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2015年5月に作成された記事

2015年5月29日 (金)

聞き耳をたてる

整骨院でマッサージをしてもらったあと、肩と腰に電気をかけてもらっていたら、隣のベッドの話し声が聞こえてきた。

>毎日通ってきていたら、おかげさまで歩けるようになってきたんですよ。
高齢女性の声のようだ。
施術師の男性が応えた。
>それはよかったです。きょうも全身マッサージしていきましょう。
>わたし、いくつに見えます?
>さあ~、八十五くらいかと・・・
>ずいぶん若く見てくれたわ。実は九十九なんですよ。
>へえ~っつ!
わたしも隣でへえ~っつ、と言ってしまった。
>とてもそんなにおみかけしません。
高齢女性はマッサージ師に問いかけた。
>あなた、高校出てからマッサージの学校に通ったの?
>いいえ、ぼく大学で生物勉強してから、大学院行ってそれからマッサージ始めたんです。
また、へえ~っつ、だった。
>そう、若い時はなんでもやってみることだわ。何かうまくいかなかったら、また別のことやってみたらいいのよ。若いんだから・・・わたしも洋裁、仕事にしててね、八十までやってたの。でももう、ダメ。無理するとあとがひびくの・・身体がきかなくなってはね、仕方がないわ。

わずか十分たらずのあいだに、二人のひとの特異な人生をのぞいてしまった気がした。
それにしてもこの九十九の女性が相手の言葉をしっかり聞き取り、当を得た応えをするのに驚いていた。
人の手によるマッサージは手のひらから、「気」も入ってくる。その効果は大きいのかもしれない。何よりもこういう会話ができて、するひと、されるひと双方の気分を高揚させてくれるのがいい。


2015年5月25日 (月)

五月よ、いとしい五月よ

朝、ラジオの『きらクラ』を聴いていたら、シューマンの「五月よ、いとしい五月よ」が演奏された。なんと美しい、まさしく近頃の五月の天気にふさわしい曲、これを聴いただけで、きょうの一日も楽しくなりそう。
子供のアルバムのピアノ曲、シューマンの曲にしてはやさしいほうで、弾いたこともあるにちがいないのだが、いまほどの感激はなかった。
人生を十分生きてきて、自然の営みや、花の咲き具合や、それに反応する自分の体調を知ったからこそ、の感動なのだろう。
この五月の心地よい日々を過ごしたら、猛暑も耐えられそうと思われるほどだ。
今年はそれほどに花々の咲き具合が最高、知人が三年まえに挿し木してくれた「隅田の花火」のアジサイが初めて花をつけたし、刺し子の先生のお庭から引っこ抜いて、いただいてきたハーブのセージも立派に根付いた。花の安売り店、花工場で買ったサフィニアも根付いて次々花を咲かせている。006

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陽気が心地よいせいか、手芸もはかどる。国際婦人クラブの手芸サークルで、フレンドシップキルトをつくることになっている。そのパーツ二つも初めてのパターンだったが、順調に仕上った。005


きょうはそのサークルの自由が丘散歩、天気もよさそうなので、楽しめそうだ。

2015年5月21日 (木)

バッティストーニのトゥーランドット

眼力のひと、もう一人、アンドレア・バッティストーニ。Photo

オーケストラの音を見事に変貌させられるイタリア至宝とも称せられる若手指揮者。
五月十八日、サントリーホール、演奏会形式、オペラ『トゥーランドット』を観る。

オペラを観に行って思うのは、どんなに高名な指揮者を迎えても、劇場によっては穴倉のような舞台下にオケが入ってしまうこと。

今回は違った。オケが主役、正面の舞台いっぱいを占領、その上に東京少年少女合唱隊、更にその上、新国立劇場合唱団、そしてさらにパイプオルガンのある最上階にもドラがすえられていて、登場人物数人も現れる仕組み。
ひな壇状の構造から一挙に発せられる音の集合マジックに魅せられる。

プッチーニのこの演目、実はすすんで見たいというものではなく、東洋趣味のイタリアオペラはむしろ敬遠しがちだったのだが、東洋的な音が混じるからこそ、三幕以降のあのアリア「誰も寝てはならぬ」が冴えわたるのだ。これまでの愚かな思い込みを恥じた。

