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2015年4月に作成された記事

2015年4月28日 (火)

元気をもらう

今年は寒暖の差が激しかったが、雨は十分に降った。寒さにはひたすら耐え、暖かな陽射しは十分に受け、水分も満ち足りているという、その配分が草花にはよかったのだろうか。花の咲き具合がことのほか美しいと思う。
我が家のミモザも初めて満開に咲き誇ってくれたし、モッコウバラもこれ以上ないくらい十分に次々と開花する。
小さなウッドデッキでは冬を生き抜いた草花が元気で、紫色の小さなハボタンが花まで咲きそうな勢い。
三年住んでようやく、陽あたりが十分でない冬場に、どういう花を植えたらよいかがわかってきた。003

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最寄りの駅から徒歩十分だが、すでに地下鉄を乗りついで、階段、階段、歩きすぎてもういや、というとき、家のそばまでくるバスに乗ることができた。中で知らない人同士の女性二人がしゃべっている。
>もう日本には春がなくなってしまったようですね。
>昔はいまごろが一番いい季節だったのに・・・
わたしも仲間に入った。
>高齢者は温度調節に疲れますよね。もう歩くのもいやになって、バスが来てて助かりました・・・
>そうなんですよ。このバス六時十五分、覚えておくといいですよ。このもうひとつ前が五時半、一日出かけて帰りがけに間に合うと、ほんと助かるの・・・

ありがとうございます。忘れることが多いこのごろだが、これは覚えておかなければ、と感謝した。


2015年4月25日 (土)

週間あれこれ

食洗機の洗剤を棚から降ろそうとして、取り落とし、ふたが開いて粉をばらまき、往生したり、浴室で、部分洗いしようとし、洗剤をつけるつもりが、なぜかふたを開けてしまって、こぼしたり、化粧水や、エナメルリムーバーのふたが開けっ放しだったり、心ここにあるあらずの粗相が多い。

このシーズン一番の忙しい時期、コンサート、演劇の外出、プラス、イタリア映画祭に二度、合間にブリッジトーナメント、その上、五月八日から、ブルー&ホワイトで、刺し子クラスの作品展示会、そのため、ヴェストとブラウスの刺し子仕事を仕上げなければならない、とあって、手を動かす仕事もたまっている。

附属小学校のクラス会が十年ぶりにあって、五十年ぶりの人たちとも再会を果たす。
二次会のとき隣にすわったひとが、長年大学で英文学を教えていたひとで、しかもピルチャーフアン、個人旅行でピルチャーツアーの経験も、という、うれしい出会い。
一時間では話足りない共通の話題のあり過ぎで、再会を約束。てっとり早い自己紹介に、拙著の旅行記を贈る。こういうときは便利な手段。彼女からまもなく、再会のまえにという手紙つきの、ピルチャー写真集と彼女の専門、キャサリン・マンスフィールドの論文が郵送されてきた。
実母が七十代後半、マッサージの場所でようやく、求めていた友情を得た、と語っていたのを思い出す。七十を越しても新たな友人を得ることは可能、少女のころのある時期をわかちあっているということは友情を築くうえで、かなりポジティブは効果を果たすもののようだ。

一昨日、テレンス・ラティガン原作の『ウインズロウ・ボーイ』を観た。第一次大戦時代のロンドン、ある中流家庭に起こる事件、息子の窃盗容疑を晴らそうという家族の努力を描く。裁判の法廷場面一切なしなのに、観客まで一喜一憂にはまらせてしまう巧みな、せりふ構成の妙味、イギリス演劇の技、このことも、新しい友人と語りたいと思う。Photo

2015年4月20日 (月)

ロザムンド・ピルチャーを再び

四年ぶりにロザムンド・ピルチャー本にハマッテいる。そう、四年まえ、『シェルシーカーズ』を読んで、感動し、彼女のほかの作品を原書で読んでみたいと、ロンドンまで出かけ、買ってきた作品『Under Gemini(双子座の星のもとに)』、読み始めは辞書を使わない無精な読みかたなので、理解が不十分なところもあり、速度がのろかったが、三分の一ごろから、ペースが安定、著者の語り口に慣れたのだろう、にわかにストーリーの展開が待ち遠しくなるほどにピルチャーワールドにどっぷり、読破。

もっと、もっと原書で読んでみたい、と欲を出し、アマゾンで調べてみると、中古なのか、1000円以下で結構安いものも出ているので、購入することにした。ところがどういう方法で送られてくるのか、いつまでたっても知らせもなく、不思議。問い合わせてみると、電話があって、kindleと記されていたのは出版社かと思っていたのだが、電子書籍名だとわかり、急きょキャンセル。
原書の中古本は、とあらためて、見直すとペイパーバックでも数千円もする。

