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2014年4月に作成された記事

2014年4月26日 (土)

今年の花たち

桃栗三年、という言葉があるが、花の木々も植えてから三年ぐらいで、開花するものなのか、我が家のモッコウバラ、花盛りである。003

昨年、どんどん枝がのびるので、バシバシ切ってしまったから、蕾が出てくるまでは本当に心配だった。
自室に入って真正面に花が見える、というのを夢に描いていたので、今は、それが叶って幸せ気分である。

今年はなんだかどこでも、とても花々がきれいだ。花たちはみんな、見て、見てというように誇らしく咲き誇っている。001

だから水やりが大変。とりわけハンギングバスケットはすぐ乾いてしまうので、朝晩二度、しっかり水やりしなければならない。002

緑のカーテンつくるなら、今かも、とダイニングの窓にどうかとふと思いつき、「サカタのタネ」というところに問い合わせたら、とても植物の知識旺盛なる男性があらわれたのだけれど、階段に面していて、とりつけるスペースが乏しい。それに仮に育つとしても水やりがそれは大変と知って、見た目だけではわからぬ苦労が伴うものだと知った。

やはり、だんだん強くなる日差し、今年もすだれ対策でしのがなければならない。

2014年4月22日 (火)

『シズコさん』と洋子さん

Sさんからお誘いのお電話があった。「あなた佐野洋子お好きだったわよね。『シズコさん』っていう民藝のお芝居ご一緒にいかが?招待券があるの」
喜んでお供することにした。
『シズコさん』は佐野さんの晩年の作品で、おかあさんのこと、家族の内輪話がかなりどろどろした内容で書かれていて、ちょっと辟易した覚えがある。あれを演劇にすると、どういうことになるのだろう。佐野さんのことより、おかあさんの人生に焦点があたるドラマになってしまうのだろうか。

ところが軽快なポップスの音楽で幕があくと、骨折したおかあさんをだれが面倒みるかということでユーモアあふれる会話がぽんぽんとびかう好調なすべりだし、目がはなせなくなった。
樫山文枝さん扮する佐野洋子は似合ってはいるのだが、実物よりおしとやか、実物の佐野さんは「ナントカじゃん?」などの言葉を連発するもう少し伝法なところがある人だったはず、でもそれはそれで、演技が素晴らしいから見ていてそれほどの違和感はない。
さて肝心のシズコさん、おかあさん役、なんだか普通のひとなのである。本に描かれているのはいつもお化粧ばかりしている派手な感じのひと、という印象だったのだが、それが感じられない,地味なのだ。そのせいか主役のはずなのに影が薄い。
休憩のとき、Sさんもそれを指摘した。富士真奈美みたいなひとに思えたのにね、そう、そう、まさにあのひとなら適役だろうに。

それにしても民藝の観客の高齢化に驚く。杖をついたひとばかり。わたしの隣席の白髪男性、始まった途端、すやすやと眠りこけ、いびきこそかかなかったが、その寝息が邪魔で、思わず、肘鉄砲したいのをなんとかこらえる。

佐野さんの二度目の結婚、離婚、長男溺愛のやりとり、佐野作品のほとんどを読んだというこの脚本家、さすがにこまかいところまで目くばりよく、ドラマ性がきわだつ。それだけに、シズコさんというよりは「洋子さん」像があざやかすぎて、これはもう佐野さんの晩年を描き切ったドラマになりきり、「シズコさん」像がしぼんだ感はあったが、わたしにはうすれがちになっていた佐野フアン当時の記憶を小気味よくよみがえらせてくれる、うれしい演劇鑑賞となった。


2014年4月18日 (金)

