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2015年9月に作成された記事

2015年9月28日 (月)

ミラノに戻って

ミラノ行列車の二人の座席は車両が異なっていたので、私たちはまたSMSで連絡し合った。
空いた席があったら、移動しようかと思っていたのだが、パドヴァ、ヴィチェンツァで乗客どんどん増え、それが叶わず、やはり、ヴァカンスシーズンはまだ終わっていないのだと感じた。
ミラノ無事到着、スーパーで買い物、ついでに昼食用の惣菜を買い込む。ミニコロッケやミニパイ、ライスサラダ、生ハム、フルーツサラダなど。別コーナーに寿司コーナーがあって、見かけも大層立派。数年まえに一つ二つだけ見かけた寿司もどきみたいなものとは大違い。いまやミラノ人も寿司大好き傾向にあるらしい。

ホテルで大スーツケースピックアップ、わたしはロストバゲージの保険遅延項目請求のため、何時にスーツケースが届いたかを、証明してもらおうと、手書きの書類を用意していたのだが、その日のフロントはインド人、この若い男性、実に横柄、頑固で、そんなものを証明する責任はない、と突っぱね続ける。わたしと保険会社とのやりとりに荷物が届いた時間の証明が必要なためで、ホテルに迷惑は一切かからないといくら言っても、応対は変わらないので、こちらも感情的になって、あなた、どうしてそんなに頑固で感じ悪いの?この事実を知ってるほかの人と変わって、などと言ってしまい、孤立無援でイタリア語混じりの英語でしゃべるのにくたびれ、もう少し別の言い方があったのではなかったかと自問自答しつつの孤立感に、自己嫌悪におちいりそうになる。騒ぎを聞きつけ、ようやくあのときパソコンでトレースしてくれた男性が出てきて、十一時と大きく手書きしたコピーを渡してくれ、その件はおさまった。
あともう一つ、スーツケース一個一泊、5ユーロ請求に対してクレーム、チェックインしたときにそのことは一言も聞いていない、もしそれがわかっていればミラノのイタリア人の友人のところに、預かってもらうこともできたのにと言ってねばる。
ヴェネチアのホテルフロント男性の「イタリアでは言いたいことを全て言わなければ・・・」という言葉が頭の中で鳴り響いていたからだ。
インド人、ついに妥協し、半額でいい、と言った。
思いは達したのに、わたしは疲労困憊しつつ、つくづく悟った。議論をすることが不得手な自分を。

タクシーで一路、リナーテ空港そばの、四つ星ホテルへ。同行の彼女が昨年宿泊したところ、翌日のフライトが早朝なので、この選択、これは正解。空港そばなのに、周囲は緑豊か、サーヴィスもよく、必要なときにすぐシャトルを出してくれる便利さ。インターネットチェックインも、パソコンそばについていてくれて、イタリア式のパソコン操作を教えてくれつつ完了。

イタリアの惣菜昼食はとてもおいしかった。パートナーの品目選択もよかったのだと思うが、駅スーパーの調理がかなり上質になっているのは確かだ。これは今後列車利用の旅行者たちのための朗報ではないだろうか。

2015年9月24日 (木)

ヴェネチア最後の日

到着早々、部屋のことで一悶着あったこのホテルだが、意外なことに、朝食はこれまでのうちで一番おいしいというのが私たち二人の一致した評価となった。
三種のフレッシュジュース、シリアル、ヨーグルト、生ハム、二種のソーセージ、サラミ、チーズ、キューリとトマトもついている。パンの種類も豊富でパンケーキまである。そしてブドウやアンズなどのフルーツに、味のよいマチェドニア(フルーツサラダ)。090


フロントシフトは日に三回ぐらいあるが、この日の朝のフロント男性は、彼の甥が最近日本に行ったあと、絶賛していたと話す、感じのよい男性だったので、このひとに疑問に思っていたことをぶつけてみた。
到着のとき、どうして、最初から、いまのトリプルに案内してもらえなかったのか?と。
イチャモンつけたあのフロントマンはマネージャーなのだそうで、彼は笑いながらフムフム、ありそうなことだとうなずき、あのモダンな部屋は改装したてで、まだ年一回の審査を受けていないからだとういう。そういえば、テレビの画面が調整されておらず、観るのをあきらめたのを思い出した。ライトも一か所つかないところがあった。
彼は言った。日本は違うだろうけど、ここイタリアは言いたいことをすべて言わないと、いいステイはのぞめない・・・なるほど・・・

