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2015年2月に作成された記事

2015年2月26日 (木)

アンデルシェフスキの音色

一日に二つの異なる外出をするのがつらいと感じるこの頃なのに、きのうはそれを、むしろ楽しんでしてしまった。
午前中に10時から始まる一時間のユニオンチャーチでのバイブルクラス、日本人三人、外国人四人がアメリカ人の副牧師の指導で、聖書の使徒言行録について語り合う。
私以外の日本人女性二名は英語の会話力抜群で、むずかしい聖書の語彙を取り入れながら心の内を難なく語る。聴きとるのがやっとというときもあったが、より困難なことに挑戦する意気をやしなうことができた。77歳という年齢で、まだ学ぶことの励みと楽しさを感じることができるのは幸いである。

夕方から二度目の外出、オペラシティコンサートホールでのピョートル・アンデルシェフスキのピアノリサイタルへ。
聴くに値する演奏家を知る、スゴ耳の持ち主、Y子さんがT子さんと共にこのコンサートに行くと知って、それまで注目していなかったこのソリストを聴いてみようと、急きょ、チケット購入したのだった。席は前から7番目の右端だったが、表情がよく見え、音の響きも過不足なく聴き取ることができた。
バッハのフランス風序曲とイギリス組曲、自分でかつて弾いたときは、あまり特徴のないどちらかというと退屈な曲集という記憶しかないのだが、この夜の演奏は表情豊かでくっきりとしていて、惹きつけられた。Photo


アンデルシェフスキ、ポーランドのピアニスト、コンクール優勝とかの経歴がないのに、彗星のごとくあらわれた注目のひと、YouTubeで調べたとき、演奏中の指の大写しが見られた。手の甲の部分より長く感じられるほどのめぐまれた形のよい指、そのタッチは鍵盤にやさしく、ときに余韻を楽しむかのように、その指を押さえたまま横にずらすようにしていたりする。一音一音が十二分に鳴っていると感じさせられるのはそのせいだろうか。
グールドを聴いたときよりも、きょうのバッハを好もしく思った。

ああ、そしてシューマンの幻想曲、アンスネスのCDで聴きなれた曲のはずなのに、激しさを含んだ二曲目がなり始めたとき、涙がでそうになるほどの、感動がこみあげてきた。次の音を完璧に鳴らすためにその前の音がある、と言うように鳴り響く音の集まりはこの夜のホールのスタンウエイをこの上なく美しく響かせていた。
フォルテシモが沢山あるのに、弾きまくっているという感じがしない、説得力がそこにあった。
弾き終えたときの場内の一瞬の静寂には、まさしく感動しつくしたひとびとの沈黙。それなのに、日本人はブラボーも叫ばなければ、スタンディングオベーションもせず、両手を高くあげて拍手するだけ、ブラボーと叫んで立ち上がる勇気のない、自分がもどかしく、この興奮をもてあましながら、Y子さんとT子さんの紅潮した顔に出逢って、素晴らしかったわねとうなずきあうことで、まぎらわした。

帰宅してもう一度YouTubeのアンデルシェフスキ、シューマンを語る、を見る。
ポーランド語で語るインタビューの英語の字幕を読みとるのがむずかしい。二度つづけて見る。
饒舌に語る彼、シューマンは詩的な表現の破片をばらまき、それを演奏者にまとめさせようとする。それは暗さも明るさも含んでいるが、総体的には、夜でもなく、日暮でもなく、明け方をあらわすものだ。自分はときとして狂気の片りんを見出すことさえある。
ロベルト・ヴァルサーという精神を病み、二十年も病院で療養していた作家の詩を、アンデルシェフスキはシューマンを弾くようになって、初めて理解できたと、語った。
それほどまでにシューマンを理解していた、ということだ。

日本でのインタビューでも語っている。自分はもっと軽く、器用に弾きこなせればどれほど楽だろう、と思うことがある。でもコンサートの曲目は自分で選び、納得するまで曲を理解しないではいられない。しかしそれが自分の財産でもあると思うようになった、と。