この一週間

火曜日、美男の美声を聴きたいという、同じ思いのY子さんとメトロポリタンオペラライブビューイング『ウェルテル』を観に東劇へ。ヨナス・カウフマン、ドイツ出身、超人気のテノール、ゲーテの名作の主人公になりきって、これ以上ないくらいの好演。youtubeでほかの曲を聴いたときはいささか線が細い感じかと思ったが、第三幕「春風よ、なぜ私をめざめさせるのか」のアリア、高音もよくひびき、切なさきわめて歌いあげる世にも美しいメロディ、圧巻だった。ミラノ生活が長かったオペラ通のA子さんに話したら、翌日すぐ出かけたというTELあって、滅多にない聴きものだったと共感してくれた。

クラス会の返事がようやく半分ほど戻ってきた。十名の出席獲得。欠席者は目下それを上回っている。ご主人の様子が気になるという理由が沢山あった。
夫の小学校のクラス会も同じ日、返事はまだ二通、出席もまだ幹事入れて四名だけとか。八十一歳はこんなもんさ、と平然としている。

水、木、金、めずらしく出かけず、刺し子についての解説文と写真付きの資料を作成。
英語で刺し方をわかりやすく説明するのに、四苦八苦かと思ったが、ネットのサイトからよさそうな文をもらってきて、なんとかそれらしく仕上げた。
昔は図書館に出かけたり、辞書ひきまくったりして文章作り大変だったが、いまはこういう芸当ができる。
科学系の論文騒動もこういうことがたやすくできる世の中だから起きるのかも、と思った。

実家に電話したら、義姉が心筋梗塞で二週間も入院し、退院したばかりだと知った。七十過ぎまで病気一つしたことのない優等生だったのだ。わたしも心臓に警戒警報が出たばかりだから、どんなであったか想像できたけれど、お互い八十を超えるのは難儀なことだと痛感する。

2014年4月14日 (月)

刺し子近作

国際婦人クラブCWAJのクラフトグループで刺し子の紹介を依頼された。
皆で実習するのに、たやすく効果的な刺し方を選んだのが、これ、米刺し。
米どころ庄内地方の女性たちが収穫を願いながら、考案した、米の字形の刺し方。
表と裏で二種類の模様が出る効果的な刺し方である。Img_0778

Img_0779

これのヴァリエーションで作った最近作、松根染めのヴェストの残り布でバッグをこしらえた。
生地が粗い織なので、とても刺すのがむずかしく、しかも残り布が少なかったので、ベルトを包むのがギリギリ分量、ブランケットステッチで何とか仕上げた。
001


2014年4月11日 (金)

『カーネーション』のあとの『花子とアン』

朝7時15分からのBS,だれもが朝ドラの最高傑作と認める『カーネーション』の再放送が始まり、二度目に見るドラマの面白さを堪能している。よいドラマというのは細部、すなわちディテールがしっかりしているので、一度目は筋立てに気をとられて見過ごしていたものがしっかり、はっきり、見えてくる楽しさがあるのだ。

それは、はからずも、そのあとに続く、今回の『花子とアン』の物足りなさを浮き立たせてしまう。子役は文句なくうまい。でも彼女が一生懸命名演技をすればするほど、どうしていつまでも方言から脱け出せないのか、日本人教師から怒られてばかりいるけれど、給費生なのに、補習授業はないのか、などと疑問がわいてくる。
ドラマを見ながら、疑問がわくようでは、すでにその部分のディテールが不十分ということだろう。

美輪さんのナレーションはさすが、声音をコントロールして、見事ではあるけれど、こんな個性の強いひとに語らせなければならなかったのだろうか。
語りは筋立ての進行を補う役目だから、できるだけ目立たず、自然に耳をすり抜けるものであってほしい。
美輪さんが巧みであればあるほど、ドラマから離れて美輪ワールドが始まってしまうようで、違和感がぬぐえない。

2014年4月 7日 (月)

増税余波

花嵐、花冷え、桜にまつわる季語がまさしく現実になる花見どき一週間、花見に最適な日を見つけるのは本当にむずかしい。友人と一緒のときはあらかじめ日を決めておくのではなく、きょうこそは、という晴天の日にそれっと繰り出すのが一番、高齢になると体調の良し悪しが災いしてそれもうまくいかなくなるから、一人の花見のほうが簡単になってしまう。

