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2014年8月に作成された記事

2014年8月30日 (土)

女性の暮らしについて 2

食のことあれこれ

料理のレシピを見ながらつくるのは、ある程度調理技術をおぼえたなら、だれにでもできることだろう。でも食材だけ見て、献立を思いつくには、かなりの調理歴がなければならない。それに何と何を組み合わせればよいかというセンスと、創造力も必要になってくる。

三十代でアメリカの地をふんだとき、巨大スーパーのあふれるほどの食材を見まわしながら、ガリバーの巨人国に来た小人になったような気がしたものだ。
何をどう購入したらよいのかわからない自分の無力さに打ちひしがれながらも、圧倒するほどの食の可能性に興奮している別の自分もいた。
キッチンの真ん中にそびえたっている巨大なオーブンにも、初めはおびえた。それに日本では手の届かなかったような高価な肉の塊がごろごろしていて、安価で購入できる。それなのに、すきやきやしゃぶしゃぶをしようにも、薄切り肉は売られていない。まだスライサーなども手に入らなかったから、包丁でそぎ切りにしなければならない。
ネギも大根もなかったから、味噌汁の具に困り、アメリカで日本料理をつくるのは難儀なことであった。
アメリカ料理の典型はキャセロールという、いろいろなものをぶちこんでソースをかけオーブンで焼き上げるというものだったが、トリを使うものが多かったので、トリ嫌いのいる我が家ではあまり作らなかった。
巨大オーブンが一番活躍したのは、菓子づくり、生地をのばし、型ぬきするという、フランス風とちがい、アメリカ式はスプーンですくって落とす、パイも層に重ねたりせず、ざっとのばしてふたをし、フォークをつきさし空気ぬきするワイルドなつくりながら、素朴でおいしいその味がすっかり気に入って、Better HomesやJoy of Cookingはページがぼろぼろになるほど読み込んで実践した。

会社の出張者に日本食をふるまい、ねぎらうのは、駐在員の家庭の役目だったので、和食を工夫してつくらなければならない。中西部なので、よい魚も手に入らず、メインはコロッケやカツなどにして、あとは味噌汁、浅漬けなどの漬物や酢の物を手作りしてもてなすことが多かった。

日本人社員家族の集まりも多かったし、子供の友人を招いてパーティをしたり、アパートの隣人を招いたりしながら、客料理はずいぶん慣れてきて、大勢を招くときは、ともかくメインの準備が完了し、デザートが出来上がっていると、あとは気も楽になり、スムーズに運ぶというこつも会得した。
一度招かれたら、必ずお返しの招待をするというのが礼儀で、日本人同士、現地人の知り合いや、友人との付き合いが、あまり苦にならないほどに、慣れてきていたし、あのころはやはり活力があった。若かったのだと思う。

いまは手製の昼食をふるまってくれた友人二人に、まだお返しができていない。
夫が留守になることが少ないから、というのは言い訳で、実は、客料理が果たして満足につくれるかどうか、自信も失せてきているのである。
それほどに毎日の献立も、一汁一菜がせいぜい、いい加減になっているのを意識するこのごろである。


2014年8月27日 (水)

女性の暮らしについて 1

テレビもラジオもない軽井沢のステイだったが、ゆったりとくつろげる部屋のソファーや、広々した芝生の木陰のベンチで、読書にふける時間はたっぷりあった。

持参した本は図書館で借りた『ハウスワイフ2.0』

改行が少ない、細かい字がいっぱいのかなりのページ数の本だったが、現在アメリカの女性に起きている、新しい現象についての内容に、すぐ引き込まれ、帰京までに読み終わった。

