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2013年8月に作成された記事

2013年8月18日 (日)

一喜一憂の日

きのうは夫の誕生日、岩合さんのネコ写真の本をプレゼントする。
いつもこの時期、孫息子と夫の誕生祝いを合同でするのだが、今年は娘が自宅に招待してくれて、大助かり。

朝、マッジョーレ湖畔からミラノに戻る列車のチケットをネットから購入。
kikukoさんのアドヴァイス。なんでもこの夏、人出が多いせいか、イタリア鉄道、混乱が多く、券売機が故障で窓口が長蛇の列になったりするそうで、何が起こるかわからない、という情報。
マッジョーレ湖の島の宿に出迎え頼んだら、返事に驚いた。タクシーを頼んでおく、それとボートもタクシーボート、なに、それ?すぐに問い合わせる。
四月の問い合わせのときにスタッフを出迎えに出すと言ったではないか、ホテルのサイトには専用のボートがあって、宿泊客の便宜をはかると書いていたではないか、遠い日本で頼るのはネットの情報とそちら、ホテルとのやりとりしかないのに、それはないでしょう、今の時期それしか手段はないの?強調するところは全てイタリア語にして送信。
八時間時差、一晩おかないと返事が来ないので、ちょっと強く言いすぎたかな、と気になりながら、買い物すませ、娘の家に行く。

パリ風、キッシュ、ペンネアラビアータ、マリネした焼き肉、アサリとトマトのスープ、孫息子はバイトと孫娘はトロンボーンレッスンで九時過ぎというので、先に食べる。
どれも絶妙の味、満腹で、すぐに眠くなり、一時間ぐらいソファで寝てしまう。
夫と娘はテレビの野球に見入っている。
やがて孫たち帰宅、ケーキカット、娘に車で送ってもらう。

パソコン開いたら、うれしい返事が待っていた。
「ホテルレストランなので、出迎えの時間、超多忙、今回は異例なのだけれど、スタッフが迎えに出る、あなたのステイが最高になるように努力するから、皆で楽しみにお待ちします」という知らせ。ただし、専用ボートはもうやってない、とのこと。タクシーボートは往復7ユーロ。
言ってみるものだ、そして四月のメールを保存しておいて、よかった。
やはり夏の旅行は疲れる。荷造り四苦八苦に、心労が加わると、疲れも倍加する。

*ご挨拶*
いつもアクセスしてくださる読者の皆さま、ありがとうございます。九月第一週まで、このブログ休みます。

2013年8月16日 (金)

八月十五日のこと

八月十五日の終戦記念日は、わたしにとって、実母の命日でもあり、孫息子の誕生日でもある。

いまから68年まえのその日、わたしは七歳、尾山台の貸家でその日を迎えた。五月二十五日の空襲で代々木の家を焼かれ、父が見つけてきた尾山台の家に、疎開している主の一家が戻ってくるまで、という約束で、越してきたのである。家財も日用品もなくほとんど身一つで移ってきたので、戦災を免れた近所の人々から、焼け出された気の毒な方たちという待遇で、茶碗や皿小鉢、そのほか生活用品など、寄付してもらい、親切にしてもらった。

庭付きのかなり大きな二階家だったが、その一階の座敷で、玉音放送を聴いた。大人たちは皆、正座して首うなだれ、わたしは言葉の意味がさっぱりわからぬ、甲高い天皇陛下の声を耳にしながら、庭に生えているさつまいものツルののびた葉を眺めていた。
あのときの母は今のわたしの娘の、父は息子の年齢、そしてほとんど寝たきり状態で老衰していた祖母はいまのわたしの年齢ぐらいだったのではないかと思う。
父は銀行員だったが、母より13年上、家長として父の言うことは絶対であった。家族に暮らしの不自由をさせまいと、次々住む場所を見つけてくれていたから、この終戦の日も、すでにほどなく戻ってくるであろう家主のことを思い、次の家を探すことを考えていたのに違いない。

