2017年12月
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31            
フォト
無料ブログはココログ

« 2014年12月 | トップページ | 2015年2月 »

2015年1月に作成された記事

2015年1月27日 (火)

誕生日をまえに

六十を過ぎるころから、誕生日を迎えるのがうれしくなくなった。ああ、また歳がふえてしまった、というため息が先に出てくる。
今年はとうとう、喜寿。
長寿をたたえる年齢は還暦から始まり、古希、喜寿、傘寿、米寿、卒寿、白寿と、続くが、喜寿はまだ少し生きる気力がみなぎっているちょうど、高齢のボーダーのような祝い年、という認識から、今度だけは特別に、という思いで、子供たちにも、去年から忘れないで、とインプットしていたのだが、どうやら、その期待はむなしく終わりそうな気配である。
シングルマザーの娘は貧乏ひまなし、仕事に明け暮れ、孫たちもバイトに忙しい。息子と密に連絡をとりあっているわけではないらしく、皆の都合を合わせて祝宴など、夢物語らしいのである。
同い年の友人にそれとなく、訊いてみると、特別な祝いをしてもらったと誇らしげに語るひとは半数ぐらい、あとはそれどこじゃないわ、などと何がそれどこ、なのかわからないままの応えだったりする。

「長幼の序」つまり年長者を敬い、従うなどという言葉は、いまや死語に近くなっているのだから、「長」をひけらかしてもむなしいだけなのかもしれない。
二月四日というわたしの誕生日は節分の翌日のせいか、忘れられてしまうことが多い。
覚えて朝いちばんに祝いを言ってくれるのはプロヴァイダーのNiftyぐらいなものだ。
だが、今年は運のいいことに、その日は国際婦人クラブCWAJのランチョンの日。メニューもチキンとワイルドライス、という私好みで、しかも近頃のアメリカンクラブの料理は美味なので、これで十分祝われている気分になれる。
教会でも四週目の日曜は礼拝後、愛餐会があり、ホームメイドのランチが供され、その月の誕生日のひとがそれぞれ紹介され、短いスピーチをしたあと、お祝の歌の大合唱で終わるというイヴェントがあるので、これも楽しみ。
息子はインフルのとき大活躍してくれたから、あれをプレゼントだと思うことにしよう。
インフル癒えて二週間後、ようやく泳ぎに行く元気も出た。

健康を取り戻したことを第一に感謝し、あれこれ高望みは控えたいという心境になっている。

2015年1月21日 (水)

オセンベ同盟

インフルの大量投薬ですぐには食欲が戻らなかった。
最初においしい~っと生きている喜びを取り戻したのは、浅草日乃出のオセンベイにかじりついたときだ。
日乃出は一年ほど店舗改築で休業、去年は浅草に行かなかったから、結局二年ぶりの味である。天日干しの固焼きせんべい、火で丹念にあぶって焼きあげ、醤油味がほどよくしみこんだ、オリジナルな味、噛めば噛むほど、素朴な真のうまみが口にひろがる。
ほかの有名店のせんべいも随分食したが、日乃出にはかなわない。
ここを教えてくれたのは、浅草を知り抜いているI子さん、彼女はオセンベイ好きであちこち食べ比べし、ここに辿りついたという。
誰にでもすすめられるものではない。歯のいいひとにでなければ。
幸い、まだ全部自分の歯で、思いっきりカリカリ噛める幸せもついでに噛みしめる。
この日乃出の店、仲見世通りの最初の四つ角左に曲がり、かなりの道のりを歩く。
屋根つきマーケットの中を行くのだが、その間、通りを二つぐらい越し、ええっつ、まだ着かないの?と言いたくなるくらい歩く。そしてようやく次の通りに出る右角に焼いてるオセンベの香りただよう、小じんまりとした店に到着。
十枚入り、1100円。10


一日一枚、楽しみに、楽しみに食べて十日で食べきってしまった。さみしい。また食べたい。でもあそこにすぐまた行く気にならない。
レシートみたらうれしいことが書いてあった。3000円以上、配達します。
三十日分買ったとして、だんだん風味が落ちはしないだろうか。いくら固焼きでも・・・
だれかと、一緒に買えないものか、と、仲間を探すことにする。
歯のいいひとでなければ、入れ歯、差し歯、インプラントをしてると危ない、全部自分の歯というひとでないと・・・
ブリッジのパートナーで、いつもお昼のあとに絶妙なお茶うけを用意してくれるIさんに、あなた、歯はお丈夫かしら?と恐る恐る訊いてみた。
ええ、歯だけは自慢できるの、全部自分の歯よ、夫もそうなの、という、願ってもない話。
日乃出のお煎、ぜひ食べたい、夫の分も二袋お願い、と言われ、同盟は成立した。そのためブリキの大缶用意しとくわ、とも・・・

