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2015年10月に作成された記事

2015年10月26日 (月)

裏磐梯の紅葉

ある時期付き合いが途絶えていたのだけれど、共通の趣味である、ブリッジゲームで再会した友、一緒に旅行しようという話になったのは、二人が中高一緒のクラスで過ごし、多感な時を共有している強い絆ゆえか、話しだすと、思い出話が尽きないのである。彼女は来年四人目のお孫ちゃんが生まれるとか、で、ゆっくり遊べるのはこの秋こそ、ならば、紅葉でも見に行く?という話になって、二人共行ったことがない場所を探し、裏磐梯に行くことになった。
ツアーだと、時期が時期だけに、たった一泊でも六万円以上、そんな!!高すぎ。
二人でプランする個人旅行ならずっと安く行ける、ということになって、わたしがホテル探し、彼女は交通担当、連携手配はうまくいって、ホテルはちょっと高級だけど、皇室のご利用で定評ある裏磐梯高原ホテル、東北新幹線8時56分発、郡山で磐越西線乗り換え、これが猪苗代まで一時間一本の接続の悪さだったけれど、11時30分、ホテルのシャトルが迎えにきて乗ること四十分で五色沼入口に到着。003

二時間で回れるという五色沼のトレッキングに挑戦。「大変じゃありません、ハイキングコース程度です」と聞いていたのだけれど、木道をたどったあと、やはり山坂の上り下りあって、休み休みはしたが、一度に一万歩以上、少々疲れ気味。007_2

エメラルドグリーンはあざやかだったが、五色区別できるほどの、色に差はない。「今年は黄色が目立っています」という紅葉のほうはこの日がまさに盛りと思われる美しさで、目が和んだ。005

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そしてホテル到着、正面ロビーの総ガラスに広がる弥六沼の澄んだ水面、沼そのものをとりこんでしまったような中庭の風景、圧倒的な自然美に思わずため息。018

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入れたてのコーヒーや紅茶、飲み物充実の図書室は蔵書の選択の良さに目を見張る。紅葉の時期のみならず、一年中利用客が絶えないという人気もうなずける。
夕食のフレンチもフルコースで多すぎないかと思ったが、量の配分も見事なもので、どれも味すこぶるつきのおいしさ、満足した。
美肌効果抜群というここの温泉、暑すぎず、ぬるすぎず、いつまでも浸かっていたいと思うほど、トレッキングの疲れは完全に抜けた。

翌日の和定食の朝食は残念ながらあまりおいしくなかった。凝り過ぎなのである。具だくさんの煮物やつくだ煮など、豆腐もゴマ豆腐のようなもの、干物には大根おろしなし、漬物がなかった。和の朝食は焼き海苔、玉子焼き、干物かシャケ、ヒジキやきんぴらなどの常備食、味噌汁、漬物という簡素だが、味を厳選したものであればいいのに。

その日は近くの檜原湖遊覧、030


そのあとはまたホテルバスで送ってもらって、猪苗代の駅で待ち時間二時間。せっかく来たのだから、猪苗代湖に行ってみることにした。
日本で四番目の大きな湖なのに、不思議なことにこれが電車から見えない。猪苗代の駅からバスもなし、タクシーで行くしかない。往復五千円もするのだけれど、二人ともどうしても湖が見たくなってしまったのだ。
着いた場所は土産物店もホテルも一軒だけ。さびれている場所。夏はそれでも、キャンプなどでにぎわうらしいが、駅の名前まであるのだから、もっと開発すればいいのに、と思ってしまう。038

湖は海のように大きい。砂浜もある。水鳥が泳いでいて、癒しの水辺である。ここまで行き着く手段がないなんて、ほんと残念、裏磐梯ではリゾート開発の才人星野氏が手掛けたホテルを見かけたけど、あまり混んでいるようではなかった。星野さん、猪苗代こそ開発すべき場所ではないですか、と言いたくなってしまった。


2015年10月21日 (水)

青天の霹靂

我が家の息子との関係は相変わらず、コミュニケーション不足で、会話もなく、もうこんなものかと、あきらめの境地でいたら、思いもかけぬことが起きた。
息子が私の部屋にやってきて、一週間先の日曜に友人を家に招きたいので、夕食をごちそうしてほしい、と言うのだ。
わたしは、まさか、とは思ったが、それって、もしや女のひと?と尋ねると、そう、とうなずいたので、腰が抜けるほどびっくりした。
しかも、日本語を話さないひとだから、英語でお願い、と言うので、またもやたまげて、一体どういう付き合いで、どこの国のひとで、何をしているひと、とか、もう質問したいことで頭が破裂しそうになったが、そんなら、やめた、とでも言われたら、大変なので、その場はぐっとのみこみ、わかったわ、とだけ言って、夫と相談することにした。