本当によくやってくださいました、そのことを父に一度でも言ったことがあったか、記憶がないのが悔やまれる。

戦前、戦中、戦後、未曾有の苦難のときを切り抜け、家族を養ってくれた父と母、だからこそ、いまのわたしがある。
日本の近代で最大の困難な時代を切り抜けてきた彼らのそのころの経験を居住まいを正して訊いておくべきだったとつくづくと思うのは、父77歳、母88歳、彼らの最後の歳に近づいてきているからかも知れない。

2013年8月13日 (火)

ばぁばの一人旅支度

海外旅行の旅支度は年をとるにつれ、億劫で難儀になってくる。
それはもう支度というよりは生活の移動そのものになってくるので、場所が違っても現在の日常をそのまま困らぬように行えるよう、細心の準備をすることになるからである。
それにはまず、毎日すべきことが怠りなくきちんと運ぶように、とノートづくりが肝心、出発日のフライトナンバー、予約番号、発着の時間、そして宿泊する宿の明細、その日のうちに言うべきこと、すべきこと、すべて記入。そういうスケジュールノートをつくり、そこに連絡すべき人の電話番号やアドレス、昨年知ることができたミラノのバス番号やトラムの番号などの情報も記入。
まずはそのノートが仕上がると、ちょっとほっとする。
薬の持ち運びもハンパではない。毎日服用している、コレステロールと排泄調節の薬、胃薬三種を二週間分。誘眠剤もわたしは一錠の四分の一で、効くので、カットしたもの十個分を小袋に入れる。あと、腹痛、急性膀胱炎の薬、風邪薬も一式、皮膚炎、バンドエイド、バンテリン、湿布薬など。
この猛暑で旅行準備のために働くのはせいぜい、一日一項目、三度の食事の支度だけで一日が暮れそうになるのだから、余分な仕事が苦になってくる。一つ仕上げては、ため息をついて、安楽椅子に倒れこむ。
昨日はユーロ購入。以前は空港で両替していたが、近頃為替の変動が激しいので、安いときにそれっと行動することになった。
きょうは音楽祭事務局に場所問い合わせの最終メール。
衣服の準備は最終項目、マッジョーレ湖周辺は日中27、8度くらいだがコンサートに行く夜は冷えるらしいので、重ね着、スカーフなどの組み合わせが必要となり、色合わせなど、しゃれこもうとすると、服選びもしんどい。
あと、まだ保険に入る手続きが残っている。
それと、ミラノのブリッジパートナーの友人が最後の日にディナーに招待したいと言ってきたので、そうなると手土産の品も用意しなければならず、残りの一日、なにやかや買い物に二子のデパートに行くことになりそうだ。

今回の旅行の計画は半年まえから決めていたが、ここまでの三カ月くらい、身体のあちこちの痛みの治療に時間がかかってしまった。

75歳、ようやく普通の状態を維持できるようになったことを今更ながら感謝しつつ、謙虚に着実に毎日を過ごしたいと念じている。

2013年8月 8日 (木)

岩合光昭写真展『ねこ』

夫がめずらしく、いっしょに外出しないかと誘った。目的地は岩合光昭写真展『ねこ』

わたしたち夫婦はテレビ番組の好みも全く異なるので、いつも別々に見ているのだが、岩合さんの世界ネコ歩きの番組だけは並んで一緒に見ることにしている。
岩合さんがネコたちに話しかけながら、歩き、撮影してまわる、そのドキュメンタリーはどんなドラマよりも、心を温め、晴れやかにしてくれるからだ。それは彼の動物への深い愛情、またそれを理解する動物たちの反応、自然界の眼に見えぬ絆が伝わってくるからなのだろう。002_3