このごろ、ケーキなどはちっとも食べたくない。甘いものも干し柿が好みだったり、年齢が増すごとに昔の味を求めるようになるのだろうか。
それにしても日乃出のオセンベは十年以上も味が変わらない。こういう本物の味を維持して続けてくれている技術、本当によくこそ、と得難く、貴重なものとして頭が下がる思いがする。

2015年1月17日 (土)

インフル覚え書き

インフルエンザの蔓延はすさまじく、去年より三週間も早く警報レベルに達したと新聞に大きく報道された。流行のピークは今月下旬から来月初めとみられるとあって、この事態はかなり深刻と言わねばならない。
そのせいだろうか、わたしのブログのアクセスもすさまじく、いつも一晩二百ちょっとぐらいなのに、一昨日などは倍以上の四百をはるかに超し、我が目を疑った。

夫もわたしももうすっかり回復して、前よりも元気になったと思うぐらいだが、夫は確かに一時危なかった。反省点はスポーツドリンク嫌いの夫なので、お茶をいつも飲んでいるから水分補給は大丈夫と思ってしまったこと、ベッドに寝ないという状況をリクライニングのほうが楽なのか、と思い込んでしまったこと、でも早く気付いてよかった。救急車に乗るまえに、タミフルと熱さましのリンゲルースをのませたことは、あのあと、ようやく搬送先の病院にたどりつくまえに二時間以上を要したことを思うと、せめてもの、早い回復の助けになったのでは、と自分をなぐさめたりもしている。
ご近所のいつも窓から何か異常はないかとのぞいている好奇心旺盛の老婦人が、救急車があまりにも長く停まっているのに驚いたと、わざわざ電話してきたりしたのだが、あのときの若い救急隊のひとたちは本当によくしてくれた。すべきこと、知るべきことをすべて把握して、搬送先を探してくれた。病院の名を聞いたとき、あまり知られていない救急病院で、一瞬,ツキがないなと思ったりしたけれど、病院は正しい処置をしてくれたからこそ、夫は無事に戻れた。
まだ身体がふらつく夫に一番必要なベッドの柵も、とりつけにきてくれた青年はたったひとりで見事にやり遂げてくれた。
そして何よりも夫のかたわらで、数時間、つきそってくれ、帰宅を可能にしてくれたのは、息子である。
若いひとたちにとても世話になったと思う。我が家は医師関係のコネもなく、一般の救急を頼っただけだが、実に正常に作動してくれた。日本は大した国だとも思った。

インフルにかかったら、ともかく薬だけは処方された分量を正しくのむこと。抗生物質や解熱剤は熱が下がったら加減してもよいらしいけれど、タミフルだけは全部のみきらねばならない。
私の場合は一時、処方された薬、朝晩六錠ずつ、あいだに二錠、夜寝るまえにいつもの胃薬とコレステロールの薬と排泄調節の薬三錠、プラスで、薬がごはんのようになりそうだった。胃をヤラレナイように、セルベックスという粉薬の胃薬を初めにのんでから錠剤をのむようにしたりして、工夫したので、副作用などなく、食欲が正常になるまで数日を要したが、今はもうなんでも食することができる。
それからテレビやPCなど、一切見ないで、ひたすらラジオを聴きながら、横になっていたので目を休めたことも早い回復につながったようだ。

2015年1月15日 (木)

2015浅草歌舞伎

K子さん
昨年末のおとりこみで、いらっしゃれなくなった浅草歌舞伎のチケット、ご厚意頂戴し、昨日、昼の部、無事出かけてまいりました。
浅草は新年のにぎわいも華やぎも、おさまってはおりましたが、やはりかなりの人出で、家を一時間半前に出ましたのに、人をかきわけかきわけ浅草公会堂に着いたのは開演二十分前、ちょっとビビリました。
お席は三階のド真ん中、前から三番目、オペラグラス持参でしたので、若手スターの大写しを楽しみ、三つの演目、十分に楽しみました。
チラシの七人衆、渡辺保氏は7レンジャーとおっしゃっていますが、ほんと、当代きっての人気者、ブログも生の語りも見事にこなす人たち、ルックスもそろっていて、スゴイです。005

巳之助、松也、米吉、児太郎、隼人、種之助、歌昇。
巳之助は三津五郎の息子、児太郎は福助の息子、くらいまではたどれるのですが、あとはだれがだれやら・・・今回昼の部メインの演目『一条大蔵卿・・』主役を演じた歌昇は又五郎の息子というのが調べてわかりました。二代目又五郎は名脇役で顔もすぐ浮かぶのですが、三代目となるともうわかりません。わたしは十歳のころから歌舞伎を観ていて、もう六十年にもなるわけですが、一応一通り観たところで、イタリアに出かけることが多くなり、十二年のあいだは歌舞伎から遠ざかり気味だったので、その頃台頭してきた若手やその世襲関係がはっきりしないのです。
今回はそれを知り、たどるまたとないチャンスとなりました。
演目『娘七種』『一条大蔵卿』『独楽売』初めて観るものばかり、新春らしい美しい色彩の舞台に目が和みました。002

