2017年8月
    1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31    
フォト
無料ブログはココログ

« 2013年9月 | トップページ | 2013年11月 »

2013年10月に作成された記事

2013年10月31日 (木)

刺し子近作

またまた半年がかり、ようやく柿渋色のヴェストが完成。生地は松の根の樹液で染めたもの、細い糸が柿渋で染めたもの、まさに天然の素材であるが、織り目が粗い生地なので、刺子の目が出にくく、難儀を伴った。 003


002_4


しかも仕上げが総裏、リバーシブルを作る要領の仕立てなのだが、これがまた、幾何学的頭脳を要するので、こうなったら、こう、という図が浮かばず、何度も先生にお電話する始末、それでもなんとか、秋に秋色の外出着ができあがってまずは満足。

2013年10月27日 (日)

塩野さん賛

政治、経済が苦手である、というより、ほかのことに興味があり過ぎて、関心が持てない。歴史、地理、いわゆる社会科関連がそもそも弱いので、そういうこと全てひっくるめて、考えるだけで、シンドイ。
けど、外国に出かけたり、外国人たちと会話するとそうとも言っていられなくなる。まるでその場の日本人代表みたいに質問を浴びせられるからだ。

手っ取り早く、情報を得よう。この人ならではの本でも買って、というわけで、塩野七生さんの『日本人へ・危機からの脱出編』と、ついでに文芸春秋11月号を購入。
まずは雑誌のほうから目を通す。ここでも巻頭のエッセイ、塩野さんの『イタリアの悲劇』を真っ先に読む。家族を大事にするイタリアが深刻な不況にあえいでいるうちに、いまや家族内の殺傷沙汰が連日のように報道されるようになったという。不況で職が得られず息子や娘、三十代、四十代で無職の状態、しかも同居という状態が続く。<普通の人間にとって自尊心を維持するのは、職を通じてなのだ>塩野さんのこういうスバリが状況の深刻さを裏付ける。
ふいにあの罰金を徴収したときの検札オバサンの真剣そのものの目を思い出した。

塩野七生さん、76歳、同世代の、佐野洋子さんが早世し、桐島洋子さんはちょっと勢いが失せた今、我ら七十代半ば高齢女性の代表者、あこがれのひと、文春新書の『日本人へ』は雑誌の巻頭エッセイを集めたものだが、すでに三巻目も出ていて、売れ筋のようだ。
表紙の帯の大写しの写真にはいくぶん老いもただよっているが、指輪といい、ブローチといい、並々ならぬ趣味、この方のおしゃれはとびきりセンスのよい高額のおしゃれだけに、香気がただよっている。
中身も彼女独特のズバリが沢山、<日本人は個々別々ならば、相当な力を持っているのである。ただし、それらをまとめ継続させることで一層の活用につなげるトップが機能していないだけ>とか、マスコミの<テーマの取り上げ方が、卑しく下品に変わった・・>
民主党が政権をとったときの新聞、わたしも同じ感想を持った。<政権をとるや手の平を返したように、あることないことに批判を浴びせる、いや、批判でなく非難だ、行かず後家の意地悪、とでも言いたいぐらいに・・・問題は「何を取り上げるか」よりも「どう取り上げるか」なのである>

女性の七十五歳以降は人生のすべての局面をほぼ経験し終えていて、生活の根本を成す家事に深くかかわるうちに、それぞれの場で悟りを得ているように思う。異国の歴史、一国の興亡を究めるうちに、自信を持ってその悟りの境地を胸のすくような表現で発言できる稀有なひととして、彼女のこれからに目が離せない。

2013年10月23日 (水)

CWAJ PRINT SHOW 神戸展

神戸外国倶楽部はちょっと広めの個人の屋敷のような外観だったが、建物内部は、左手にカフェのコーナー、ダイニングルームが仕切られた内部にあって、正面にギャラリーに十分なスペースが広がっており、東京の版画展がそのまま見事に再現されていた。

再現と一口に言うのは簡単だが、ここまでにこぎつけるのに、どれほど多くのメンバーの努力があったか、計り知れない。188もの作品の移動、ディスプレーに関する段取り、受け入れ側との打ち合わせ、東京展と同じような効果を生むための工夫など、数え切れぬ難問を切り抜けての三度目の神戸展実現、一時は存続さえ危ぶまれた、ボランティア団体が法人化を可能にし、発展しつづけていることの意義を思わずにはいられなかった。