もっと安く手に入るはず、と、今度はYahoo UKからamazonを調べる。あった、あった、1000円台で中古の状態よいペイパーバックが。作品群の文中の紹介にひときわ目を惹くものがあった。“Marriage isn’t a love affair, It isn’t even a honeymoon. It’s a job”このjobは夫と妻とが生涯をかけて懸命の努力をしながらしとげる必要があるjobだ、と続く。
これをぜひ読みたい、どのような人物がこのせりふを言うのかが知りたい、と言う望みをつのらせ、この作品、“Wild Mountain Thyme”を購入。送料込み1831円。006


本が届くのが待ちきれず、翻訳本を図書館で借りてくる。日本語題名『野の花のように』中村妙子訳。
ある冬の晩、ヴィクトリアのもとに、かつての恋人、劇作家のオリヴァが二歳の息子を連れて訪れる。彼の別れた妻が飛行機事故で急死し、祖父母が面倒をみていたその子をオリヴァはさらうように連れ出し、ヴィクトリアに逃避行を誘ったのだった。行き先はスコットランドの高地地方、老作家の屋敷、そこでくりひろげられる、家族の絆、愛のかたち、価値観、生き方、世代間の葛藤、サスペンスタッチで描かれる喪失と恢復の物語。
いや、面白かった。『シェルシーカー』ほどの長編ではないが、傑作のひとつであると確信する。登場人物は各々、その人だけで一冊の本ができそうなほどの過去をかかえて生きている。その絡み合いは巧みで、偶然の出会いも必然性があり、しかも短いモノローグや会話の端々に、それぞれの年代の深い人生への思いと、悟りが感じられて、共感をおぼえる。

前述の、結婚とは、を語る注目のせりふはある男性の言葉で、後半のクライマックスシーンに発せられる。Jobを中村訳では仕事としてあるが、キッチンを這いつくばって、拭き掃除することも欠かせぬ家事であることを考えると、これは労役とも言えるほどの仕事なのではないか、と感じたりした。
このあと原書を読んでさらに読書の楽しみを深めたいと思う。

2015年4月15日 (水)

美容院に出かけた日

どんなにおしゃれをしても、ヘアースタイルがきまってないとダメ、と言われた言葉を、よく思い出すのだが、ほんと、その通りだと実感するこのごろである。

この数十年同じようなショートスタイルにしているのだけれど、このところサイドがのびてきてすっきりしない。

髪型は同じでも美容院は一か所に決めていない。もっと上手な仕上がりをしてくれるのでは、と期待して、別のところに行く、ということを繰り返し、数軒をめぐっている。まったく新しいところを試すのも、この年齢になると勇気が要る。多くの美容院は圧倒的に若い顧客をターゲットにしているので、入りづらい。別の美容院を試して、また元に戻るときもあるが、なんだか浮気をしたあとみたいな(ほんとの浮気を経験したわけではないが)、やましさを感じる。

リッチな友人のひとりは髪を自分で洗ったことがないというぐらい頻繁に美容院に行くけれど、わたしは二、三ヶ月に一度、ヘアマニュキアとカットのときだけ、だから、この一度は貴重なのである。ぜひとも成功させたい。、

さて、どうしよう、と考え、そうだ、十年以上のご無沙汰だけど、たまプラーザのあそこに行ってみようと思い立った。国際婦人クラブの友人に、すぐれたカット術の髪型が目立つひとがいて、紹介してもらった場所。家からはバスと電車を乗り継いでいかなければならないので、足に痛みがあったときから、行かなくなってしまった。
紹介してくれた彼女はそこだけに数十年という、律儀なひとで、電話してみると、美容院は新しくなり、そのカット名人の先生はまだ健在で店にでているという情報をくれた。

超久しぶりのたまプラーザ、変貌ぶりに驚く。駅は上下のエスカレーターがつき、駅前はまるで六本木のミッドタウンのよう、Dean&deluca あり、Tomorrow Landあり、ラーメン一風堂まである。さらに通りに出るまえに横のほうにもしゃれたカフェが広がっている。東急デパートも健在で大勢のひとが出入りしていた。

美容院はメインの通りをはずれた賑わいのないところにあるのだが、大きなマンションの一階に移転していて天井も高く、広々したインテリアもモダン。先生は細身のスマートな中年だったひとだが、白髪になり、体型も少し小柄にしぼんだ感じ、話題ももっぱら孫とのエピソードが多く、年月の経過を思った。カットはさすが、その道何十年、見事にサイドをすっきりさせてくれた。