常磐御前の米吉、可憐な美貌で、とても三人の子持ちに見えない、大蔵卿の歌昇は貫録不足、と、それは若さゆえ、いたしかたなく、肝心なのは、演技と、口跡。せりふの発声、言いまわし、さすが申し分なく、次代を担うひとたちの頼もしい存在を実感しました。
とりわけ巳之助の独楽売りの舞踊は見もので、渡辺保氏も絶賛していましたが、三津五郎ゆずりの涼しい目元、流れるようにしなやかな身のこなし、姿も芸も、ただただ、見とれました。
三十分の二度の幕間、お弁当や土産物、プログラムなど客席まで売りにきてくれるサービス、高齢者への配慮が感じられました。

終演、二時過ぎ、二年ぶりの浅草、地理感覚が怪しくなっており、日の出のオセンベイ買うのに大回りしてしまいましたが、お箸や、まな板まで手に入れ、『三定』でエビとキスの揚げ物買って、両手いっぱいの買い物をし、インフルエンザ治癒後初めての外出にしてはおかげさまで、結構元気に帰途につきました。
ありがとうございました。

感謝のご報告まで

2015年1月11日 (日)

インフル騒動記

一週間前、教会の婦人会に出席したあと、ニコタマに出て、孫息子に約束した黄色系のマフラーを探しにRISEを歩き回り、ようやく、これ、と思うのを見つけて買ったあと、バスに乗ったら、咳が出始めた。
その日は手持ちの薬をのんだのだが、翌日、症状は悪化、熱も出てきた。ホームドクターに往診してもらい、細い棒を鼻の奥につっこまれて、うん、間違いない、A型インフルエンザ感染、と宣告される。
タミフルのみはじめて二日目、数十年ぶりすさまじい嘔吐を二度、そのあとはひたすら寝ることにつとめていたら、それほどひどい症状にもならず、順調に回復しはじめた。

夫はマスクを常に装着してはいたが、感染は防げなかった。私が治りかけて三日目、ひどい咳から始まり、熱も出始めた。わたしがひたすら寝て効果があったのだから、薬をのみ寝てさえいれば大丈夫と二階の彼の寝室に見に行ったら、なんと、リクライニングによりかかったまま、ベッドに移らないでいる。どうしたの?と言っても答えない。ねまきに着替えもしていないので、着替えを手伝おうとしたが、手がよくあがらない、おかしいと思ったら、腰に力が入らないらしい、背もたれから上半身を起こせないのだ。会話も伝わらない、目にも力がなく、唇のあたりがふるえている。ともかく横にならさなければ、とあせるが、わたしの力ではどうしようもない。リクライニングをまわしてできるだけベッドに近づけ、ごろんと転がってみて、と言っても、それができない、指でシーツの花もようを数えたりしている。
これはもう容易ならざる事態だ。
救急を呼ぶまえに、少なくとも二度目のタミフルと熱さましだけ飲んでもらおうとしたが、薬の飲み方も噛もうとしたりしておかしいし、水が唇からこぼれる。熱をはかろうとしても体温計をうまくはさめない。わたしが脇に押し込み腕をしっかりおさえて、39度あることがわかった。
その日はホームドクターが午前中だけで、医師の指示ももらえないので、ともかく息子に電話する。彼ならば、去年の末、すでにインフルにかかっているので感染のことを心配せずにすむ。運のいいことにすぐ通じて、会議中だけど、なんとかする、すぐ帰るよ、と言ってくれた。
入院できるよう、荷物をととのえる。前開きのパジャマがない。こういうときのためにそろえておくべきだった、と反省する。夫の着替えは自分で管理してもらっていたし、衣類は自分で買わねば気がすまないひとだったから、任せていたのだが、82歳はそういうことも危うくなっている年齢なのだと実感する。
息子は思いのほか早く戻り、首から横文字の名札を下げたまま、すぐ救急を呼びだしてくれた。ぼくがついていくからというので安心する。わたしも治りかけとはいえ、病後だ。付き添いの激務はつらい。
救急隊が四人、すごくテキパキした医学の知識も豊富そうな青年が必要事項をすべて確かめ、あとは拘束衣のような、シロモノに夫をくるみ、四人がかりでしっかりささえ、車に運ぶ。