感動とはどのように生まれるのだろう。演奏される曲が完全に演奏者に理解されていて、その技術も完璧であるとき、それは相乗効果となって、聴くものの耳に伝わってくる。ただ、曲想が美しいという単純な要素ではなく、そこに多くの作曲者の心の変容があらわれていればいるほど、そこからの人生の声というものを感じとれるのかもしれない。
八人の子の父であり、名ピアニストの夫でもあり、言語に絶する病をかかえて、精神も病んでいったシューマンにいま、心惹かれる。
そしてこの夜のアンデルシェフスキの演奏はそれを十二分に伝えてくれたと確信できる。


2015年2月24日 (火)

続、されどパン

一日に一度はパンを食べる。
朝、自家製のジュースとシリアルだけにしたときは、昼食に、玉子料理とパン、たまに昼の外食が和食だったり、ブリッジのトーナメントなどで、手製のおにぎりを持参したときは、夜、サンドイッチとスープというメニューになることが多い。
だから、どんなパンを食べるかという選択はわたしにとって、かなり重要課題。
パン屋選びもこだわりがある。
大型スーパーや、デパ地下などのパンの味もかなりマンネリ化していることを思うと、店で焼いている自家製のパンはそこまで出かけていくだけの価値が確かにある。

我が家に近いところでおいしいパン店があるのは、自由が丘より、大岡山である。
ドイツ系のパン、『ヒンメル(Himmel)』、とフランス系『イトキト』が両巨頭、だがイトキトは改札口出て右の商店街をかなり歩くので、東工大側、改札口左で徒歩すぐのヒンメルに行くことが多くなった。サンドイッチもおいしいし、コロッケパンもキャベツ千切りが沢山入っているので満足。ライムギ入りのブラウンブレッドも、トーストにすると一段と香ばしさが増す。

夫は戦後、白米がなかなか食べられなかった時期のつらさが身にしみているらしく、ご飯も白、パンも白にこだわる。
彼は定年後、パンが焼けるひとになって、というわたしの願いを聞き入れ、講習を受けて、捏ね機も買い、コーンブレッドや、ベーグルなど、見事に焼いてくれるようになった。
ところが、引越後、八十を過ぎてからは、気力が失せたのか、自分自身も食の好みが変化したのか、パンを焼かなくなってしまった。今年のクリスマスは三年ぶりにシュトーレンを焼いてくれたけれど、かなりしんどかったらしい。
パンの白好みは身体にいいとは言えない。英国などは、白が砂糖も、パンも、身体に毒だと思っているらしく、サンドイッチなども白パンを見かけることが少ない。

最近では、夫の白好みに付き合うのはやめて、我が家の冷凍庫には白と茶が同居している。

近所に開店したパンの店は茶色系なし。焼き立てを売りにしている店のようなので、それを狙って並ぶひまはないし、足も遠のくかな、と思っている。
但し、今は外出も多い毎日だから、出たついでに好みのパンを買えるけれど、この先体調変化が起きて、自由に出かけられなくなったら、焼き立てのパンが買える店が徒歩距離にあるのはありがたいことなのかもしれない。
サポートもしない、勝手な願いだけれど、なんとか長続きしてもらいたいものだ。

2015年2月20日 (金)