帰りに東急のデパ地下に行く。いまや渋谷の東急を超え、ここがメインになったように見えるほどの品ぞろえ、でも高価なものばかり。リンゴが一個450円、毎日の食材購入の場所として、年金生活者はちょっと大変だろう。我が家の近くのリンゴ一個100円のスーパーを思い、住み慣れた場所のありがたさを感じた。
田園都市線沿線は若い居住者がどんどん増えているそうだ。一方、東横線沿線は高齢者の町と化しているところが多い。だから、リンゴ100円という値段のスーパーががんばってくれるのだろうけれど・・・

2015年4月13日 (月)

グリゴーロのリサイタルへ

彼は歌うために生まれてきたのだ、ヴィットリオ・グリゴーロのリサイタルに行って、まさしくそれを実感した。Photo


メトライブの『ホフマン物語』で彼の歌は堪能したので、リサイタルで二十曲以上も聴くのはかえって疲れるのではないか、と渋っていたのだが、熱烈フアンというわけではないA子さんが、すでに最初のリサイタルを聴いてきたのに、また同じプログラムの二度目を聴きに行くと知って、これはただ事ではないと思い、急きょチケット購入、幸いにもまえから十番目、の席がとれた。

選曲がいい。ベッリーニ、ロッシーニ、ドニゼッテイ、トスティ、いずれも、イタリアの作曲家のきわめつきの美しいメロディを表情豊かに歌いあげる。
美声を張り上げるばかりかと、想像していたのとは違い、とりわけ弱音部のささやきかけるような低音からクレッツシェンドで感情の高まりを表現する部分が自然で、ほれぼれする歌いぶり。
これまで聴いたことのなり楽曲の合間に、ロッシーニの『音楽の夜会』レオンカヴァッロのマティナータという良く知られた名曲を、たっぷりした声量でこれこそ、こういう歌い方でという自信にあふれた詠唱。見事だった。
伴奏のヴィンチェンツォ・スカレーラがまたピアノで表現するこれ以上の伴奏はないというほどの決して出しゃばらない完璧な盛り上げ方。Photo_2

アンコールは『トスカ』『愛の妙薬』『椿姫』のアリア、そしてオーソレミオ、絶頂期の歌いっぷりをたっぷり聴いたという満足感、日本の聴衆にはめずらしい、感動のたかまりをブラボーと、スタンディングで示す人が多く、わたしも素直に同調できた。

おしむらくは、アンコール時点で、彼がかなり饒舌に語った英語が、マイクなしなので、聞き取りにくかったこと。彼自身もかなり興奮していて、もしかしたら、マイクを使ってほしいと言われていたのに、忘れてしまったのかもしれない、とう思えるほどの、感動うずまくリサイタルだった。

階段や歩く距離の長い、オペラシティコンサートホール、まだ歩けるうちに、いいものを聴いておきたいと、はやる心にせかされ出かけている。

2015年4月10日 (金)

大願成就

ローマに住むイタリア人の友人にイースターのEカードを贈ったら、長文のメールが来て、共通の友人である、若い日本人女性(といっても知り合って十年以上、もう三十半ばと思う)がイタリア人男性と結婚し、しかもほどなく出産というニュースを伝えてきた。
結婚するなら、イタリア人、と言っていたひとだから、目的をついに果たしたというわけである。
ほどなく、その本人からもモノクロのスナップ集が送られてきた。
市役所での結婚で日常のありふれたシーンのようであったが、新郎新婦の立ち姿のキスシーンはさながら、映画の一場面のよう。うむ、やったね、と言いたくなった。

イタリア留学中の日本人女性のほとんどはイタリア人男性と恋をしたい、できれば、結婚も、と思っているのではないだろうか。いや、日本人ばかりではない、ヨーロッパやアメリカ人女性もそうだと、確信した経験がある。
リグーリア州、チンクェテッレという景勝地に近いキアヴァリというところに一週間の語学留学をしたときのことだ。語学校の寮に宿泊していたとき、同宿のドイツ人、アメリカ人、スエーデン人女性がみんなして、夜は踊りに出かける。そして戻ると、イタリア人男性がどれほど素敵だったかを、声高に紅潮した顔で語りあうのだ。
朝、キッチンに行ったら、上半身裸の男性がいて、驚愕したこともあった。

