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2014年8月12日 (火)

失ってほしくないこと

朝九時ごろ、横浜に向かう電車の優先席に座っていたら、ななめ前に立っていた中学生らしい男女三人の話し声が聞こえてきた。
「だからさ、オマエんとこと、オレんとこじゃ、違うって言ってんだよ」
言ってるのは、なんと、男の子よりずっと小柄の女の子なのである。大柄の男の子の声のほうが小声でどう応えているのか聞き取れない。
女の子はおかっぱの優しい顔立ちでこのドスの効いたせりふがなんとも不釣り合いだ。わたしは思わずじぃ~っとみつめてしまったのだが、目が合ってしまい、降りるとき、もしや、「ガンつけやがって、このクソババア」とでも言われそうな気がしたのであわてて目をそらした。
友人を殺して解剖しようとしたあの恐ろしい女子高校生は小さいときから、オレと言っていたそうだが、この車中の場面からも異常な一人称の使われ方がめずらしくない事実を目撃することになった。

中村桃子著『翻訳が作る日本語、ヒロインは「女ことば」を話し続ける』によれば、現代の女子小中学生は「わたし」を使わずに、「うち、ぼく、おれ」などを使う子が多く、自称詞は変化して、自称詞による男女の区別がなくなるかもしれない、可能性があるのだそうだ。

でも、『ハリーポッター・・』のハーマイオニーは勉強熱心、気の強い女の子だが、訳書の中では、私、・・わね、・・わ、という女言葉を使っている。中村さんによると、女言葉は敬語と並んで、世界で珍しい日本語の特色だが、いまや、だわ、わよ、のよ、などの女言葉は死語になりつつあり、翻訳書がその特色を維持するための役割をはたしている、そうで、非常に興味深い指摘だと思った。

四十年まえ、娘はいわゆるお嬢さん学校と称するミッションスクールに通学していたが、そのころからすでに、だわ、わよ、のよ、的話し言葉は消滅していて、うすら寒い気がしていた。それでもまだ、携帯のないころだったから、わたしの長電話などに耳をすましていて、わたしの語調から察するのか、ママ、いまのひと、あんまり好きじゃないでしょ?などと鋭いコメントをしたりすることがあったが、少なくとも、女性の他人への話し方、尊敬語や謙譲語を、スピードラーニング的に耳から覚えていたには違いないのだ。
だが今は、母親たちのほとんどが仕事を持っていて、スマホでのやりとりに明け暮れるから、子供たちが大人の会話を耳にする頻度が格段に少なくなっている。同じ年頃の友人たちだけが心のよりどころになりがち、だとすれば、言語能力が限られてくるのは当然だろう。

かつてアメリカの大学で女性学の講座をとったとき、男性はメジャーな判断力に長けており、女性はマイナーながら、細やかな判断力に長けている、と学んだ。
男女平等は当然だが、男性ならではの能力と女性ならではの能力はおのずから異なる。

女性であることを誇らしく思えるように、子供のころから導けないものだろうか。
女性の一人称を失ってはならない、と強く思う。

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コメント

男女同権でも同質ではないゆえ、それぞれの「らしさ」は失いたくないと思います。
言葉も時代とともに変化していくのは仕方ないのですが、なんだか大切なことまでが失われていくように感じられ淋しくなります。

Tacchanさま
本当にそうですね。世界にも珍しい、日本語の特色は大切にしたいものです。

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