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2013年9月に作成された記事

2013年9月27日 (金)

ヴォゴーニャ、ヴィスコンティ城での野外コンサート

海外旅行は通常十日が限度で、里ごころが付いてくる。
今回は周囲がカップルや家族や団体が圧倒的に多く、独りでいることの緊張感もずっと強かった。そのせいだろう。最後のヴィスコンティ城でのコンサート、車でおよそ三十分、連れが見つからないとすると、ひとりでタクシー手配、帰りの時間のこともあるし、翌日は朝の列車でミラノに発つので、いっそのことキャンセルしようかという気持ちになってきた。
自立心が萎えかけているのも、高齢のゆえだろうか。
三日前、ミレーナさんにTELしてみると、思いがけない返事をもらった。スタッフの車に同乗してください、というもの。無料だというのである。
こういうときの、現地での若いひとたちの思いやりはうれしい。ありがたく好意を受けることにした。

コンサート開始は午後八時だが、音楽祭事務局へ六時少しまえに行く。あの音符のついたチョコケーキをおみやげに。こんなおいしいケーキどこで買ったの?と皆に訊かれた。現地のひとも知らない情報があるのだろうか。

ミレーナさんはこの日は欠席、マルタさんとパトリッツイアさんとで出掛ける。ドライブの道すがらの景色が素晴らしい。湖畔の町をいくつか通り抜け、ピエモンテの深い緑の山々を見ながら、英語とイタリア語混じりの会話をしつつ、およそ三十分、ヴォゴーニャというひなびた山村に到着。143


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マルタさんたちは早速の準備に忙しいので、わたしひとりバールレストランで軽食を。ディナーは7時半から、着いたのが六時半、仕方がないので、オリーブとクロディーノでアペルティーボしながら、ハムチーズのトーストサンドをほおばる。142


お城にしてはこじんまり、でも石段を上るにつれ、のどかで広々とした眺めが目を奪う。屋上のような場所での野外コンサートはザルツブルグ、ヴェンタス・クインテット。フルート、オーボエ、クラリネット、フレンチホルン、そしてファゴット奏者五人。こんな辺鄙なところにひとが来るのだろうか、と思ったが、結構席が埋まった。ハイドンで始まり、ピアソラなどを含む二十世紀の作曲家の作品が多かったが、なんとものびやかでゆったりした豊かな音色、人類最初の楽器とも言われる笛の音、この情景にぴったりフィット。これを考えだした音楽祭関係者の発想、感嘆に値する。152


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音楽祭はこのあとも一週間、ベッラ島やマードレ島などを会場にする。これからが聴きものなのよ、もっと滞在なさればよかったのに、とマルタさんたちに言われたけれど、わたしにはきょうが限界、十分に満足、悔いはなかった。

2013年9月26日 (木)

Hotel Regina Palace

本土ストレーザのこのホテル、四つ星だからと期待した割にはコンシェルジェもなく、フロントはいつも忙しそうで、あまり愛想もよくない。
それでも事務局が紹介してくれたので、レイクビューの部屋を確保、コンサート会場も目と鼻の先、二食つき、ディナーも通常は7時半なのに、7時からOKにしてもらい便利にはなった。140


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アールヌーヴォー風のクラシックそのもののデコデコしたインテリア、豪華には見えるが、あまりわたしの好みではない。屋外と屋内二つのプールがあるが、両方ともわたしの背丈より深いので、水着持参ではあったが、入るのをあきらめた。由緒あるホテルであることは確かだが、エレベーターが今にも落ちそうにガタガタ揺れるので、乗り合わせた人と思わず顔を見合わせて笑ってしまう。

ちょっと歩くとロープウエイがあり、山上まで登ると、山岳植物園などもあるのだけれど、旅程の半分が過ぎ、かなり神経も使ったので、もう身体を動かすことが大義になっていたし、夜の外出があると思うと昼間はゆとりを持って過ごしたいので、街歩き程度にとどめた。154