されどパン

我が家から徒歩300メートルくらいのところにパン専門のベーカリーが、二月にオープン、と宣伝していたので、注目していた。
紅白のストライプのテントが半円形に張り出していて、カーリーヘアのウイッグをかぶせた親子のキリンが店頭においてある。好みのしつらえではないけれど、先入観は禁物、焼き上がったものを食べてみることが先だ。
ところが二月になったのに、いつもわたしが通りかかるころはシャッターが閉まりかけていて、ウインドウをのぞいても、商品が見えない。
すっかり存在を忘れかけていたきのう、久しぶりに通りかかると、なんと、十人以上もの行列ができている。住宅街に入る角の店だから、行列は目立つのである。一番後ろのひとに、ここ、どうですか?と訊いてみたら、なんでも三度目とかで、おいしいですよ、と大きくうなずく。並んでみることにした。
列は遅々として進まない。わたしの前の若い夫婦は寒空に赤ちゃん連れで辛抱強く待っている。
前に六人ぐらいいるので、ここまで買えるかしらね、とその若い人たちに訊いたら、その男性はこのまえは僕のすぐまえで売り切れました、などと言うので、ますます何としてでも、買ってみたくなった。
ガラス戸に貼ってある案内では、店のオープンは週四日、内二日は10時から2時まで、あとの二日は8時から4時、なんとも変則的なのだ。それも人寄せの狙いなのか、それとものんびり商法なのだろうか。
列がすすみ、だいぶ内部がよく見えてきた。レジにひとり、調理側にひとり、女性たった二人だけでの商いだから、遅々としてすすまぬわけである。
パンの種類はありきたりで、バナナの入った丸い大きなパンがちょっとめずらしいくらい、調理パンはピザ、ハンバーガーなど、どれも焼き立てが供されるのが、お昼時とあって、人気の理由なのかもしれない。
パンはガラスケースに入れておらず、焼き立てをそのまま、ラックの上に広げてある、ディスプレーが無精というか、出来立て感を強調しようとしているのか・・・
パンがおいしいかどうかは食パンを食べてみるのが一番なので、半斤だけ、と、リュスティックプレーンという、フランスパンの小型みたいなのを三つ、わたしの買い物は600円ぽっちだけれど、前後の客たちは、みな1000円以上、かなりのまとめ買いをしているひとばかり。

さて、その味、帰宅してさっそくつまみ食い、食パンはモチモチしている。リュスティックはさっぱりしているけれど、おいし~い、というほどではない。

豆腐屋さんのラッパが聞こえたので、呼び止めて、お揚げを五枚買う。お豆腐、揚げ、がんもは、このひとのを買わないと気がすまない。昔豆腐屋のオニイチャンと呼んでいたこの彼、いまは白髪のオニイチャンおじさん、このあたりのことはすべて把握していて、何を訊いてもよく知っている。彼にベーカリーのことを訊いてみると、

うん、食べたよ、特においしいってほどじゃなかった。
行列?  そうでしょ、週に四日だけで、行列くらいできなきゃ、商売あがったりだよ、
ま、食べもの屋はむずかしいからね、やってけるかどうか、見ものだね・・・


2015年2月16日 (月)

購読新聞変更

一月末で朝日購読をやめた。契約はたしか五月ぐらいまでだったと思うが、それは捏造記事発覚のまえの話だからと、バアサンの意地を見せて、押し切ったのである。新聞販売店の責任ではないので、勧誘ノルマのあるひとたちには気の毒だけれど、朝日新聞は出直し宣言があってから、数か月見守ったが、内容は劣化するばかり。正論を言えなくてオドオドしている感じ、一面トップも文化欄みたいなものを出してきたり、記事の文章も説得力を欠き、実力ある記者も辞めてしまったのじゃないか、と勘繰りたくなるくらいだ。
どの新聞に替えたかと言うと、産経なのである。母校後輩の知性派、れいこさんがうちは産経です、というのに、ちょっと驚いたが、彼女の選択眼を信頼することにした。

結果、満足している。夕刊なしなので、1000円安い。夕刊なしの生活、すんなり順応した。朝刊だけにたっぷり力を注いでいる感じが見てとれる各紙面とも、読みごたえ十分。

「イスラム国」人質殺害事件についても、ジャーナリストの後藤さんに、日本政府は三度も警告したという記述を紙面のあちこちで繰り返し、「談話室」という投稿スペースに、無謀な渡航は慎むべきだという、名古屋の一読者が、自民党の高村副総裁の「どんなに優しくて使命感が高かったとしても、真の勇気ではなく蛮勇というべきものだった」と言う意見に賛同する主張を採用しているところに、この新聞の正論を恐れぬ勇気を感じた。
「週刊誌ウオッチング」というコラムには週刊文春の辣腕編集長だった花田紀凱氏がこれまた本音の批評を述べていて、読ませるし、「新聞に喝!」というコラムでもテロ事件で日本社会が感情や思考をどれほど変質させられたかという鋭い、論評を披露してくれる。

