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2014年9月11日 (木)

期待はずれだった『火のようにさみしい姉がいて』

大竹しのぶ、宮沢りえの二大女優が競演、しかも脇にごひいき、平岳大、満島真之介が出演、そして何よりも蜷川演出と知っては期待しないほうがおかしい。この日を楽しみに、場所は嫌いな渋谷だったけれどシアター、コクーンは初めてという興味も手伝い、いそいそ出かけたのに、裏切られた。001

ストーリーがわかりにくいのである。
演劇人生に行き詰った、オセロ役者の段田安則と宮沢りえの夫婦が夫の故郷を訪れ、元生家らしき理髪店にたどりつき、そこでくりひろげられる、世にも奇妙な物語である。
わたしはだいたい、段田安則という俳優が好みでない。演技力はあるのは認めるけれども、このひとが主演で、のっぺり顔がいつも中央でわめいているのを見続けるのは耐え難い。平岳大がこの役を演じてくれればよかったのに、などと思えてきたりする。
薬売りだったという老婆が大勢出てくる。蜷川氏の高齢者劇場の団員達なのだろう。「薄汚いババアどもは死ね」などという聞き捨てならないセリフを言われても、嬉々としてラインダンスまで踊ったりする。
二十二か月の胎児がおなかにいるという宮沢りえのおなかはペッタンコである。どこまでが現実で、どこまでが幻想なのかが定かでない。
理髪店の鏡が劇場の楽屋の鏡と二重写しになる舞台美術は効果的である。それなのに、主役三人が力めば力むほど、せりふが空転する。ストーリーの説得力が薄いから、せりふの迫力が空回りなのだ。
勝手に演劇芸術ぶってればいいじゃん、と言いたくなりながら、帰り道のことを考えていた。
蜷川さんの天才的な演出術は認めるけれども、観客を思いやる気持ちがうすくなって、細部に目が届きにくくなっているのではないか。たしかわたしと変わらない高齢、自分の今を思うと、まだ現役バリバリでいなければならないのひとの苦労もおのずとわかってくる。

幕間のロビーも、いい出しものを観ているという熱気や興奮は感じられなかったし、退けたあとも、難解だった、感動がなかった、という声が聞こえたりしていた。

演劇は臨場感を楽しむものなのに、ひとりよがりの力んだ二時間余につきあわされたやり場のない不快感を持て余しながらの帰り道は、とりわけ長く感じられた。

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