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2016年8月に作成された記事

2016年8月29日 (月)

お弁当は母の味

先日、夫とわたしの二人ともが一日中留守をするときがあって、飼い猫でいまや、衰弱の一歩をたどっているチャイが「ひとり」になるので、孫娘に留守番に来てもらうことにした。
お昼にお弁当つくっておくからね、と言って、玉子焼きとトリ手羽の照り焼き入り、あとは漬物、黒ゴマをふって、梅干しを真ん中にしたのを、用意しておいたのだが、それがスゴ~くおいしかった、と置手紙がしてあった。

娘の仕事は英会話スクールの教師だが、夕方から出かけて、九時過ぎまで教えるので、食事が不規則になるらしい。外のものはおいしくないから、と言って、近頃手作り弁当持参だという。
きのう、夜遅く、チャイに会いに来るというので、じゃあ、お弁当のおかずに、味噌豆と炒り豆腐つくっておこうか?と言うと、歓声をあげて喜んだ。

そういう常備食的なものは得意なのだが、トリや魚嫌いの夫とのメインは近頃本当に悩みのタネなのだ。

そこで考えた。この日は朝教会に行くし、この暑さ、出かけるだけであとが疲れる。夕食はこの常備食とあとは出来合いのコロッケを買って、わたしたちもお弁当にしてみようか、と。001

味噌豆というのは実母の得意料理で、大豆を一晩水に浸してふやかし、油でいため、それにお砂糖をまぶし、あとはお味噌をからめるというもの。
これはお弁当のおかずにぴったりなのである。
炒り豆腐は、シイタケと、人参、ネギだけを入れたものだが、ゴマ油でいためたら、香ばしく仕上がった。
お弁当に入れてしまえば、おかずのアクセント、揚げ物が買ったものでも、サラダ菜入り刻みキャベツにくるめば、けっこうおいしい。

熟練の主婦の腕の見せどころは、こういう、付け合せの工夫ではないか、と思いつつ、近頃、買ったものの味があまりにも一律なのに、がっかりするたび、自分を励ましている。

2016年8月24日 (水)

題名負けの『グランドフィナーレ』

カンヌが、世界が<最高傑作>と絶賛!!
などと書かれたチラシにまどわされ、映画『グランドフィナーレ』とはスイスの高級リゾートホテルで繰り広げられる高齢VIPたちの壮大なドラマなのだろうと大いなる期待をもって出かけた下高井戸映画、めずらしく満員で立ち見まで出た場内。
シニアの多い客席を見回しながら、みな同じような期待感をもっていたのではと想像した。
ところが、いまに面白くなるか、なるか、という期待は宙ぶらりんに終わり、感動しないまま、なんだか、ばかされたような気分で終わってしまった。

一曲の大ヒットで一躍その名を知られた、引退大作曲家に女王陛下からの出演依頼がくる。同じホテルに滞在している友人の老映画監督はかつて名作を世に送り出したものの、今は鳴かず飛ばず、なんとかもう一花咲かそうと、次の作品の撮影に命をかけている。彼が大いなる期待をもって、ジェーン・フォンダ扮するかつての名女優に出演依頼をするのだが、その返事にあらわれた、彼女の演技が素晴らしかったと絶賛されたと言う割には、ものスゴイ厚化粧と大声の罵声の演技で、最後に監督の顔をなでようとするその手は、八十代の年齢を隠そうにも隠せず、ひどく血管の浮き出た、老婆の手だったことが心に焼きついた。

印象的なシーンもあるにはあった。牧場に放牧中のカウベルをつけた牛の群れを、老作曲家が指揮するように手を動かすと、自然の音楽がかなでられる場面。

ラストシーンが、これまたまったく感動なし。名曲と称せられる「シンプルソング」はこれぞ名曲なるぞ、とばかりに、力めば力むほどに、古代からの名曲を知り抜いている観客には美しいメロディとなって響いてこないのである。

だいたい、この題名、原題は“YOUTH”(若さ)という変哲もないものを、意訳きわまりないものにしたのが、成功したのかしないのか、観る方は煙にまかれてしまったというわけであった。

ちかごろ新聞、雑誌で批評家がほめる映画の期待はずれがあまりにも多い。彼らは自分たちの批評で興行成績が左右するのを恐れるあまり、本音を語らない傾向にあるのではなかろうか。
 
ネットを開いて一般の人々のレビューを読むほうがよほど面白いし、参考になるのである。


2016年8月21日 (日)

わたしのトレニア

010
雪が谷の小さな生花店で一鉢百円で買ったトレニア三鉢分を寄せ植えしたら、こんなにも大きく合体した。
朝起きると真っ先に目を楽しませてくれる小さな花の集合。

水遣りはまめにしているが、台風七号が来たときは、自然の恵み、たっぷりだったからと、油断していたら、夕方、見る影もなくしおれて哀れな状態となってあわてた。

いまは顔色みながら、朝晩二度の水遣りである。

2016年8月15日 (月)

