一週間前、教会の婦人会に出席したあと、ニコタマに出て、孫息子に約束した黄色系のマフラーを探しにRISEを歩き回り、ようやく、これ、と思うのを見つけて買ったあと、バスに乗ったら、咳が出始めた。
その日は手持ちの薬をのんだのだが、翌日、症状は悪化、熱も出てきた。ホームドクターに往診してもらい、細い棒を鼻の奥につっこまれて、うん、間違いない、A型インフルエンザ感染、と宣告される。
タミフルのみはじめて二日目、数十年ぶりすさまじい嘔吐を二度、そのあとはひたすら寝ることにつとめていたら、それほどひどい症状にもならず、順調に回復しはじめた。
夫はマスクを常に装着してはいたが、感染は防げなかった。私が治りかけて三日目、ひどい咳から始まり、熱も出始めた。わたしがひたすら寝て効果があったのだから、薬をのみ寝てさえいれば大丈夫と二階の彼の寝室に見に行ったら、なんと、リクライニングによりかかったまま、ベッドに移らないでいる。どうしたの?と言っても答えない。ねまきに着替えもしていないので、着替えを手伝おうとしたが、手がよくあがらない、おかしいと思ったら、腰に力が入らないらしい、背もたれから上半身を起こせないのだ。会話も伝わらない、目にも力がなく、唇のあたりがふるえている。ともかく横にならさなければ、とあせるが、わたしの力ではどうしようもない。リクライニングをまわしてできるだけベッドに近づけ、ごろんと転がってみて、と言っても、それができない、指でシーツの花もようを数えたりしている。
これはもう容易ならざる事態だ。
救急を呼ぶまえに、少なくとも二度目のタミフルと熱さましだけ飲んでもらおうとしたが、薬の飲み方も噛もうとしたりしておかしいし、水が唇からこぼれる。熱をはかろうとしても体温計をうまくはさめない。わたしが脇に押し込み腕をしっかりおさえて、39度あることがわかった。
その日はホームドクターが午前中だけで、医師の指示ももらえないので、ともかく息子に電話する。彼ならば、去年の末、すでにインフルにかかっているので感染のことを心配せずにすむ。運のいいことにすぐ通じて、会議中だけど、なんとかする、すぐ帰るよ、と言ってくれた。
入院できるよう、荷物をととのえる。前開きのパジャマがない。こういうときのためにそろえておくべきだった、と反省する。夫の着替えは自分で管理してもらっていたし、衣類は自分で買わねば気がすまないひとだったから、任せていたのだが、82歳はそういうことも危うくなっている年齢なのだと実感する。
息子は思いのほか早く戻り、首から横文字の名札を下げたまま、すぐ救急を呼びだしてくれた。ぼくがついていくからというので安心する。わたしも治りかけとはいえ、病後だ。付き添いの激務はつらい。
救急隊が四人、すごくテキパキした医学の知識も豊富そうな青年が必要事項をすべて確かめ、あとは拘束衣のような、シロモノに夫をくるみ、四人がかりでしっかりささえ、車に運ぶ。
それが六時半ぐらいだっただろうか。救急搬送車は赤いライトをつけたまま、そのあと三十分ぐらいも動かず、搬送先を探している様子だった。
車が去ってから二時間ぐらいして、息子から連絡,インフルと聞いただけで、ほかの患者にうつるという心配から受け入れ先がなく、ようやく大森にちかいT病院がともかく診察して策を講じると言ってくれたそうで、そこで脱水症状と診断され、目下点滴中とのこと、入院は無理なので、落ち着いたらタクシーで帰る、とのことだった。
帰宅しても介護が必要な状態が続いていたら、どうしよう。タクシーで帰るということはそれほど深刻な状況ではない、ということか、とつおいつする。
やがて戻ってきたのが十一時過ぎ、ドキドキしながらタクシーにかけよったが、夫がしっかり顔をあげて支払をしている様子に安堵。
階段も危なげなく上り、会話もできるようになっていた。熱は37度台に下がり、病院に行く前のことはおぼろげで記憶にないんだ、と言う。
息子がとても頼りになった、あいつ、昔から冠婚葬祭には見違えるほどしっかりするけど、今度もそうだったのかなあ、などともいうのである。
その晩トイレに起きるときまた、起き上がれなくなって、寝入っている息子に助けを頼むことになった。
そこで気が付いたのである。早急にしなければならないことを。
ベッドに手すりが要る。介護用品のレンタルにそういう簡易手すりのようなものがあるのではないか?
職業別の電話帳で調べ、ダスキンを呼び出す。土曜なのに通じて、すぐ届けると言ってくれた。薄い円形の金属台の上に二本の棒に支えられた幅二十センチくらいの手すりが立ち上がっていて、その薄い金属板をベッドの下にはさみこむというもの。
若いダスキン男性社員、たった一人できて、ベッド持ち上げ、入れようとするがつっかえるのをマットレス持ち上げ、下に衣装ケースが詰まっているのを出し、三年分のほこりを掃除機でとってまでしてくれて、見事にセットしてくれた。その衣装ケースからセーターやらカーディガンやら今必要なものがいっぱい出てくる。収納上手の夫を信頼しきっていたのだが、それが災いして、何をどこにしまったかまで記憶が怪しくなってきている、それが82歳なのだろう、とここでもまた実感。
常日頃、会話がまったくなく、同居の息子との関係がことのほか気がかりだったが、救いが得られた日、夫にもっと気遣いを、と反省させられた日、夫が元の身体で戻ってくれたこの大きな喜びと感謝を決して忘れてはならないと誓いつつ、いまあるこのときをより大切にと深く深く思った日でもあった。
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