まずはすぐそばにスーパーを発見、自分用、みやげ用のものを購入、クローゼット用のラヴェンダーの香りの虫よけ薬品、歯磨きクリームとか、料理用のオルツォ(大麦)、
それに昼に食べる野菜、フィノッキ、トマト少々など。

土産物屋が多いが、なかにはこの地ならではの、陶器やアクセサリー、衣類、食品などの店もあり、ミラノではとても探せないような、ユニークなアクセサリーを見つけ、買った店で、イタリア語を話す外国人客は初めてだと言って、とても親切にしてもらい、ミラノに戻ってからE宅に招かれたときにおみやげとして持っていくのにぴったりのこの地独特のクッキーを作っている店などもおしえてもらった。そこでは、音符のついたチョコケーキも売っていたので、音楽祭事務局を訪ねるときのプレゼントに包んでもらった。

最後の日には湖半沿いに露店が出て、エッセンシャルオイルを売っている店を見つけたので、香りを確かめてから、私用にシナモン、娘用には、いつも疲れている娘向きのを探して、店主に頼み、すすめてもらったものを購入。合計で15ユーロぐらいなのだから、日本に比べると驚くほど安い。141


2013年9月24日 (火)

ヴィッラ・ターラント

Villaとはイタリア語で邸宅とか別荘とかの意があるが、このヴィッラ・ターラントは19世紀に建てられたヴィッラを英国軍人ニール・マッケクランが買い取り、三十年をかけて、およそ二万種類の植物を植え育てた、ヨーロッパ最大の植物園である。119


ペスカトーリ島から定期船でおよそ、三十分、マードレ島やあと二か所ほど停まって、乗客がどんどん減り、最後にはいかにも英国人らしい知的な雰囲気のひとびとが数人残った。中に、ピーター・オトゥールに似たハンサムな初老の男性と美しい女性のカップルもいて、ぶしつけな視線を送らないようにはしながらも、注目していたら、降りるときに男性が杖をついているのを見て、ああ、わが家の夫と同じだな、と思った。

庭園というよりはあまりにも広大な庭園風植物園である。入園するときには十人ぐらいいた訪問者が徐々に散って、ダリアの花壇では私と後二人ぐらい、そのうちの一人、あの童話作家でガーデニングの大家、ターシャ・テューダーにそっくりの老婦人にわたしは思わず話しかけた。まあ、なんというダリア!!そう、驚くほどの大小、色とりどりの多種類、そしてヒマワリのように大きな花なのである。108

彼女は応えた。英国にはこんなダリアは咲かない、台風も竜巻もないけれど、英国にはお陽さまが不足なのよ、と首うなだれたので、わたしは英国のあの素晴らしガーデニング技術を称え、キュー・ガーデンを訪れたときの感激も語った。107

彼女は一泊二日のバス旅行で、ここに来るのを目的に独り参加したのだそうだ。
そう言えば、船着き場の横に大型バスが数台停まっていたのを思い出す。

温室の巨大なハスの葉、葉の割に花が小さいわね、という彼女の言葉にうなずく。園内はなだらかな山になっていて、頂上にそれにふさわしい、見せ場がある。彼女の独り歩きをあまり邪魔しては、と思い、わたしはそこで別れた。111


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それにしても広い、陽射しも強く、休み休み歩かないと疲れる。春には数万個の球根から、チューリップや水仙が咲きほこるらしい。十二か所の見どころを見終わり、下りにかかったが、近道があるわけでなく、また迂回しながら、ぐるぐると下りるから、歩く量はハンパじゃない。あのピーター・オトゥール氏はとても登れまい、と思ったりもした。車は入れない。わたしのような高齢者が行き倒れになったら、どうするのだろう、と思ったとき下から、バイクがあたりを見まわりながら、上ってきた。これはきっとそのためなのだろう。あの英国のオバアサン大丈夫かしら、とはいえ、わたしも日本のバアサンなのである。幸い、例のドイツ製の靴がしっかり守っていてくれて、足の痛みはまったく感じなかった。116


別荘らしき建物も残っていたが、立ち入り禁止、見掛けも特別な感じのしない家であった。

およそ二時間以上、歩いて船を待つあいだ、船着き場のそばのバールで飲んだエスプレッソがのどに染み入るおいしさでほっと安堵のため息が出た。120

2013年9月22日 (日)