著者エミリー・マッチャーはハーバード出の三十代のフリーライター、二十世紀に確立したかに見えた女性の社会進出は、不況や異常気象、変わらぬ男性主導傾向にもろくも崩れかけており、家庭回帰の傾向が広がりつつあるという。「本当に大切なことは、ものに埋まれた暮らしでもなければ、ひたすら出世の階段をのぼることでもない・・・実は家庭でしか味わえない心地よさを、人はどこかで求めている」ことに気付いた女性たちが、家庭に戻り、家事の値打ちをより高めるというhome makingに熱中し始めたというのだ。
彼女たちは家事に専念するために仕事を辞めたことをうしろめたい個人の事情ではなく女性としての立派な決断であるという誇りを持ち、徹底的に環境に配慮した暮らしを目指し、自分の口に入るものは自分で管理するという手作り食ブームまで作りだしている。しかもその家事は過去の主婦たちが陥っていた孤独な仕事ではいまやなく、ブログというコミュニティーを通して、新たな仕事の可能性をも生み出しており、こういう主婦のことを著者や「ハウスワイフ2.0」と命名したのである。
しかも手作りにこだわるということは過去の主婦たちの手すさびであった、キルトとか編みものブームへの広がりをもたらし、この本の著者でさえも、ゆったりと編み物をすることにあこがれていたりする。

そういえば、刺し子の記事を求めてネット検索したら、英語圏の手芸関連のブログがあまりに多いのに驚いたのだった。You tubeには実演のプログラムが沢山あるので、月謝を出して習わなくても、独学可能なのである。

およそ二百名以上の女性たちにインタビューしたという、この本の記事の詳細は興味深い。手作りに徹底するあまり、家畜を飼い、畑で野菜づくりして、食費をきりつめている人たちもいるし、「複数の人に育てられた赤ちゃんは脳の感情をつかさどる部分が発育しない」という理論を信ずるあまり、保育園を否定し、家庭のみで育児に専念する人たちもいたりする。

四十年まえ、アメリカ中西部で四年生活したとき、現地の主婦は自分たちのことをハウスワイフと称することを嫌い、ホーメメイカーという呼称を好み、家事をきわめていた。やがて女性解放運動が盛んになり、主婦は自分のアイデンティティー確立のために外にとび出していくようになった。
半世紀のあいだに、アメリカの女性はひとめぐりして、また原点に立ち戻ったということなのだろうか。

人間は死ぬまで食べなければならない。いまや、コンビニやデパ地下やあらゆる場所で、すぐに調理されたものを購入することができるから、家事はいくらでも短縮できる。でも食べ続けなければならないゆえに、自分が口にするものはもっと徹底管理すべきではないか、ということが時折頭をかすめる。

アメリカでいま起きていることは決して一国のことにとどまらない。自分のいま、これからの自分の暮らしに考えがおよび、この本は主に著者の年代のひとたちの探訪記事が多いが、海外のわたしたちの世代はどんなであろうか、と関心を持たずにはいられなかった。
                                  (続く)

2014年8月23日 (土)

軽井沢へ

草津のあとは一人で軽井沢へ。
宿泊地はキリスト教の研修施設、『恵シャレー』、雲場の池近くの六千余坪の広大な土地に建つアーリーアメリカン調の建物。
二十数年まえ、ここで外国婦人たちとの二泊三日の会議に出席したことがあって、今回、個人客も受け付けるのか不安だったのだが、所属教会名を告げたら、OKとなった。
古びてはいるが、管理が行き届いているので、とても居心地がいいツインの部屋。芝生の庭が広く、ゆったりくつろげるカフェも開かれている。009

二食付だが、食事も昭和時代の洋食というメニューで、味もすこぶるよかった。010

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最初の夕食のとき、食べはじめるまえに、美しい合唱が聞こえてきたのに驚く。なんと女子高校の聖歌隊が合宿していたのである。
前橋にある『共愛学園』聖歌隊の皆さん、聖歌隊主導の礼拝にもゲストで招かれ、あとミュージカルのリハーサル公演も観劇させてもらった。
こんなに清純で真摯な女子高校生の存在を知ってうれしくなる。

二日目、旧道まで行くのに、徒歩二十分と聞いていたので、タクシーでないと無理かと思っていたら、同宿の老婦人が、大丈夫、歩いていけますよ、と道を教えてくださった。万歩計持参でいらっしゃって、八十歳過ぎということだったが、わたしもまだもう少しがんばれるかも知れないと、とても励まされる気がした。

