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2016年5月に作成された記事

2016年5月30日 (月)

新国立劇場『ローエングリン』を観る

オペラは沢山観ているけれど、ワーグナーの楽劇は長い、むずかしい、疲れそうと決め込んで、敬遠していた。
昨年、メトロポリタンライブで『タンホイザー』は馴染みのメロデイ―が沢山あるから、わかりやすいかも、と期待し、ワグナーオペラを初めて観て、これまでの自分の偏見を恥じたのであった。

ワーグナーは劇作家としてもすぐれた才能の持ち主であるゆえにこその、構成の巧みさ、合唱の組み込みの的確さ、なによりも楽劇と称せられるだけのことはある、見事なストーリー運びの迫力に圧倒されるのである。

これはナマを観てみなければ、と決意し、『ローエングリン』のチケットを購入した。
延々五時間の超大作である。あいだに二度の40分の幕間。
少々はりこんで前から9列目の平土間席だったが、高齢のせいかそこでも顔の輪郭がぼやける。オペラグラス持参がのぞましかったと後悔。
三幕の、どの場面もドラマ性に満ちているので、眠気をもよおすことなどまったくない。

何よりも、タイトルロールのクラウス・フロリアン・フォークトの歌唱の素晴らしさに酔いしれた。Photo


こんなテノールの声は初めてである。耳に吸い込まれるようにやさしい、しかも透明で、音程もこれ以上ないくらい確かな、それでいて、聞かせどころの張り上げる声は迫力に満ちている。白鳥の騎士役にこれほどの適役テノールはいない、と欧米で評価が高いのもうなずける。二枚目テノールのカウフマンをも、はるかにしのぐ魅力では、と感じた。

無実の罪に陥れられたエルザ姫が夢で見た騎士の出現、白鳥に導かれた騎士をどのように登場させるのか、花道もない舞台、息をつめて見守るうちに、騎士は上から宙乗りで登場、これも劇的でよかった。Photo_2


舞台は抽象的なつくりではあるが、美しく、衣装や色調も現代風の粋が感じられ、エルザ姫の重なりの多いショートスカーのドレスも可憐さ、はかなさが強調されていて見事。Photo_3


幕間の40分、ブルスケッダつきシャンパン、カプレーゼやバーニャカウダ、一皿パスタ、それにディナーメニューなど、ドルチェコーナーも充実していた。私はこんなこととは知らず、終演後のレストラン予約をしていたのだが、しまった、と思ってもあとのまつり。
ローエングリンサンドイッチなるひと箱ケースものもあり、長時間オペラの食は劇場内ですべて用が足りるのだと、今頃悟ったのだった。


2016年5月26日 (木)

『とと姉ちゃん』きょうの名言

『とと姉ちゃん』はますます佳境に入ってきた。
毎日欠かさず観ている。
芸達者な脇役があとを絶たない。しかも、まさに適役、それを演じる側も楽しんでいるのが察せられる名演である。なかでも出色なのが、片桐はいりさんの、東堂先生、きょうは彼女の口から名言がとびだした。
「ささやかな心がけが小さな幸せを生む・・・・」

明治生まれの主婦たちは、戦争の真っただ中を生き抜き、不自由な生活の中から、まさにささやかな心がけをいつも怠らず、家族に小さな幸せを与えてくれていたのだと思う。
私の実母もそんなひとであった。
料理上手で、手先が器用。
フランス刺繍は得意中の得意だったし、晩年は豊かとはいいがたい暮らしの中で、きれいな包装紙や和紙のカレンダーなどで、箱を貼ったり、紙ばさみをつくったりしていた。005

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数十年たったいまも、私は彼女の作品を大事に使いながら、小さな幸せをもらい続けている。

2016年5月24日 (火)

ある変化

最近まで、毎日三錠の薬をのんでいた。コレストロールを下げるリピトール、逆流性食道炎に効き目のある、ネキシウム、そして排泄調節のためのウリトスである。いずれも、この先ずっと服用するように、と処方されたものだ。

