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2016年7月30日 (土)

平塚らいてうを知りたくて

「元始、女性は実に太陽であった・・・」のあとにどういう言葉が続くのか、『青鞜』の内容をもっと知りたいと思っていた。

母校の夏季学寮、軽井沢の三泉寮で、『成瀬仁蔵と平塚らいてう』と題する講演があると知って、この機会を逸してはならないと、申し込んだ。寮の宿泊の締め切りが過ぎていたので、担当者には迷惑をかけてしまったが、二泊三日の滞在も決まった。
ところが、出発二日前から、就寝時の身体のほてりや、食欲不振にみまわれ、出かけるのが危ぶまれるほどとなり、ホームドクターに薬を処方してもらって、なんとか出発した。

当日は土砂降りの雨、洗われた軽井沢の緑はまばゆく美しく、澄んだ空気に、体調が好転する予感をおぼえたが、何しろ二時間以上の長時間の講演、会場の食堂はよりかかる椅子ではなく木製のベンチなので、もしも中座するような場合のことを考え、あえて最後部の端に座る。

講師、日本女子大学名誉教授倉田宏子姉は、豊富な資料と、よく整理された論点満載の内容をゆったりと、落ち着いた語り口で解き明かし、最後まで耳を十分に傾けて聞き入ることができた。

午後には必ず眠気をもよおすのに、この日はまったくそれが起きず集中できたのも不思議だった。

『青鞜』発刊の辞、元始、女性は実に太陽であった。真正の人であった。
今、女性は月である。他に依って生き、他の光によって輝く、病人のように蒼白い顔の月である・・・・という言葉が続く。激しい憤懣と、今のままではならないという決意と励ましの主観的な鋭い言葉が羅列する。これが今から百年前の日本女性の言葉であるとは、驚きである。しかも母校出身の女性であったことをあらためて誇らしく感じた。
四十数年まえ、アメリカ中西部に四年暮らしたとき、ベティ・フリーダンを中心とする女性解放運動の影響を受け、女性学を学んだ経験がある。そのときより半世紀以上も前に、日本ではすでにフェミニズムが台頭していたのだ。日本のこのころの女性の底力を感じた。

創刊号の表紙絵はらいてうの同窓生長沼智恵子、のちの高村光太郎夫人、である。西洋の女性の立像であるが、周りを囲んでいるのは日本の着物で、西洋の女性のように自由に自立していきたいと言う、熱い想いを表現していると講師は語っていた。Photo


創刊号執筆者の筆頭に与謝野晶子の名があり、『そぞろごと』という詩が掲載されている。

山の動く日来る。
かくつたえども人われを信ぜじ。
山はしばらく眠りしのみ。
・・・・・・・
すべて眠りし女今ぞ目覚めて動くなる。
・・・・・・・
額にも肩にも
わが髪ぞほつるる。
しをたれて湯滝に打たるるこころもち。

ほとつくため息は火のごとくかつ狂おし。
かかること知らぬ男。
われを褒め、やがてまた誹るらん。

十二人の子を育てつつ、創作をしていた晶子の苦悩ののじむ行間、文語表現の美しさに魅せられる。

文明の発達した現在、女性が働くのが当たり前のようになっているが、女性であるがゆえの悩みは終わっていないように思う。
専業主婦となって、報われることの少ない家事を究めれば、究めるほど、別の憤懣も生まれるし、それを語りたがらない同性の中で孤独を感じることもあるのではないか、女性であるが故の幸せは同時に、苦悩がつきまとうことを感じつつ、この資料に目を通していた。(続く)

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