七月大歌舞伎夜の部を観る
新装成った歌舞伎座に遅ればせながらでかけた。一年以上も空いてしまったのは、出し物がどれも観てしまったものばかりで、これぞという演目がなかったからだ。
この七月興業の夜の部、玉三郎、海老蔵、中車の最高の顔ぶれ、『悪太郎』『修善寺物語』『天守物語』未だ観ていない演目が初めてずらりと並んだので、やはり新歌舞伎座初体験というN 子さんをさそって二か月前、どの日もほとんど満員でようやく一日だけ一階ド真ん中のS席二枚があいていたのを確保。
出し物、役者極め付きのときは、客足がすこぶる早いことにあらためて驚いた。
古くなった歌舞伎座をこわすことを知った時、とても哀しく思ったのだけれど、元の劇場のイメージそのままの実に立派な新築完成で感動した。日本人はこんなことができるのだ、と。
上を見上げるとビルがそびえていて、ちょっと異様な感じではあるが、内部は素晴らしい。
座席のスペースがゆったりしていて、足元にお弁当やら、何やら余分な荷物をおいても、ひとが十分通れるゆとりがある。天井もアクリル板なのか白い部分が多く、明るい。舞台も広くなったようにさえ、感じる。
舞台美術の美しいこと。修善寺物語の伊豆山中の景色、渓谷の幽玄さ、そして天守物語の天守閣の別世界に繰り広げられるドラマがこの新歌舞伎座にふさわしい芸術性あふれる堂々たる歌舞伎ならではの美を堪能させてくれた。
歌舞伎に横入りした中車、どれほどの演技を見せてくれるかと楽しみにしていたのだが、修善寺物語の夜叉王、演技はともかく、せりふのエロキューション、発声法、が歌舞伎的でなく、テレビドラマや映画的なのが、妙に目立って気になる。映像ではこんなものかと思っていたのに、声の質が聞き苦しいしゃがれ声。やはり何十年歌舞伎の世界で鍛錬してきたひとたちに追いつかぬ何かがあるような気がして、同じ思いのN子さんと顔を見合わせてしまった。
天守物語の玉三郎の美しさに見とれた。このまえ見た舞台は数年まえだったが、むしろ若くなったとさえ思われる。長いせりふが多いのに、エロキューションが完璧なので、聞き惚れてしまう。
驚いたのは海老蔵、このひとのせりふまわしは喉にこもったようで聞き苦しかったのに、図書乃助の若々しく、明瞭で凛々しい発声に、美しい容姿が一段と引き立ち、すごみさえ感じた。あの謹慎のときを無駄には過ごさなかったのだ。
歌舞伎はやっぱりいい。但し、現代演劇の早いテンポに慣れてしまったせいか、あまりにもゆるやかな流れに、しばしば眠気をもよおすのをこらえねばならなかった。でも、足が丈夫なうちは、また通いたいという欲が出ている。
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