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2014年6月 8日 (日)

いま、思う

日常を取り戻せたことを、わたしたちは深く感謝している。
蒲田駅のひとたちに、お礼に行ったほうがいいんじゃない、とわたしが言い出して、夫はちょっと渋っていたが、結局自分で行くと言って出かけて行った。
あのときは東京駅から乗って、蒲田に着くまで眠ってしまい、立ち上がろうとしたら、意識を失ったのだという。
いわゆる立ちくらみ、貧血のようなものなのか、病院では、癲癇ということもありうるなどと言われたが、その瞬間の映像をとらえなければ、くわしい症状はわからないらしい。
それでも血管の細部までを映し出す機械のある、E病院で検査してもらったほうがいい、としつこく説得し、紹介状をもらって予約をとる手はずになった。
来週も高校の同級生たちとの麻雀会が二つも続くという。
それが終ってからな、と夫は言う。
そのお仲間たちもほぼ全員闘病中なのだそうだ。

聖書の「コヘレトの言葉」を愛読している。
曽野綾子さんの解説を借りると、全篇、人生に対する空しさをつづってはいるが、そこには絶望をみつめた者だけに許された,透明な、根強い希望と解放感がある・・・この著者はあらゆることを望み、それがはかないこと感じた。人間には持って生まれた素質があって、それを超えることは不可能である。人間は賢くなることを望むが、賢くなれば苦しみもふえる。あらゆる富も権力も嵐のようなものであった。しかも運命は不当であった。どのような偉大なことをなした人間も忘れ去られる。人間は自分の意思によって何かをなそうとするが、すべてのものには時があって、神がそれを統べている・・・
この絶望的な人物がくりかえしこの世ですすめていることがある。それは楽しく生きることである。「神に与えられた短い人生の日々に、飲み食いし、太陽の下で労苦した結果のすべてに満足することこそ、幸福で良いことだ。それが人の受けるべき分だ」(5・17)

わたしが楽しみとすることを奪われたくない、と同様に夫の楽しみを奪うことはできないし、したくないのである。


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