およそ四十年まえ、アメリカに四年暮らしたとき、主婦の単純な家庭生活が英語を使うことで一変した。スーパーのレジの列に並びながら、前のひとがどのような英語を話すか、聴き耳を立て、巨大なオーブンを使いこなす料理の出来具合に一喜一憂し、初めて耳にするe.e.cominngsの詩に、英文科の授業では決して持てなかった感動を味わっていた。
主婦の仕事の創造性は限りなくある。
帰国してこういう体験を活かせる自己実現が可能になったのが、CWAJという国際婦人クラブ活動だった。
最初の大仕事は英語圏の国に駐在が決まった家庭の主婦をサポートするプログラムの責任者、四十人という定員が集まるかどうか、神経をすりへらしながら、広報に努力したものだ。

今回の神戸展、プロの美術展企画にかかわる人々も訪れていて、よくボランティアでこれほどのことができたものだと、大層感じ入ってくれたらしい。
裏方の仕事は結構忙しく、朝10時から午後7時まで、持ち場をゆっくり離れることもできぬほどではあったが、メンバー同士の親交が深まるという楽しみを味わうことができた。

終了後の会食では、住吉地区の元豪邸だったというレストランで、美食に舌鼓を打ちながら、おしゃべりに花が咲いた。隣席のひとはメロンパンまで自宅で焼くという料理人、そのまえに座ったメンバー、六年ロンドンに暮らしたそうで、日本のパンはお菓子みたいでパンじゃない、と声をあげ、わたしも賛同した。その朝のホテルの朝食もパンの種類は多かったが、もちもちの食感、バターたっぷりのものばかりだった。もっとパンとは本来どういう味でなければならないかを研究してほしいのよ、という意見に、ほんと、そう、とうなずきながら、メンバーのだれもが仕事もエキスパートだが、主婦業もそれを上回る腕の持ち主なのだと、つくづくと感じたのだった。

2013年10月21日 (月)

神戸めぐり

新幹線『ひかり』の中での三時間はそれほど長いと感じなかった。ガイドブックを一通り読み、神戸に着いてから何をすべきか予定をたて、あとはゆったりと車窓の景色に目を注ぐ。紅葉は少し遅れ気味のように感じた。岐阜を過ぎるころから、瓦屋根がふえ、これぞ日本という景色になる。

ホテル『モントレアマリー』ツタのからまるレトロな建物、チェックイン前の時間なので、荷物を預け、観光専門のループバスの行き方をおしえてもらう。002


生田神社を背にして、三宮に出てかなり歩くが、グリーンのバス停はなかなか見つからなかった。ようやく見つけたのだが、バスがちょうど出たところで十五分待たねばならないので、行きたい場所、旧居留地のカフェまでタクシーに乗る。お目当てのカフェ、サラダプレート、ガイドブックでこれなら食べたいと思ったチョイスだったが、実物はこってりのサービス過剰な盛り合わせ、食べきれなかった。008


001


横浜の旧居留地によく似た旧居留地ビル、でも横浜のカフェの食べ物のほうがやはり、見掛けといい、適量といいずっと洗練されている感じがする。
店員に訊いて、ワンブロック先の、ループバスのバス停つきとめ、ようやく循環バスに乗る。案内ガイドつき、これでおよそ一時間余、ループの名の通り、ぐるっとまわってベイエリア、メリケンパーク、北野異人館街などめぐり、トアロード北野工房で下車、手作りのスイーツ、雑貨など販売している小マーケット、ここで早めの土産物調達。小袋入りの五、六百円のプレゼントが沢山あってお買い得。これって小食の高齢者の客を意識しているのかな、と思った。

版画展の会場、神戸外国倶楽部まではタクシーで行くしかない、と言われていたので、いったん大通りに戻り、タクシーを拾った。だがあっと言う間に着いてしまって、本当にここなの?という感じ。ようやくわかったのは、ホテルフロントの情報不足で、ループバスのバス停も教えられたところよりもっと近いのがトアロード北野公房の駐車場にあり、その先の坂道五分歩けばクラブであったというわけ。つまり、タクシーなど必要なく徒歩距離であったのだ。

ちょっと、「おもてなし」の日本っていうじゃない、ホテルのフロント、道案内、しっかりしてよ、とチェックインのとき、いやみたっぷりの文句を言ってしまった。

2013年10月18日 (金)

身体をととのえる

なで肩で細頸のわたしは高校生ぐらいのときから、肩こりに悩み、放っておくと、のどの痛みからの風邪をひき、一週間ぐらい苦しむというプロセスをずっと経験してきた。
肩こりの特効薬は水泳ということがわかったのは、五十を過ぎたころだが、六十を過ぎると、そこに腕や足の痛みが加わるので定期的にプールに通うということがむずかしくなってくる。