シャレーを左に、すぐ右に曲がり、鳩山通りをまっすぐ、四辻を左直進、軽井沢銀座に出る。
木陰の道は涼しいが日向に出ると、陽射しは東京並み、日傘が必需品である。
軽井沢も年々暑くなっているのをひしひしと感じる。そしてこれはもう地球全体の危機だということも。
大邸宅とおぼしき別荘何軒もが、まるで無人のよう、こう暑くては軽井沢はもう別荘地に適さなくなってきているのかもしれない。

インド綿のブラウスがバーゲンで二着、六千円で買えた。
リンゴ、桃、野沢菜の漬物、宅急便で東京に送る。ジャムは重いけど、持ち帰った。

紅葉の軽井沢、再訪したい、と切に願う。

2014年8月21日 (木)

草津へ

八月十七日から草津に二泊、軽井沢に二泊の小旅行をした。
草津は湯宿『このは』に三度目の宿泊、Y子さんご夫妻とご一緒で草津音楽祭を楽しむ目的。
今年はリヒャルト・シュトラウス生誕150年、彼と同時代のマーラー、その他ドボルザーク、ラヴェル、シューマン、東京でのコンサートでは聴けないようなめずらしく多様な曲目が披露された。030


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オープニングの日はポーランドの名指揮者アントニ・ヴィットがご当地オーケストラ群馬交響楽団からすごい音色を引出し、感動の渦に包まれた。
開会の挨拶に現れた音楽祭事務局長の井坂紘氏、マーラーとシュトラウスの友人関係やロマン派最後の巨匠であるシュトラウスの膨大な作曲にまつわるエピソードなどを雄弁に語られ、この類まれなる世界的レコードプロデユーサーがたずさわっているからこそ、毎回新鮮味あふれるプログラムを満喫させてもらえるのだということをつくづくと感じた。

二日目もウイーンで今一番嘱望されている若きピアニストクリストファー・ピンターフーバーがシュトラウスのめずらしいソナタやラヴェルのラ・ヴァルスの超絶技巧演奏を聴かせてくれて満足した。

海外では一人旅が多かったが、国内旅行はやはり、お連れがあるのがうれしい。同年齢のわたしたち、ゆうべ、寝つきがわるくて、などと口を開くと、すかさずそう、そう、わたしも、ぼくも、と同じ悩みをうなずきあえる心強さも味わえるのである。
今年の草津は前回に比べて、さわやかで、過ごしやすかったのは幸いだった。

2014年8月15日 (金)

バースデイ・プレゼント

孫息子二十一歳の誕生祝も兼ねて、歌舞伎に誘った。
八月納涼歌舞伎は三部制、一番面白そうな、第二部の『輝虎配膳』と『たぬき』を選んだのだが、正解だった。渡辺保氏の批評でも、「抜群に面白い、芝居好きにはたまらぬ二時間四十五分、」とある。
この批評文をプリントアウトし、チケットと一緒に渡す。

ちゃんとしたかっこうしてきてね、と電話で話したとき、どんな?と訊くので、少なくともぞうりと半ズボンはやめてよ、と念をおしておいたのだが、現れた彼、紺のT シャツ、七分丈のパンツ、靴はなぜかオレンジ色のスニーカー、昼の部なので、女性は着物姿が多いが、男性はラフな格好多く、外人はそれこそ、ゾウリのひともいたので、ま、いいか。
わたしより頭一つひょろっと高く、いちいち見上げて話をするのが妙な感じ。そういえば二人ででかけるのは十年ぶりかもしれない。
前から十番目のど真ん中、間際に買ったのに、よくこんないい席、売れずに残っていたものだ。
歌舞伎の典型的な型の多い近松作品だが、孫は息をひそめて見入っていた。戦国の猛将の貫録と猛々しさをこの上なく見事に表現した橋乃助、成長したなあと感動である。そして渡辺氏も絶賛した、萬次郎の越路、朗々とよく響く声、老女役がこれほど際立った舞台もめずらしい。
大佛次郎の『たぬき』は、新歌舞伎だからわかりやすく、テンポも速く、ユーモアたっぷり、孫も声を立てて笑っていた。勘九郎の太鼓持ち蝶作、亡き勘三郎そっくりのしぐさやせりふまわしが随所に見られて、胸がいっぱいになった。七之助も見応え十分の娘役、歌舞伎は立派に受け継がれている。若い人にもっと見てもらわなければ。