夫に聞きだしてもらってわかったのは、企業のパーティで知り合った某アジア国の公務員の管理職をしているひと、付き合いはもう五年になるという。二人のあいだには距離と言う難題があるから、まずは友だちを紹介すると思ってくれ、とのことだった。

息子はとみに髪がうすくなってきていて、お腹も出はじめている。見た目がすべての日本人女性の対象になる容姿ではない。そんな彼の良さをわかって付き合ってくれているひとが一体どういう感じのひとなのか、どう考えてもイメージが浮かばない。そのモヤモヤをつとめて考えないようにしながら、ともかく、ディナーの準備にかかった。夫が得意のフレンチ風ドライカレーをつくるというので、わたしはマッシュルームスープと野菜サラダ、そしてデザートにマチェドニア(イタリア風フルーツポンチ)

当日あらわれたのは、180センチ近い息子の肩ぐらいまでしかない、どちらかというと小柄でほっそりした女性、まさしく今の彼にこのイメージがぴったりだったのかと、合点がいく知的なタイプのひとで、美しい英語を話しながら、娘や孫たちにまでかかえきれぬほどのお土産をたずさえて登場した。

二人で箱根に行った、ドニゼッティのルチアを観た、など、驚きの事実が続出、最後まで話題が途絶えることなく、座は和み、料理も好評、彼女も両親と暮らしていて、息子と似通った家庭状況らしく、しょっちゅうメールを交わしていて、私たちの情報はほとんど正確に伝わっていた。

長生きしていると、こんなこともあるのだ。人生最後まであきらめてはならない。息子が寂しい中年でないことがわかって、安堵した一日であった。

2015年10月14日 (水)

一段落の日

孫娘のトロンボーンリサイタルは新大久保の楽器店ビルの地階ホールであった。
杖をついて歩く夫との歩調が合わず、何度も立ち止まりながら、薄暗い細い路地の奥まで進む。こんなところに、そんな場所があるのだろうか、と半信半疑になりつつ、ようやくそれらしいところに着く。二、三人待っていたが、座るところもなく、開場まであと二十分もあるというので、近くのカフェでコーヒーを飲むことにした。百人ぐらい入るというホール、夫は五十人がいいとこじゃないかと言ったが、ともかく無事に終わればいいのだ、と思った。

三十分ぐらいたってもどってみると、驚いた。満員なのである。補助椅子まで出ていて、立ち見もぎっしり。孫娘の奨学金の保証人である、息子が最後尾の壁によりかかれるところに席をとっておいてくれたので、座る。孫息子はきれいなガールフレンドと一緒だった。
驚くことばかりだ。
孫娘はマイクを持ち、まず大学二年でリサイタルが開けたことの感謝の言葉から始めた。上がっている様子ではなかったけれど、”天然“という彼女のあだ名の通り、「あの、ええと、それで」など、とつとつとしたしゃべりようが、好意的な笑いをさそい、場内が和んだ感じだった。高校と大学、両方のコンクールで優勝したときの課題曲を「きょうはリラックスして吹きます」といって演奏した。上下に変容するテンポの速いフレーズが含まれていたが、おかしな音も出さずにこなした。

娘が車できていて、送る、と言ってくれていたのだが、孫娘と言葉を交わすために並んだ人の列があまりに長く、夫は咳き込みそうになって、息子から水を渡されたりしていたので、わたしたちは、タクシーで帰ることにした。
オレたちの出番は終わったみたいだな、と夫がつくづくとつぶやいて、わたしも大きくうなずいた。

孫娘が中学から高校に在学中、わたしは何度もトロンボーンのよりすぐりのコンサートにつれていった。もし彼女の音楽性が評価されたとするならば、それが貢献しているのではないかという自負がある。
わたしの父も戦後、まだ欧米のクラシック名演奏家の音楽を聴くチャンスが乏しいときに、ギーゼキングやハイフェッツの演奏会につれていってくれた。よい音を聞き分ける自分の耳に少しでも自信が持てるのはそのためだと思う。
父の存命中に、そのことの感謝をしっかりと伝えなかったことが、いま悔やまれてならない。

2015年10月 7日 (水)

頭上の整理

自室のベッドの頭上に小さな棚があって、そこに気になるものが積み重なっている。
新聞記事の切り抜き。
あ、いい記事だな、と感動したり、あ、これ役にたつかも、と思うと、切り抜かないではいられなくなる性分なので、整理するひまもないまま、いつのまにかたまってしまったのだ。
どうして切り抜いたのか、何のために、とチェックするためには、ふたたび読まねばならない。

映画やTVドラマの批評、これはブログ参考資料のためで、一度読んだだけで、それ以上役に立つことはなかったから、ごみ箱行き。
いまに役に立つかもと、とっておいた、薄毛用の帽子のカタログや、尿漏れパンツの種類などは、現在まだ不要で、もしこの先入用になっても、アマゾンで買えそう。そう、アマゾンはいまやそういうものも各種ととのっているのだ。だからこれも廃棄。