オピニオンというコーナーには、「東京特派員」という題の、エピソードあふれる記事が興味深かった。産経新聞の元記者が老人福祉関係の募集エッセイに受賞、『おしゃべり仲間の輪』というその中身、二か月に一度、地域勉強会風景、参加者が交代で講師をつとめる、それは正しく、自分がしてきたことを思うぞんぶん発表する場で、それを書くきっかけになったのが、ある小さな新聞記事を目にしたからだという。スーパーで万引きした老人が「警官でもだれでもいい、人と話がしたかった」と吐露し、社会との断絶の深さを実感したからなのだそうだ。

わたしもときどき感ずる。日本人はもっと語りあう機会を持つべきではないか、と。

若いひとでも仕事が長続きしないという身の上相談があった。人間関係がうまくいかない、外面がよいせいで能力以上に期待され、耐えきれず疲れがたまってしまう、いまはひとり、両親が残してくれた家で息をひそめてくらしている・・解答にはあなたの話を聞いてくれる場所をつくること、というものだった。

老若男女ともに、もっと自分を語り合える場をつくれぬものだろうか。イタリアには広場があり、知らない者同士でもすぐ言葉を交わせる。その上パーティという社交の場がある。
日本の若いスマホ族、スマホをやらない、しゃべりたい気持ちをかかえている高齢のひとたち、双方歩みよって老いも若きも語りあえる場はできないものだろうか・・・
というふうに、新聞を変えただけで、私の好奇心は満たされ、ますます刺激される日々である。

2015年2月13日 (金)

ひとそれぞれ

手作りリストウオーマーの贈り先、まずは若い友人Nさん、イタリア旅行のお土産をもらったまま、何かお礼がしたいと気になっていたからだ。
すぐにリストウオーマーをはめた写真入りのサンキューメールが届いた。
「可愛いけれど、決して可愛すぎない色と柄、刺繍糸の色と施し方がまた絶妙ですね・・・・・
手にも心にも温かいプレゼントをどうもありがとうございました・・・」

メールに励まされて、次は、ご主人が入院中で病院通いに忙しい、同窓の友に電話。
「渡したいものがあるんだけど、ちょっと会えない?」
「それって、あのリストウオーマー?」彼女はわたしのブログを見ている。
「なら、要らない、使うことないから」とはっきり拒絶。
手づくり市などにもよく行くひとなので、愛用してくれるかな、というのは、わたしの思い込みであった。
友からの手作り品はときとして親切の押しつけみたいに、重荷を感じさせてしまうこともあるのだろう、いまの彼女、食べものは十分間に合っているというので、こういうものがいいかしら、と思ったのは、浅はかだったと反省した。
ありがとう、と受け取ってから燃えるごみ行にされるより、いさぎよく、わかりやすい応答、こういうやりとりができるのもわたしたちの年齢ならではの仲であるとも、理解した。

夜、思いがけないうれしいメールをもらった。フィレンツェのジョヴァンナから、二月四日の誕生日を忘れていた、scusa,scusa, scusa (ごめん、ごめん、ごめん!)
わたしも去年、九州旅行で彼女の誕生日を祝いそこなっている。
そのことをすぐ、お互い様と、返事をしたあとで、思った。
彼女にリストウオーマーを贈ってみよう。郵便事情の悪いイタリアだから、すぐには着かないかもしれないけれど、三月もまだ冷えるフィレンツェ、役に立つかもしれない・・・
これもまた、思い込みかもしれないけれど、これまでの付き合いで、彼女になら、わたしのあげたものを、いつもすぐ使ってくれる、思いやりのようななにかを、共有していることが、これまでの旅行のいろいろな場面で信じることができる。

2015年2月 9日 (月)

自己流、長めのリストウオーマー

昨年の四月ごろだっただろうか、春にしてはうすら寒い日に薄着をして出かけ、ジャケットの下が半袖だったので、アームウオーマーを買って急遽しのいだことがあった。
ストッキングのような生地のもので、とても具合がよかったのだが、三千円もしたので、あれ~っと思った。こんなの、自分でつくれるのに、と。