午後には部屋を変わることになっているので、荷造りをすませて、外出する。目的地はティントレットの絵を見るための場所、サンロッコ同信会館、水上バスで二つ先のサントーマで下船。歩く距離は少しだったが、きょうも陽射しはきつい。九時半オープンの教会まえに待つのはわずか数人。少ないわけである。内部は冷房なし。092

ほのぐらいなかに、ティントレットのどちらかというと暗い色調の、迫力に満ちた群像画が目を奪うばかりに浮かびあがっている。速筆だったことで有名なティントレット、その勢いが十分に感じられる。圧巻は二階の天井画、それを写して見るための木枠つき鏡が用意されている。でも熱気が上昇していて、窓なし、風なし、むっとした空気のよどんだ内部に、鏡をかかげながら、じっくり鑑賞するのは到底無理で、わたしは早々に階段を下りた。094

せめて絵葉書を買おうと売店に入って出る時、段差につまずきそうになる。必死でこらえたが、右足のつま先近くに痛みが走ったような気がした。危うい・・・・

このあと島にでも行こうかと相談していたのだが、頭の中が忙しく動いた。これは警告だ。ほとんど休みもなく動き続けたこれまでの日々、年齢の限界を感じる。あと二時間以上も船に乗って見知らぬところを歩くことは耐えられない。
同行の彼女にことわって、ホテルに戻ることにした。

すでに荷物が運び込まれたトリプルの部屋はスペース十分、バスルームのすぐそばにシングルベッドがあったので、わたしはそこに寝ることにする。足に持参の湿布薬を張ったので、大事に至らずに済んだ。
おおきい梁で支えられた天井、窓の下は細い路地で向かいの窓に停まって動かないハトの姿がヴェネチアらしい情景に思われる。098

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別行動するときのわたしたちはSMSを使う。これだと一通話100円、普通のメールだ1分につき280円もする。効率よく、連絡がつき、夕食は一緒に食べられることがわかり、安心する。

リアルト橋近くのバーカロに行きたかったのだが、今回は行けずじまいになってしまった。
結局、最初の日に食事したフェニーチェ劇場そばのレストランで、イカスミスパゲッティと、サーディンのマリネなどのアンティパストで、一応おいしく、ヴェネチア最後の夕食を終えた。


2015年9月21日 (月)

フェニーチェ劇場『ラ・トラヴィアータ』2015

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フェニーチェ劇場は美しかった。三度の火災にもめげずその名のとおり不死鳥のように復活した姿、オペラ発祥の地である、ヴェネチアの意地にかけて築いたと思われるほどに、贅をつくした優美な劇場。088_2

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そこで、初演されたという記念すべき『ラ・トラヴィアータ』を観るという感激はその日の舞台で湧き上がることはなかった。

カナダ出身のロバート・カーセンの演出がかなり意表をついたものだということは聞いていたが、『ラ・トラヴィアータ』堕落した女の、意を強調し、「椿姫」を徹底して娼婦のイメージに解釈している舞台に、わたしは好感を持てなった。

黒い下着のしどけない姿でベッドに横たわるヴィオレッタに男たちが次々に札束を与えるシーンから始まる第一幕001_2


アルフレードはパパラッチのごとくに、デジカメをかまえて彼女の写真をとりまくっている。

ヴィオレッタの郊外の屋敷という設定の第二幕は森の風景のようなカーテンの下、敷き詰められているのは朽ちた落ち葉のように見える、これも紙幣の山である。004


デュマ・フィスの原作の椿姫は貴族や富裕な男をパトロンにして暮らしている女性ではあるが、誇り高く生きていることが強調されていた。だから、ヴェルディの格調高いメロディが冴えわたり、悲劇性が高まっていたのが過去の舞台だったと思う。

ヴィオレッタ役のソプラノ、フランチェスカ・ドット、トレヴィーゾ出身の彼女は細身のきれいな容姿の持ち主で無難にこなしてはいたが、声の響きがいまひとつ、テノールのフランチェスコ・デムーロはのびやかな声量とイタリア語の発音の確かさで、それなりに迫力はあったのだが、容姿のスマートさに欠け、衣装もそぐわなかった。

