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2015年6月に作成された記事

2015年6月29日 (月)

蒸し暑さの来ぬ間に

まもなく、7月だが、早朝のさわやかな涼しさに救われている。あのじと~っとした蒸し暑さがくるまでのわずかな心地よい時間を有効に、というわけで手仕事に励む。

湿気は少ないが、陽射しは強い。帽子はこのメガネの顔に似合わないときめこんでいたのだが、近頃日傘を支えるのが難儀になってきた。腕の力が弱っているのだろうか。
帽子を探していたら、つばが広いものがふえていて、これならかぶれそうというものも見当たるかも、という希望がわいてきた。
そんなとき、見つけたのである。自由が丘、コヴェントガーデンという雑貨店、デザインはイギリスだが、メイドインチャイナの1800円、これは安い、しかもふちにやわらかな針金入り、形が自由自在に変化できる。しかも折りたためるから、旅行用にぴったり。改造デザインが脳裏に浮かぶ。ついていたベージュのリボンをはずし、刺し子をしたブルーのリボンをつけかえれば、というわけで仕上げたのが、右の写真。003

そばのオハイオスターのキルトパーツ、三枚目の自作。
CWAJ版画展60周年記念のラッフル(福引)用のクラフトグループ作品キルトの一部。この夏、部員一人一週間預かってまわりの模様縫いを仕上げれば、素晴らしいベッドカバーができあがる。

2015年6月24日 (水)

DeNAに左右されるDNA

大洋ホエールズのころからのDeNA熱烈フアンの夫、13連敗を免れた、昨日、久しぶりに満面笑みとなって、二階からバンザーイと降りてきた。
わたしはスポーツ好きではないので、野球の勝敗に関心はないのだけれど、それを知っていても夫はきょうのピッチャーの出来はどうのこうの、守りがどうのこうの、と話しだすととまらず、一応、フンフンとうなずいて聞き役をつとめる。
このところ二週間前にひいた風邪の治りが悪いのも、DeNAの連敗が原因、明日からよくなるよ、と妙な予想をたてている。

夫の好きなマージャンは目下、高校と大学の同級生同士の三つのグループがあるが、このところ、こっちのほうは勝ち続けている。
一方、日常生活のほうは、ポケが多く、先日ジンジャーエールとシードル買いに行ってもらったら、両方、ないと行って戻ってきて、結局わたしがまた買いに行くことになったし、読んだ文庫本をまとめて売りに行ったりするのだけれど、そのあと、上下本を買うつもりで、上上を買っちゃった、などとトボケたことを言ったりしている。

彼と見合いしたあと、最初のデートは六大学の野球見物だった。
わたしはそのころ大学医学部の教授秘書をしていたのだが、その教授がスポーツを観ているときの人間の心理が一番健全だと言って、わたしの相手は精神が健康だとほめてくれた。

わたしたちの趣味や関心はずいぶん違うけれど、ここまで波風もたたず一緒にやってこられたのは、彼の精神のすがすがしさにあるのでは、と、我が家の飼い猫が彼とだけ、いっしょに寝るというのもうなずける気がしたりするこの頃である。

2015年6月19日 (金)

木漏れ日の中のポットラック

欧米の学校が六月中旬から夏休みになるのと同様、ユニオン・チャーチのバイブルクラスも夏休み、メンバーのひとりがイギリスに帰国するというので、その送別を兼ねて、ポットラックパーティが開かれるというので、パスタサラダ持参で参加した。
代官山の牧師館は駅から徒歩十分ほど、ツタヤの裏側あたりの瀟洒な洋館、隣家の木々の緑が鮮やか、木漏れ陽の中、広いパティオと居間に参加者およそ二十人が広がり、持ち寄った国際色豊かな料理を食べながら、ゆったりした、おいしい時間を過ごす。003
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オランダ人の若いママがおむつパンツをつけた裸んぼうの男の子二人を遊ばせていたが、ちっとも邪魔にならない。あまり楽しそうで、健康そのものに見えるので、あなたの育て方がいいからね、きっと、と話しかけた。
オランダは大好きな国、日本での育児は大変じゃない?というと、そんなことはない、日本のほうがずっと育てやすいと言うのを聞いて意外に思った。
生活のリズムはあわただしいようではあるけれど、なんといっても治安がいい、交通も乗りこなすと便利だという話。

