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2014年6月に作成された記事

2014年6月29日 (日)

刑事もの、大好き

膀胱がんを二十年近くかかえている友人に電話するときは、いつもおずおずと声をひそませる。彼女の、はい、という声を聴くと、ああ、よかったと安心して、お元気?などというバカな問いを発しそうになる。
彼女は相も変わらずきれいな声で、うれしそうに次から次へと問いを発し、一時間以上もおしゃべりしてしまった。
足が弱ってしまったので、徒歩三分という駅までも歩けなくなってしまった、などとあっけらかんと言う割には食欲があるそうで、ああ、胃腸が丈夫なら、まだまだ大丈夫とひととき安堵する。

ローマに数年住んだことのある彼女はイタリア語がなつかしい、と言って、ミステリーチャンネルというケーブルテレビの、イタリアの刑事ものを何本も観て、楽しんでいるといういい情報をくれた。
早速、有料の手続きをして、AXNミステリーというチャンネルを開けるようにする。
シチリアの刑事、『モンタルバーノ』はイタリア人の五人に一人が観ているのだそうだ。ほかにグルメ探偵『ネロ・ウルフ』シェパード犬が主役の『REX』、録画予約がふえて、超多忙。

おまけにきょうは話題のベネディクト・カンバーバッチの『シャーロック』字幕版が九時間続けてオンエアー。

ありがとう、あなたのおかげよ、とおずおずお礼電話したら、またまたおしゃべりがとまらなくなった。


2014年6月25日 (水)

クセになる味

近頃、甘いものはもう食傷してしまったのか、あまり食べたいと思わない。それでも、紅茶やコーヒーを飲むときのお茶うけは欲しい。なにか、もっと自然な味で、くせのないものはないのか、と探していたら、美容院の雑誌に、これは、というレシピを見つけた。
噛むほどに小麦の味が広がる「全粒粉のビスケット」オズボーン未奈子さんのレシピ。
材料
1.全粒粉  80g
  薄力粉  30g
  アーモンドパウダー  30g
  洗双糖  大さじ3
  塩    小さじ1/2
2. 植物油  大さじ1
3. 豆乳   1/4カップ
4. レーズン 40g

まず1の材料すべてを泡だて器で混ぜ、塊がなくなったら、2をくわえ、手でつかむように混ぜ、そぼろ状にする。
3を加え、練らずに混ぜ、4を加え、練らずに混ぜ、生地をオーブンシートの上で5ミリに伸ばし、あらかじめ好みの大きさにカットして、180度Cで20分ぐらい焼く。

これ、『おもてなしの定番』という聞きなれない雑誌に載っているものだが、この美容院、オーナーがインテリアや、料理に趣味のある、センスのいいひとなので、内容を確かめて購入したものと思われる。

さて出来上がりだが、ほんと、噛めば噛むほどに甘さひかえめ、自然な味、おいしい。ついつい、手が出て、食べ過ぎてしまうほど。

ケーキ、クッキー、パイ、タルトなどずいぶん手製にはげんだけれど、最後にこういう単純なものに行きつくとは。

夫は香ばしい臭いを嗅ぎつけてやってきたが、超甘好きの彼としてはお呼びでなかったらしい。ちょっとかじっただけで出て行ってしまった。

2014年6月23日 (月)

独善ディナー

今晩なに食べる?というのが、かなり難問になったりする我が家。夫がこってりしたものが食べたいときに、わたしがあっさりしたものを食べたかったり、その逆であったり、夫はトリと魚がダメなので、アジの開きと味噌汁という簡単ごはんにできないという、厄介さがあったりなのだが、きょうは彼の好みを無視して、こちらの好みを通すことにした。
と、いうのも冷蔵庫の野菜室におさまっている、トウモロコシが気になっていたからだ。

教会の帰り、スーパーでの買い物は豚肉とナス、のみ、という安上がり。

あとは冷蔵庫の野菜室にピーマンもトマトもあるので、メニューは豚肉とコーンとピーマン、トマトの炒め物。
コーンのおいしい今の時期、必ず登場するメニュー、
ゆでたコーンの実をそぎ、ピーマン角切り、トマトも種をはずして角切り、豚肉も同じ大きさに切っておく。
肉に酒とショウガのしぼり汁をかけ、カタクリ粉をまぶし、最初にフライパンで炒め、あとコーン、ピーマン加えなおも炒め、最後にトマト、味つけは塩コショー、わずかに砂糖。