それが六時半ぐらいだっただろうか。救急搬送車は赤いライトをつけたまま、そのあと三十分ぐらいも動かず、搬送先を探している様子だった。
車が去ってから二時間ぐらいして、息子から連絡,インフルと聞いただけで、ほかの患者にうつるという心配から受け入れ先がなく、ようやく大森にちかいT病院がともかく診察して策を講じると言ってくれたそうで、そこで脱水症状と診断され、目下点滴中とのこと、入院は無理なので、落ち着いたらタクシーで帰る、とのことだった。
帰宅しても介護が必要な状態が続いていたら、どうしよう。タクシーで帰るということはそれほど深刻な状況ではない、ということか、とつおいつする。

やがて戻ってきたのが十一時過ぎ、ドキドキしながらタクシーにかけよったが、夫がしっかり顔をあげて支払をしている様子に安堵。
階段も危なげなく上り、会話もできるようになっていた。熱は37度台に下がり、病院に行く前のことはおぼろげで記憶にないんだ、と言う。
息子がとても頼りになった、あいつ、昔から冠婚葬祭には見違えるほどしっかりするけど、今度もそうだったのかなあ、などともいうのである。

その晩トイレに起きるときまた、起き上がれなくなって、寝入っている息子に助けを頼むことになった。

そこで気が付いたのである。早急にしなければならないことを。
ベッドに手すりが要る。介護用品のレンタルにそういう簡易手すりのようなものがあるのではないか?
職業別の電話帳で調べ、ダスキンを呼び出す。土曜なのに通じて、すぐ届けると言ってくれた。薄い円形の金属台の上に二本の棒に支えられた幅二十センチくらいの手すりが立ち上がっていて、その薄い金属板をベッドの下にはさみこむというもの。

若いダスキン男性社員、たった一人できて、ベッド持ち上げ、入れようとするがつっかえるのをマットレス持ち上げ、下に衣装ケースが詰まっているのを出し、三年分のほこりを掃除機でとってまでしてくれて、見事にセットしてくれた。その衣装ケースからセーターやらカーディガンやら今必要なものがいっぱい出てくる。収納上手の夫を信頼しきっていたのだが、それが災いして、何をどこにしまったかまで記憶が怪しくなってきている、それが82歳なのだろう、とここでもまた実感。

常日頃、会話がまったくなく、同居の息子との関係がことのほか気がかりだったが、救いが得られた日、夫にもっと気遣いを、と反省させられた日、夫が元の身体で戻ってくれたこの大きな喜びと感謝を決して忘れてはならないと誓いつつ、いまあるこのときをより大切にと深く深く思った日でもあった。


2015年1月 8日 (木)

インフルエンザで臥せっております。一週間ほどブログ休みます。

2015年1月 3日 (土)

正月雑感

大晦日の年越そばは牧田文子先生のレシピ、「天吸い」にしてみて大成功。出汁2.5カップ、みりん、醤油半カップずつをまぜ、土鍋に入れ煮立てる。夫がハゲ天で買ってきたエビ、かき揚げなど揚げなおし、さらにゆでそばを用意しておいて、椀におつゆ張り、天ぷらとお蕎麦つけてフーフーいいながら食べたらあたたまり、かつ美味であった。薬味はきざみ三つ葉、ネギ、ゆずコショーなど。

元日の夜娘一家が来て、おせちがあと一日分残るだけとなり大売れ、おでんもお代わりしてくれて、これも好評。
オペラ友人にぜひ聴かせたかったCDのコピーの仕方を孫息子に教わる。メディアプレーヤーより、アップル社のITunesが絶対いいからといってダウンロードしてくれ、目にもとまらぬ速さでコピーしてくれたのだが、なんだかやり方複雑そう、今度一人でするとき、果たしてできるかどうか・・・

三日目おせちがもつかどうか怪しくなってきた。冷蔵庫にはあえて入れず、暖房なしの廊下においておいたのだが、昔より持ちが悪くなっているような・・・
この日はブリッジの初遊び、夫が焼肉の用意してくれる、と言うのでまかせる。
その日の朝、目ざまし、鳴らず、30分で支度し、夫に駅まで車で送ってもらう。
いつもの携帯でなく、オーディオのBOSEのマニュアルからセットして、大丈夫と思っていたのだが、ダメだった。
鳴るかどうか試しておかなきゃ、と夫に言われてしまう。このごろ、抜けが多いよな、とも。二つのことを一度に考えたりしてるからじゃないか、なんだかタラタラしているよ、と言いたい放題。でも素直にうなずいていた。

ご名菓が供されるので評判の東中野のクラブ、きょうは花びら餅が食べられる。
ゲームより、そちらが目的、ゴボウと甘味は異質の感じだが、これがなんとも口あたりのいい、やわらかな白い餅状の皮でくるんであり、確かに正月だからこその食べごたえあるシロモノであった。

帰宅してBOSEを確かめる。夜の7時に目覚まし鳴る。あれ~っと見たら、現在時刻がamになっていたのであった。

« 2014年12月 | トップページ | 2015年2月 »