バッティストーニは身体全体で音を出させている。ときどき、何かを叫んでいるように口が開く、身体がしなる。
「私たちの国と文化を代表する傑作を魂を込めて演奏したいと思います」とインタビューで語っていたが、まさにその指揮ぶりには魂がこもっていた。東フィルがこれほどの音を、出せるとは、とうなりたくなったほどだ

衣装や舞台装置が省略されている分、音楽そのものに集中でき、単純明快にストーリーが理解できる。歌手たちにもその意識があるのか、歌声には力がこもり、熱唱が際立った。

オペラは招ぶのも大変だし、チケットも高価だが、こういう演奏会形式なら、出かけやすい。もっとこういう公演をふやしてほしいと、こころから思った。

2015年5月18日 (月)

『天皇の料理番』の面白さ

見るべきドラマの少ない昨今、日曜のTBSテレビ『天皇の料理番』は出色である。

主役の佐藤健が、まさにはまり役、その意気込みもすごい。なんでもこのドラマのために四か月も調理学校に通ったのだそうで、包丁さばきはハンパじゃない。Photo

このドラマはリメイクで、主人公、実在のひと秋山徳蔵の役は、堺正章が演じたのだそうだが、それを勝っているのでは、と思われるほどの、ド迫力だ。
何よりその眼がいい。メジカラのすごさだ。
女優は目が大きいと、美貌の邪魔になるときもあるが、男優は目が大事だと思う。男らしい勢いのやる役柄はとくに、目の力がものをいう。

シェフ修行もディテールがよく描かれているので、説得力がある。今回のジャガイモ切りの場面は、すさまじかった。

『花子とアン』の花子の夫役だった鈴木亮平、結核で病みおとろえていく姿もメイクだけではあらわせないほどの、リアルさ。この兄の人柄のよさも、彼が演じるからこそ、よく伝わってくる適役である。

そして、主人公篤蔵の妻、黒田華、大フアン。これぞ日本女性、やさしいけれど、芯がしっかりしている、という妻の鑑はこのひとなればこそ。何よりも目に優しい、可憐で清楚そのものの映像に心が和む。

料理は真心という言葉がとりかわされるが、本当においしい料理は、「おいしくなあれ」という思いをこめたかどうかで、決まると思う。
それはだれかのために作る、まごころでもあり、近頃のわたしのように、自分が納得するため、自分の健康のためにおいしくつくるのも、また真心なのだ、と思われてくる。

2015年5月16日 (土)

おいしい食卓

贅沢な料理、例えば高価な牛肉とか、芸術的に調理された会席料理とかは、あまり食べたいと思わない。
それより、旬の野菜や魚をそれにふさわしい味付けがされた家庭料理が食べたい、という望みが、すべて、吉浦先生の食卓でかなえられた。
コウナゴのあぶったもの、小ぶりのイカの煮つけ、キノコ類とフキノトウの煮もの、とれたてのサラダ菜、トマト、伊豆のワカメのサラダ。夜はサトイモのシンジョウ、朝はハマグリのお味噌汁、ちりめん山椒もお手作り、伊豆のちりめんにお宅の山椒の実を加えたもの。そしてシラス、サクラエビ、ハマチのお刺身、歓声をあげつつ、じっくりかみしめながら、味わった。023
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しかも供される器がどれも彩美しく、料理にぴったりとマッチしている。

2015年5月14日 (木)

伊豆高原アートフェスティバルへ

伊豆高原アートフェスティバルをまわり、刺し子の吉浦先生のお宅に一泊という至福の休日を過ごした。今回は先生のお作品出品がなかったので、見るべきものがあまりなかったが、山山の緑のグラデーションと輝く海の青に癒され、五月前半の多忙な日々にたまった疲れをほぐすことができた。

出色だったのは先生がご案内くださった『節子さんの庭』
めずらしい植物がいっぱい、節子さんの愛情あふれる手入れで咲き誇る花々に目を奪われつつ、緩やかな傾斜の道をたどると、伊豆の海が一望できる。014_2
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驚いたのはドクダミの色変わり変種、名前が可哀そうになるほどの美しさ。022