リストウオーマーやアームウオーマアーはいまの時期重宝する。手袋のように片方はずして失くすというリスクもないから。
編み物でも手軽につくれそうだけど、しばらくやっていないので、肩が凝りそう、それより、ジャージーの生地買ったら、あのアームウオーマーを型どってつくればいいのだから、簡単にできそう・・・そう思って、自由が丘の生地店に行ったらぴったりの生地を見つけた。模様のジャージーに起毛した裏地が貼り付けてあり、感触もあたたかい。五十センチ買って七百円ちょっと、三組くらいできる。
二時間ちょっとで仕上げたのが右の写真。002


赤いほうが若い人用、地味なのは私たち世代。プレゼントにも最適。
指の穴があるほうがわかりやすいように、刺繍をほどこしてみた。

2015年2月 6日 (金)

Women's Conference(ウイメンズ・コンファレンス)4

最終日、天城山荘での聖日礼拝は、九時半チェックアウトを終え、十時から始まった。
女性による、女性のための、女性だけの礼拝、現在牧師の職にある三人の外国人女性が聖職のストールをまとい、かわるがわる司会をつとめる。
三日間、心のガーデニングに勤しんだ庭師たち、わたしたちに、Dear gardeners,と呼びかけ、聖句を読む。
わたしの一番好きな聖書のコヘレトの言葉、三章からの抜粋、For everything there is a season: And a time for every matter under heaven. A time to be born and a time to die. A time to plant, and a time to pluck up what is planted.「何事にも時があり、天の下の出来事にはすべて定められた時がある。生まれる時、死ぬ時、植える時、植えたものを抜く時、・・・」ガーデニング用の時も定められていた。
紹介される聖句は司会のひとが読むのではなく、国籍異なる参加者が読みあげる。声もアクセントも異なることに感動した。
Passing the peaceの項目のときは、The maker’s blessing be in your garden, on your journey, guiding you, cherishing you….God’s blessing be ours; the blessing of gardeners, all the days and nights of our journey home, The peace of the Lord be with you always, And also with youの呼びかけのあとに、あなたに心の安らぎを、Peace be with youの言葉を発してお互いにハグし合うときを持った。ハグしたいひとたちのところに歩みをすすめるひともいる。
わたしのところに数人のひとたちがやってきて、あなたの昨夜の話に感動した、という言葉をもらった。
あいだにパペット劇があり、演技力満点の出演者たちのせりふに固まりかけていた雰囲気が笑と共に和む。014

いよいよ聖餐、この日のために焼かれた丸いパンを司会の女性がかかげて裂く。「これは、あなたがたのためのわたしの体である・・・」裂かれたパンを司会の女性たちが分けて捧げ持ち、別の女性はキリストの血を象徴するワインとグレープジュースの入れ物を持ち、参加者たちは列をつくり、そのパンを自分でちぎり、どちらかの液体を選んで浸し、食す。
教会で供される、十字架を刻印した最中の皮状のパンのことが頭をよぎり、思った。
わたしが望んでいたのは、まさしく今日のような聖餐式だったのだと・・・

今回の参加者の中にひとりだけ、ベイビーを伴ったアメリカ女性がいた。いつもその泣き声で雰囲気を邪魔すまいと、気遣いあふれる、この若いママをわたしは賛美していた。
最後の祝福の言葉はなんと、彼女が眠っている赤ちゃんをかかえながら、読みあげ、参加者全員、あふれそうになる涙をこらえて、聴き入った。


2015年2月 5日 (木)

Women's Conference(ウイメンズ・コンファレンス)3

講義
内なるガーデニングを花盛りの庭にするためのハイライトは、これまでの自分の一生を川の流れに譬えて、おおきな画用紙に描いてみよう、というものだった。
雑誌の写真や絵を使ったコラージュや、色鉛筆、クレヨンで色づけするのもよい、とあったが、絵心、想像力、創造力は自分にもっとも欠けている部分なので、すぐには手がつかない。ロビーのテーブルで参加者が手を動かし始めるのを見ているうちに、徐々に、刺激され、まずはこれまでの人生での出来事を箇条書きにして、整理することから始めてみた。

ラビリンス(迷路)

