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2015年11月に作成された記事

2015年11月29日 (日)

ある日の意識の流れ

娘から電話があった。孫娘が来年成人式を迎えるので、着物を着せて記念写真をとりたいのそうだ。
あたしのときの着物、まだあるかしら?
わかった、探しとくね。
やすやすOKを出したが、探すのが大変だった。
わたしのクローゼットはわずか三畳、一番奥に和ダンス、その横のポールにぎっしり、ハンガーがぶるさがっている。タンスに直角にまたポールがあって、そこにもやがて必要になるコート類のハンガーがぎっしり、その下にはすでに着なくなった春夏ものを入れた衣装箱が二つ積み上がっている、というわけで、タンスの引出しを探すのは容易ではない。
ハンガーを半分ほどおろし、衣装箱を外に出して、引出しをあける。わたしの左ひざの後ろはあいかわらず痛むので、しゃがむのがつらい。ところが振袖は一番下に入っていた。着物と帯と長じゅばんを出せばよいというものではない、帯閉め、帯揚げ、半襟、肌襦袢、腰巻、着付けに必要な小道具一式、やっとのことで全部そろって、やれやれ。

ともかく、探し出したことを伝えようと、娘が仕事から帰ったころを見計らって電話する。
自宅の電話が通じないので、携帯も呼び出したが、これもダメ、三度目くらいに、ようやく自宅の電話に出た娘はひどく機嫌が悪かった。
これから食事なのに、メールってものがあるじゃない、どれだけ忙しいかわかってるんでしょ・・的なことをいらだった声で言うのを聴くのがいやで、わたしは受話器を下した。
探し出した着物のこと、着付けはわたしが元気なときならやってやれないこともないけれど、いまは体調不全で無理、当てがあるから、そのひとに早く予約を、ってなことをメールでながなが打てない、PCのメールは見ないこともあるので、携帯となると、こんな長メールを体調不全なときに打つのはしんどいのである。
翌日の夕方、わたしは猛烈な腰痛におそわれはじめた。思い当るのはこの振袖探しの労働である。

テレビをつけたら、原節子追悼番組で『東京物語』の、葬式場面が映し出された。末娘が実の兄や姉が自分勝手なことを言ったあと、早々に帰ってしまったことに不平をもらす。
戦死した次男の嫁役の原節子が言う。「みんな自分のことが大事になってくるのよ」わたしは身につまされて、涙があふれた。それに、香川京子以外の主な俳優は全員この世にいない。しかも東山千栄子演ずる母親の享年は68なのである。わたしはそれよりも九歳も年上でまだ生きている。
最終場面の列車の中、物思いに沈む原節子の表情がきわだって美しかった。このひとの大輪のバラが開いたような笑顔をどれほど好ましく思ったことか。
『東京物語』はやはり後世に残る傑作である。
なにげないせりふが半世紀以上たった今でもこれほど、身にしみるのだもの。

2015年11月25日 (水)

刺し子の最高峰

11月前半は体調が安定せず、刺し子やミシン仕事は手につかなかったので、ミシンはもう半月もデスクに出しっぱなし状態。
けれども、刺し子の師、マエストロの吉浦和子先生が三度にわたって、ご自身の作品を展示される催し物にはがんばって訪問し、堪能し、あらためて女性の手仕事の奥深さ、布地を針目が動いて、あらわす変幻自在な模様をこころが癒される思いで見つめなおすことができた。

南大沢の花つなぎ会の展示、子供がテーマという、キルトと刺し子作品だったが、吉浦先生の刺し子ヴァリエーション、幾何学模様に様々な工夫が凝らされ、独特の美をうみだすさまに見とれた。001

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そして東浦和の、「ギャラリー季」での、籠作家政木妙子さんとの二人展、蔓や樹皮を使って編まれた籠やアクセサリーと、吉浦先生の刺し子作品は、女性の手による、これほどの創造力をもって作り出された作品類の頂点とも言うべき展示物ぞろいで、両者は見事に調和し、その場所にずっと立っていたいと思うほど魅了された。006

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政木さんの籠類は四万円以上、平均七万円ぐらいの高額だったが、三十年使ってますます貫録ともいえるほどの色調を増す作品とあって、購入する女性客も多く、今注目の作家であることをあらためて認識する。わたしは彼女のブローチを買った。

吉浦先生の作品をどうしても手に入れたいとかねてから念じていたが、この日、グレーのトートバッグを購入することができ、最高の喜びだった。グレーの柔道着の生地にアップリケされた、米刺しの刺し子、裏側にもアップリケがほどこされている。
眺めれば眺めるほど、心楽しくなるのである。014

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2015年11月21日 (土)