会場はできれば行くのを避けたい渋谷だったが、アクセスのいい『ヒカリエ』なので、それでは、と腰が上がった。
ヒカリエ九階、イベント会場ヒカリエホールA。岩合さん会心のシャッターチャンスをとらえた240枚、大写しのネコ全員がここぞという何かを伝えているようで、場内にただならぬオーラが漂っていた。
岩合さんのキャプションがいい。書きとめておきたいという数枚があったのだが、杖をついているのにセカセカ歩く連れ合いを追いかけ、珠玉の言葉は頭の中を素通りしていく。これだけはどうしても、と暗記していたのが、「ネコは人間としのぎをけずりながら、生きている・・でも人間がいなければ、生きていけない、だからネコを愛してほしい」という言葉。
彼が十六年飼っていた愛猫、海(かい)ちゃんに密着した記録の数々、しのぎをけずりながら成長していくネコの姿の一瞬、一瞬にその言葉が証明されていた。メス猫海ちゃんは母となり、子猫を育てていく。
今の世の中、ネコに避妊をさせないで飼うことは勇気が要る。岩合さんの愛情と、動物写真家としてのこだわりを貫きとおした信念に頭が下がった。

同時にわが家のメス猫チナコも今飼っているオス猫チャイも避妊と去勢の手術をさせてしまった、身勝手な飼い主である自分たちにやましさをおぼえた。
二匹のネコたちのおかげで、どれほど家族の絆をかためてもらったか知れないのに。

岩合さんのもう一つの写真展『ネコライオン』は恵比寿の写真美術館で十月まで開催される。イタリアから無事帰国できたら、涼しくなってから、今度はひとりでゆっくりと観に行きたい。


2013年8月 4日 (日)

二期会オペラ『ホフマン物語』

久しぶりのオペラ観劇、7月31日の初日に出かけた。
新国立劇場オペラパレスまで電車で行くか、渋谷からバスにするか、迷ったのだが、一度副都心線、新宿三丁目経由を試みたとき、歩く距離が想像以上だったことを思い出し、やはり行きなれていた渋谷からのバスを選ぶ。「国立劇場前」のバス停で降りてみたら、歩道橋を渡らなければならなかった。これまで一つ手前の「オペラシティ南」で降りていたのは、それなりに理由があったのだ。
自分のこだわりの経過についての記憶があやしくなっているのも高齢のあらわれ。

オペラの中で一番好きな『ホフマン物語』を観るのはこれで四回目、十年まえ日本オペラ振興会公演が最初、あまりに物足りなかったので、翌年イタリア、パルマ「テアトル・レッジォ」に思いきって出かけ、舞台美術、歌手、演出すべてに満足、そして三度目が昨年のスカラ座。
そして四度目、二期会のこの日の舞台にはあまり期待をしていなかった。楽曲を楽しめればいい、と席もSではなくA、直前、二期会から連絡があって、撮影が入ることになったので、反対側の位置の席に代わってほしい、と言われ、しぶしぶ了承したのだが、二階L,2列5番というその席、舞台に至近の二階桟敷席にあたり、オーケストラもよく見え、思いがけなく観心地は最高。
オペラの指揮にかけては第一人者のM.プラッソン氏、東京フィルの音色をこの上なく響かせ、合唱がまた、ド迫力のハーモニー、何よりも驚いたのはホフマン役の福井さんのテノール、甲高くなく、十分な強さを持つ感情表現豊かな、のびやかな声量に魅惑され、胸が高鳴ってきた。
いままで観たうちの最高のホフマン役だったと思う。それと同時に日本のオペラ界がこれほどに成長したことに、この数十年の彼らの努力を思い、感動していた。

惜しむらくは悪魔四役が迫力不足、怪しさ、怖さ、憎々しさをもっと強く押し出す声量、声のめりはりが乏しかった。オランピア、アントニアには大拍手、道化役フランツもイタリアの歌手を超えていた。

舞台美術は幻想的ではあったが、美しくなかった。ヴェネチアの場面は妙に現代的にせず、古風なままでいいのいと思う。一方アントニアの屋敷はアンティークな感じの出し過ぎで、みすぼらしく見えてしまった。オランピアとニクラウスの衣装も色合わせやデザインが不満。
オペラの舞台美術や衣装、もっとセンス豊かな才能は育たないものか。

なんと来年は二度もホフマンが上演されるという。そのうちの必見は大野和士率いるリヨンの引っ越し公演。

来年もなんとか元気でいたいと欲が出てくる。


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