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2016年4月に作成された記事

2016年4月28日 (木)

購読新聞を、また変更

昨年の二月から産経新聞を購読するようになり、初めは満足していた。夕刊なしではあるが、一般の新聞より1000円安いのに、そのときは内容豊富だと思ったのだ。
だが、近頃そうは思われなくなってきた。
書き手がみなマンネリ化してきている。週刊誌に喝、の花田氏も元在籍していた文春には点が甘く、鋭さがない。
一面の看板記事とコラムの両方を受け持っている、曽野綾子さんもちょっとお疲れぎみ、身辺雑記めいたものが多く、迫力に乏しい。
広告はやたら栄養剤や薬の宣伝が多く、コエンザイム、高麗人参、テレビでもやってるスルスル~!!という下品なパワーものがなんと、一ページ扱い、勘弁してよ、と言いたくなってくる。
夫も毎日不満を述べるようになった。
あまりにも誹謗を秘めた記事が多すぎる。経済面が充実していない、など。

結局、夫の希望を通すことになり日本経済新聞に変更。
経済は苦手、興味もないし、さぞ株価だの会社の景気だのの、記事満載で、主婦の読むとこ少ないのでは、と想像していたら、違ったのである。
夕刊が充実しているのに、驚いた。
経済記事も見出しが巧みなのでわかりやすいし、住まい関係は園芸にまでおよび、プロムナードというエッセイ欄は幸せについて、一般市民の本音を小気味よくとらえ、震災の被災者の方々になにができるかを、真剣に語り、読ませる。
広告も連休の都内ホテル情報、地味ながら注目すべき出版社の本まで、抑制の効いた並べ方。
その上マウリツィオ・ポリーニのコンサート評まであって、思わず、おお、と叫んでしまった。

そういえば、実家の近所の一番の美人は日本経済新聞社のひとに嫁いだっけ、など、ふと思い出してしまったほどだ。
夫も毎朝、朝食時に、上機嫌で読んでいるし、変更してよかったと思っている。


2016年4月23日 (土)

『とと姉ちゃん』にクレーム

今回のNHK朝ドラ『とと姉ちゃん』が気に入っている。

主題歌がいい。「宇多田ヒカルはやっぱり凄かった」という記事を見つけたが、同感である。
思わず口ずさみ、花束をきみに、涙色の~を、花束をきみに・・・のところだけ覚えたが
中間を歌えるようになるのに、ひまがかかった。でもいいメロディである。
主人公の常子役、高畑充希も好きなタイプ、登場人物も芸達者が多く、これからが楽しみ。

なのに、あの祖母役の大地真央が何としても違和感である。
初めて出てきたとき、思わず「ええっつ、何これ!」と叫んでしまった。
まるで娘の木村多江のほうが年上に見える。なんであんな容貌にしているのだろう?メイクはどう見ても、三、四十代、それにあの髪型、どうみてもウイッグ、ウイッグしていて、とってつけたようなウエーブがヘンである。
あれは、本人の強い要望なのだろうか? 演技がド迫力なだけに、ますますの違和感だ。

それに比べて敵役の秋野ヨウ子(ヨウの字がクリックしても出ない)はメイクも見事だが、足がくたびれかけた歩き方といい、演技もすご味がある。
見直した。研鑽をつんでいたのだ。

先回の『あさが来た』の成澤泉もそうだが、NHKは視聴者の気持ちをそぐような変な人物像を登場させるのが腹立たしい。

2016年4月22日 (金)

精根つきはて・・・

ブログの記事に写真を挿入するのにあまり失敗したことはないのに、今回、食べる楽しみと題して、おいしいヨーグルメイトというヨーグルトを見つけた話と、ユニオンチャーチの帰り、「うらはら」と称する原宿の裏通りで軽食を取ろうとして見つけた、アジアの屋台料理を食べさせる店(Chao Chao Bamboo)で、白いご飯に三種のせ、サラダ、スープ、ジャスミンティーつき810円という、野菜中心のおいしい惣菜、大満足と書いて、写真を挿入しようとしたら、写真の大きさが間違っていたので、挿入しなおし試みると、どういうわけか、写真が入らなくなり、そのうちウエブ時間制限切れの表示が出て、消えてしまった・・・ああ!!