そのあと

ツアーを抜けて、もう一度家に電話してみた。夫は少し落ち着いた声音で、熱はない、大丈夫だから、急いで帰ることないよ、と言った。
それなら、ここまで来たのだ、やはり浅草にしかない、あの、買い物をしていこう、そう、日之出のおせんべい。
トイレに行ってから、タクシーに乗る。もともと、ツアーで浅草休憩一時間あると聞いていたので、そのとき、買いに行くつもりでいた。でもあの状況で待っていたのでは、休憩が短くなるのは必至である。無駄をしたようでも、そうではない、と自分の判断をよしとすることにした。
雷門まで行ってもらって、国際通り近くまで歩くこと十分余。日之出はオープンしていた。焼き立てを購入。店のひとに訊くとここはむしろ、浅草の手前の駅、田原町に近いとか・・教えられたとおりに歩く。
歩きながらスカイツリーで鬱積していた気分が晴れているのを感じた。そして思った。やはりわたしは一人旅が性に合っている、大勢に合わせて行動することが向かないのだ、と。

通り過ぎようとした裏通りの入り口近くにしゃれたウインドウが目に入った。飾ってあっためずらしい編み目のベージュのカーディガンが、どうしても試着したくなって中に入った。ほかにも色違いの製品が二、三あって、澄んだ目をした初老の女性が応対に出てきた。値段が一万円をはるかに切る安さだったので、驚きながら試着したあと、なおもラベルを調べていると、彼女が言った。「お客様の年齢の方はウール100%にこだわられるようですが、この製品のように、アクリルやナイロンが混じっているほうが、虫に食われる心配もないし、お洗濯も簡単、軽くて丈夫なので、いまのような突然暖かい日があるような時期にぴったりなのです」なるほど、わたしは目を覚まさせられたような気がして、このやりとりを貴重に感じ、この店員の自分の商品選択への自信と知恵に好感を持ち、買う気になった。

違う浅草を経験したのに心がはずんで、順調に帰宅、五時過ぎに着いた。夫は咳はひどかったが、階下まで降りてきて、腹がへった、と言い、自分でインスタントのお汁粉を作ろうとしていたので、おかゆを煮るつもりだったのだけれど、お餅を二つ焼き、それが夕食がわりになってしまった。野菜不足にならないように、キュウリの糠漬け、ベッタラ、京都のしば漬け、などいっぱい添える。
見ていたら、わたしも食べたくなったので、夕食は急きょ、お汁粉になってしまった。
我が家の夕食はますます手抜きになるこのごろである。

食べ終わって、日の出桟橋で一緒に写したスナップを添付し、ツアーに誘ってくれた友人へ、詫びをこめたサンキューメールを送信した。

2015年11月18日 (水)

一日ツアーでわかったこと

最寄りの駅バス乗り場集合の『築地のお寿司と隅田川ラインで行く浅草、東京スカイツリー』の一日ツアー、旬の情報キャッチにすぐれた友人にさそわれ、参加した。
新宿や東京駅じゃなくて、最寄りの駅バス乗り場集合が気に入ったからである。
お天気もよく、交通渋滞もなく、バスはすいすい進み、いまの東京風景の変貌も物珍しく、午前中は快調だった。
築地に着き、あまりの人混みにちょっとびっくり、ウイークデイなのに、歳末もどきである。あちこちで、隣国の言葉がとびかっていた。

隅田川ラインの日の出桟橋がすっかりモダンに美しく変身していた。002


行き交うボートも宇宙船みたいなものや、大型屋形船のようなものもある。ここのクルーズは初めてではない。
二十年まえは浅草にくわしい友人といっしょ、十年まえにはイタリア人をガイドして乗ったことがある。
今は隅田川まで美しくなったみたいで、河畔にあったホームレスのひとたちの青テントも消えていた。
下船したとき、家に電話してみた。夫が朝、喉がムズムズすると言っていたからだ。ひどい咳が聞こえて、帰りにアクエリアスを買ってきてほしいとかすれ声で頼まれた。
これは浅草あたりで、早めに帰った方がいいかもしれないという思いが頭をかすめた。005


そして着いたスカイツリー、入り口で茫然とした。人であふれかえっている。まず無理やり並ばされて記念写真をとらされ、一枚千円以上する予約券を渡される。
エレベーター乗り場は、四重ぐらいの行列、乗るのに三十分かかる。着いたのが五階、そこから天望回廊までわずか50秒が売りのエレベータに乗るまでがまた十数分、ようやく着いた回廊、上からの眺めは富士山も見えぬ、イマイチ展望で、帰りはエスカレーターでスムーズかと思ったのに、これがまた、人数制限ありの、のろのろ状態、ともかく人が多すぎて、往きはともかく、帰りの降下手段情報説明が十分ではなかったので、指定の集合時間に到底間に合わぬことにイライラドキドキ、結局、50秒で上がったところを、今度はエスカレーターとエレベーターで降りるので、やっと着いたところがまだ五階と言う具合、店をのぞくひまもなかった。009