フィナーレで一番拍手が多かったバリトンの、ギリシャ出身ディミトリ・プラタニアス、わたしにはその昔のシェリル・ミルンズの完璧ジェルモンがあまりにも印象深かったので、今回の太り過ぎの容姿に違和感をおぼえた。

しかしヴェルディのメロディは美しい。二幕目のバリトンのアリアはソプラノやテノールの影をうすくするくらいの独壇場、終わってからも耳の奥で鳴りやむことがないほどなのである。

2015年9月18日 (金)

ヴェネチアへ

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ヴェネチア・サンタルチア駅を出ると、目のまえは人で埋まっていた。ヴァポレット(水上バス)の停留所まえも長蛇の列。
ああ、この人たち全員が島に移動し、また強い陽射しの下を延々と歩くことになるのかと思ったら、暗澹たる思いがしてきた。
あと、二泊三日、どのぐらい船を利用するかわからないが、とりあえず往復券を買い、各駅停船の一番に並ぶ。
マッジョーレ湖の水上バスよりずっと古びた船、停留所に停まるたびに、ガタガタガタッとすごい音をたてる。船からの眺めはちっとも美しくなく、ギラギラの陽光の下、数百年を経たパラッツオ(館)は一層古びて見えた。
サンマルコの手前、ジリオで下船、ひと一人がやっと通れる細い路地を抜け、運河にかかる階段つきの橋を渡り、また同じように細い路地を抜けると、ブランド通り、右に曲がってほどなく、建物の壁に、『ホテル・ド・ポッツィ』の字が見えた。五分足らず、思ったより近かった。
ホテルフロント正面、名前の通り二つの「ポッツオ」(井戸)が埋め込んである。103


係りの初老の男性、作り笑いの目は笑っておらず、トリプルの部屋なのに、二人なのかと言う。ベッドは二つでいいわけだ、とかなんとか、予約した部屋を変更しようとする腹らしく、こちらは返金なしのほうを選択して、すでに支払っているのだから、と押し問答、スペースが必要なのだと主張したら、同じスペースのダブルを見てくれ、と言い、三つぐらい部屋を見せられた。どれもわびしいつくり、やっぱり三ツ星はこの程度、とがっくりくる。それでもなおも引き下がらず、結局、その日は広めのダブルの部屋で翌日トリプルの三台ベッドの部屋に移るということで折り合う。

きょうの夜はフェニーチェで『ラ・トラビアータ(椿姫)』を観るので、まずは劇場の場所確認。ブランド通りを横切って、路地をぬけるとすぐ、広場に出て、瀟洒なフェニーチェが姿をあらわす。広場中央、なんとここにも大きな「ポッツオ」が。100


空腹の私たち、劇場隣りのレストランで、カルボナーラを食べた。
そのあと、サンマルコ広場まで散策。

夕方戻ったら、思いがけないことが起きた。天井のエアコンから水が落ちてきたのだ。
急遽、部屋を移る。そこが何と、とても三ツ星とは思われない、モダンできれいなトリプル、調度も新しく、天窓がついた明るい部屋。わたしはトイレに近いシングルベッドに寝ることになってほっとする。
オペラまえの軽い夕食、ルームサービスでお湯を頼み、持参のお赤飯(尾西)熱湯かけ、密封5分、ゴマ塩たっぷりかける。これがとてもおいしかった。高島屋の店員が自宅で愛用してる、と言ってたけど、正解。以前はおにぎりがあったのだが、デパートでは扱っておらず、交通会館にでも行けばあったのかもしれないが、出発前は本当に忙しくてその時間はなかった。お赤飯と、トレヴィーゾのフィノッキオとトマトがまだあったので、満足の軽食。


2015年9月15日 (火)

トレヴィーゾの街めぐりのあとの夕食

私たち二人はトレヴィーゾの街の中心部をかなり効率よく一巡したが、ドゥオーモだけは中に入ってはみたけれど、フレスコ画で有名なサンタ・カテリーナ教会や、サン・ニコロ教会には行けなかった。あまりにも水の風景に魅せられていて、少々無理をしてもまわろうという気になれなかったせいもある。昼過ぎに到着の一泊で、まわりきるのはむずかしい。055
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ラディッキオの季節にゆっくり二、三泊したら、さぞや癒しの休日が過ごせるのではないかと想像した。