排泄調節、すなわち、マスコミで宣伝しているノコギリヤシの対象となっている、男性の悩みの、女性版をかかえているので、日々二錠ずつと処方されていたのだが、二錠のむととても不快な気分になるので、ためしに一錠にしてみたら、効いたような気がして、この二年ぐらい続けていたのだけれど、最近になって効き目を感じなくなってきた。もしや別の薬のほうがいいのでは、と思って、薬局で薬剤師さんにうったえてみたら、彼女いわく、一週間ぐらい、やめてみて、その結果にしたら?と思いがけない提案をしてくれたのだ。

すぐ実行する気になったのは、ブリッジゲームのテーブルトークで、薬剤師の仕事をしていたというチームメイトの女性が、医師の処方ぐらい怪しいものはない、自分が患者で医院に行くと、医師は自信がないのか、薬の辞書みたいな本をかたわらに、かたくなって処方をする、といった話をしてくれたのを思い出したからだ。

ウリトスをやめてビクビクしながらの一カ月になるのだが、体調は快調である。薬をのんでいたときより、いいくらいだ。週一度の水泳と水中歩行、そしてカーブス効果、新陳代謝がよくなっているせいかもしれない。

きょうホームドクターのところへ、もうすぐ無くなってしまうあとの二種類の薬の補充に出かけた。ウリトスをやめたことをどう説明しようか、と思案していたのだが、医院は十数人の列ができていたので、これ幸い、薬だけの処方箋をもらって、薬局に急ぐ。

助言をしてくれた薬剤師の女性に、報告、感謝の言葉を。彼女、大きくうなずいて、またもや、驚くべき発言が!!
薬はなるべくのまないほうがいいからね~。


2016年5月19日 (木)

すがすがしい朝のブランチパーティ

夏季休暇まえのユニオンチャーチバイブルクラス最終日はポットラックブランチ、各自一皿持ち寄ってのブランチパーティである。
朝十時からなので、手のかかる料理は無理とあって、考えた末、玉子とキューリのサンドイッチをつくった。001_3

およそ十二名、三分の一が外国人メンバー、国際結婚組も三名ぐらいいるので、もてなし慣れしている彼女たちは、キッシュとか、ケークサレとか、手製のケーキやフルーツサラダ、自家製チーズ入りサラダなど、テーブルはかなり豪華なメニューが並んだ。007_2

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デザートもチョコレートムースやら、おばあちゃまのレシピだという、モラセスクッキーなど、こってり味のものが供され、夜はお茶漬けで充分かな、と思うぐらいの満腹感。

リーダーの女性牧師さん、夏も在東京とのことなので、旧約聖書をもう少し読みたいから、月二度ぐらい、クラスを続けてほしいと頼んでみたら、意外にもOKがもらえたのがうれしかった。

さて、帰り道、教会から出たすぐの、表参道通りに、小型のバスがやってきた。行き先は?と見ると、ハチ公口、これはいい、澁谷で買い物して帰ることができる。
高齢者のパスは使えなかったが、料金は100円、表参道から原宿を通り、国立代々木競技場を経て、ハチ公口へ。渋谷の地下道のややこしさと混雑を考えると、理想的な地上ルート。
久しぶりに、東横のれん街に直行、やはり、買いなれている店の数々、おいしそうなものいっぱい、夫の好きな切った奈良漬と、中華のお惣菜を少々買い、田園調布行のバスで帰宅したので、歩く距離が少なくて、楽をすることができた。
このハチ公バス、ネットで検索すると、いろんなルートがある。研究すれば、渋谷駅無視で、あちこち楽しめるとわかって、希望が持てそう。

2016年5月15日 (日)

脱テレビ生活になりかけ・・・・

テレビなしの生活をもう十日続けている。

四年まえ新築したときに購入した私の部屋のテレビはスペース確保のため壁掛けにしたので、大型ではなく、韓国製のLGという製品、スイッチをオンにしても画面の出方が遅かったり、一部音声がどもるみたいになって消えたりするので、不満いっぱいだったのだが、業者にみにきてもらうと、来るだけで二万円もするというので、ばからしいと、放っておいたら、ついに映像が出なくなってしまった。