きょうの料理、日本人たちのライス料理、外国人たちのスコーンや、パスタ料理、チキンの煮込み、豊富なサラダバリエーション、おいしかったが、何と言っても甘党のわたしのほっぺたを落ちそうにしたのが、デザートのパイ。シナモン味のクリームパイとチョコミントの入ったクリームパイ。やはり、手作りは市販のドルチェをしのぐ何かがある。005

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そのあと、コンサートよ、と牧師夫人がピアノの部屋に招き入れる。二人のソリスト、きっと讃美歌合唱のためかな、と思ったら、違った。
まず、音楽学校の生徒らしい大柄な若い女性が、最初に、聖歌のアレンジを弾き、そのあとで、なんとラフマニノフをバンバン弾きはじめて圧倒させられる。
もうひとりは日本人の中年女性、あのラフマニノフのあとはつらいものがある、と想像していたら、細身のそのひとから、あんな迫力ある音が、とびっくりするような、聴きほれるばかりの聖歌のアレンジ二つ、世の中にはスゴイひとたちがいるものだと、ため息をつく。
彼女は青山学院出身だそうだが、アレンジの才能を生かして、ずいぶん広範囲に仕事をし、認められていたらしい。

少し早めに宴を抜け代官山をゆっくり見て歩く。イータリーが店を閉め、新しい店がふえた。昔からあるのは今や『シェルイ』ぐらい。

わたしにはやはり自由が丘や二子のほうが、馴染み深く感じる。

2015年6月15日 (月)

映画『家族の波紋』とわたしの家族の波紋

街でリクルートスーツを着た男子学生を見かけるたびに、孫息子のことを想う。
ぼくは就活はしないよ、と言っていた彼が、何かどうしてもやりたいことをかかえているとは知らされてはいたが、それが何であるかは、まだはっきりと説明をしてもらっていない。
夫の風邪は快方にむかっていたのに、まだときどき咳き込んでいる声が二階から聞こえてくる。それに近頃、耳もますます遠くなってきている。まだかろうじて、孫息子との会話が成り立つうちに、話に来てもらうべきだ、彼ほど孫息子を愛してきた祖父はいないのだから・・・どうにも、気がせいてきて、娘の家の近くのプールに泳ぎに行った帰り、娘に電話して、一緒にランチをしないとさそい、それとなく話をもちかけたら、とても不機嫌になってしまい、それを言われるとプレッシャーになると激しい口調で言い返されて、気まずい思いのまま、別れた。

二、三日して、孫息子が電話してきた。きょうの九時にじぃじとばぁばに話をしにいきたいんだけど・・・

彼は一人でやってきて、はっきりした口調で、ぼくの人生に対する考え方はちょっと変わっているかも知れないんだけど、と自分が専門にしている情報音楽分野で、すでに創作活動らしきものを始めていることを例をあげて説明しはじめた。
夫は、おまえ、それで食っていけるのか、と問いかけたが、うん、なんとかやっていけると思う、三十までにメドがたたなかったら、方向転換することも考えている、とも語った。
彼が三十になったとき、わたしたちはもう、生きていないかもしれない。
わたしは聞いていて、その仕事そのものがそう簡単にうまくいくものではなさそうだ、とは思ったが、彼が、友人四人と、週に一度、読書会をしていて、いまドイツの哲学の本を読んでいるというのを知り、少し安堵した。

