続『魅惑のイタリア大紀行』
ローマ,ヴェネチア編、ルネサンス文化遺産の粋をたどりながら、次第にある感慨にひたりはじめた。
老いのにじむ後姿を惜しげもなくみせながら、塩野さんはイタリアで暮した四十年という月日に悟った至言を発する。
彼女が家族には一年だけの滞在と約束してイタリアを訪れた1963年、その年の私は、二人の子供の子育てに忙しかった。
世間が肯定することを守っていれば安心ということが身についてしまっていて、心の奥底にもっと違うことを望んでいる声があることを気が付いてはいたが、耳を傾けないようにしていた。
塩野さんはわたしと同じ年齢で、その年すでに自己実現を果たしたのだ。勇気ある決断である。一年だけいるはずのイタリアに四十年、そこでキャリアを成就し、今も暮している。
わたしは両親の介護を終え、片親となった娘の子供たちの世話が一段落した65歳のときにイタリアと出会い、それから十年、二十回の一人旅をした。
イタリアには再び訪れないではいられなくする何かがある。人間が極限にまで挑んで成し遂げた作品を見るときの満足感、そしてその文化遺産を誇りに思いながら、守っていく国民たちの生活態度、そのことを神が祝福しているような自然の恩恵、それを感じたいのだ。
ルネサンスを一口に説明することはできない、ともかく訪れて感じてほしい、と塩野さんは言った。あまたの情報に左右されるのではなく、自分で感じること、これが大切である、と。ヴェネチアの『ダニエリ』のテラスでの彼女は黒の透けたニットのセーターがよく似合って美しく、毅然として見えた。
塩野さんの言葉を見事な受け答えでしめくくる向井くんも好ましかった。
彼も、必ずや、イタリアを今度は一人で再訪するだろうと思いながら眺めていた。
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