マードレ島

マードレ島はボッロメエ諸島の中で最大面積を誇っている。土産物店などなく入口付近もすっきりしていて、少し上がった右手の方からすぐ庭園に入ることができる。073


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チケットを切る男性に写真撮影許可について尋ねたら、OKというので、宮殿内も?と訊くと、それもOKと応えたので、なんと寛大な・・・と言ったら、笑っていた。
というわけで広大な庭園内をじっくり見まわったあと、ちょっとベンチで休んでから、宮殿に入り、ほかの人たちが撮影しているのを確かめたあと、あやつり人形の室内劇場や、伯爵夫人の人形のコレクションなども撮影したのだけれど、ネットでマードレ島のブログや情報記事などを読むと、宮殿内は撮影禁止を記すものもある。
あのときの門衛とのやりとりもほかのひとたちが撮影していたという記憶も確かではあっても、ここに披露することで、なにか問題が生じた場合、それを対処する面倒は避けたいので、ここでは庭園の写真のみにとどめておこうと思う。

広々とした園内、吹き抜けるそよ風も心地よく、わが家でも育てているコリウスの群生を見つけて歓声をあげたりしながら、次々に現れる植物の見事なたたずまいに圧倒された。077

 
伯爵は愛犬家だったのだろうか。金属製のイヌのさまざまな姿態の彫像が階段の斜面にならんでいたのも忘れがたい。083


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クジャクや初めて目にするカラフルで大きな鳥が放し飼いでうろうろしている。088


かなりの数の竹も元気に育っていて、きっとタケノコも生えるだろうに、食べるひとはいないのだろうな、と思ったりした。080

 
ルネッサンス風の宮殿は豪華ではあるが、生活した場所であることがわかる親しみやすさが感じられて、ベッラ島のボッロメオ宮殿より好ましいインテリアであった。

出口付近の石の壁面にヘブンリーブルーの朝顔が大量の花を咲かせていた。099


こういう場所に住みたいとは思わないが、旅人として訪問して、この上なく、心地よい贅沢を味あわせてくれる場所として満足したのであった。


2013年9月19日 (木)

ベッラ島

ベッラ島は入口付近、土産物屋でごたごたしていて、イタリア語で美しいという意味の、ベッラ、な雰囲気ではない。ナポレオンが滞在したこともあり、ムッソリーニが第二次大戦を回避するための会議を開いたこともあるといういわくつきの宮殿、撮影禁止なので、足を速めて見てまわったが、窓からのマッジョーレ湖の眺めは美しかったが、ごてごてした装飾の多い宮殿内部はあまり居心地よさそうには見えず、ボッロメオ伯爵一家の肖像画や彫刻の表情もむっつりしていて幸せに輝いているというようではない。125

裕福というのも、シンドイことではないのか、などと思ってしまう。
大理石や貝がらの破片をモザイク状にしきつめたグロッタと呼ばれる洞窟状の部屋も完成に二十年以を要したと言う割には、なんだか異様な感じ。

外の庭園は世界中から集めた植物が植えられていて、エキゾチックな雰囲気をかもしだしている。その中に座している彫刻を一つ一つよく見ると、やはりこれはイタリア独特の個性豊かな表情を浮かべていて、見入ってしまう魅力はそなわっている。061


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とはいえ一度は見てみたいと場所ではあるが、二度訪れるところではないような気がする。

わたしとしては次に訪れたマードレ島のほうにより魅せられた。

2013年9月17日 (火)

ストレーザ音楽祭2013

音楽祭はすでに7月半ばから始まっていて、三部から成り、第一部のジャズコンサート及び、瞑想をテーマにした第二部が終了、本格的なクラシックのコンサート、題名が『大地と空の狭間』の初日。
会場はコンサートホールというよりは町の公民館みたいな建物、そのまえの車の駐車場のところで、見たことがある人物がパンをかじっていた。あれ?あのひと、そう、きょう、メインのピアニスト、ファジル・サイ。後ろに楽団員らしい集団もいてやはり立ち食いしている。139