副菜はナスを半分に切って、それを五ミリ厚くらいに切り、油たっぷりで炒め、味付けは醤油と味醂同量。

最後に夫の大好きな大根の千切りの味噌汁、青ネギたっぷり加える。

何か漬物ほしい、思っていたら、キューリのヌカ漬け買っといたぞ、と夫が言ったので、まさしくわたしの食べたいものすべてがそろったことになり、意外にも彼からも、どれもうまいよ、と言うコメントが聞けたのだった。

2014年6月18日 (水)

何が何でも

あまり話かけたりしない息子がめずらしく、明日から海外だから、と言いに来た。
わたしはてっきり出張だと思って、どこに?と訊くと、ブラジル、との応えに、ええ~っとなった。
四年まえにも南アフリカまで出かけ、ブブセラまで買ってきた彼だが、今回はあまりにも遠いから、まさかと思っていたのだ。
月曜に帰る、と言った顔はちょっとうれしそうだった。

十二時ごろ、寝る支度をしていたら、わたしの部屋に入ったこともない、彼がまたやってきて、プリンター借りるよ、と言うのだ。
ホテルの予約確認のメールを印刷するのだという。
ちょうど黒インクが切れていて、カセットを入れ替えなければと思っていたところだったが、迷いのない手さばきでセットしてくれ、大いに助かった。

くれぐれも気をつけてね、と言ったけれど返事はなかった。

翌朝、五時ごろ起きてネコを外に出したときには、もう靴が消えていて、部屋をのぞいたらきれいに片付いていた。

中学時代、なんど声をかけても起きてくれず、朝起きられない病気じゃないかと思ったこともあったけれど、何はともあれ、サッカーという好きなものができて、どんなに遠くても、休暇をとって出かけるくらいの覇気があることがわかって、安堵したのであった。

2014年6月16日 (月)

続『魅惑のイタリア大紀行』

ローマ,ヴェネチア編、ルネサンス文化遺産の粋をたどりながら、次第にある感慨にひたりはじめた。

老いのにじむ後姿を惜しげもなくみせながら、塩野さんはイタリアで暮した四十年という月日に悟った至言を発する。
彼女が家族には一年だけの滞在と約束してイタリアを訪れた1963年、その年の私は、二人の子供の子育てに忙しかった。
世間が肯定することを守っていれば安心ということが身についてしまっていて、心の奥底にもっと違うことを望んでいる声があることを気が付いてはいたが、耳を傾けないようにしていた。
塩野さんはわたしと同じ年齢で、その年すでに自己実現を果たしたのだ。勇気ある決断である。一年だけいるはずのイタリアに四十年、そこでキャリアを成就し、今も暮している。
わたしは両親の介護を終え、片親となった娘の子供たちの世話が一段落した65歳のときにイタリアと出会い、それから十年、二十回の一人旅をした。

イタリアには再び訪れないではいられなくする何かがある。人間が極限にまで挑んで成し遂げた作品を見るときの満足感、そしてその文化遺産を誇りに思いながら、守っていく国民たちの生活態度、そのことを神が祝福しているような自然の恩恵、それを感じたいのだ。

ルネサンスを一口に説明することはできない、ともかく訪れて感じてほしい、と塩野さんは言った。あまたの情報に左右されるのではなく、自分で感じること、これが大切である、と。ヴェネチアの『ダニエリ』のテラスでの彼女は黒の透けたニットのセーターがよく似合って美しく、毅然として見えた。
塩野さんの言葉を見事な受け答えでしめくくる向井くんも好ましかった。
彼も、必ずや、イタリアを今度は一人で再訪するだろうと思いながら眺めていた。

2014年6月12日 (木)

『魅惑のイタリア大紀行』

日曜朝刊の一ページ全面を使って宣伝するテレビ番組の広告に目が点!!
魅惑のイタリア大紀行、歴史作家、塩野七生さんと俳優向井理が探るルネサンス。
これは必見、と早速録画予約をする。
塩野さんは同年代だが、この二枚の写真、なんと、なんと、大変身を遂げたかのように若作り、おしゃれでは定評のある彼女、メガネも二種類いかにも高価そう、派手なプリント柄のジャケット、真紅のブラウス、これって、やっぱり、アルマーニだろうか。
俳優の向井くん、顔よし、スタイルよし、声よしの三拍子、クイズ番組でも好成績を誇る知性派、このところ旅番組出演多く、そつなくこなしている。