メトライブ『フィガロの結婚』を観る

若い友人のK子さんと、モーツアルトのオペラに、なぜか感動したことがない、ということに大きく共感したばかりだったのだが、それでもきのう、メトライブの『フィガロの結婚』を観に出かけた。
このところの身体の不調で家に閉じこもりぎみだったので、なにか、あの脳天気に明るいメロディ満載のモーツアルトを大画面でガンガン聴きたくなってきたからだ。

あまり期待していなかったのに、これは大当たりであった。
演出が時代考証を、第二次世界大戦時におきかえた・・・つまり『ダウントン・アビー』のころの現代調になったせいで、物語が現実味を帯びてわかりやすくなり、しかも演出家と指揮者レヴァインの意気がぴったり合い、演技に重点がおかれたせいで、ゲラゲラ笑ってしまうようなユーモアも生きて、その上容姿よし、声よしの歌手勢揃いの迫力に圧倒されたからである。
何よりもケルビーノが美しかった。宝塚の男役も真っ青の美男ぶりである。Photo

大体宝塚の洋物は欧米人の顔立ちに近いスターが選ばれるわけだから、ましてや、本物の欧米人のきりっとした顔立ちの女性が男装すれば、まぎれもなさが増すわけで、本舞台のイザベル・レナードのハンサムぶりには息をのむばかり、あのアリア「ヴォイ・ケ・サペーテ・・」の美しさに酔いしれた。

舞台も回り舞台で、フィガロの部屋、伯爵夫人の部屋、まわりながら変化する楽しさの効果大であった。
けれども、三分の二ほどまでのテンポがあまりによすぎたので、スザンナと伯爵夫人が衣装を交換して男たちを翻弄する場面はちょっとだれ気味、このあたりがモーツアルトに疲れてしまう限界かな、と思ったりはした。

秋にウイーン国立歌劇場が『フィガロ・・』を引っ提げてやってくるが、数万円だすことに比べれば、このメトライブ3100円の『フィガロ…』必見の価値あり、だとわたしは思う。

東劇、9/1、2、 14:00. 9/21 19:00(まだ観るチャンスありです)

2016年8月13日 (土)

リオ五輪、体操内村選手、水泳金藤選手の感動

スポーツ番組をあまりすすんで観るほうではないし、加えて、今回のリオ五輪は、それでなくても日本からの飛行時間二十数時間という遠距離の場所、政情不安、選手村環境劣悪などの前評判、選手はベストコンディションで臨めるのだろうか、と心配で、関心を持つまでに至らなかった。
ところが、どうだろう、体操日本の名声、トビウオとまで言われた水泳日本の名を一層高める記録続出である。

あの、体操内村選手の個人総合の最後を、出先から帰ってチャンネルを押したら、まさに間に合って、観戦することができた。鉄棒種目まえまで、なんと、ウクライナに負けている。もしかしたら、危ないのではないか、と不安になった。だが、彼の一番得意な鉄棒なのである。希望はある、そして・・・何という演技だ!!落ち着いて、少しの乱れもなく、最後の着地を決める。
わたしは鉄棒の小野の時代を知っている。あのころより、演技の技術は軽業と言いたいほどにレベルが上がっていて、目を奪うばかりだ。鉄棒から手を放し、一瞬のあいだに身体をひねるなど、すさまじいばかりである。
内村選手は姿が美しい。自信にあふれ、たくましく、技術力を究めた、最高の演技だったと思う。
優勝が決まったときのガッツポーズ、思わず胸がせまって、嗚咽がもれた。これこそ感動の涙。「何も出ないところまで出しきった・・・」というインタビューの言葉、まさに王者の風格だった。

そして、水泳平泳ぎの金藤選手、最初はちょっと遅れ気味、それが徐々に速力を増し、トップに踊り出て、他者の追従をゆるさず、抜きんでて泳ぐ姿を見届ける快感。素晴らしい感動をもらった。
過去二度の五輪で成績ふるわず、これではならぬと奮起した二十七歳、しかも今回の記録はかつて十代の岩崎選手が出した金メダルのあの時の数字を超える快挙である。
コーチをほめたたえる言葉、その努力、これこそ、日本人ここにあり、であった。

2016年8月 8日 (月)

近況報告

食欲不振はまだ完治していない。
パン類が食べたくなくなった。ご飯のおかずの醤油味がいやだったりする。コーヒーも飲みたくない。
まるでつわり状態。
朝食は、バナナにミルクかけてシナモンふり、それだけ、という日もあった。
間食というのもまったくしなくなった。甘いものが食べたいと思わない。
ダイエットをして体重を落とすのはむずかしいが、いまの状態、自然に減量できてニキロ減った。ひざは喜んでいるだろうと思う。
でもなんだか気分が高揚しない。
やはり食べ物がおいしくなければ、生きている喜びがない。
ビールも枝豆もお呼びではなく夏の楽しみにもそっぽである。
一体、なんなんだろうこれは?
くわしい血液検査の結果は悪くなかった。水分をたっぷりとって、疲れることをしないように。と医師に言われる。
自分の好きじゃないことを自分に課している。筋トレ、週二回、水泳一回、身体を動かすこと大嫌いなのに、ウツみたいになっているのかも・・などとも思う。