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服装はカジュアルで、と言われていたので、フォーマルは持ってこなかったのだが、聴衆のなかにはスカラ座の初日みたいな肩まるだしのロングスカートもちらほら。

チケットの手配やホテルの紹介など、メールのやりとりで、お世話になっていた、ミレーナさんと対面、メールから判断して、バリバリのキャリア、を想像していたら、違った。四十代くらいだろうか、小柄で華奢な美しいひと。英、仏、独を話し、事務局の代表的なひと、であるらしい。日本からのおみやげを手渡し、六日分のチケット受け取る。130


その日の席は前から六番目の真ん中、まわりはストレーザの名士らしいひとばかりで、少々気おくれしてしまう。
 
オーケストラ演奏はスメタナ、ブリテン、ドビユッシー。あちこちの音楽祭で演奏しているベテランオケのようではあったが、コンセルトヘボウを聴いてきたばかりなので、このホールの音響のせいもあるのかもしれないが、ちょっと不満。呼び物のファジル・サイ、彼の作曲の『水』というタイトルの交響曲、波の音や虫の声など擬音入り、彼得意のピアノの弦を使ってギター化してしまう技入り大サービス、ではあったが、どうもトルコの海のようで、これも聴きほれるほどではなかった。このひと、才がありすぎてもてあましているみたい。あまりいろいろなことをやりすぎて、ひとつのことの完成度が薄くなっているのでは、と思われてくる。
アンコールに弾いた、ガーシュインのサマータイムの変奏曲は、ピアノが自由自在に鳴りはじめたといったド迫力演奏、これを聴いただけで来たかいがあったと思うほどだった。

三夜続いた、教会でのベートーベンの晩年の弦楽四重奏七曲、これは期待通り、聴きごたえがした。とりわけ二夜目のプロメテオという名のイタリア男性同世代の四人、バランスといい、音色といい、最高で、感動した。それにしてもベートーベンの苦悩がこもったこの晩年のクヮルテットと荘厳な教会の雰囲気、ぴったり、いかにもイタリアらしい企画だとその発想力に感嘆する。100
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2013年9月15日 (日)

島のステイ

世界一の旅行ガイドブック、『ロンリープラネット』によると、マッジョーレ湖で一番美しい場所、ボッロメエ諸島はベッラ、マードレ、ペスカトーレ、サン・ジョヴァンニの四つの島から成り、サン・ジョヴァンニは立ち入り禁止で、宿泊施設があるのはペスカトーレだけ、と記されている。今回、どうしてもそのペスカトーレに宿泊したいと、四泊のステイを決めたのだった。

本土のストレーザで開かれる音楽祭に島から通う酔狂な旅行客はわたしだけだったらしい。毎夜、迎えにタクシーボートを頼むという、ちょっと不安で面倒な手配が必要となったが、それでもこのステイのおかげで、湖上の暮らしに親しみ、素朴なイタリアの生活をこの目で知ることができた。

ペスカトーレはイタリア語で、漁夫、釣り人の意がある。夕方になると釣り人が沢山出てきて夕食のための釣りをし、それを狙うネコも出てくる。123


島は端から端までおよそ十五分で歩ける小島だが、ホテルの裏の細道を抜けて、反対側の突端にある公園に出る散歩は、わたしには豪華なベッラ島やマードレ島の見学より、本来人間の暮らしとはこういうものだ、というような、心はずむ充実感を味あわせてもらった。057


島唯一の自慢、サン・ヴィットーレ教会は16世紀のフレスコ画が素朴な美しさを放っている。だれもが気軽に入りたくなる庶民の教会という趣きが感じられる。050


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島にはバッテラと呼ばれる連絡船が一時間に二回、立ち寄るので、ベッラ島まで五分、マードレ島まで15分、それと、ぜひとも訪れたいと思っていた西岸のヴィッラ・ターラントまで30分、という好アクセス、ステイ四泊、毎日一か所ずつ、ゆっくり出かけて、じっくりと見てまわることができた。

2013年9月12日 (木)