楽しみ~っつと、録画再生し、コマーシャルを早送り、すっとばし、さて本編。
フィレンツェの通りを歩いてくる二人に、仰天、あれまあ~、なんとアンバランスな・・・
向井くんは小顔の八頭身、182センチだそうだけど、スゴ~く背高のっぽに見える。
そして塩野さんはその肩までも届かぬ小柄なのである。しかも大写しになると、やはり正視がつらい。背中も少しまるくなっていて、後姿に老いが漂っている。
酷だなあ、と思ってしまった。
塩野さんは美男好み、たしかゲーリー・クーパーの大フアン。彼も大層大柄だったけど、顔は面長美男、この日の相棒、小顔美男をどう思っているのだろうか。

ウフィッツィーへの道、バルジェッロの階段、サンミニアートの丘、どこも歩かなければならない。二人の珍道中は続く。
ホテルで座ってようやく違和感うすらぎ、彼女の語りが冴える。でも心なしか声も迫力なく、発音しにくそう。歯のかみ合わせの具合なのだろうか。
話しながら、手を動かすのがくせでいらっしゃるようだ。その指に高価そうな大ぶりの指輪が光る。
こんなに容姿の細部があらわになることがわかっていても出演なさるこの番組、ご自分の役目の使命感なのか、自己顕示欲なのか、この番組にはあなたでなければ、と請われることもこの年齢では大変だな、と感情移入してしまう。

でも次のヴェネチア、ローマがまたまた楽しみという、好奇心と野次馬根性丸出しの、わたしみたいな視聴者、これこそが番組の狙いなのだろう。

2014年6月 8日 (日)

いま、思う

日常を取り戻せたことを、わたしたちは深く感謝している。
蒲田駅のひとたちに、お礼に行ったほうがいいんじゃない、とわたしが言い出して、夫はちょっと渋っていたが、結局自分で行くと言って出かけて行った。
あのときは東京駅から乗って、蒲田に着くまで眠ってしまい、立ち上がろうとしたら、意識を失ったのだという。
いわゆる立ちくらみ、貧血のようなものなのか、病院では、癲癇ということもありうるなどと言われたが、その瞬間の映像をとらえなければ、くわしい症状はわからないらしい。
それでも血管の細部までを映し出す機械のある、E病院で検査してもらったほうがいい、としつこく説得し、紹介状をもらって予約をとる手はずになった。
来週も高校の同級生たちとの麻雀会が二つも続くという。
それが終ってからな、と夫は言う。
そのお仲間たちもほぼ全員闘病中なのだそうだ。

聖書の「コヘレトの言葉」を愛読している。
曽野綾子さんの解説を借りると、全篇、人生に対する空しさをつづってはいるが、そこには絶望をみつめた者だけに許された,透明な、根強い希望と解放感がある・・・この著者はあらゆることを望み、それがはかないこと感じた。人間には持って生まれた素質があって、それを超えることは不可能である。人間は賢くなることを望むが、賢くなれば苦しみもふえる。あらゆる富も権力も嵐のようなものであった。しかも運命は不当であった。どのような偉大なことをなした人間も忘れ去られる。人間は自分の意思によって何かをなそうとするが、すべてのものには時があって、神がそれを統べている・・・
この絶望的な人物がくりかえしこの世ですすめていることがある。それは楽しく生きることである。「神に与えられた短い人生の日々に、飲み食いし、太陽の下で労苦した結果のすべてに満足することこそ、幸福で良いことだ。それが人の受けるべき分だ」(5・17)

わたしが楽しみとすることを奪われたくない、と同様に夫の楽しみを奪うことはできないし、したくないのである。


2014年6月 4日 (水)

続、晴れのち曇り

電話の声の主は落ち着いていて、夫の意識は戻っているというので、少し安堵した。医師の診察を受けたほうがいいということで、かかったことのある近くの病院名を告げる。救急で搬送する病院が決まってから、もう一度電話をくれることになり、それまでに着替えと保険書、常備薬など用意しておいてほしいと言われ、受話器をおく。
腰の危ういわたしひとりでは心もとない。すぐ娘と息子の携帯に電話する。娘のほうは通じなかったが、意外にも息子がすぐ出たので、いま、どこ?と訊くと、家のまえだよ、と言われ、ほっとした。

