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2013年8月16日 (金)

八月十五日のこと

八月十五日の終戦記念日は、わたしにとって、実母の命日でもあり、孫息子の誕生日でもある。

いまから68年まえのその日、わたしは七歳、尾山台の貸家でその日を迎えた。五月二十五日の空襲で代々木の家を焼かれ、父が見つけてきた尾山台の家に、疎開している主の一家が戻ってくるまで、という約束で、越してきたのである。家財も日用品もなくほとんど身一つで移ってきたので、戦災を免れた近所の人々から、焼け出された気の毒な方たちという待遇で、茶碗や皿小鉢、そのほか生活用品など、寄付してもらい、親切にしてもらった。

庭付きのかなり大きな二階家だったが、その一階の座敷で、玉音放送を聴いた。大人たちは皆、正座して首うなだれ、わたしは言葉の意味がさっぱりわからぬ、甲高い天皇陛下の声を耳にしながら、庭に生えているさつまいものツルののびた葉を眺めていた。
あのときの母は今のわたしの娘の、父は息子の年齢、そしてほとんど寝たきり状態で老衰していた祖母はいまのわたしの年齢ぐらいだったのではないかと思う。
父は銀行員だったが、母より13年上、家長として父の言うことは絶対であった。家族に暮らしの不自由をさせまいと、次々住む場所を見つけてくれていたから、この終戦の日も、すでにほどなく戻ってくるであろう家主のことを思い、次の家を探すことを考えていたのに違いない。

本当によくやってくださいました、そのことを父に一度でも言ったことがあったか、記憶がないのが悔やまれる。

戦前、戦中、戦後、未曾有の苦難のときを切り抜け、家族を養ってくれた父と母、だからこそ、いまのわたしがある。
日本の近代で最大の困難な時代を切り抜けてきた彼らのそのころの経験を居住まいを正して訊いておくべきだったとつくづくと思うのは、父77歳、母88歳、彼らの最後の歳に近づいてきているからかも知れない。

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