近所の、おいしいらしい、手作り弁当の広告、これはまだとっておかなければ・・・

朝日を購読していたころ、『悩みのるつぼ』という身の上相談の記事で、上野千鶴子さんの解答を楽しみにしていた。そのうちの、お見事!というべきものが数点、なかでも私の息子と同じぐらいの年の独身男性が酒席で、三人の子持ちの友人から股間をつかまれて、役に立ててない、と言うような卑猥な言い方でからまれ、こういうハラスメントのかわし方の相談には、まさに胸のすくような名解答。「その発言の意図は相手を貶め、自分が優位に立つため・・・・それしかお前は自慢することがないのか、とまともの返したら、二人の関係は修復不可能に、・・子供をつくるばかりが○○○○の使い方じゃないからと返せば・・友達なみに、下品なレベルに落ちることに・・お前とは生き方が違うんだ、と通告してはいかが?それにしても生き方の違いを尊重してくれない相手を「友達」と呼べるのだろうか・・・そのセクハラ男性の三人の子供たちはどんなんふうに育ったのか?子供は今や、コストであり、リスク」
いや、ほんと、そこまで明快にはっきり言える、上野さん、スゴイ、と思った。

あと、産経を購読するようになって、楽しみなのが、曽野綾子さんの『小さな親切、大きなお世話』中国や韓国が先の戦争のことを謝り続けろ、と言うことについて、…謝罪ということは直接の被害を受けた人と、与えた人とが現在そこに当事者としている場合にしか、成しえないことではないだろうか・・・戦後の日本人は、国中焦土になった中から復興し、誠実に働いて優良な製品を作り、人道にも劣る行為もせずに生きてきた。それが過去の戦争に対する反省であり、償いでもあろう。
その通り、と大きくうなずいたのだった。
上野さんと曽野さんの記事はまだ保存。

そういうわけで三分の一ほどはまだ捨てられず、役に立つ日はないかもしれないのに、残ったままになっている。

2015年10月 1日 (木)

帰国

帰路のフライトは後れもなく、ヒースロー到着だったので、私たちは、直ちにフォートナム&メイソンに向かい、日本では手に入らないといわれている今人気の紅茶、スモーキー・アールグレイを買い急いだ。
乗り継いだ羽田行の機内は往路ほど混んでおらず、私の席は窓際の列の通路側だったが、隣に巨漢のような男性二人がすわったので、これは出入りが大変と思い、イギリス人フライトアデンダントに、高齢で足も痛いので、もし空席があれば変わらせてほしい、と頼んだら、彼女は大きくうなずき、全員が乗り込んだあとで、すぐ後ろの中央列、通路側席に移動させてくれた。
イタリアでトラブルを沢山経験したあとだったので、イギリス人のこの思いがけない親切がとてもうれしかった。しかも隣が空席、そのまた隣の女性は娘ぐらいの年齢の日本人女性、着陸まであと数時間ぐらいのときに話すようになり、おしゃべりがはずんで時間の経つのが速く、エコノミー席の十時間余の大変さを意識せずに済んだ。
羽田には思いがけず、夫が迎えにきてくれていた。杖をかかげて合図してくれた、83歳にしては頼もしく見えたあの姿を、わたしはこの先もずっと忘れないだろうと思った。

これまでの二十回の旅はいつも一人旅で、同じ場所にゆっくり暮らすように滞在するものだったので、今回のように毎日出歩き、移動が数回もあるとう旅程は、楽ではなかった。
同行者の賢い旅行術に支えてもらってこなすことができたと言える。
二年まえのミラノはあれほど暑くなかったという記憶がある。温暖化のせいなのだろうか。そういえば、今回は一度もトリのさえずりを聞かなかった。ヴェネチアで見たハトも軒先にじっと停まったまま、疲れているように見えた。
イタリア人の友人たちは、皆、ヴェネチアを賛美する。ツアーで最初に訪れたときが雨だったので、魅力を感じなかったというと、ぜひ、ぜひ再訪するようにと、何度も言われたものだ。
今回の喧騒のヴェネチアにもいささかうんざりはしたが、汗をふきながら歩き垣間見た、路地の風景の美しさ、ひとけの少ない朝のラグーナの眺めは、やはり心に刻まれている。106

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損保ジャパンに遅延項目の保険請求をしたのが認められ、あの一日に費やした費用が口座に振り込まれた。
歩きすぎたせいなのか、膝の裏側の痛みが強くなって、しゃがめないほどになり、この一カ月マッサージとプールに通い、ようやく痛みがおさまりかけている。

しゃがむ動作が少なくて済むように、衣類の収納場所の変更や、キッチンの引きだしの入れ替えなど、目下進行中である。

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