実はその日、録画しておいた『家族の波紋』というイギリス映画をみて、自分の家族の問題に思いを馳せ、とても心を動かされたのだ。
将来なにをするか、迷っていたらしい、弟を厄介者扱いする姉、不安をかかえながら、それを言いだしかねている気の弱い母親、弟がついに一年アフリカに行くことになって、家族はシリー島の別荘に送別のための休暇旅行をする。父親は電話だけかけてくるがとうとう最後まで姿をあらわさない。母親と姉とは絵を習い始め、その指導をする半島出身の画家が、気の弱い弟に言い聞かせる言葉は、聞き惚れるほどに、素晴らしい。
「何をするかは問題じゃない。強い信念を持てるかだ。君自身に確固たる思いがあるのなら、人を説得できる・・・やがて人は信じてくれる。自分さえ信じればね」
「強くなるというのは自分の道を進むことだ。君自身の中にあるものを信じろ。それが重要なことだ。とにかく時間はかかるよ、自分の思いに至るまではね。僕の場合は時間がかかった。その方がよかった。いろんな見方を学べたから」
わたしはこの言葉を暗記して孫息子に伝えようと思っていたのに、哀しいかな、自分の言葉になっていないので、一言も発せなかった。
最後に、夫が大きくうなずき、よし、おまえを信じるよ。思うようにやってみたらいい、という言葉にそばで、ただ大きくうなずいているだけだった。

2015年6月11日 (木)

三年ぶりの胃カメラテスト

このところ一カ月に一度くらいおそってくる胸の圧迫痛、一過性の狭心症かもしれないということで、貼り薬など携帯しているのだけれど、最近になって同じ症状をかかえているという二人の同級生から、あなたのそれって、逆流性食道炎かもしれないわよ、と言われ、ホームドクターにそれを話したら、急きょ、胃カメラ検査をすることになった。
そういえば、もう三年も胃の検査をしていない。

胃カメラ技術が抜群にすぐれているという、D病院、10時45分の予約。
予診のとき、中年の医師、一カ月に一度くらいの胸痛だと言ったら、そんな程度ですか、みたいな返事。カルテを見ながら、前回の写真にも軽度の逆流性食道炎の症状が出ていたとのこと。
採血のときの看護士さんが、肥満のひとや、酒豪のひと、睡眠薬を常用しているひとは麻酔がかかりにくいが、わたしはそのどれでもないから、大丈夫だと安心させてくれた。
わたしは下戸のほうなので、お酒に強いひとがうらやましかったが、そういう不利なこともあるのだ、とそのとき思う。
胃カメラ室の横、椅子に座って待つ。まず胃の写真がうつりやすいようにする薬というのを、小コップ一杯のまされる。
いよいよ、カーテンの中に入ってベッドにすわり、のどの麻酔薬をスプレーで吹き付けられる。徐々にしびれてきて、唾液がのみこみにくくなってくる。この感覚はなんとも不快。
身体を左下にして横たわり、先ほどの採血の場所から点滴で麻酔薬注入、口に大きな口金のようなものをはめられ、あとはもう・・・・

気がついたら、処置室のベッドの上、起こされて車いすで運ばれたのも、おぼえていない。
体内の違和感、痛みはまったくない。
胃の中の写真は思ったよりきれい、小さなポリープがあったので、それを除去、検査の結果は一週間後ホームドクターに知らせておく、ということで、逆流性食道炎の薬の処方箋もらって帰宅した。

最近、胃カメラテストをした別の友人、すご~く苦しく痛かった、ピロリ菌ありの疑いもあるのでもう一度検査に行かなければならないのだが、も~う、イヤッツ、一日のばしにしていると言っていたが、私の場合はウソみたいに楽だった。でももう一度すぐ、と言われたら、やはりイヤではあるけれど・・・

それにしても逆流性食道炎、いま多いらしい。わたしより五歳若いひともそれだったという話を昨日も聞いた。ストレスも関係するらしいわよ、もしかしたら、夫在宅症候群の一種かも・・・・と。

2015年6月 8日 (月)

多摩川台公園の花たち

多摩川台公園はアジサイの真っ盛り、ちょうど浅間神社のお祭りで屋台に群がるひとをかきわけながら、辿りつく。
盛りのときに一度来てみたいと思いながら、近いからいつでも行けるという安易さが邪魔して、この数年見逃していた。
下から見上げるマスが美しい。

