続 平塚らいてうを知りたくて
らいてうの同窓生、国文学部の田村俊子は、『青鞜』創刊号で『生血』という処女性を問題にした小説を発表している。また短歌でも「夫あれど夫し思はず自らの作りし恋の幻を追う」という大胆な、一夫一婦制への反逆をあらわす作品も掲載している。
ここに始まった貞操論争はのちに、堕胎論争にまで発展し、第五号で、らいてうは、堕胎や避妊を女性の性と生殖における自己決定権の問題として論じる必要性を主張している。
らいてうがこれほどまでに自己にめざめ、当時の新しい女性としてあがめられるようになったのは、もとはといえば、日本女子大の創立者成瀬仁蔵の『女子教育』を読んだことに始まると推察されている。
お茶の水高等女学校の「官学的な押し付け教育に息づまるような思いでいた」らいてうの心をつかんだのが成瀬仁蔵の女子教育に対する根本理念:
1. 女子を人として教育すること
2. 女子を婦人として教育すること
3. 女子を国民として教育すること
であり、自伝の中で、「女子大へ入学した当座はすべて感激の連続でした・・・成瀬先生の実践倫理の時間は、若いわたくしたちの魂をゆり動かし、突きあげるような迫力にあふれたものでした・・成瀬先生の熱弁を聴いていると、いままでのお茶の水の教育に対する不満を、どう表現してよいかわからずにいた自分のもどかしい気持ちがすっかりとけてゆく思いでした」と述べている。
女性の「真の自由解放」とは女性の取り巻く現実の社会的、政治問題解決にとどまるのではなく、それらを手段として実現する「自主自由の人」である自分はすべて自己責任のもとに行動する、行き詰ったときの打開策は「自奮」であり「我れ自らの努力」であって、最終的には「各自の天職を全うする」ことをめざすのだ、というのが、らいてうのもっとも言いたかったことなのだ、と倉田姉は結論づけられた。
翻って、これまでの我が人生を振り返るとき、転機に立って、迷いや困難を感じたとき、いつも救われてきたのは、この「自奮」にあったことを思いだす。
やはり十余年、この学校で培われた信念は生き続けていたのだと、あらためて実感し、なにかすがすがしい想いに包まれたのだった。
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