もう一度書きなおす気力なし・・・腰と膝が痛い・・・

写真だけ、もう一度トライ、それで寝ることにします。

Photo_2


Chao_chao_bamboopng2_2


Chao_chao_bamboo

2016年4月17日 (日)

熊本大震災

地震発生の夜、東京でも小さな地震を感じたので、ふと、テレビをつけてみたら、はるか遠くの九州で震度7を超す大地震が起きていたことを知ることになった。
夜とあって、がれきが散らばる道路ぐらいしか写されず、被害のすごさは見えなかったが、翌日早朝、再びテレビをつけたら、そのすさまじい惨状、地中の怒りがほとばしり出ているような、自然破壊力の恐ろしさを映し出す画面に驚愕した。
熊本城の加藤清正が築いたと言われる石垣がくずれ、金の鯱はもぎとられ、瓦がはげた無残な姿、ゆがんで今にも崩れ落ちそうな市役所の建物、道路の亀裂、壊滅寸前の木造民家、生き埋めになった人々を救いだそうとしているレスキュー隊の奮闘ぶりなど、この地震、尋常ではないという不安におそわれたが、余震はなおも続き、200回余という驚異的な数字を知らせつつ、一夜おいて、未明に,今度はこれでもか、とばかりの本震がおそい、大分県までまきこんで、阿蘇の噴火をも引き起こした。
恐ろしかったのは土砂くずれで、阿蘇大橋が破壊され、その姿もなくなってしまった情景、道路をふさぐ土砂の山、阿蘇神社は完全に崩壊し、重要文化財の楼門も倒れていた。

インタビューに答えるひとたちは、抑制の効いた態度で、感想をのべる。「いろいろ問題山ずみだけど、みな同じだから・・・」とほほ笑む老婦人、阿蘇神社のそばに住む女性は自宅があぶないという恐怖より、この楼門を毎日眺めていたのに、と顔を覆う。
「自衛隊さんありがとう」と言う余裕の感謝の言葉もあちこちで聞かれる。

東日本大震災のときも、外国人がこういう日本人の沈着ぶりを絶賛していたが、今回も大きくうなずきたくなる場面が多かった。
日本人は立派だ、運命を受け入れ、耐えるということを見せてくれる。

熊本県人吉市には夫のいとこ達が住んでいる。電話は通じ、震度は4で、大丈夫だったという返事に安堵した。

今日17日のテレビでは、夕べ、雨が降る中、屋外に段ボールをしいて毛布にくるまれ、眠るお年寄りの寝顔を写していたし、体育館の中はプライバシーを保つことはまず、無理なほどの混雑ぶり、万と言う数字の被災者、医療の必要な人の数、千を超すという信じられぬほどの災厄。

場所が違えば、自分もそのうちの一人だったかもしれぬことを思えば、わたしたちの代わりに、この未曾有の災害に耐えている方々に、交通が復旧し、どうか一日も早く安らかな眠りを、と、ただ、ただ、祈らずにはいられない。

2016年4月11日 (月)

ジョルジョ・モランディ展に想う

このところ記憶力の衰退で、著名な欧米人の名をとみに忘れがちであるが、ジョルジョ・モランディの名だけは、鮮明に覚えている。
いまから12年まえ、三度目のイタリア一人旅、ボローニャに一週間ホームステイしたとき、到着後ほどなく訪れたときの、モランディ美術館の鮮烈な感動がそれほどに大きかったからである。

今回、東京丸の内のステーション・ギャラリーで開催されたジョルジョ・モランディ・終わりなき変奏と題された美術展に、あのときの感動をよみがえらせたくて、膝の危うさをかかえながら、訪れたのだったが、よりすぐりの作品が並んでいた現地の美術館の展示の鮮烈な印象には及ばず、物足りない思いを抱いてしまった。

2004年、当時のモランディ美術館はオレンジ色の市庁舎の建物の三階にあったが、ブラマンテが設計したという、優美な階段から直接上がれるようになっており、着いたところはまた中世の素晴らしい天井画のある大広間で、ガラス戸を入ると、一転して近代絵画の粋とも言えるモランディ芸術が広がるという、構成にまず度肝を抜かれた感じがあった。011

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色調は地味だが、一度見たら忘れられない、静物像の静寂の美、とりわけ、なつかしさを覚えながら、惹かれたのは、花をモチーフにしたデッサン、と水彩の風景画、というのも、画家志望をあきらめ、銀行員になった私の実父が水彩画を趣味にしていて、静物や風景のデッサンや色の好みに、共通するものがあるように思われたからだ。001

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父が生きているあいだに、このボローニャのモランディ美術館に連れてきたかった、と思ったら、ふいに涙がとまらなくなって、感傷にふけりながらの、鑑賞は、より感動を大きくすることになったのだった。

