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2015年9月21日 (月)

フェニーチェ劇場『ラ・トラヴィアータ』2015

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フェニーチェ劇場は美しかった。三度の火災にもめげずその名のとおり不死鳥のように復活した姿、オペラ発祥の地である、ヴェネチアの意地にかけて築いたと思われるほどに、贅をつくした優美な劇場。088_2

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そこで、初演されたという記念すべき『ラ・トラヴィアータ』を観るという感激はその日の舞台で湧き上がることはなかった。

カナダ出身のロバート・カーセンの演出がかなり意表をついたものだということは聞いていたが、『ラ・トラヴィアータ』堕落した女の、意を強調し、「椿姫」を徹底して娼婦のイメージに解釈している舞台に、わたしは好感を持てなった。

黒い下着のしどけない姿でベッドに横たわるヴィオレッタに男たちが次々に札束を与えるシーンから始まる第一幕001_2


アルフレードはパパラッチのごとくに、デジカメをかまえて彼女の写真をとりまくっている。

ヴィオレッタの郊外の屋敷という設定の第二幕は森の風景のようなカーテンの下、敷き詰められているのは朽ちた落ち葉のように見える、これも紙幣の山である。004


デュマ・フィスの原作の椿姫は貴族や富裕な男をパトロンにして暮らしている女性ではあるが、誇り高く生きていることが強調されていた。だから、ヴェルディの格調高いメロディが冴えわたり、悲劇性が高まっていたのが過去の舞台だったと思う。

ヴィオレッタ役のソプラノ、フランチェスカ・ドット、トレヴィーゾ出身の彼女は細身のきれいな容姿の持ち主で無難にこなしてはいたが、声の響きがいまひとつ、テノールのフランチェスコ・デムーロはのびやかな声量とイタリア語の発音の確かさで、それなりに迫力はあったのだが、容姿のスマートさに欠け、衣装もそぐわなかった。

フィナーレで一番拍手が多かったバリトンの、ギリシャ出身ディミトリ・プラタニアス、わたしにはその昔のシェリル・ミルンズの完璧ジェルモンがあまりにも印象深かったので、今回の太り過ぎの容姿に違和感をおぼえた。

しかしヴェルディのメロディは美しい。二幕目のバリトンのアリアはソプラノやテノールの影をうすくするくらいの独壇場、終わってからも耳の奥で鳴りやむことがないほどなのである。

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音楽」カテゴリの記事

コメント

カーセンの演出、かなり以前のフェニーチェの来日公演で拝見しました。全く同じ演出をずっと続けているのですね。最後の場面でアンニーナが落魄したヴィオレッタの唯一の財産のコートを持ち去る徹底ぶりに唖然とした記憶があります。

kikukoさま
わびしい部屋でしたね。ベッドもなくて、ガウンも着ていなかったので、これもびっくりでした。

椿姫、二幕の森の木々とまき散らしたお金にビックリしました。
白い服でベッドに横たわっているのしか見たことがないので
「黒い下着」と聞いてさらに驚きました。

そう言えば、ウィーンのオペラ座もサンクトペテルブルグのオペラ座も
毎日公演されるためか、がっかりするほど簡素な舞台美術でした。

それでもヴェネチアのオペラ座で観劇されたことや耳に残ったという
アリア、素晴らしい思い出ができてよかったですね。

ちゃぐままさん
オペラは総合芸術で、なるべく原作の再現に近い形式で公演してこそ、その魅力、偉大さも伝えられると思うのに、実験のような、現代調や、独断的解釈の舞台が多くなっていて、残念に思うことしばしばです。

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