スーツケースを持って二階に上がる。保険書や常備薬はすぐ見つかったが着替えのあり場所が定かではない。以前の家では彼の何がどこにあるかすべて熟知していたのに、引越後は片づけを本人に任せ、それをチェックするまでに至っていなかったのだ。引出しをあちこち探る、中腰作業が腰にひびく。やはり普段から、お互いの部屋の状況を知っておくべきだと、反省する。娘からの電話、パパが倒れたというと、えええ~っつ、と悲痛な叫び。シングルマザーとなって17年、彼女にとって父親がどれほど大切な存在なのかあらためて感じた。

息子が手配してくれたタクシーに乗って、奥澤の病院に行く。救急車はもう着いていた。
診察室から夫の声が聞こえた。とてもよく通る声なので、体調がすぐ判断できる。あの声音なら、大丈夫。
検査、検査で一時間近く、室外の廊下で待つ。ようやく中に入れたとき、背後から、娘の声が・・食事もしないで駆けつけてきたらしい。

心電図や、脳のCT、血液検査の結果がすべて出ていて、危険信号はなにもない、とのこと。但し、このまま帰宅してまた意識もうろうというような症状が出ないとも限らないので、一晩だけ入院し、明日、もう一度脳検査のチェックをしてからの退院をすすめられた。
夫のほうはすぐにでも帰りたい様子だったが、階段をふみはずしたり、夜半のトイレで転倒したりという状況が容易に目に浮かぶので、医師のすすめに従うよう説得、病室まで送り届けた。
深夜の大部屋、カーテンがなぜか開いたままなので、病人たちが雑魚寝しているみたいな凄惨な絵図、希望したD病院もT病院もダメだったということは、今の時期いかに病室が空いていないかを物語っている。
パパはあんなところで眠れるかしら、と娘が心配したが、大丈夫なのだ、あのひとは。どんなところでも熟睡できる特技を持っている。

自分ではまともなつもりでも、身体のどこかが調和を失ってしまい、事故めいたことが起きる高齢者のわたしたち、この事件で、いつもの自分に戻れるうちに、それなりの覚悟をもつ生活に変えていかなければ、と痛感した。

2014年6月 3日 (火)

晴れのち曇り

このところ低迷が続いていたブリッジゲーム、ようやくトンネルを抜けたかのように、五月最終日のチームトーナメント、最初から一位の場所に座し、最後まで無敗で優勝することができた。
クラブのオーナー夫人がわたしの腰痛を気にかけてくださって、名医の情報メモを渡される。だが帰宅してネットを調べてみたら、そのクリニック、保険はまったく利かず、初診で最低三万円という費用がかかるうえに、院長の予約は二年先までいっぱいとか。とてもじゃないけど、今すぐ行く気にはなれない。
自分が腰痛持ちになって、それを語ると、相手もたいがい同病相哀れむで、女性の何と、多くのひとたちが苦しんでいるかを知って驚く。
わたしの場合は少なくとも寝ているときには痛まないし、歩くときも痛みを感じないのが救いだ。
ネットで療法を検索してみたら、You Tube で実演(坂戸孝志、九割の腰痛は自分で治せる)があったので、とりあえずはそれを毎日実行しているが、少しずつではあるが痛みが薄らいできたような気がする。

そこで気になっていたのに一日のばしにしていた、冷蔵庫の掃除を決行。案の定、干からびたヨーグルトやら、賞味期限切れの汁粉などがいっぱい出てきて、これがいやで手がつかなかったのだ、と納得しつつ、キッチンハイターを溶かした水をなんども取り替えては、内部の汚れを取り去り、ようやくさっぱりした。

きょうは夫が一日麻雀で夕飯を食べないので、パック詰めの京風しっぽくうどんでお手軽にすまし、早めにくつろぎ、テレビを観ていたら、電話が・・・

蒲田駅からで、夫が電車の中で意識を失い、かつぎこまれたとか・・・
ああ、ついに来るべきときがきたのだろうか・・・(続く)


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