なかほどの池にひっそり咲くスイレン、半夏生も目を和ませてくれた。008
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2015年6月 4日 (木)

映画がくれる至言

五月の多忙スケジュールのツケはぬぐいきれず、土曜から喉の痛み、咳、と疲れがたまったときの風邪症状に襲われ、日曜の約束キャンセル、三日間自宅休養。
じっと寝ていればいいものを、ついつい、撮りためていた録画のドラマや映画を観てしまう。
ドラマも映画も英国ものが圧倒的に面白い。『ダウントンアビー』も放映が終わってしまい、イマジカの『フォーサイト家・・』もエピローグ、さみしい。
イマジカで始まった、評判のドラマ『パレーズ・エンド』はカンバーバッチの主演だが、あまりにもストーリーの進行を急いでいて、エピソードの重厚さが欠け、整理が悪いので、見応えうすく、期待はずれ。
やはりダウントンのジュリアン・フェロウズは脚本がよかったし、演出もずば抜けていた。
『フォーサイト家・・』や『ブライズヘッド再び』もテンポがゆるやかなのに、人生を深く語るせりふも多く、構成が巧みだったと思う。

風邪は夫に伝染したのか、彼も喉の痛みをうったえ、咳がではじめ、臥せっている。
医者に行きたがらないので、仕方なく、これまでの薬を拾い集め、どれがどれやら、わかならなくなると、ネット開いて検索し、にわか自宅薬局で処方、きょうあたり、ようやく少し薬が効きはじめた。

きょう観た録画もアメリカ製作のイギリスもの、昔ヴィヴィアン・リーが主演した映画のリメイク『愛情は深い海のごとく』、時代設定が自分の若いときと一致するので、パブで合唱している「ユー・ビロング・トゥーミー」など、思わず声を出して歌ってしまう。

そのストーリー、年齢の違う裕福な夫と結婚した女性が同年齢の若い男性と恋におち、駆け落ちするというもの。ところがその相手は戦争から帰還したあとの後遺症で酒乱ぎみ、生活は破たんすることになる。
アパートの家主の女性は夫の介護中だが、その彼女のせりふが心に残る。
「本当の愛っていうのはね・・・粗相した尻をふき、シーツをかえてあげることよ・・・威厳を保ってあげれば、互いにやっていけるもの・・」
わたしたち高齢夫婦の行き末を思った。

2015年6月 1日 (月)

十年越しのスカート

十年ほどまえ、ボローニャに一週間滞在したとき、マジョーレ広場の裏側にある洋裁店のウインドウに目が釘付けになった。そこに広げてある生地の何と美しいことか・・・千鳥格子に少し光った黒いテープで一面アップリケがしてある、手のこんだもの。これほどの生地はイタリアならではのもの。ああ、これをスカートにしたい、何としても手に入れたい、といっても手の届かぬ値段だったら、とちょっとドキドキしながら、店に入った。ロングスカート分でたしか90ユーロ、生地にしては高い買い物だったが、なんとか手のとどく範囲で胸をなでおろした。
帰国してから、この生地にふさわしい仕立てを、と洋裁店をたずねたのだが、二万円という仕立て代に、目をむく。
自分でも縫おうとすれば縫えるのだ。
そう思って毎年生地を眺めては、手につかぬまま、月日が経つ。

最近になって、夏のロングスカートを縫ったものが意外に好評で、形がいいと言ってもらえたのに気をよくして、同じ形にしてみればいいのだと、決心。
裏もつけず、縫い代の始末もジグザグですまし、着るときはペチコートをはくことにして、ミシン出しっぱなしの刺し子作品展の直後、仕上げる。002


サントリーホールのコンサートのときはいていったら、一緒だったおしゃれな友人が、なんだかすごいスカートはいてるわね、とほめてくれて、ゴキゲンとなった。

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