さて、問題の夕食、フロントのひとに訊いたら、ホテルまえのティラミス発祥のレストランはおいしいけれど、高い、裏手のカジュアルなレストランもなかなか良いとは言われたのだが、高いとはどのくらいか、と確かめたうえで、東京で食べるより安い程度だったので、二人の決断は早く、ティラミス発祥のほうに決めた。

ホテルの部屋から眺めると、テラス席だけしか見えなかったので、それほど凝ったつくりには思われなかったのだが、通された奥は水路に面した大きなガラス窓がある、眺めのよい席で、ケーキ型やプディング型などが貼り付けてある照明デザインにも驚かされたが、インテリアは洗練されていた。058

ウエイターはすごく親切、英語のメニューも持ってきてくれて、迷ったのだが、結局、ありふれた料理をどのくらいおいしく食べさせるのが知りたくて、ミラノ風カツレツにした。小さいサラダをつけてもらったのだが、これが小さいどころかかなり大きい。でもバルサミコとオリーブオイルのドレッシングが、よほど上質のものらしく、これまでに食したことがないくらい、おいしくて、甘めの白発砲ワインを飲みながら、ぺろりと平らげてしまった。060
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ミラノカツも完璧な調理だったけれど、小さめでお願いと言ったのに、やはり出てきたものは少々大きすぎて残してしまった。ティラミスのためのお腹のスペースをとておきたかったからでもある。
ティラミスはティラミス、日本で食べたものとそれほど味の違い感じられなかったが、こういうドルチェを生み出す場所であることは大いにうなずける気がした。

トレヴィーゾは電機会社のデロンギやベネトン、スポーツシューズで有名なジオックスの本社のある場所でもある。大手企業につとめるエリート社員らしい一群がいい雰囲気の会合をしている様子なども見られて、トレヴィーゾはやはり恵まれた生活の場所なのだと実感した。

2015年9月14日 (月)

トレヴィーゾの店たち

路地のなかほどに、小さな青果商があったので、迷わず大好きなフィノッキと小トマトを買う。往きの機内でもらっておいた塩、コショーをかけておやつ代わりにかじるつもり。040

イタリアで生地の店が元気なのは、その場所の主婦が洋裁をするぐらいに活気があること、すなわち生活が充実していることを示している。
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カーテンやテーブルクロスなどの生地が濃淡をそろえた美しい模様のものがそろっていたので、我が家のダイニングルームのオリーブ色の壁紙にマッチする生地を一メーター買う。広幅だから、残り切れも有効に使えそう。
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ショーウインドウのディスプレイも見とれるばかり。人間の生活に必要なものを、最も好ましい形で提供しようとしている姿勢があらわれている。
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2015年9月12日 (土)

トレヴィーゾの水路

しばらく休んでから、店の開くころをみはからって散策に。
フロントで、川はどちらの方角?と訊くと、左をまっすぐ、とおしえられる。
路地をたどる。両側に魅力的な店の数々、郵便局もあったので、ずっとかかえていたストレーザの友人への手紙をようやく出せると安堵。
突き当りの水路は限りなく美しかった。046

湧水からできたせいだろうか、水面は透明で深みがあり、吸い寄せられるよう、いつまでも見ていたくなってくる。

別の道をたどると、また水路に出逢う。どれも違う表情を見せていて、住宅と密接している場所もあり、まるで水の中庭のように美しく一体化した風景にまた魅せられるのだった。050

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2015年9月10日 (木)

ああ、トレヴィーゾ、トレヴィーゾ

ヴェネチア行8時5分の列車に乗るために7時すぎにチェックアウトして、大のスーツケースを預けようとしたら、フロントのアジア系男性が一個につき一泊5ユーロ、と言ったのにあきれる。チェックインしたとき、すぐ三日預かってもらえる?と訊いたらそんなことは言わなかったのだ。でもここで押し問答している時間はないので、そういうことはピックアップのときにすることにして、ともかく、このいまいましいホテルをあとにする。

ヴェネチア・メストレまでおよそ二時間半、トレヴィーゾに行く次の列車の待ち時間二時間、『いまメストレが面白い』という陣内氏の記事読んでいたので、歩いてみるつもりだったのに、それどころではなかった。メストレ駅、混んでいて、切符を買うのが一時間仕事。
それにつけても、思う。JRはすごいなあ、我が国日本なら、もっと迅速にことは運んだだろう、と。
あっという間に昼食の時間、駅前の「面白くもなんともない」場所で食べるところを探す。
エスプレッソメーカーで有名なイリ―の店があったので、そこで、サンドイッチ、コーヒーとまたマチェドニア(フルーツサラダ)、ここのこの取り合わせ、意外とおいしかった。