四月に入って、増税の影響に目をむく日が続いた。
映画のシニア料金、1000円だったのが1100円に、100円ぽっち、とは思えない。この、「ぽっち」が集積して、すべてにおよぶことを考えると、増収入は全くない身をしては、出るのはため息である。

マッサージ料金も値上がり、自由診療に保険併用が適用できなくなる、厳しい体制となって、三十分治療、これまで2100円だったのが、一挙に3000円、あれよ、あれよ、である。

ブリッジトーナメントもシニア料金がなくなって、2500円が一挙に3000円となった。
パートナーには恵まれているが、こちらの集中力不足で好成績ばかりとは言い難い結果を思うと、そろそろ一日トーナメントは退き時かな、と思う。
自宅でブリッジを楽しめる、インターネットゲームBBOはありがたい。いつでもやめたいときにやめられるし、英語、イタリア語でおしゃべりをすることもできる。
今朝もクリックしたら、パートナーはアメリカの90歳の上級者、疲れたから、この一番でやめると言った。ちょうどいいハンドが来て、こちらもスラム(13枚のうち12枚を獲得する)にさそう。さすがベテランらしく、よくカウントしていて、敵がどれを捨てるか、何枚残るか、目配り行き届き、作り上げた。すかさずvwdp(very well done partner=お見事)をコメント。敵からもニッコリマークが返って気持ちのいいゲームに終わった。

2014年4月 3日 (木)

お弁当とは

近頃のあきれ、びっくりの一番は「キャラ弁」!!
子供のお弁当箱が絵本化している現実である。
たとえば、おにぎりはアニメキャラの顔になっていて、これ以上ないくらい細く切った海苔でメールの絵文字のニコニコマーク、ハムリボンに至ってはハムにダーツをつくり、ハムのベルトでとめ、ハートの楊枝を刺すもの、など・・・
食材はもはや食べものではなく、画材のようになってしまっている。
さぞや切ったあとの残りの無駄がいっぱいなのではあるまいか。
テレビ番組では名人ママの取材があって、その手際を大仰にほめたたえる。何とバスケット三杯分のキャラ弁用具、彼女独自の自慢の秘密兵器はマチ針なのだそうで、チーズを細く切るときに威力を発揮するのだそうだ。

小学校からは給食だから、わずか幼稚園時代の二、三年と言ってしまえば簡単だが、幼児期の食べものへの感覚をおかしくしてしまう危険はないのだろうか。
こういう努力が苦手という主婦だっているし、こんな現象が果たして正しいのかどうか、現場のひとたちの認識を確かめるべきではないかと思う。

ネットから調べてみると、こんな現象は日本独特のものらしい。
なんでも一生懸命、誠実、努力が過ぎたるものになって、マニアックになる日本人の特性をあらわすものだ。

四十年まえ、アメリカに住んだとき、息子の小学校には給食はなかったから、毎日ランチボックスが必要になった。おにぎりを持たせたいのだが、現地の子供たちに黒い海苔を不気味がられるのがいやだと言われ、困った。
アメリカ人のママに相談したら、一番簡単で子供が喜ぶのはピーナツバター・エンド・ジェリーのサンドイッチよ、サンドイッチパンの一枚にピーナツバターを塗り、もう片方にゼリー状のジャムを塗り、両方をピタッと合わせるだけ。あとはポテトチップ。
息子も娘も未だにこのレシピを愛好する。
ある日本人のママがリンゴをウサギ型に切り、ソーセージをタコ風にして持たせたら、生徒みんなにはやしたてられ、子供からもうやめてくれと言われたそうだ。

だが、時代は変わる。

それでもわたしがブリッジの一日トーナメントに持っていく弁当はいつも同じ。梅干し入りのおにぎりと玉子焼き、野菜だけ変えて、漬物だったり、ピーマンのきんぴらだったりにするけれど、いつ食べても変わることなく、わたしには何よりの美味なのである。

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