ストレーザ、ペスカトーリ島

ホテルの朝食、思いのほか充実。トマト、キュウリの野菜もあり、まるでケーキ屋さんみたいに数種のケーキも並んでいる。

タクシーで早めで駅へ。思い通りスムーズに四番線に着く。四十分まえ、もうユーロシティは待っていて、乗車OK.。三号と書いた車両がない。訊いてみると食堂車がそれで、ガラス戸を隔てて一等席がある。スーツケースを待っていたように持ち上げてくれるひとがいて、中まで運び、なおも上の棚に持ち上げようとするので、いいのよ、と引きとめ座席の後ろにおいてもらう。チップをもらうのをちゃんと待っている。二ユーロ渡す。何しろ日本の新幹線と異なり三段くらい上るので、やはり助け必要。主要駅にはこういうことをして稼ぐひとがいるのだ。

ストレーザまで一時間、あと十五分くらいのところで車窓の景色が一転、まぶしいほどのマッジョーレ湖の絶景が広がる。イタリア語でルンゴ ラーゴすなわち長い湖と言われるだけあって、停車駅まで眺めは続く。

ホームに迎えが来ていない。ホテルにTEL。あんなに念押してあったのに、外で待っていたのだった。笑顔の青年がとんできて車で船の埠頭まで、やがて十人乗りぐらいの船がやってきて、力もちのオジサン、スーツケースを中に入れてくれ、五分ほどでペスカトーリ島に着く。こんどはホテルベルバーノの給仕がとんできてまたスーツケースをフロントまで。コンピューター前にいる女性があのメールやりとりの相手らしかった。島の右突端、レストランの別棟二階、バスタブ、小さなテラスつきの部屋、窓からはるかベッラ島の宮殿が見える。これを朝夕四泊眺めて暮らす生活、テレビ、エアコン、パソコンなし、陽射しきついが、さわやか、居心地はよさそう。マッジョーレ湖は海のように広い、波も打ち寄せている。072


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さっそく下のレストランでランチを。湖ぎわの席、下をのぞくと、魚が泳いでいるのが見える。水鳥がそれを捕る姿も目撃。アンティパストは魚四種、後フルーツのマチェドニアだけで満腹、いずれも美味、シェフの腕、評判通りだ。043
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緊張の連続でさすが疲れた。音楽祭事務局にチケットもらいに行くことになっていたが、出かける気分にならない。TELして明日の夜当日に受け取ることにしてもらう。

五時ごろ陽が翳ってきたので、決心して本土ストレーザに出かけることにする。明日から始まる音楽祭の会場の位置を確認しておかねば。124

連絡船で十分、街は土産物屋も多いがいかにも避暑地の街といった感じ。時間をかけて散策したら面白そう。コンサートホール、クァルテットの演奏会場の教会は四日後に宿泊するホテルのすぐそば。わたしは自分の好みにこだわって、わざわざ遠くに泊まり、ややこしいことをしているとあらためて認識。

最終連絡船7時で島に戻り、クロディーノとつまみ食べ、自室に戻ってケトルでお湯わかし、インスタントのおそば食べ夕食にする。


 


2013年9月 9日 (月)

ミラノ到着

ミラノまでの飛行順調、およそ二時間でリナーテ空港到着、混雑もなく、すぐタクシーに乗れた。去年はタクシーストで難儀したことを思い出す。そんなことを話題にしてドライバーと会話する。数年まえ、タクシーの中では何を話していいかわからず、ぎごちない沈黙に耐えていたけど、わずかながらもイタリア語、継続は力なり、なのかも。

ミラノ中央駅から三ブロックほどのIdea Hotel Milano Centraleに着いたのは12時半ごろ。幸いなことにすぐ、部屋に入れた。三ツ星だけどサイトで想像していたよりずっといい。モダンで機能的。Do not disturbもドアノブのすぐ下のボタンを押せばOK。気温27度くらい、日差しは強いが、湿度が低く、汗は出ない。でも、駅までスーツケースを引きながら歩くのは大変そう。