今回もプールに行き損ねて、マッサージに通うことだけで、なんとか神戸行きまでの体調をととのえようとしたのだが、背中の奥によどむ疲れ感がとりきれていない。身体の不調はあちこち起きるが、そういう体調に対する感覚だけは、鋭くなっていて、なんとかしなければ、というあせりを持て余していた。

台風一過、病院で足の甲のリハビリしてもらい、幸い痛みがおさまってきたので、ようやく時間をつくり、帰りに緑が丘のプールに出かけた。先回来たときは水中体操で半面貸し切りされていたせいか、洗濯機の中で泳ぐような状況、波に流されてうまく泳げない、それを、体力の衰えのせいかと悲観していたのだが、きょうは空いていて、一方通行のレーンもほとんど独占、クロールとバック、身体の裏表をおよそ三十分、しっかり泳げていい気分になれた。

数十年ぶりの神戸、新神戸と北野の異人街と、ベイエリア、六甲などの位置関係がわからない。夫がガイドブックを買ってきてくれた。方向音痴のバカだからなあ、まったく、などとイタリアのときより、よっぽど心配そうなのである。

2013年10月15日 (火)

葉隠れの青

朝、ウッドデッキに目をやると、正面のモッコウバラの緑の中に青いものがかすめた。まさか、と思ってよく見たら、ヘブンリーブルーの朝顔だった。007

二年まえこの柵一面に青い花が咲き誇ったときのことが忘れられず、二か所に苗の鉢を置いておいたのだが、のびる気配まったくなく、あきらめていたのだ。
まさに華々しく花が咲いていたイタリアから戻った今は、こういうひそやかな花の咲きようが好ましく、効果的に思われる。人生の秋を生きている自分にふさわしい咲き方のような気がして・・・

版画展の手伝いは購入された作品を管理して買い手に手渡す仕事だったが、今年は去年と違って、売れ行きよく、とりわけ大きな作品が初日に続けさまに売れ、座るひまもないほどの忙しさだった。三日目の午後も、同じ仕事をしたが、大勢のなつかしい友人と再会できた。
奨学生の選考委員をしたときに一緒だった、同い年の友人は、この夏四人の同窓生を亡くしたこと、入院中の四人もいて、夏を越すのがどれほど大変になったかを話しながら、しきりに汗をぬぐう。わたしもちょっと蒸し暑いと汗が噴き出るほうなので、同じだな、と思いながら、上着を脱いだら、と言うと、脱ぐに脱げない袖なしなのよ、と言ったので、笑ってしまった。
 
版画展はビエンナーレの連携事業として神戸外国倶楽部でも18日から三日間開催される。
今回をその手伝いもすることになって、数十年ぶりに神戸に行くことになった。

もろもろの疲れが出て、身体がだるく、風邪をひきそうなので、神戸行きをひかえて、無駄な外出を極力減らし、背中にバンテリンをすりこみ、早寝をこころがけることにしている。


2013年10月12日 (土)

みやげの逸品

ペスカトーリ島に滞在しているとき、ホテルの裏道に一軒の店を見つけた。手作りの枕カバーやエプロン、ナフキンなどを売っているのだが、道路側にミシンを出していて、そこに座った店の女主人、注文を受けると、客の名前に花や蝶の模様をアレンジして、布をくるくる回しながら、早業で刺繍するのである。
たちまち人だかりがして、彼女の見事な手さばきにみとれているのだが、エプロンのそばに、キャンバス地のバッグがあるのを、これは、いいと目をつけた。一週間泊まりがけで、草花の水やりを日に二度、あと夫の料理の手伝いなどをしてくれている、孫娘のみやげにしようと思いついたのだ。さっそくケイタイで呼びだして訊いたら、黒字に白でチョウチョの刺繍がいいというので、注文したのが、下の写真。009_2


なかなかいい仕上がりで、これが14ユーロとはまことに安い。

夕べ孫娘がママとやってきて、ばぁば、ほら使ってるでしょ?みんなにほめられるの。と言ってくれた。そろそろブランド品などほしがる年齢か、とも思うが、素顔の高三にこの素朴なバッグはよく似合っていた。

ペスカトーリ島だけでなく、ベッラ島、ストレーザでも同種の店を見かけた。この地方独特の手作りの技なのかも知れない。

2013年10月 8日 (火)

帰国後あれこれ

帰国後、あの罰金を支払ったときの領収書を出してみたら、検札官の女性の名前の部分が破かれていた。名前は印刷されていると言っていたので、一刻も早くその場を逃れたくて、渡されたとき確認しそこなったのだが、検札側も少し強硬だったことを認めていたのかも知れない。
 