今見ているのは、朝ドラと『真田丸』だけなので、見たいときは二階の夫の部屋に行けばよい。

テレビがなくなって思ったのは、いかに、無駄な時間をチャンネル検索に費やしていたかということ。リクライニングチェアに座ると、ついテレビをオンにするのが習性になってしまっていたのだ。

今から二十年まえ、自分が訳したミステリー小説の一節に、テレビのコマーシャルや、お笑い番組、テレビドラマを毎晩のように目にしていたら、どれほど良識が損なわれ、知性が損失するかわからない、というせりふがあったが、もうその時期はとうに過ぎて、いまや惰性に陥りかけている。

せっかくクリーンになりかけた生活だったが、テレビの代わりに、インターネット検索や、パソコンのゲームについついのめりこみがちだ。フリーセルなどは100パーセントまで到達し、今は91から94を上がったり下がったり。

それでも、読書の時間はずいぶんふえて、一週間で三冊読破できた。

もう、テレビなしの生活にするわ、と夫に言ったら、もう新しいのを手配しちゃった、というのである。LGは彼が選んだので、責任を感じたらしい。

以前は近所の電気屋さんがこれという資料やら、情報やらを、持ってきてくれて、こちらはただ選べばいいという、便利な生活があったが、いまは、なんでも自分でやらねばならない。量販店探し、寸法をはかり、ケーブルテレビようの、機器が合うかどうかも判断しなければならない。それらを全部やってくれて、今度は一回り大きい32インチのを買ったよ、というのだから、感謝しなければならない。

本音を言えば、もう少し待ってくれればよかったのに、と思ったのだけれど。

しかも、テレビを置くテレビスタンドなるものが、今は品薄、というのも、近頃は大型家具にテレビが組みこまれるのが流行りなのだそうで、それも苦心して探し、腰が痛くなったよ、と言いながら、組み立ても自分でやってくれた。
テレビも自由が丘のヤマダ電機と、大岡山の電気店のを比べ、結局そこの、今度は日本製ということで、三菱電機のが随分安く購入できた、とちょっと自慢、その上中年店員と懇意になって、壁掛けテレビをはずしに来てもらうことまで手配、近所の便利屋業者に頼むと、一万円ぐらいするところを、サービスでしてもらえた。

旦那さま、ありがとう、と言うべきだな、と自分に言い聞かせている。

2016年5月11日 (水)

カーネーションではなく

母の日のまえに、いつも、何かほしいものある?と電話してくる娘が、めずらしく
いっしょに食べに出かけない?何か食べたいものある?とさそってくれたので、居酒屋に行ってみたい、と希望を述べてみた。

結局、孫娘と三人で内輪の女子会みたいになったのだが、わたしたちって、飲めないからね、などと、居酒屋行きをしぶっていた娘が、自由が丘で待ち合わせたら、ネットであちこち探したと言って、駅裏の『えん(宴)』というところに案内してくれた。
入口はゴミゴミしたところで、味が早くも危ぶまれた。でも二階にはいると、意外に広々とした空間で、空気もよどんでいない。
ウーロン茶、ジンジャーエール、ローズピップ風味梅酒ソーダ割り、についてきたお通しのお豆腐、これがすこぶる美味、カツオのたたき、大吟醸豆腐、トリもも肉の塩焼き、出汁巻玉子、どれも薬味や、タレが申し分なくおいしく、蒸野菜サラダのソースもニンジンをおろしたと言うオレンジ色の酸味のきいたいい味、あと、牛筋のユズ風味と大根煮はもうちょっと満腹気味だったが、薄味だったのでお腹に入る。そして焼きおにぎりと赤だし、漬物で〆。
一皿ものを三人でわけるから、皿数は多いけど、量はぴったり。
おいしかったね、と笑顔を交わし合った。
これプレゼントと娘がくれたものが、パソコンのアームレストと、花の香りの入浴剤、ほしかったものをよく知っていてくれる。001_2