パンパンのスーツケースを少しでも軽くしておきたい。昨年世話になったイタリア人のブリッジパートナーEへのおみやげ、本二冊、柿の種などのスナック類を引きとってもらえれば、助かる。それにこのホテルを教えてくれたのは彼だ。報告も兼ねてTELすると幸いにも通じた。奥さんはイギリスにヴァカンス中、彼は親戚の入院介護のため残っていた。六時に来てくれるという。

それまで時間はたっぷりある。実地検証、駅を見にいくことにする。駅は正面が階段、左右に斜面を曲がりくねりながらのぼっていく動く歩道がついている。スイス行き国際列車がよく出発するという一番線ホームに行く。ちょうど駅員室から出てきた、頼りになりそうなオジサンに質問。顔を見ただけで、この人なら、というのが近頃わかってきた。明日のユーロシテイの列車時間言うと、もう、ホームの場所、決まっているよ、と掲示板を指さし、四番線だと教えてくれた。三号車なのよ、というと列車を見てくれ、というので、日本はホームに停まるところが書いてあるんだけど、と言うと、ここはイタリアだからねと笑う。帰りもエスカレーター風動く歩道で下に降りると、そこはもうタクシー乗り場、そしてひらめく、そうだ、ホテルからタクシーで駅左入り口までくればいい。あとは動く歩道で上に来て、四番線すぐ。これで、よし、なんだかすごく安心する。
Eからポーターの連絡先、も知らせてもらってあったけど、利用しなくてよさそう。

六時、E来る。お嬢さん、日本人のボーイフレンドA君も一緒。シェフのカレ、日本で会ったときはちょっと頼りなげだったが、一年こちらでイタリア語勉強、学校で奨学金も出て、レストランの就職も決まったそうで、日焼けして、男前、すごくたくましそう。二人はゴールインするのだろうか。
みんなで、車に乗り、食前酒と前菜つきのアペルティーボしに出かける。オープンサンド、ピクルス数種、ディップつきポテトフライなど、オレンジ入りアルコールドリンク、クロディーノ飲みながら、結構おなか一杯。二時間ぐらい歓談。ストレーザ戻ってからの再会を約束。

寝る前にイヤリング片方ベッド下に落とす。照明暗いので、落ちた場所がわからない。幸い瑞泉寺がお歳暮の返礼にくれたペンライトを持っていたので、それが役だった。いいものをもらったとつくづく思う。
ぐっすり眠れ、時差疲れ完全にとれそう。

2013年9月 7日 (土)

国立美術館、そしてコンセルトヘボウコンサートホールへ

朝食、シリアル、ハム、サラミ、ソーセージ、薄切りチーズ、オムレツ、ゆで卵、かりかりベーコン、数種類のパン、それに、トマトとキュウリ、しかもしぼりたてのオレンジジュース、カットメロンまでつくという完璧さ、ついつい手が出すぎて、おなか一杯食べてしまう。
夜のコンサートは八時から、それまでの時間、疲れすぎぬほどの外出を。
行く先はもちろん、十年ぶりに修復成った国立博物館、外は23度くらい、さわやか、晴れ渡っている。
ゴッホ美術館の前は長蛇の列だったが、国立のほうは列なし。広すぎて入口がどこやらわからない。トイレは入館まえに行けるようになっていたのがありがたかった。Photo_14


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五年まえに来たときは修復中、別館での展示だったのだ。今回は四月に盛大なお披露目があったそうで、確かに内部は豪華、ステンドグラス、壁画、イタリアとはまた異なる抑えた美意識、さぞやレンブラントの『夜警』が一段と引き立っていることだろうと期待大だったのだが、あれ~であった。なんだかサイズが小さい、以前は壁一面の威容であったのに。係のひとに訊くと、うなずき、壁面の都合で、横幅三分の一分縮小したのだそうだ。Photo_19

