『ロスト・イン・ヨンカーズ』を観て
アメリカの劇作家、ニール・サイモンの最高傑作と称される『ロスト・イン・ヨンカーズ』を横浜、日本大通りにあるKAAT神奈川芸術劇場で観た。吹き抜けのモダンなビル、その五階のホール、黒のインテリアに、座席がショッキングピンクという色彩だけは好みでなく、おまけに二階席、S席のチケットなのに、現実の場所はバルコニーなる名称の二階の上、三階で、だまされたような気分、空席もちらほら目立ったので、よほど開演後、闇に乗じて席をうつりたいとまで思ったが、じっと我慢。
でもいざ幕が上がると、その鬱積した気分が払拭されるほどの、役になりきった俳優陣の名演と、三谷演出の翻訳劇を全く感じさせぬほどの、せりふの快テンポ、ドラマの筋立ての面白さにのめりこんで、演劇だからこそ、味わえる臨場感の醍醐味を味わった。
第二次大戦時ニューヨークの街ヨンカーズに住むユダヤ系アメリカ人家庭にくりひろげられる物語、笑顔を見せたことのない頑固で厳しい母親に育てられた四人の子供たちはみなトラウマをかかえている。発達障害的な娘2人、ギャングの世界に足をふみいれている息子の一人、そこに妻を亡くし、借金をかかえたもう一人の息子が訪れ、出稼ぎに行くために二人のティーンの男の子たちを預かってほしいと母親を説得するところからドラマが始まる。
二人の孫たちが家庭崩壊寸前の家の救世主となるかどうかがこの物語のカギになるのだが、母親はいなくても愛情に包まれて育った男の子たちは思ったことをはっきり言葉に出すことができ、孤立化していた家族たちとのコミュニケーションを復活させていく、そのプロセスで、私自身の家のことまで思いを馳せることとなった。
よい演劇とはそういう効果を生むものだ。草笛光子演じるこの老婦人の孤立感に感情移入してしまうのである。
我が家に同居している中年の息子は短い受け答えをするだけで、ほとんどコミュニケーションがない。娘も電話するときを選ばなければならない。疲れて寝ているからだ。メールにも返事なし、携帯も出ないということが多い。でも面倒も起こさず、仕事に忙しくしていられるのだから、感謝しなければと思おうとしてはいるのだけれど。
こういう状況でいざとなっても子供たちに頼る、すがるということはまずむずかしいだろう。最後のときまで、自分たちがしっかりしていなければならない。健康のことも、精神のよりどころも。自分の体調をよく知り、無理をせず、いつも笑顔でいられるような心のゆとりを持たなければ、と、わかってはいるが、師走もおしせまるにつれて、人生の冬もきびしく、深くなってくるのを、観終った道すがら、実感した。
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