およそ二十分でトレヴィーゾに到着、ホテルまで徒歩12分だが、タクシーに乗る。
地下からの湧水からできたことではヨーロッパ最大規模のシーレ川、その水路がめぐるこの街、こころなしかミラノより涼しい。

着いたところは路地の奥、小さなスクエアで、写真で見た通りのしゃれた店舗のようなこじんまりとしたホテル、すぐ前がなんと高名レストラン、ティラミス発祥の場所なのだとか女性ばかりの従業員、よく気がつき、感じがいい。部屋は階段を二度ばかり上がった三階、向かい合った二部屋。階段踊り場の壁にこの地の名産物ラディッキオの絵が飾ってあった。038
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ナヴィリオ運河

この日はミラノから列車でおよそ一時間というクレモナに行く予定だった。
少し早めに朝食をすませ、フロントで列車の時間を調べてもらったら、思ったより直通が少ない。陽気がいいときなら、乗り換えがあろうが、何のそのだが、この蒸し暑さ、二人で顔を見合わせてしまった。
不慣れな場所に行ってうろうろするのが、とても億劫な気がする。

そして急きょ、予定変更、ミラノをゆっくり散策することにした。一番の目的地は、二人にとって未体験の場所、ナヴィリオ運河。
その昔荷物の運搬に利用されていた人工運河の名残りがいまや好感度の高いショップやレストランの人気エリアとなっている。
この暑さ、ローマのテヴェレ、フィレンツェのアルノ、トリノのポー川には及ばないとしても、水が見たい。

まずはヴィア・マンゾーニの贅沢なショップやエトロのアウトレットなどゆっくりのぞいてから、タクシーで運河へ。
人出少なく、豊かな水の流れ、とは言い難いが、視界が開けて癒される。021

でも陽射しいよいよきつく、日向は歩きたくない、日蔭の道を選び、レストラン探しをした。途中、テレビで報道されていた、昔の洗濯場の場所も視界に入れる。025

暑さで食欲なし、いつも日本ではお茶漬けか、おにぎりなどのわたし、幸い、ピアットウニコ(一皿料理)OKだったので、野菜だけの一皿、10ユーロ也を選ぶ。同行の彼女はしっかりパスタと前菜、それに白ワインまでオーダー、わたしはアイスティーだけ。彼女が来た甲斐があったわ、と料理を楽しんでいたので、プランを変更してよかったと思った。028


そこからトラムの停留所までしばし歩く、暑くなって、ジェラート店でデザートがわりのカップにかぶりつき、涼をとる。

コルソ・ジェノヴァというこじゃれたエリアで下車。東京の自由が丘的な場所。おしゃれなブティック、カフェなどが並ぶ。とりわけしゃれたカジュアルのブティック、デザイナーは?と尋ねたら、何と日本人とわかり、驚く。
その先にスーパーあり。ミラノ駅の方になかったもの、スパイスの袋入りなど見つかり、今買っておかねばと買い込む。
疲れた。
ドゥオーモに戻って、夕食用の食べものを買う。あまりおいしそうなものがない。結局ライスサラダのパック、こんなとき、最近できたというオムスビ屋に行きたかったが、同行の彼女に別行動したいという気力もないぐらい疲れていた。
すべては暑さのせい。

ホテルにブリッジパートナーのEがたずねてくる。そばのバールでしばしつもる話を。乗ってきた自転車があまり立派なのでほめたら、古いのが盗まれて買ったばかりなのだという。一般市民も治安の悪さは影響しているらしい。バールのひとが店内に入れていいですよ、と言ってくれた。
トレヴィーゾやヴェネチアの情報を沢山もらう。ヴェネチアのリド島でぜひブリッジをするようにすすめられたけど、果たしてその元気があるかどうか・・・

2015年9月 6日 (日)

スカラ座『ラ・ボエーム』

スカラ座開演は八時、七時少し過ぎ、出かけるまえ、もう一度フロントに、バゲージのこと、頼んだわよ、と念をおしておく。

タクシーで五分、スカラ座の中のレストランでアペルティーボ(食前酒とつまみ)を。クロディーヌ(オレンジ風味の食前酒)つまみ付、とマチェドニア(フルーツサラダ)、これが甘味足らずおいしくなかった。