写真撮影自由なので、だれもかれもがなにもかにもと、パチパチパチ、いいのかしら、こんなに寛大で。 Photo_17


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中庭で休憩、ベンチの隣に座っていた中年婦人、スペイン生活を長くしたという現地女性、ヴェジタリアン、食生活に関するブログも書いているひと。キャベツ療法のことを話したら、関心示し、近くの自然食専門のマーケットに案内してくれた。そこで、キャベツ、ランチ用にホウレンソウ入りキッシュと、彼女おすすめのココナッツのジュースを購入、メールアドレス教え合って別れる。
公園に戻って、ベンチに腰をおろし、キッシュにかじりついたら、席を立とうとした女性が、それどこで買ったのと訊かれる。次に隣にすわった少々太めの高齢女性、ロシア人でバス旅行者、十日間で七カ国、なんと同年齢七十五歳、娘と一緒だから参加したの。英語流暢。体調は?と訊くと、足もひざも痛いところだらけ、ほらね、両方手術したの、とスカートまくって見せてくれた。

六時ごろまで仮眠をとる。朝食食べすぎたせいか、温度差で冷えたせいか、お腹ゆるむ。
コンセルトヘボウコンサートホールのカフェで、本日のスープとブラックカランのジュースだけにしておく。Photo_20

八時開演、といっても、日本の午前二時、睡魔におそわれがち。ノルウエーの女性ヴァイオリニスト、ヴィルデ・フラングのブルッフのコンツェルト、音色はどちらかというと細めだったが、表現力巧み、それよりオーケストラ、コンセルトヘボウではないのに、なんだかド迫力の音、チャイコフスキーの四番、身体がふるえそうになる。スタンディングオベーション、アンコールに再びチャイコフスキー、よく聴くメロディ、帰りがけ、係の人に訊いたら、スエーデンのオケで、エーテボリ交響楽団、今夜は北欧の音、たっぷり堪能。

戻って荷造り。携帯のアラーム7時にセットして就寝。

(絵画の写真、レンブラント、フェルメール、アンディ・ウオーホルのベアトリックス女王像)

2013年9月 5日 (木)

2013年アムステルダム、ミラノ、ストレーザの旅

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アムステルダム
いよいよ出発、夫が品川駅成田エクスプレスのプラットホームまで送ってくれる。きょうは杖なしで、スーツケースを運んでくれ、感謝。だが、これ、運びにくいぞ、やっぱりスーツケースは堅いほうがいいのにな、などとケチをつけるので、行く手に暗雲がたちこめたような気分になる。

成田はすさまじい混雑、出国付近三重くらいの列、前後、中国語とびかう。と、いうことは日本観光が息ふきかえしているということか。

KLM、五万円の叩き売りがあったとかで、満席。隣、無愛想この上ない男性が座ったので、こちらも無視。映画、見損なっていた『カルテット』と日本映画の『藁の楯』というのを見たが、これがすこぶるつきの面白さ、あと、音楽聴いたりしてかなりの時間稼ぎ、ベジタリアン食もおいしく、11時間、つらさも感じず、15時05分無事到着。

ななめ後ろにとてもマナーのよい小学生の男の子を連れた夫婦がいて、ママにほめたら、バゲージクレームのところでそのパパから声をかけられ、家が横浜ですと言われたので、うちの娘は横浜の学校だった、などと話したら、なんとその妹さんと娘が同級だったとわかった。これを奇遇というのだろう。シャトルを教えてあげたら、タクシーに乗らずにすんだ、と喜んでもらえた。

『コンシャスホテル・ミュージアムスクエア』改装して、朝食の場所が明るくなり、中庭にもくつろげるコーナーができて、いい感じ。Photo_2

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部屋は一階、出入りに便利、バスタブなしだが、夏だし、シャワーだけでいいか、とも思い、文句を言うのをやめた。

歩いて三分の『コンセルトヘボウ』に行き予約してあった、翌日夜のヴァイオリンコンサートのチケット、ゲット。あたりの店など見て歩く。もう秋もようのショーウインドウ、なんか買いたくなるけど、あのパンパンのスーツケース思い、我慢、我慢。

夕食は持参のケトルでお湯わかし、インスタント大麦入りカニ雑炊、梅タクワン、これがかぼそい食欲にぴったり。
八時就寝、二度トイレの起きたが、五時までぐっすり、空路の疲れはすっかりとれていた。


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