続、伊丹十三のエッセイに夢中
前述の『女たちよ!』の冒頭、著者はこれまで人から教わってきた役に立つことを、包丁の持ち方から、珍しいカクテルの作り方まで、教えてくれたひとの実名を入れて書き並べている。
そして、更に「女に対しては、力強く、かつ素早く。これを私はすべての女友達から学んだ」とまで。
「と、いうわけで私は役に立つことをいろいろと知っている。そうしてその役に立つことを普及もしている。が、しかしこれらはすべてひとに教わったことばかりだ。 私自身は・・ほとんど全く無内容な、空っぽの容れものにすぎない」と述べているが、その容れものに、いれるものを、どのように選択し、見極め、自分のものにするかが、そのひとの人間のありようを左右する。
伊丹さんのエッセイにはその具体例が、これ以上ないというほどの的確な言葉を選び、エピソードや会話表現で、語られている。スゴイひとだとつくづく思った。
『再び女たちよ!』はその表紙カバーから、挿絵まで、前作の線描きのイラストと打って変わって、濃密なデッサン画、その技術力の見事さに魅入られずにはいられない。
中でもとりわけ印象深かったのが、『キザ』と題する一文、書き出しのアントン・ウォルブリュックという名に、あっつと思った。戦後初めてカラーの外国映画『赤い靴』を観た母が、どれほどこの俳優にのぼせあがったかを覚えていたからだ。
伊丹さんは、この俳優を見るために、『赤い靴』を九回観たと語っている。そして、ウォルブリュックは見事にキザな男であった、とも。「・・右手から左手にステッキを持ちかえたとみるまに、返す右手でボーイが捧げ持つ盆の上からひょいとシャンペン・グラスをとる、その流れるようなリズム、しかも、これらのすべてを、よくよく注意しなければそれとわからぬくらい、彼はさりげなくやってのけるのである・・・」
キザとはどう表現されるかを、種々のエピソードを交えて語ったあとで、最後に伊丹さん自身が奥さんと共に実践したキザのデッサンが描かれている。ルイ・ヴィトンの鞄をばらして銀座であつらえた、下駄の爪皮の絵。
私は今、これらのデッサンの実物を見ることができる、愛媛県松山の「伊丹十三記念館」に行きたくてうずうずしている。
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