泊まりがけで留守番に来てくれていた孫娘と夫が協力して、録画しておいてくれた『あまちゃん』まとめて見た。最後はなんだか、芸能色に偏ったはしゃぎ過ぎ、とりわけ、あまり好みのタイプではない、駅長とダイバー教師の目立ちたがりが邪魔して、アキちゃんへの焦点が薄らいでいるように感じた。

新朝ドラ『ごちそうさん』なかなかいい出だしである。ただし子役はうまかったが、どちらかというとずんぐりで丸顔だったのに、成長したら急にのっぽの細面、ちょっと違和感。その点、前番組以前の朝ドラ、一番お気に入りだった『ちりとてちん』、子役が成長後の貫地谷さんそっくり、こういう類似がのぞましい。
BS朝7時15分から7時45分間まで旧朝ドラ、新朝ドラみて、そのあとラジオのイタリア語講座聴くという忙しい日課である。

10月9日からCWAJ版画展始まる。今年も、会期中に二度、昨年と同じ仕事を手伝う。担当はわたし一人だけ、ヴォランティアの働き手も少なくなったのか。老体でも必要とされるのはうれしいことだが・・・003

2013年10月 6日 (日)

ハプニング

帰りのトラムは簡単、往きと逆方向の23番に乗ればいいと思いこんで、ほどなくやってきた電車に乗り込んだ。ところが、いつまでたってもフォンターナ広場に着かない。珍しく運転席から声がして、「ローマニャ・エ・パスカリ」
なにっつ!!そんなはずは!!元のところに戻っちゃったの?????

あわててドライバーに訊くと、フォンターナ広場行きは向こうがわの停留所で23番に乗れ、という。降りたところは昼に着いたところとまったく違った景色、なんとも合点がいかぬまま、待つこと15分。その日は陽射しもきつく、立ち通しで待っていたので、よほどタクシーに乗ろうかと思ったのだが、呼ぶためのバールもないので、あきらめる。ようやく来た23番、こんどはドライバーにしっかり確認した。やれやれ、座るとき、刻印機が目をかすめたが、背をあずけたら、つい、うとうと・・・

そろそろ終点かな、と思ったら、とまった停留所から何やらものものしい気配、制服姿の連中が乗り込み、「検札!」と叫ぶ。しまった、「刻印忘れてました」と声をあげたが、遅かった。「シニョーラ、チケットを!」

「刻印してないから、罰金を支払ってもらう・・・パスポートを見せて」と中年女性の検札官、声大きい。降りろと言われて降り、こちらも大きい声で言い返した。電車をまちがえたこと、外国人で習慣が違うし、75歳、疲れていたので、つい忘れてしまった、明日帰国するからこのチケットまた使うことはない・・・何を言っても聞かないのである。わざと衆目を集めるように断固とした大声で、罰金払えとそればかり。往きと帰りのチケット両方あるじゃない、なんなら警察行ってもいいわよ、とまで言ってはみたが、そのオバサンの必死の剣幕にとうとう、心がひるんで負けてしまった。26ユーロ支払う。領収書にあなたのお名前書いておいて、せめて、それだけは、とがんばる。

フォンターナ広場のひとつ前、そこからドゥオーモまでとぼとぼと歩いた。いままでのいい思い出が全て遠のいていく。大好きなイタリアから罪人扱いされたような気がした。方向感覚が弱いこと、思いこみがはげしいこと、それに加えて12日間、ひとりで過ごした緊張の糸がぷつりと切れた瞬間に起きてしまったことなのだろう。このあたりがわたしという人間、75歳の限界なのだろうか。

土曜の夕方、ドゥオーモのあたりは人、人、人、そのあいだを抜けながら、わが身に言い聞かせた。しょげている場合じゃない、考え方を変えてみなければ、このぐらいで済んで幸いだった、起こるかも知れなかったもっと大きな災難を免れ、この程度で済んだのだ、これ以上なにか起きないように残りの数時間、しっかりと過ごさなければ、と。

2013年10月 3日 (木)

およばれの時間

ドゥオーモの裏側、フォンターナ広場から、23番のトラムに乗る。ロマーニャ・エ・パスカリというところで降りる。Eのアパルタメントにはもう数回招かれているのに、いつも出発点が違うせいか、一年半ぶりのせいなのか、方角がわからない。ケイタイで呼び出して、ようやく位置を確認。昨年宿泊したホテルの位置も不確か、まるで初めての場所に来たみたい。方角を即座にキャッチする反応が欠けている自分を意識する。
彼の自宅、六階、奥さんが一人だった。彼は伯父さんの介護に出かけている。
彼女としっかりハグ。きょうはすっぴん、シャワーあがりに着るような普段着で、ちょっとやつれが見える。飾らない姿を見せてくれるほどの親しみが生まれていることをうれしく感じた。親がわりのような付き合いだったその伯父さん夫妻の介護、大変らしい。わたしの介護経験も打ち明け、英語まじりのイタリア語で話は途切れることなく続く。
イタリアでは国の高齢者への支援が十分でなく、イタリア人はヘルパーの仕事につきたがらないので、移民が多く、言葉の苦労があること、それなのに、一時間、20ユーロという高額、ホームもプライベートだと月額3000ユーロもすることなどを知ることとなった。