午後は自由時間のとき、近隣の温泉探訪や、単発のいろいろなお楽しみ講座、フラダンス、ホメオパシー、ストレス関連、キルト、パペットなどなど、があったが、体育館に設けられている、ラビリンスを体験することにした
迷路を描いた円形の絨毯が敷いてあって、ちょうど一人分が通れるスペース、白い通路をたどっていくものだが、行きつ戻りつ、反転しつつ、は、人生の曲がり角を連想でき、スピリチュアルな成長、ヒーリング、ターニングポイントを意識しつつ、歩む。005

二月の天城の空気は刺すように冷たい。暖房なしの体育館、重装備して臨む。階段を三、四十段降りた場所、周囲は原生の固有林、なにかとても厳粛は時間だった。
夜、キャンドルを片手に歩むと一段と効果を増すらしいのだが、高齢の身、これはちょっと無理だと、ガーナのルームメイトに誘われたけど、パス。

最終講義
わたしの人生の最初の苦難は戦争、家を焼かれ、父が見つけてきた世田谷の借家で戦後の生活の始まり、教会の日曜学校に通い始めたのもこの地。
女子校での十一年の生活、トイレに行くときでさえ、だれかと一緒というグループ傾向がいやだった。一人でいても大丈夫という自分になりたいと思う。
結婚後アメリカで生活した四年間で、独立心が養われる。自分のアイデンティティーを確立。帰国後、語学教師の仕事や小説の翻訳家としての忙しい日々、およそ二十年。
心身ともに生活の困難を味わったのは娘が夫を失い、三歳、一歳の孫たちの生活を補助しなくてはならなくなった日々、実母、義母の介護も重なった、およそ十年間。
六十五でイタリアと出会う。神をたたえる芸術や文化遺産にあふれた国、そこで咲く花たちは歓喜をあらわし、小鳥たちはさえずり、歌う。一人旅二十回、ホームステイのイタリアをテーマに本も出版。
ようやく期が熟して、洗礼を受ける。生きていることを感謝する場所ができて心が安定、毎週教会で祈る。自分の人生が計画されていた過程にあったのだと悟る。001

 
夜の最終講義、人生の川を発表したいひと、と言われたとき、最初はひるんだ。でも参加者の中の、最高齢群、八十代二人、七十代三人、わたしが唯一純日本人であることを意識したとき、自分の一生を知ってもらいたい、それは今しかない、と決心。錆びついた英語でどれだけ表現できるか、自信はなかったけれど、手をあげ七十人をまえに語り始める。
意外とよどみなく言葉が出て、思考より先に発声している自分を、あ、やれてるな、と思っている別の自分がいた。

2015年2月 3日 (火)

Women's Conference(ウイメンズ・コンファレンス)2.

講義
夜7時から始まったメインセッション、ヘニーの講義はとても具体的で、心のガーデニングに必要な心身のときほぐしをと、まず両隣、前後のひとたちとマッサージをしあうことから始まり、自分だけが知っているなにかを、話してほしいとインタビューし合ってから、それを発表する、というように、聴衆参加の親しめる構成、わたしにとっては一番眠気をもよおす時間帯なのに、目はぱっちり・・・場所は第二チャペルだったが、そばにゆったりしたロビーがあり、あらゆる飲み物、そして参加者が持ち寄った、スナックがずらりと並ぶという魅力的な場所で、コーヒーブレイク、和やかなおしゃべりにも花が咲く楽しいひとときだった。
パンフレットの宿題の場所にずらりと鋭い質問が並ぶ。あなたは何者?あなたの人生での一番大きな出来事は?ハイライトは?どのような変化を潜り抜けてきたか?心のガーデニングをどのように再生するか?などなど。Photo