娘が車をとってくるまで孫娘と遊歩道で待っていたとき、訊いてみた。
おかあさんには何あげるの?
おかあさん、お花あまり喜ばないから、何か別のもの・・・

手軽な花で間に合わせないところが、ママゆずりなのかな、と思った。

2016年5月 9日 (月)

続、伊丹十三のエッセイに夢中

前述の『女たちよ!』の冒頭、著者はこれまで人から教わってきた役に立つことを、包丁の持ち方から、珍しいカクテルの作り方まで、教えてくれたひとの実名を入れて書き並べている。
そして、更に「女に対しては、力強く、かつ素早く。これを私はすべての女友達から学んだ」とまで。
「と、いうわけで私は役に立つことをいろいろと知っている。そうしてその役に立つことを普及もしている。が、しかしこれらはすべてひとに教わったことばかりだ。 私自身は・・ほとんど全く無内容な、空っぽの容れものにすぎない」と述べているが、その容れものに、いれるものを、どのように選択し、見極め、自分のものにするかが、そのひとの人間のありようを左右する。

伊丹さんのエッセイにはその具体例が、これ以上ないというほどの的確な言葉を選び、エピソードや会話表現で、語られている。スゴイひとだとつくづく思った。

『再び女たちよ!』はその表紙カバーから、挿絵まで、前作の線描きのイラストと打って変わって、濃密なデッサン画、その技術力の見事さに魅入られずにはいられない。

中でもとりわけ印象深かったのが、『キザ』と題する一文、書き出しのアントン・ウォルブリュックという名に、あっつと思った。戦後初めてカラーの外国映画『赤い靴』を観た母が、どれほどこの俳優にのぼせあがったかを覚えていたからだ。Photo

伊丹さんは、この俳優を見るために、『赤い靴』を九回観たと語っている。そして、ウォルブリュックは見事にキザな男であった、とも。「・・右手から左手にステッキを持ちかえたとみるまに、返す右手でボーイが捧げ持つ盆の上からひょいとシャンペン・グラスをとる、その流れるようなリズム、しかも、これらのすべてを、よくよく注意しなければそれとわからぬくらい、彼はさりげなくやってのけるのである・・・」

キザとはどう表現されるかを、種々のエピソードを交えて語ったあとで、最後に伊丹さん自身が奥さんと共に実践したキザのデッサンが描かれている。ルイ・ヴィトンの鞄をばらして銀座であつらえた、下駄の爪皮の絵。Photo_2


私は今、これらのデッサンの実物を見ることができる、愛媛県松山の「伊丹十三記念館」に行きたくてうずうずしている。

2016年5月 6日 (金)

伊丹十三のエッセイに夢中

せっかく覚えたイタリア語をなんとか保持するために、毎日欠かさず、ラジオのイタリア語講座を聴いている。
四月から、木、金の上級コースが翻訳工房になった。
その教材が、なんと伊丹十三のエッセイ、スパゲッティの正しい食べ方、なのである。
昔、彼のエッセイを初めて読んだとき、その知識の豊富さ、文章のユニークさに驚嘆したのだったが、その後映画監督としてあまりに有名になり、そしてあの痛ましい逝去までの過程で、そのことが脳裏からうすれてしまっていた。
だが翻訳工房で、一語一語、語感をとらえ、文章の流れをたどっていくと、あらためて、構成といい、語り口といい、素晴らしい書き手だったことが歴然とし、イタリア人講師も、感嘆しているのを聞きながら、ぜひ、もう一度読みたいという気持ちに駆られた。