こういう大変なときによく招いてくれたとあらためて感謝。ひとつうれしかったのはプレゼントした本、『日本人のこころ』(Soul of Japan)をとても喜んでくれたこと、Eからも言われたのだが、六本木の青山ブックセンターで見つけた本、贈って正解であった。

広い屋上のテラス、パラソルの下、テーブルがすでに用意されていた。Eも戻ってランチが始まる。どうしてわたしの食べたいものがわかったの? 食べる機会がなかったミラノ風チキンカツ、そしてこれ以上ないほど見事に切ったボイルドポテトの鉢、美しい緑の小さいリーフのサラダ、こんなにシンプルでおいしいランチはない。E夫人が並々ならぬ、センスの持ち主であるという意識はあったが、料理の腕もこれほどとは!

ストレーザで買ってきたクッキー、好評、奥さん目を細めて、いくつも食べ続けるので、なくなってしまうのでは、と不安になったほど。
プレゼントをもらった喜びを十分すぎるほどにあらわしてくれるひとだと、こころが温まるのを感じた。

健康の話になって、思い出した。ぼくはいつか膝の痛みがもとで死ぬだろう、とEが話したことを。
あなたは本当に優秀なひとだし、友情を大切にしてくれるから、世界中のあなたの友達は皆あなたを必要としている、自分を大切になさい、わたしの歳までまだ13年もあるじゃない、少しずつ体重をコントロールしたら、膝への負担が減るわ、痛みはきっとなくなる、わたしの言葉にめずらしく反論なし、奥さんも大きくうなずいていた。


2013年10月 1日 (火)

ミラノにて

ミラノ行きユーロシティは定刻どおり到着、二等車だったが、イタリアの列車、二等で十分だと思った。背中合わせの座席と座席のあいだにスーツケースを納めることができるし、乗客も親しみやすく、前の座席の英国人とおしゃべりできて楽しかった。彼女は友人と二人、二泊三日の旅、きょう帰国だが、午後遅くのフライトなので、そのまえに荷物を駅に預けて観光するのだそうだ。近い国のひと、ほんと、うらやましい。

駅からタクシーで12ユーロ、Hotel Gran Duca di York、ミラノで輸入の買い付けをする女性のブログから知ったホテル情報、三ツ星、こじんまり、なのに重厚な雰囲気、中庭に面した部屋、満足。Eからのメッセージがあって、午後会うことになった。

このホテルからわずか徒歩二分ぐらいのところにアンブロージアーナ絵画館がある。E のおかげ、無料で入館、イタリア最古の静物画、カラヴァッジョの作品、かねがね見たいと思っていた望みがかなった。そばにモニターもついていて、注目の箇所が大きく写される。客も少ないので、Eの解説を聴きながらじっくり見入ることができた。彼の解説力すごい。わたしには英語、そばにいたイタリアの若い学生にはイタリア語で絵の細部の意味するところを昏々と説き明かす。学芸員になれるわ、評論家にだって・・・と言ったら、いや、仕事にしないでいるから、こうやって楽しめるんだ、と言った。159


158

この建物そのものが美術品のようだ。床の大理石の模様、天井のつくり、一室一室が見とれるほど美しい。残念ながら撮影禁止なので、中庭を撮影するにとどめた。

お礼にそばのジェラート店でねぎらわせてもらう。彼の好みはヴァニラとチョコアイスをミルクの中に入れて食べるもの。わたしも付き合ったが、かなり濃厚、イタリア男性は本当に甘いもの好き、だからすぐ太めになる。
あの、日本で個展を開いたマタロン女史のことを話題にしてみたが、彼女のカタログの写真が若い美女で、オープニングに現れたのは高齢女性だったというところで、大笑いをしただけで、一切関心を示さない。聞いたことがない名前だとも、言った。
ミラノで名を知られるほどのアーティストになることのむずかしさ、あらためて感じる。

翌日のランチ、奥さんの料理で、と招待。帰国まえ、せわしないのだけれど、ありがたく好意を受けることにした。

« 2013年9月 | トップページ | 2013年11月 »