演目は『ラ・ボエーム』ポスターの前で二人の写真をだれかに撮ってもらおうときょろきょろしていたら、撮りますよ、その代わり僕らのもお願いします、と日本人のカップルが積極的に近づいてきて、四枚ぐらい撮らされた。日本人が比較的多い。きょうはEXPO客狙いの半額の日で、並ばなければ買えない日、わたしたちは現地業者に頼み、最上の席を、ネットで買う額とかわらないぐらいの値段で手に入れている。この情報も同行パートナーのおかげ。013


ほとんど満席。前から三番目のわたしたちの席、舞台が近すぎるのではと想像していたが、そうではなかった。オケピットのスペースが広く、舞台がずっと向こうに感じられる。

このオペラは数十年ぶり、二度目である。パリに住む貧しい男女の恋物語、大した起伏はなく、むしろ地味目な舞台、という印象だったのだが、今日の舞台は大違い。ゼフィレッリの原案を再現した壮大でクラシックな舞台美術に圧倒される。
主役のグリゴーロ、バリトン三人に囲まれて気負いがめだったが、十分すぎるくらいの声量、演技も立派だった。なにより主な登場人物全員がイタリア人なので、発音が美しい。統一感がある。とりわけ、マルチェッロ役のマッシモ・カヴァレッティの声に魅了された。Photo


クリスマスのパリの街の二幕は群衆も建物が立ち並ぶ背景美術も圧倒的で、しかもロバや馬車を曳く白馬まで登場。対照的な三幕の静寂な雪の風景も見とれるばかり。Photo_2


金管の音がとりわけ冴えるプッチーニの音楽、オーケストラも音を出し尽くしていた。

『トスカ』『ホフマン物語』そして今回の『ラ・ボエーム』、わたしの三回のスカラ座体験のうちで、もっともスカラ座らしさが出た大満足の舞台だったと思う。

帰りもタクシー、オペラの感激にひたっているうちに忘れそうになっていたのだが、ホテルフロントの脇に、おなつかしや、わたしのネイビーのスーツケースがちょっと、しょぼくれた姿で待っていてくれた。

2015年9月 4日 (金)

スカラ座に行くまでに

誘眠剤をのんだので、ぐっすり寝られた。スーツケース、もしや早朝届いているのでは、とフロントで確かめたが、ダメだった。連絡もないという。
BAが手配してくれたとしても、配達の機敏さがまったく当てにならない、このイタリア。また、気が落ち込む。
同行者が励ましてくれた。最悪の事態も想像に入れて、必要なものを買いに出かけましょうよ、大丈夫、そろうわ。
そう、今夜は八時からスカラ座、日本の新国立劇場なら、なに着ていってもいいけど、ひとの服装をじろじろ見るスカラ座、日本人として着の身着のままのこのジーンズ姿で恥をかくわけにはいかない。しかも席は前から三番目のド真ん中。

まずは下着や靴下を買いにミラノ中央駅に。二年前とは見違えるように明るく、美しく、近代化している。
下着や靴下の専門店もあり、ブティックもZALAなど、カジュアルなものはここでそろう。
驚いたのは地下のスーパーの充実ぶりだ。品数も多く、買いやすい。小物の食品、スパイス、などの土産品はここでほとんどそろえられそう、ヴェネチアの帰りに買えばいい。パルメジャーノチーズを削った袋入りなども、中年のヴェテランそうな女性店員があり場所をしっかり教えてくれた。

駅から少し歩いたところにある、ブティックをまずのぞく。数着を試着したが、これはというものがない。同行の彼女は地理がしっかり頭に入っている。方向音痴ぎみのわたしはただついていくだけ。
結局、ドゥオーモまで出て、若いひとむきの店でデザインが新鮮な黒のボトムと、リナシェンテでグリーン、黒、茶などの混じった絹のブラウスが買え、目的を果たす。
衣服にかけては抜群のセンスの持ち主の同行者、専属のスタイリストがつきそうごとくに、これはどお?と、わたしだったらとても見つけられないようなものを、見つけてくれる。
あとは、バッグだが、このへんで一息つくことにした。