孫は意外にも近松もののほうに感動したのだそうで、黒子の役割とか花道が小舞台になるところにつきせぬ興味を呼び覚まされたようだ。

食事は和物がいいというので、『竹葉亭』でうなぎを食べる。
いつのまにか、たばこを吸うようになっていて、喫煙席で二時間を過ごす。
週三回六時間ずつ、スーパーでのアルバイトも七年になる貧乏学生。
歌舞伎と銀座の食事、彼にとっては贅沢三昧の初体験、わたしが死んだあとも忘れないでおぼえていてほしいと願った。

2014年8月12日 (火)

失ってほしくないこと

朝九時ごろ、横浜に向かう電車の優先席に座っていたら、ななめ前に立っていた中学生らしい男女三人の話し声が聞こえてきた。
「だからさ、オマエんとこと、オレんとこじゃ、違うって言ってんだよ」
言ってるのは、なんと、男の子よりずっと小柄の女の子なのである。大柄の男の子の声のほうが小声でどう応えているのか聞き取れない。
女の子はおかっぱの優しい顔立ちでこのドスの効いたせりふがなんとも不釣り合いだ。わたしは思わずじぃ~っとみつめてしまったのだが、目が合ってしまい、降りるとき、もしや、「ガンつけやがって、このクソババア」とでも言われそうな気がしたのであわてて目をそらした。
友人を殺して解剖しようとしたあの恐ろしい女子高校生は小さいときから、オレと言っていたそうだが、この車中の場面からも異常な一人称の使われ方がめずらしくない事実を目撃することになった。

中村桃子著『翻訳が作る日本語、ヒロインは「女ことば」を話し続ける』によれば、現代の女子小中学生は「わたし」を使わずに、「うち、ぼく、おれ」などを使う子が多く、自称詞は変化して、自称詞による男女の区別がなくなるかもしれない、可能性があるのだそうだ。

でも、『ハリーポッター・・』のハーマイオニーは勉強熱心、気の強い女の子だが、訳書の中では、私、・・わね、・・わ、という女言葉を使っている。中村さんによると、女言葉は敬語と並んで、世界で珍しい日本語の特色だが、いまや、だわ、わよ、のよ、などの女言葉は死語になりつつあり、翻訳書がその特色を維持するための役割をはたしている、そうで、非常に興味深い指摘だと思った。

四十年まえ、娘はいわゆるお嬢さん学校と称するミッションスクールに通学していたが、そのころからすでに、だわ、わよ、のよ、的話し言葉は消滅していて、うすら寒い気がしていた。それでもまだ、携帯のないころだったから、わたしの長電話などに耳をすましていて、わたしの語調から察するのか、ママ、いまのひと、あんまり好きじゃないでしょ?などと鋭いコメントをしたりすることがあったが、少なくとも、女性の他人への話し方、尊敬語や謙譲語を、スピードラーニング的に耳から覚えていたには違いないのだ。
だが今は、母親たちのほとんどが仕事を持っていて、スマホでのやりとりに明け暮れるから、子供たちが大人の会話を耳にする頻度が格段に少なくなっている。同じ年頃の友人たちだけが心のよりどころになりがち、だとすれば、言語能力が限られてくるのは当然だろう。

かつてアメリカの大学で女性学の講座をとったとき、男性はメジャーな判断力に長けており、女性はマイナーながら、細やかな判断力に長けている、と学んだ。
男女平等は当然だが、男性ならではの能力と女性ならではの能力はおのずから異なる。

女性であることを誇らしく思えるように、子供のころから導けないものだろうか。
女性の一人称を失ってはならない、と強く思う。

2014年8月 7日 (木)

孫息子の行く末

終戦記念日が近づいている。その日は孫息子の誕生日でもある。両親が音楽関係の仕事をしていたので、平和を奏でる、と言う意味で「奏平」と名付けられた。生まれて三日目、新生児黄疸の熱が下がらず、救急車で運ばれることになり、わたしが付き添った。わたしは神に祈った。「わたしの命を縮めてでも、どうかこの子を生きながらえさせてください」と。