節子さんのご主人が作られたというハチミツ購入。帰宅してから早速食したら、ハチミツ特有のくせのある香りがまったくなく、まろやかでおいしく、朝のトーストが楽しみになった。

2015年5月 9日 (土)

刺し子作品群のディスプレイ

三十点近い作品を店舗の一隅にどのようにディスプレイされるのか、半信半疑だったのだが、足を踏み入れた途端、その見事さに圧倒された。それぞれの作品がふさわしい場所を得て、刺し子魂を発している。
日本の伝統手芸がこれほどの進化を遂げるとは、誇らしい気分にもなり、指導者への尊敬の念を新たにし、場所を提供された、ブルー&ホワイトに感謝すると同時に、このディスプレイ担当の早沢さんに、拍手を贈ったのであった。
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2015年5月 7日 (木)

刺し子展示会

多忙なゴールデンウイークだった。29日を除いて、毎日外出、ブリッジトーナメント三回、コンサート二つ、イタリア映画祭二度、あいだを縫って、四日締め切りの刺し子展示会の作品の仕上げ、五月三日に旧作も含めて四点を搬入した。
この展示会、麻布十番のブルー&ホワイト店の一隅に飾られるという、きわめて小規模のものだが、吉浦和子先生門下十二人の参加で、かなりの刺し子ヴァリエーションが繰り広げられると想像する。

三年まえのある日、四十年まえから気に入っているこの店を訪れ、ウインドウに飾られていた、刺し子の大作に目が釘付けになっていたら、隣に一人の女性が立ち、これ、わたしの先生の作品なんです、と言ったので、思わず、どこで習っていらっしゃるんですか?と情報をせがみ、その目黒教室に迷わず入門したのだった。当時は家を新築中で仮住まいの場所から目黒教室が近かったので一年通い、そのあと現住所から電車一本で通える、このブルー&ホワイトに転室する。

日本の縫い物、裁縫の基本の素朴な縫い目が幾何学的に繰り返し、角度を変えることで、驚異的に装飾化するその変幻自在ぶりに魅せられる。

何よりも、すさまじい創造力をお持ちの吉浦先生の謙虚なお人柄にも惹かれることが多い。
写真のヴェスト、単純な縫い目と星じるしの繰り返しだが、半分くらい仕上げたとき、先生がこの縫い目小さいほど、仕上がりが引き立ちます、とぽつんとおっしゃった。007


もっと早くそれを聴きたかった、と思いながら、そこであきらめず、わたしは思い切って全部ほどいてやり直した。先輩にそれを話したら、それが修行よ、と即座に答えた。
今になってわかる。本当にそう、先生はその長めの縫い目をしばし試したわたしにその違いをわからせようとなさったのだ、と。

白いブラウスは袖にも白糸で刺繍がある。これも先生がある日着ていらっしゃったそのブラウスに魅了され、教えてくださいとおねだり。先生のブラウスはお手製だったが、わたしは『無印』のを買ったので、出来上がったものに手をつっこみ刺繍するのはかなり難儀な仕事、仕上がりがイマイチなのをそのせいにしている。

『吉浦和子刺し子クラス展示会』麻布十番ブルー&ホワイト店にて、5・8から5・17まで。
ブルー&ホワイト店、南北線麻布十番四番出口、正面ダージリンカフェ(ここのサンドイッチおいしい)左まっすぐ、パテオ越し、左角二軒目、大丸ピーコックの手前。013

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2015年5月 3日 (日)

2015イタリア映画祭の二作品

毎年出かける『イタリア映画祭』、今年で十二年目、イタリア語を一緒に学んだ友人との再会の日でもある。
席の後ろで女性の声がした。「旅行で見るイタリアは陽気で明るいのに、映画のイタリアはどうして暗くて、重たいんでしょう」本当にそう、今年選んだ二作品も力作ではあったが、重たかった。
上映作品15本から選んだ二本の選択基準は、出演俳優と、映画賞を受賞しているか、それとストーリー。