イタリア人の男性はおしなべて女性の扱いが巧みで、容貌の良し悪しにかかわらず、自分を魅力的に見せることに長けているという気がする。

フルビオ・ファントーニという世界的に著名なブリッジ名人の主催するトーナメントに出たとき、パートナーになってくれたイタリア人男性は練習ゲームのときはごく普通のオジサンという印象だったのに、当日はビシッとスーツで決めてきて、しかもこれはといういい勝負をしたとき、ウインクをするその表情が魅力的で、しばし、思考が止まってしまったときがある。
上位入賞のチャンスがあったのに、五位にとどまってしまったのはそのせいだったのではなかったか、という思いにいまもってとらわれている。


2015年4月 6日 (月)

きのうの『ダウントン・アビー』

痛ましいストーリーだった。
サーのつくような産科の名医と主治医が二人して付き添っていても、悲劇が起きる当時の出産状況がよく描かれていた。至れり尽くせりの裕福な家庭での出産でも、こと出産に限っては、なにが起きるかわからない。それは現在のように超音波写真で胎児の発育が見られる時代であっても、医学がどれだけ進歩を遂げていても、運命がわかれることが起こりうるミステリーがあることでは同じである。それを恐れてアメリカの裕福な患者はほとんど帝王切開をするという、事実まで伝えられている。

このドラマ、三人姉妹の美貌度で一番好ましかったシビルが亡くなってしまったのは、わたしにはとても残念だった。

産婦の死を防げなかった時代でも、替わりに新生児を育てる優秀な人手はすぐに見つかる時代だったのだというのも、忠義度を期待するのがむずかしい人材不足の現代と引き比べてみて、皮肉に思った。

マギー・スミスの演技が一段と素晴らしかった。そしてせりふも。
「ひとは悲劇に見舞われると、誰かを責めたくなるものよ、責める相手がいなければ、そのときは自分を責めるの」という忘れがたい言葉。

ジュリアン・フェロウズの脚本はやはり見事だ。どうなるか、どうなるか、と目をひきつける展開が常にあって、しかも時代は違うのに、人生を深く、語っている。

きょうの朝刊に痛ましい記事が載っていた。七十代の祖母の、十代の孫がトイレに産みおとした赤ん坊を窒息死させた容疑、ああ、このとき母親はいなかったのか、七十代の祖母は十代で妊娠するような孫と一緒に暮らしていたのか、祖母の年代がまだ育児にかかわらなければならないような状況、痛ましく、哀しく、つらい物語、これは三面の片隅で扱う記事ではない、とわたしは思う。

2015年4月 3日 (金)

廃物利用

四月二週目から五月までの一カ月、予定がいっぱいなので、一週目は遠出をせず、自宅にいて休養することにした。
それでも未完成の針仕事がたまっているので、少しずつ仕上げることにする。

まずは刺し子のスカーフ。ブルー&ホワイト店に捨て地とよばれる、手ぬぐいなどを染める時に染色を吸わせる補助に使う長い薄地木綿を売っていたので、それに刺し子をほどこしてみようというもの。
なにしろガーゼのようにうすいので、二重にしてさし始めたが、太い刺し子糸でフレンチナッツを作ると引き抜くとき穴があきそうになる。現にあいてしまった箇所もあった。仕上げるのはかなり難儀を伴ったが、捨てるような生地に刺し子をほどこし、補強し、装飾するのは正に刺し子本来の目的なのだ、と自分を励まし続ける。003


あと二本、ステッチを足すかどうかは、次のレッスンのときに吉浦先生のご意見をうかがうことにしようと思う。

2015年4月 1日 (水)

近場の桜

花見どき、高齢者は元気であるとは限らない。二月までの冬の疲れが長引くのである。
母たちのころは、来年の桜が見られるだろうか、などと言うのが口癖だったが、桜はどうでもいい。まだ主婦現役のこの身、なんとか持ちこたえているのがやっと・・・。

とはいえ、今年は開花どきが天候に恵まれた。三日続いて、おだやかな晴れもよう、土、日は混みあうが、月曜はうずうずしてきて、咲きはじめ,活きのいい花を見てみたいと思い、近場をめぐろうという気になった。

花より団子かスポーツ観戦の夫は、オレ桜嫌いなんだよ、と言っていたが、じゃ、図書館に行くから、車出してやる、と言ってくれ、お花見通り、多摩堤通りを一周し、太田図書館まで戻って、わたしを密蔵院のしだれのところで下ろすというコースを実行。
多摩堤通りの見どころ箇所四つはいずれも圧倒する咲きっぷり、まさしく咲き誇っている表情だった。

右の写真は密蔵院のしだれ桜と、桜坂の眺め。011

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