2012年、モランディ美術館は移転して新しくなったという。圧倒的にマリア像や宗教画を主とする、文化遺産を展示する美術館の多いイタリアという国に、近代絵画の至宝のような存在であるモランディをボローニャ市がいかに重んじているかを、示す事実ではあるが、それでも私は、あの市庁舎の中にあったモランディ美術館の存在美が忘れがたいのである。

2016年4月 7日 (木)

植物の恵み

今年のミモザは哀れだった。わずか、数個の花をつけただけに終わった。
まるでこの樹を選んだ主の体調の悪さを象徴しているような風情。
でも友人の話では、どこのミモザも昨年ほどではなかったという。今年は三寒四温の激しさで、花の咲き具合に異変が起こっているのでは、と想像したりした。

モッコウバラも陽当たりのよいところがほんの少し花をつけただけで終わった、と悲観していたら、しばらくして数えきれないほどの細かい蕾がついているのを発見して、安堵のため息が出た。009


そしてウッドデッキのプランターの、名を忘れるほど長く咲かなかった小さな苗も半年ぶりくらいに蕾をつけているのを見つけて、また励ましをもらった。006


そうこうしているうちに、もう四月、タケノコがでまわっている。大好きな筍ごはんを炊かなくては、とあせる。でも山椒の葉がない。もしや去年苗を庭の隅に下したのが、根付いてくれてるかしら? 祈るような気持ちで探したら、なんと沈丁花の下に立派に葉を茂らせていてくれた。015


雨の中、スーパーではなく、隣の駅の青果店まで出かけて、信用できるしっかりしたタケノコを買い、無事に今年一番の筍ごはんを炊いたのだった。


2016年4月 5日 (火)

不可解なこと

一昨日、日曜のブログアクセスは600もあって、いつもの二倍以上、カーブスに関心があるひとが余ほど多いということなのか。
だがあの記事を書いてから、数日経っているわけだから、日曜に限ってそれほど増えるというわけがわからない。カーブスに来ているひとたちは、ほとんど主婦、しかも中年以上が圧倒的に多いというのに。不可解である。

不可解なことはもうひとつ。
一カ月以上まえ、夫は背中に発疹が出てかゆくてたまらないと言った。老人性乾燥肌の掻痒症は前からあるので、驚かなかったが、発疹の赤みが強いような気がしたので皮膚科に行くことになった。
D病院の皮膚科はわたしもかかりつけで、その日は頭の中のカサブタを診てもらいにいくことになっていた。
着いてみると夫のすぐあとの順番だと分かったので、中に入った。女医さんは深刻な顔つきで、これは疥癬と言って、ダニが原因です。奥さまにもうつっている可能性がありますから、飲み薬を三錠のんで、この薬を体中に塗ってください、と言い、横文字だけで書かれている、チューブの薬を手渡された。症状が出るのは一カ月後だということだったし、わたしはそれでなくても膝痛で体調が芳しくないとき、すぐに塗るの無理だと思った。

ネコを飼っている、と言ったら、ダニがいるかも知れないということで、チャイまで獣医に連れていくことになり、夫の部屋はとりあえずバルサンを焚くことになって、息子がビニールシートを買ってきて、薬がしみこむと困るところを覆い、バルサン専門、チャイのほうは娘が車を出して連れていくとくことになり、一家総動員となった。

結局、チャイは無罪、夫だけが忠実に薬を塗って様子をみたのだけれど、かゆみはおさまらず、しかも手と足がただれたようになってきて、恐ろしいほど、かぶれのひどい状況になり、再度医院にかけつけることになった。

あの塗り薬は医師から直接手渡されたということは、薬局を通さない、海外のもの、ネットで検索してみたら、インド製で、副作用があり、使用するときは要注意の項目が数個あった。わたしは塗らずにいて正解だったと思った。

夫の診察日にはわたしも付き添い、塗り薬をネット検索したことを言って、こんなかぶれが出る薬は恐ろしいから、使わない、ひきとってほしい、と言ってみた。同居している息子さんにも、と二個も渡されていたのだ、一個2000円也の高額塗り薬である。
医師は夫の症状を塗り薬のせいにしたくないらしく、飲み薬が合わなかったのでしょう、とか言っていたが、塗り薬は領収証を渡してくれれば自分が引き取ると言った。
夫に別の医院に行くことをすすめたのだけれど、それはしたくないと言い、まだ通っている。かぶれはおさまったけれど、かゆみはまだある。アレルギーのせいだろう、花粉症がおさまれば治るさ、というのが彼の意見。被害者の彼のほうが冷静で、付き添いのわたしのほうが興奮していた。

あれから一カ月以上経ったけれど、わたしは症状まったくなし。
あの大騒ぎはなんだったのだろう。

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