食事のこと

十数年まえの天城山荘の食事は宣教師の夫人たちが調理場を指導し、彼女たちのホームメイドのレシピ―を教え込んだ効果が明らかで、スープからデザートまで手作りのおいしさに満ちあふれていた。その後調理の仕方が変わったとかで、料理がおいしくなくなったという感想をもれ聞いたのだったが、今回、確かに日本食一辺倒になったとはいえ、味は決して悪くなかったと思う。
第一日目の夕食の献立はごはん、味噌汁、エビの天ぷら(一個ずつ)、こんにゃくの味噌田楽、焼き豆腐(おろしショウガつき)、焼いたシャケ、青菜のおしたし、きんぴら、玉子焼き、唯一の西洋料理はポテトサラダ。
デザートはコーヒーゼリー。
パンは一度も供されず、いつも白いご飯で、外国人たちは、ごはんも付け合せの野菜のように食べる人たちが多く、ごはん要らない、というひともテーブルに二人くらいはいた。
二泊目のディナーはトリもも肉のソティ―、じゃがいも、人参、インゲンの付け合せ、レタス、キューリ、トマトのサラダ、コーン入りの野菜グラタン、コンソメ野菜スープ、これもパンではなく白いご飯、デザートはプリン。全体においしい、という声が満ちあふれていた。
ただ一度のランチはカレーライス、サラダ付、ラッキョウ、福神漬けもあり、カレーはお代わりするひともいて、好評。ソフトアイスクリームのデザート。
朝食も徹底した日本食、梅干しまで出てくる。温泉玉子、ハム、ベーコンなどもサラダと共に供された。ノリ、シャケなどはあったが、さすが納豆は出てこなかった。
一度くらい、洋食の朝食が食べたかったと、十数年まえの純アメリカ式、ブレックファーストをなつかしく思わないではなかった。

2015年2月 2日 (月)

Women's Conference(ウイメンズ・コンファレンス)1.

1月30日から2泊3日、伊豆の天城山荘で開かれるWomen's Conference(http://youtu..be/egrWIelgD9E) に参加した。
キリスト教の宣教師夫人たちが創始者となって、発足した、今年で58回目のこの会合、公用語は英語だが、だれでも参加でき、毎回テーマも決まっていて、回を重ねるごとに内容も充実している。
十数年まえ、まだ洗礼を受けていなかったとき、表参道のユニオンチャーチでこの会合のことを知り、数回参加したことがある。巧みなプログラム構成で、友人がいないという疎外感はまったく感じず、解き放った心が満たされる体験をした。とりわけ最終日の女性だけで行う、聖餐式を含む礼拝が感動的で、この次参加するときはぜひ洗礼を受けておきたいと思ったものだ。
今回はいよいよそれが体験できるとあって、恐れることなく再び一人参加した。

今回のテーマは心のガーデニング、女性のだれもが手入れが必要な庭をかかえている。日々の予定に追われ、家庭や家族や仕事関連、コミュニテイ、に付きまとう疲れ、失望、不安、;疑念などのような雑草類を刈り取るひまなく、はびこり、過ごしているではないか、内なる自分を見つめよう、心地よい庭を取り戻そう、という趣旨。講師はユニオンチャーチの牧師夫人、ミセス・ヘニー・シミントン、南アフリカ出身、作家でもある。

さて出発の日は大雪予報、チャーターバスがユニオンチャーチから出るとあって、副都心線一本で明治神宮前まで行くつもりだったが、不安になった。スーツケースを引っ張っていかなければならないから、転んだりしないだろうか。バスがドアトゥードアなのだから、思い切って表参道までタクシー張り込もうか、と決心して荏原タクシーに、電話したけど、いつまで待ってもお話し中、同じことを思うひと沢山いるのだ。
幸い、雪がみぞれになってきたので、出発、例のトリノで買ったしっかりブーツはいて、リュック背負い、そろそろとスーツケース引っ張りながらなんとか目的地に到着。
一時間まえに着いたのだけれど、同様の出で立ちのひと、天候を懸念してか、皆早めに集合。18人がバスに乗り込む。

十数年まえの記憶はすっかり抜け落ちていて、初めてのところに来たような感じ。二階の洋室。ルームメイトはガーナ出身のEさん。英語上手で気さくなひと、大きな声で良く笑う。

進行役は若いフィリピン出身のSさん、今回の参加者70名、アメリカ、イギリス、スコットランド、カナダ、ドイツ、アフリカ、韓国、中国国籍の人たちに、三日で三つのR, Rejoice, Reflect, Release(よく思考し、自分を解き放ち、喜びを得よう)を体験しようという発声で始まる。

キルト作家、ジュリー・福田の聖書の場面をキルト化した傑作がステージを飾っている。002
003

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