集合時間を三十分過ぎても、参加者は戻って来ず、このままでは、もよりの駅に帰りつくのは当初の六時半をはるかに過ぎて七時を過ぎるのでは、と想像できたので、夫のことも心配だし、事情を添乗員に話して、一人抜けて帰ることにした。

スカイツリーが完成し開場してから三年も経ったいま、平日の入場がこれほど混むとは想像していなかった。それだけ都内の観光事情が激変しているということだ。
高齢者が東京名所に出かけるときは、そのことを考慮に入れて体調管理をすることだと、つくづく感じた一日であった。

2015年11月15日 (日)

年齢なみの体調

イタリア旅行のあと、咳から始まる風邪をひき、一週間かけて治したのだが、十月はほとんど一日おきに出かける日程で、疲れはたまっており、つい先ごろ、また、喉が怪しくなったので、いっそ、荒療治とばかりに、泳ぎにいったら、肩こりも喉のはれもとれたのだけれど、疲れそのものははらいのけられなかったらしく、出先でふいに鼻水が出て、鼻かぜになり、帰りに運よくホームドクターがオープンしていたので、薬をもらって、翌日ひたすら眠り、その翌日、ブリッジトーナメントをなんとかこなし、鼻水から咳になったのを、おさえにおさえて、きょう、教会をやすんで、寝ていたらだいぶよくなってきた。

夫が言う。77歳にしてはきつすぎるスケジュールだぞ、自分の身体なんだから、用心しろよ、と。
料理する気になれないほど、しんどい、と言ったら、わたしのレシピどおりにスープをつくってくれた。トマトの皮むきまではめんどうだったらしく、皮があちこち浮いていたけれど、味はよかった。でも彼の好みじゃないので、オレ、納豆でいいから、と言って、賞味期限ぎれの納豆たべそうになったので、それやめて、なんか代わりを、と言ったのだけれどどうせ、納豆なんてもともと腐ったものなのだから、いいんだ、と言って一か月前のを食べてしまった。
それをブリッジパートナーに話したら、なんていいご主人なんでしょ、とほめてくれたけれど、わたしのレシピのスープが好みじゃない、というのも、困っているのだ。
高齢男性は我を曲げない。合わせ方がむずかしい。ああ~・・・

でも、ここまでなんとか無事にこなせて、感謝しなければ、今年でいろいろな趣味も整理して、来年はもっとゆったり暮らそうと、思う。


2015年11月11日 (水)

『ノーサンガー・アベィ』のJJ・フィールド

ある日の午後、なにげなくイマジカBSにアクセスしたら、わたしがもっとも好む十九世紀のイギリスのドラマの一場面が映し出された。
好ましいヒロインとパートナー、もしやと思って検索するとやっぱりジェーン・オースティン作品、日本には未公開の『ノーサンガー・アベイ』、もう目が釘付けになって、最後まで見終わった。Photo

とりわけこの男性の主役が素晴らしい。目の大きな立派な顔立ち、響きのいいバリトン、美しいクイーンズ・イングリッシュに聞き惚れる。Photo_2

だれなんだ、一体?
検索したらJJ・フィールド、主役より脇役を好んで出演している俳優だとわかった。母親がアメリカ人、父親はイギリス人の学者で、のちのBBCのプレジデントという良家の育ちらしい、品の良さが演技のはしばしにあらわれる。Jj

何より目の表情が素晴らしい。じっと見つめる美しい凝視、上目使いのからかうような視線、怒りを潜めた迫力ある視線、そして屈託のない笑顔はなにか思いがけないプレゼントをもらったような爽やかな気持ちにさせられる。
観終って、録画し、またその眼が見たくて、十回ぐらい録画再生した。

この作品、実はオースティンの処女作、出版は後れたが、彼女の世界の魅力的な要素がすべて詰まっている。

聖職者の家に生まれたヒロインがバースの社交界にデビューし、富裕は家族の息子で聖職者のヘンリーと知り合い、恋に落ちる。彼の生家である、ノーサンガー・アベイという名の屋敷に招かれ、紆余曲折のストーリーが展開、最後はおなじみのハッピーエンドだが、当時流行ったゴシックロマンの風刺などもあり、物語の完成度にかけては『高慢と偏見』には及ばないが、華やかなストーリー展開は充分見応えがある。

自分の年齢を忘れて、恋の行方に見入ってしまう、ジェーン・オースティン作品の魅力は、現在の英国でも健在でジェーン・オースティンクラブというのがあって、雑誌も出版されているというから、年代を超えたフアンの存在感は確かなものなのだろう。