陽射しがきつく、暑いミラノ、おいしそうな店の下調べはしてきたのだが、もう歩き続ける気がしない。近くのこぎれいなレストランに落ち着く。
きょうのスペッシャル、ラビオリとビュッフェ式のアンティパスト、これはグランデとピッコロ(大、小)で値段が違うといったので、二人で、ピッコロだからね、と言って皿にとったのに、請求書をみたらグランデになっていたので、二人で声をそろえて、文句を言ったら、聞き入れられた。やけに愛想のいい、給仕だと思っていたが、スキあらばくすねようとするイタリアなのだ。こういうとき二人は心強い。
大通り近くに来たとき、バッグと靴を売っている小さな店に、まさにこれという、濃いオリーブ色で留め金のところに光る石がついているバッグが目に入った。百ユーロ以上したのに、いまは十分の一、すぐ購入。
やれやれである。ホテルに電話したが、やはり、バゲージはまだ。
ちょうど、バス停に来たので、決心する。ここで一人、単独行動でリナーテ空港に向かうことに。
直通の73番まもなく来る。

BAのロストバゲージのカウンター、一人先客がいて、このひとが長い。高齢の男性、あと一週間かかる、などと言われている。わたしもそうなったら、どうしよ~っう!!

よかった、もうきょう、配送したから届いているだろう、とのこと。

奮発してタクることにする。運転手とかなり話して、いい感じだったのに、25ユーロと聴いて血相かわる。このあいだは17ユーロだったわよ、声を荒げる。信号にひっかかったり、いろいろ、ぶつぶつ言っていたけど、あなた名前は?と言ったら、20ユーロになった。ったく・・・

ホテルに意気揚揚と入ったのに、フロントのシフトが代わっていて、スーツケースなど届いていない、と冷ややかにいうので、また声を荒げた。リナーテに行って証拠もらってるのよ、パソコンでトレースしてよ、ねばりにねばった。
運送会社に連絡ついて、今夜11時に届けさせることに成功。

ほんとに、ほんとに疲れた一日だった。でもまだ終わっていない、ともかくお風呂に入ることにする。こういうときこそ、バスタブつきはいい。


2015年9月 2日 (水)

2015、ミラノ、トレヴィーゾ、ヴェネチアの旅(ミラノ到着)

まさかのことが・・・
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羽田発朝、八時五分のBAに乗るため、六時起き、夫に送ってもらう。

同行の彼女とほとんど同時にチェックイン、急なエンジンチェックとかで、出発大幅に遅れ、定刻を一時間半も過ぎて出発。
機内はほぼ満席だったが、近くに同行者がいるという安心感と、ときにはおしゃべりにも興じられる楽しさもあり、ヴェジタリアンの食事もおいしく、十時間以上があまりつらさも感じず、およそ四十分遅れでヒースロー到着。トランジットまで一時間二十分あるから、まあ、大丈夫かと思っていたら、地下に降り、電車に乗って二駅、セキュリティの場所がすさまじい混雑状況、長蛇の列遅々として進まず、あと二十分という、胸ドキ状態でようやく脱出、すでに始まっている搭乗行列の最後尾にかけこむ。
次の機内もまた満席、ここでも三十分遅れ、あとは順調にリナーテ着。

さてバゲージクレームの荷物なかなか出てこない。
同行者のは出てきたので、ほとんど同時チェックインだったのだから、そろそろかなと思っているのに、そうではないのにあせってくる。
これまでの旅行でも、もし荷物が出てこなかったら、という不安は経験したことはあったが、まさか、その不安が本当になってしまうとは・・・最後まで見届けたが、やはり出てこなかった。
胸がドキドキしてくる。

BAの遺失物カウンターに駆け込む。
おそらく次の便で来るだろう。ホテル名とアドレス、電話をたずねられ、着いたら、すぐ届けるから、と知らされる。
次の便とは十時半だそうで、それも確実ではないのに、二時間以上も待つことはできないから、ともかくホテルに向かうことにする。
大のTシャツと歯磨き、洗面道具入りの小型パックを渡される。

ミラノ駅前、ミラノなのに、名前はホテルニューヨーク、日本のビジネスホテルのような簡素さだが、バスつきなので、ほっとした。
同行の彼女は終始冷静沈着な対応、こんなトラブルもあるのね、と驚いてはいたけれど。

寝間着がわりのチュニックと綿ジャージのパンツを入れておいてよかった。下着はうっかり入れてなかったから、すぐ洗って、タオルで水気とり、ドライヤーでかわかす。
そして祈った、どうか明日スーツケースが届きますように。

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