夫が図書館に行くというので、一緒につきそってまずは三冊借りてくる。
『女たちよ!』『再び女たちよ!』、そして『ヨーロッパ退屈日記』

スパゲッティの正しい食べ方の出ている『ヨーロッパ退屈日記』は最後に読むことにして、まずは『女たち…』から読み始めた。そして、あらためて感嘆し、これほど読者の心をとらえ、楽しませるエッセイの書き手はいないのではないか、と思われるほど、魅せられてしまった。

このひとは180センチの長身、ちょっと憂いを含んだ端正な容貌、しかも、美食家で料理の腕も一流、デザイナーとしても凄腕、日本語の漢字の選択にもその博識力から、半端ではないこだわりを持ち、その上、語学の才能もあり、アラビアのロレンスを演じたピーター・オトゥールの友人でもある。だから英語発音の表記も完璧、池澤夏樹氏は彼こそがヨーロッパを基点としたホンモノを伝授した、と称しているが大きくうなずける。しかも全篇にただよう、上質のユーモア、その語り口はときに、断言し、ときに独白し、ときに問いかけ、読者をまったく飽きさせない。

私が大笑いしてしまったのは、『蚊』についての語り。
「しかしほんとにいやな性能を持って生まれてきやがったね、蚊というものは。
 要するに、刺すのは血がほしいからで、いやがらせのためじゃないんだろう?だった
 ら、それならそれで、もっとへりくだった気持ちになれないものかね。たとえば刺され
 たあと、なんで人間が痒い思いをしなけりゃならんのかね・・・・
 どうにも我慢がならんのはあの音であります。そもそも、自分の居場所を人間に知られ
 だけ損だし、第一危険ではないか。なにを考えているのかね、蚊というのは。やること
 が支離滅裂である」

続いてなぜか、見苦しい、聞き苦しいことについて、
「バス・ガイドの車内放送では、文章のあたまにあたまに、なにかこう、小さな装飾音符みたいなものをいれるのがつうとされているらしい。
ゥ右に見えますのは、ゥ富士山でございます。ゥ標高、ゥ三千、ゥ七百、ゥ七十六メートル・・・・」
こういうことを、いかにも「世なれた」という感じでやられると、見ているほうは、ほんとうに身も世もなく恥ずかしい・・・

カバー装画もイラストも彼のもの、目玉焼きで黄身だけ最後に残して食べる図もすごみがあり、滑稽なのである。
Photo


2016年5月 3日 (火)

危うし、ロコモ診断

連休初日、ブリッジトーナメントで対戦したチームメンバーの一人が、右手に包帯をぐるぐる巻きしていてカードを左手でにぎっていたので、どうなさったんですか?と思わず訊いてしまった。
>それがね、テレビのロコモ診断っていうの、やってみたら、転んじゃって、骨にひびがはいっちゃったの。
>まあ、さぞご不自由でしょう、お大事に。

人ごとではなかった。
私もこの『たけしの家庭の医学』を途中からみて、ロコモとは何か?と思いながら、足腰の弱り状態を調べるのでは?と想像しつつ、椅子にあさく腰かけて、片足で立ちあがる、というのをやってみたからだ。
膝が危うい左のほうはやめておいたが、そういう状態ではないひとが、危険を察知せず、試して転んでしまうという事態は十分あり得る。
ロコモとは、ロコモティブシンドロームの我が国得意の日本語化略語、加齢による足腰の衰えた状態を表す言葉。

我が家は夫も私もネコまでもロコモである。
私の膝は最悪の状態を脱したようだ。
一日のブリッジゲームは知力、気力、体力、果たして、耐えられるかどうか神経をはりめぐらせて、以前よりも耐久力があり、足が動いてくれるのを感謝するよい試練の場所でもある。

ともかく、この年齢になるまで生かしてもらえたのだから、ロコモになるのは当然と受け止め、それ以上悪くならないように、くいとめるのが、今の私の務めであると念じている。

そういえば実母はいまのわたしの歳ぐらいのときに、転び、SOSの電話をしてきた。どうしたの?と訊くと、テレビの体操をやってみたのよ・・・・
あのとき骨折し、以後、数年の要介護生活が始まったのである。

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