映画化されて、しかも肝心の男性の主役がかくも魅力的であるとなれば、この録画はもう永久保存ものになってくるというものだ。

2015年11月 8日 (日)

オハイオスターのキルト

国際婦人クラブCWAJ版画展六十周年記念の年、クラフトクラブでは、なにか記念になるものを制作しようと相談し、五月ごろから、パーツを持ち寄ってキルトをつくることになった。デザインは浴衣や、日本手ぬぐいのブルーとホワイトを基調として切り抜き、縫い合わせるオハイオスター、それを各自二枚以上つくり、つなげたあとの、周囲の刺し子をほどこすことも、回り持ちで受け持つこととなった。統一して、つなぎ合わせをするという最終調節は、リーダーのOさんの努力と技術力に頼ること大だったが、仕上がりはすばらしく、それを版画展最後の福引きの賞品の一つに加えたことで、一段とイヴェントに花を添えることができた。Raffle_quilt_4


幸運を引きあてるのは誰かというのが、だれもの関心の的であったが、知らせがあって、以前の会長のひとり、この記念行事のためにわざわざ来日している、アメリカ人ということで、朗報であった。

キルトの盛んな国に、この作品が紹介される機会は多々あると想像できるし、オハイオスターというアメリカの州名のついたデザインであることも、友好の意味を大きくするのでは、と期待できそうである。

2015年11月 4日 (水)

文化の日のショッピング

毎年恒例の教会バザーの日、いそいそと出かける。去年も、バルマンの綿毛布が1500円で買えて、一年中愛用することになった。
そして、今年もお買い得を沢山購入、満足した。
まずは福島からのワカメ、トロロ昆布、焼き海苔、占めて1600円、手作りケーキ、三個300円、インド直輸入のカルダモンの紅茶、900円、地下におりて、駐車場に広げられた雑貨類、革製の写真立て100円、竹ざる100円、クローゼット用防虫剤三個入り200円、大判白封筒100円、慶事用封筒100円、そしてなんと、なんとバーバリーのひざかけ1000円、最後に掘り出し物、今年は未使用の衣類が出ていて、紫のインナー500円、ずっとほしかったテンセル素材のもの。

わたしは手作りのレーズン、クルミ入りチョコケーキを二十袋持っていったのだが、久しぶりに大型を焼いたので、火加減イマイチで悲観していたのだけれど、とてもおいしかったわ、と同級生の会員から電話をもらって、恐縮しながら、感激した。

昼食用に買った竹の皮に包んだ中華ちまきも、おいしくできあがっていた。

収益金は東日本大震災の被災教会に献金することになっているが、かなりの成果があがったのでは、と期待している。

2015年11月 1日 (日)

プチン、プチンと・・・

同年代の女性が集まるところで、彼女たちの襟ぐりに目をとめることが多い。そしてきれいで、つるっとした襟元の肌をうらやむのである。

六年まえごろから、首の下両側にポツポツとしたイボ状のものができ始め、そのときは皮膚科に行って、簡単にとれますよ、言われ安心したのだが、何と、マニュキア用のような細い鋏でプチンプチンと先っぽをちょんぎられたのにはびっくりした。
ほんの数個足らずだったから、瞬間の痛みで済んだのだが、最近になって、繁殖しはじめ、かゆかったり、ヒリヒリしたりするので、これは放ってほけないと、また、皮膚科に出かけた。
あのときと同じ中年の女医さん、ぱきぱきの物言いを、わたしは気に入っている。
なんだか、イボガエルみたいに増えていて恥ずかしい、とオズオズ言うと、先生、大丈夫ですよ、そういうひと大勢います、となぐさめてくれる。
じゃ、切りましょうか、と言われ、わっつ、こんなに沢山、両側で二十個近くあるのに、麻酔なしなのかとそれを問いかける間もなく、もう始まってしまった。
一個一個スゴイ痛さが走る。それはそうだろう、変形しているとはいえ、肉の先っぽなのだから。ああ、拷問されてるみたい・・・

さあ、きれいになりましたよ、お風呂入って大丈夫、あと、あと軟膏すりこんでおいてください、と感染症予防軟膏の処方箋が出た。
瞬間の痛みはモーレツだったが、赤く腫れているとはいえ、そのあとの痛みは起きていない。
赤い水玉模様のような襟元、痛々しいなあ、など、夫は同情してくれる。
歳のせいで、治りが遅いのか、赤みはさっぱり薄まらない。
けれど、いつか襟あきを気にせず、着替えできる日を夢みながら、わたしは、毎日鏡をのぞきこんでいる。

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