金曜に観た『われらの子供たち』
二大スターが出ている。『向かいの窓』のジョヴァンナ・メッゾジョルノと『輝ける青春』のルイジ・ロカーショ。
弁護士と病院勤務の小児科医の兄弟、性格も生き方も異なる二人は屈折したものを抱えている。妻同士もそりが合わない。両家の子供、男女のティーンエイジャーは一見仲良くしているが、多忙な両親たちと会話もすくなく、ゲームや喫煙やパーティなどの男女交際の世界に浸っている。この二人がかかわったある事件から、すさまじい破局まで、まっしぐらのストーリー展開、息もつかせぬ手際だが、ある物音で終わるラストがあまりにも唐突であれ~っつ、で放っておかれた。
解説書に巧みな表現があった。「私たちの張りぼての日常の裏にあんぐり口を開けている地獄をみせつける・・・」
存在感ある演技の弁護士役、調べたら、かつての名優、ヴィットリオ・ガスマンの息子、アレッサンドロ・ガスマン、さすがである。Photo


土曜に観た『人間の値打ち』
これもまた富裕層の二つの家庭のティーンエイジャーの子供たちがかかわった事件で家庭が崩壊しかける話。
原作がアメリカのミステリーという影響からか、解説書にもあるように、感情移入しがたい人間関係が展開する。それでも登場人物の名前ごとにチャプターをわけた、整理の行き届いた構成は巧み。これもまたラストまで目を離せぬ面白さ。Photo_2


二作品とも『イタリア小さな村の物語』とは別の世界、家族がそろって食事をする光景はほとんどない。

二作品は五月五日までもう一度上演される。当日券あり。有楽町朝日ホール。
『われらの子供たち』5月5日10:20
『人間の値打ち』5月4日15:55

2015年5月 1日 (金)

バス停で不快なことが・・・

一日外出して帰り、駅前のスーパーで夕食用の冷やし中華を二つ買い、あとジャーマンポテトと枝豆買ったら、出先で買った安売りリンゴの包みとで、レジ袋三つぶらさげることになり、バス停に向かった。

すでに列ができていて、最後が三人分ぐらいの間隔があいて、髪の長い若い女性がスマホ見ながら立っていたので、並んでいらっしゃいますか?と声をかけた。
>ええ、並んでますよ、通り道になるようあけているんです・・・
気を利かしているのに、そんなこともわからないのか、という口調だったので、わたしは黙ってその後ろについた。
やがてバスが着いて乗客が降り立ち、列が動き出したのに、まだ間隔があいたまま進まないので、もう開けておかなくてもいいんじゃないでしょうか、と声をかけた。
その女性はカッと目をむいて言った。
>ずいぶん急いでいるんですね。レジ袋、人の足に押し付けてせかさなくても動きますよ、こんなこと初めてだわ・・・
わたしも言った。わたしも初めてです、こんな言われ方したの・・・
>ずいぶんセカセカしてるんですね、生き急いでるんですね

それには答えず、バスに乗り、ドアの近くの席にすわって、考えた。もしかしたら、こういうひとは降りてから追いかけてきて突き飛ばそうとするかもしれない、そうされないようにどこに逃げこんだらいいだろう、そうだ、いつも親切にしてくれるバス停そばのS薬局だ。
女性がどこに座ったか、わかっていたが、目を合わさないようにして降り、後ろを振り返ったが、幸い人影はなかったので、足早に帰宅した。

夫に早速うったえた。
>悪いのはあっちだけどさ、そういうのって、きょう読んでた本に80世代だって書いてあった、1980年代生まれはわがままに育ってて、年寄が嫌いなんだよ。よぼよぼしてたり、エラそうにしてる年寄なんか早くくたばっちまえって思ってる。アンタはどう見たって77には見えないからさ、エラそうに見られたんじゃないか?
オレなんかエラそうにしてないから、みんな親切にしてくれるよ、さあさあどうぞ、って席はゆずってくれるし、大丈夫ですか?って声かけてくれたり・・・

うちではエラそうにしてるのにね、と、わたしはエラそうに言った。

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