三歳のときに父親が心筋梗塞で急死した。いつも父親のベッドにもぐりこんで寝ていた場所を奪われ、ソウヘイの心は荒れた。「ぼくなんか死んじゃえばいいんでしょう」などと言って、急に飛び出していくことが頻繁にあった。

小学生になってから、アレルギー喘息になり、我が家に泊まりにくるとよく発作を起こした。定期的に病院に薬をもらいに行くときに付き添うのは、ジジババの役目であった。

大学生となった彼は、もう発作を起こさない。大病もしたこともなく、精神状態もおだやかで母親のよき相談相手になっている。中学ごろから始めたドラムはかなりの腕らしいが、それで身をたてられるほどではない。大学では情報音楽を専攻、来年は四年生だが、就職活動はどうなっているのだろう。

我が家には妹と母と三人で月に一度くらい訪ねてきて、よくしゃべる。わたしはつい気になって、「奏ちゃん、しっかり働いて、ママを安心させてあげてね」などと言ってしまう。「うん、わかってる」と答えるのだが、娘と電話で話すと、あの子は企業向きじゃないし、こういうご時世だから、いつなにが起きるとも限らない、いまのうちに好きなことをいっぱいさせてやりたいから、なるべく干渉しないようにしている、と言う。

きょう久しぶりに大型書店に行った。一番目立つところに、目立つ本が平積みしてあった。
『好きなことだけして生きていけ』そのそばには『努力不要論』と『頭の良さとは「ヤマを張る技術」のこと』が・・・
こんなわけないじゃないか、と思いながら手にとってぱらぱらページをめくりたくなるのを誘っているのである。
わたしは危うく、ソウヘイに『好きなことだけ・・』本を買いそうになって、ふみとどまった。副題の「やらなかった後悔よりやっちゃった後悔をえらべ」とか「きみにはいやなことをがまんする時間はない」を見ながら、こんなことに左右される人間になってほしくない、と思ったからだ。
彼は自分自身で自分の道を選ぶだろう。本当に人生の真実をおしえてくれる本を沢山読んでいる彼を信じていようと思ったのだ。

2014年8月 3日 (日)

週刊レポート

ダイニングキッチンのエアコンが冷えなくなってしまった。
点検のひとくるまで、数日、さらに、修理工事が終わるまで十日間を経過する。
それに加えて、夫の部分入れ歯が折れてしまい、次の診療予約の日までの一週間、やわらかいものしか食べられなくなってしまったので、朝はオートミールや、フレンチトースト、夜も麺類とか、おかゆなど、冷房なしで火を使う料理は消耗するので、買ったもの多く、手抜きに徹底する。
それでも、夫はなにかおいしいもの食べたいなあ、と言うので、クッキーを焼くことにした。
わたし好みのあの、噛めば噛むほどおいしい健康クッキーではなく、レモンの皮とジュース加えた、お砂糖たっぷり、玉子、バターのクッキー、おいしい、おいしいと言ってほとんど一人で食べてしまう。

暑いなか、ブリッジクラブ、教会までの歩きがつらいので、夫にアッシー君をしてもらう。
帰りに食品買うと、果物、豆腐、キャベツ、切らしてしまった調味料、砂糖、醤油など買ったら、重くて、運ぶのが大儀になったので、また携帯で呼び出して迎えにきてもらった。
クッキーなどお安い御用と、感謝をこめて、再び、今度はチョコレート味、シナモンやクローブ入れて、アーモンド粉も混ぜ、ラム酒をちょっと、で焼き上げる。
これこそ、夫婦の持ちつ持たれつ・・・

ハンギングバスケットの草花が焼け焦げたようになってしまった。夏には強いという百日草なのに・・よく見るとバスケットの隙間を埋めていたヤシの繊維が古くなって、支えになっていない。水がもれてしまうのだ。
さっそく新しいヤシ繊維を買ってきて、全とっかえ・・・ついでに土も新しくする。
焼け焦げた葉や茎を取り去ったら、なんともみすぼらしい有様となったが、数日たったら新芽が出て、蕾もついた。買ったときより、花はずっと小さくなってしまったけれど、生き返ったのがうれしい。見る度に元気をもらう。
この時期、水やりは時として三度にもなる。花たちの顔を見ただけで、ほしがっているかどうかがわかるようになってきている。


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