っていたが、丁度その電化製品を買うとき、と、その情報が載っているときが一致することは、なかなかなく、そこまでの探究心もなかった。
料理の写真もレシピが知りたいと思ったことはあまりなかった。プロの料理人がつくるものが多く、わたしはどちらかというと主婦出身の料理研究家のレシピに目が向いていたのである。
「すてきなあなたに」という大橋さんのエッセイは魅力があった。のちによりぬきのものを集めた一冊を購入したおぼえがある。

さて、その日、久しぶりに『ミセス』を手にして驚いた。魅力あるファッションはまったくなく、精彩に乏しい。モデルも美しいひとが少ない。

『暮らしの手帖』の亜流のような『天然生活』、『ソトコト』、『ku・ne l』など、出ているがマガジンハウス出版のものが多く、『暮らしの手帖』の現編集長もマガジンハウス出身のひとのようだ。

朝ドラの影響がいつまで続くのか、スローライフ調の雑誌が売れ続けるものなのか、行方を眺める興味は尽きない。


2016年9月 3日 (土)

チャイの死

この日が近いことは予想していたが、チャイの急激な衰弱はここ数日間に起こった。

階段を降りられなくなったのは六月、七月になると、部屋の中もあまり移動はしなくなり、トイレにだけは、コブのある前足をひじまで折り曲げてヒョコタン、ヒョコタンと歩きながらなんとか中に入り、粗相はせずに用を足していた。
八月、食欲が細り、17年食べ続けたドライフードをまったく食べなくなったので、スープ入りのすり身やポタージュなどを少量食べ、水はもう蛇口から飲むことができなくなり、カップから、数口飲むだけになった。

そして三日前、二種類の魚介のポタージュを数口のんだのが最後の食事、それでも夫がいつものように、抱き上げてひざにのせると、しばらくそのままで座っていた。やがて降りたがったので下すと横たわって移動しなくなった。001


一昨日、なぜか啼き声がするので、行ってみると、トイレのそばに横たわり、下半身が濡れていたので、トイレに入れなくて、粗相をしたのだとわかった。身体をふいてやって、新聞紙を敷き、タオルを広げて、そこに寝かせた。そのまままったくおかれたままの姿勢で、翌朝まで。

そして昨日、呼吸が速くなり、目がうつろになったまま、寝ているので、これは、いよいよかと、覚悟をきめつつ、付き添っていた。この段階で獣医さんに来てもらったほうがいい、と夫に言ったのだが、もう最後が近いのがわかっているから、いいんじゃないか、と乗り気にならない。でもわたしはやはり、この状態をしっかり診てもらったほうがいいと、主張して、チャイがうちに来たときからお世話になった、いまは引退されてしまった等々力の先生に電話をした。看護師さんは往診はできないから、連れてきてください、と要求したのだけれど、うちのネコは二代続けてお世話になっているのだからと、と頼みこんだ。電話を切ってしばらくすると、大先生に連絡がつき、ご自分から行こうとおっしゃったという返事をもらえた。

先生は大きな診察箱を持ちながら、二階まで上がってくださり、感慨深げに、19年ですか、よくここまで生きたなあ、とおっしゃった。もう意識はないから、苦しんではいない、との診断にちょっと安堵する。もう夜までもつかどうか、注射はやめておきましょう、それにしてもがんばったなあ、この筋肉の減り方、どうですか、使い果たして、生き続けたんですよ。
頑張り屋さんだったチャイが認められて、胸がせまった。

娘と孫娘がかけつけ、チャイをこよなく愛する皆に見守られながら、夜七時半、チャイの呼吸はとまった。

アメリカで買って大切にしている、ネコ天使のブローチがある。チャイはネコ天使になってわたしを見守ってくれるかもしれない。006

まだときどきあの澄んだ啼き声が聞こえるような気がしてならない。


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