Women's Conference(ウイメンズ・コンファレンス)3
講義
内なるガーデニングを花盛りの庭にするためのハイライトは、これまでの自分の一生を川の流れに譬えて、おおきな画用紙に描いてみよう、というものだった。
雑誌の写真や絵を使ったコラージュや、色鉛筆、クレヨンで色づけするのもよい、とあったが、絵心、想像力、創造力は自分にもっとも欠けている部分なので、すぐには手がつかない。ロビーのテーブルで参加者が手を動かし始めるのを見ているうちに、徐々に、刺激され、まずはこれまでの人生での出来事を箇条書きにして、整理することから始めてみた。
ラビリンス(迷路)
午後は自由時間のとき、近隣の温泉探訪や、単発のいろいろなお楽しみ講座、フラダンス、ホメオパシー、ストレス関連、キルト、パペットなどなど、があったが、体育館に設けられている、ラビリンスを体験することにした
迷路を描いた円形の絨毯が敷いてあって、ちょうど一人分が通れるスペース、白い通路をたどっていくものだが、行きつ戻りつ、反転しつつ、は、人生の曲がり角を連想でき、スピリチュアルな成長、ヒーリング、ターニングポイントを意識しつつ、歩む。
二月の天城の空気は刺すように冷たい。暖房なしの体育館、重装備して臨む。階段を三、四十段降りた場所、周囲は原生の固有林、なにかとても厳粛は時間だった。
夜、キャンドルを片手に歩むと一段と効果を増すらしいのだが、高齢の身、これはちょっと無理だと、ガーナのルームメイトに誘われたけど、パス。
最終講義
わたしの人生の最初の苦難は戦争、家を焼かれ、父が見つけてきた世田谷の借家で戦後の生活の始まり、教会の日曜学校に通い始めたのもこの地。
女子校での十一年の生活、トイレに行くときでさえ、だれかと一緒というグループ傾向がいやだった。一人でいても大丈夫という自分になりたいと思う。
結婚後アメリカで生活した四年間で、独立心が養われる。自分のアイデンティティーを確立。帰国後、語学教師の仕事や小説の翻訳家としての忙しい日々、およそ二十年。
心身ともに生活の困難を味わったのは娘が夫を失い、三歳、一歳の孫たちの生活を補助しなくてはならなくなった日々、実母、義母の介護も重なった、およそ十年間。
六十五でイタリアと出会う。神をたたえる芸術や文化遺産にあふれた国、そこで咲く花たちは歓喜をあらわし、小鳥たちはさえずり、歌う。一人旅二十回、ホームステイのイタリアをテーマに本も出版。
ようやく期が熟して、洗礼を受ける。生きていることを感謝する場所ができて心が安定、毎週教会で祈る。自分の人生が計画されていた過程にあったのだと悟る。
夜の最終講義、人生の川を発表したいひと、と言われたとき、最初はひるんだ。でも参加者の中の、最高齢群、八十代二人、七十代三人、わたしが唯一純日本人であることを意識したとき、自分の一生を知ってもらいたい、それは今しかない、と決心。錆びついた英語でどれだけ表現できるか、自信はなかったけれど、手をあげ七十人をまえに語り始める。
意外とよどみなく言葉が出て、思考より先に発声している自分を、あ、やれてるな、と思っている別の自分がいた。
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