同世代の友人たちに暑中お見舞い代わりと称して電話で長話。ずいぶん、情報を得た。
一年ぐらい、わたしと同じような状況が続いたという同級生。
>栄養取らなきゃダメだからね。あたしが好んで食べたのは鯛茶、いいタイの刺身少しだけ買ってきて、ゴマふって、三つ葉散らしてお出汁かけて、かきこむのよ。そしてそのあと、小カップ汁粉食べて、御抹茶飲む、これって合うよぉ~。
なるほど、これなら食べられそうだけどまだ実行していない。

夏は大の苦手という避暑名人の友人は、やはり食べ物まったく受け付けないときがあったそうで、
>その症状はね、たぶん、機能性ディスペプシアだわ。
ネット検索したら、高齢者のよく陥る症状、その項目はどれもがわたしのとピッタリ同じ。
でも、ま、時期がくれば治るらしいので、ちょっと安心。

やはりパンやサンドイッチが食べたくなくなっていると話してくれた、七つ年下の友人、
>朝、パンが食べたくなくなったので、ご飯炊いて玉子かけ御飯にしたら、食べられました・・・
なるほど、これはよさそう、と膝を打ったのだけど、彼女のイタリア旅行のお土産のチーズとアプリコットジャムがあまりにおいしいので、なんとパンが食べられるようになってきて、玉子かけごはんの出番はまだない。

2016年8月 2日 (火)

三泉寮フォトアルバム

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旧軽井沢銀座通りから徒歩三分、三井家から寄贈された広大な敷地の広がりがある。
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渡り廊下から食堂を眺める景色、これが一番好きなアングル
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最初の日の夕食、純和風、ごはんはほんのりピンクの花豆ごはん。
食欲不振は消えて、ぺろりと平らげた。

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翌日のメニュー。洋食もおいしかった。
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いかにも軽井沢らしい古木。

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山アジサイ。
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寮の近くの家の軒下に生えていた植物。蘚苔類の一種であろうか。

食欲不振は回復しかけたが、久しぶりの和室での寝起きで、膝の痛みがぶり返した。
帰りにトンボの湯に行くつもりでいたのに、キャンセル、旧軽銀座でインド綿のブラウスを三着買い込んだだけで、あとは峠の釜めしを夕食のために購入、午前中に帰京。

その釜飯、夕食にしたのだが、どういうわけか、おいしくなかった。これまでこんなことは一度もなく、これだけは変わらぬ美味と、信頼していたのに、わたしの味覚の衰えのせいなのか、作り手が雑になったのか、寂しい後味に終わった。

2016年8月 1日 (月)

続  平塚らいてうを知りたくて

らいてうの同窓生、国文学部の田村俊子は、『青鞜』創刊号で『生血』という処女性を問題にした小説を発表している。また短歌でも「夫あれど夫し思はず自らの作りし恋の幻を追う」という大胆な、一夫一婦制への反逆をあらわす作品も掲載している。

ここに始まった貞操論争はのちに、堕胎論争にまで発展し、第五号で、らいてうは、堕胎や避妊を女性の性と生殖における自己決定権の問題として論じる必要性を主張している。

らいてうがこれほどまでに自己にめざめ、当時の新しい女性としてあがめられるようになったのは、もとはといえば、日本女子大の創立者成瀬仁蔵の『女子教育』を読んだことに始まると推察されている。

お茶の水高等女学校の「官学的な押し付け教育に息づまるような思いでいた」らいてうの心をつかんだのが成瀬仁蔵の女子教育に対する根本理念:
1. 女子を人として教育すること
2. 女子を婦人として教育すること
3. 女子を国民として教育すること
であり、自伝の中で、「女子大へ入学した当座はすべて感激の連続でした・・・成瀬先生の実践倫理の時間は、若いわたくしたちの魂をゆり動かし、突きあげるような迫力にあふれたものでした・・成瀬先生の熱弁を聴いていると、いままでのお茶の水の教育に対する不満を、どう表現してよいかわからずにいた自分のもどかしい気持ちがすっかりとけてゆく思いでした」と述べている。

女性の「真の自由解放」とは女性の取り巻く現実の社会的、政治問題解決にとどまるのではなく、それらを手段として実現する「自主自由の人」である自分はすべて自己責任のもとに行動する、行き詰ったときの打開策は「自奮」であり「我れ自らの努力」であって、最終的には「各自の天職を全うする」ことをめざすのだ、というのが、らいてうのもっとも言いたかったことなのだ、と倉田姉は結論づけられた。

翻って、これまでの我が人生を振り返るとき、転機に立って、迷いや困難を感じたとき、いつも救われてきたのは、この「自奮」にあったことを思いだす。
やはり十余年、この学校で培われた信念は生き続けていたのだと、あらためて実感し、なにかすがすがしい想いに包まれたのだった。


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