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2013年2月に作成された記事

2013年2月27日 (水)

このごろは

時は刻々と過ぎ、一日があっという間に終わるのに、あれやこれや考えることが多いせいか、1拍おくれの労働がたまっていく。出したものは元に戻すということがおざなりになるので、自室のデスクの上がすっきり片付くことも少なく、こんなふうでわたしの余生はどんどん減っていくのに、この世への未練だけはまだありすぎるほどある、と、ふとなにもかもが空しくなったりもする。

次のご旅行は?イタリアのどこに?などと訊かれることが多いのだけれど、いまは海外に行きたいという気持より、どう毎日を無事に過ごすかということのほうが、大切になっている。
どうしてもあの場所に行きたい、あれを見たい、聴きたい、というような衝動も、憧憬も、心の躍動感もなくなっている。もう心はそこに飛んでいる、というときめきも感じない。
この十年間でわたしの海外一人旅の力は出しつくしたのかも知れない。
家族の無事を一番近くでたしかめられ、そうあることを、ご先祖さまに感謝し、お線香あげられる日々にほっとすることに慣れてしまっている。

うすがみをはがすように、寒さがやわらいでいる。
老ネコが外で待ちぼうけになっても安全なほど、おだやかな日々になったら、そして夫がからだを縮めて歩く危険が去ったら、穂高のほうに一人でショートトリップしたいと考えている。

2013年2月23日 (土)

『まほろ駅前番外地』熱烈フアン

ハッピーじゃな~い、ラッキーじゃなぁ~い、の歌につれてあらわれる、およそツキのなさそうな二人、つなぎを着た無精ひげの瑛太、とよれよれのスエットに皮ジャン、乱れ長髪の、松田龍平、高校時代の同級生、多田と行天、この二人のドラマ『まほろ駅前番外地』(テレビ東京金曜0:12)にいま、ハマっている。
架空の街、「まほろ」で便利屋を営む二人、舞い込む依頼が推理小説もどきだったり、人情ものっぽかったり、実に多彩で、しかも二人の持ち味が生み出すペーソス、ユーモア、シビアさなどが絶妙に混じりあい、これぞ、ドラマだと、身をのりだして画面を凝視させられる。
あまり面白いので、だれかに話したくなって、娘に電話したら、なんだママ、いまごろ気がついたの。あの原作者、横フタの後輩だよ、などと言うので、ええ~っ、ミッションスクール出身があんな男性臭全開の世俗ドラマを書けるのか、とまたもや驚き、すぐに原作を購入。

2006年の直木賞受賞作品、三浦しをん著『まほろ駅前多田便利軒』
いやあ、すごい、たいした筆力、文章の歯切れのよさ、構成の巧みさ、それにこれ以上ないくらいの比喩の適確さ、たとえば、「行天は「ひゃひゃひゃ」と、絞め殺される爬虫類のような笑い声をあげた」とか、「会話とは疲れるものだ…相手が行天だと…針が飛びまくる傷だらけのレコードに相槌を打つみたいで、多田の会話の回転数までおかしくなってくる」
とか、その忘れがたい表現を数えあげる喜びが加わって、この原作だからあのドラマの映像の出来栄えがあったのだと大きく実感。
このときの直木賞の審査員、井上ひさしさん、「感服した…溜息がでるほどみごと」平岩弓枝さん「この作者の年齢のとき、わたしはとてもこれだけの作品はかけなかったと思い知り羨ましく思った」との批評。そうだろう、と深くうなずく。

それにしても、ドラマの配役はよくぞこのひとと思うぐらいに適役。とりわけ、これまで、これと言った当たり役がなかった、松田優作の遺児の龍平さん、あまり感情をあらわにしない行天という青年にぴったり、俳優が一生のうちで滅多と出遭えぬはまり役の僥倖なのではないだろうか。
こんなドラマがゴールデンアワーではないなんて、とうらみながら、翌日ゆっくり見るため毎回予約するのを忘れないようにするのが、大変なのである。


2013年2月20日 (水)

臥せつつ

荒療治は無駄骨に終わった。からだは軽くなったのだが、風邪菌は追い払えなかった。翌日からコンコン、ズルズル、クシャンクシャンで、こういうこともあろうかと内科でもらってあった薬のんで、湯たんぽにすがりひたすら寝る。
やはり毎日外出は無理、身の程をわきまえなければ。誘いをことわるのはつらいけど、体調優先にすべきとつくづく思う。

夫が杖を持つようになった。これなしでは歩けないというのではなく、用心杖だよ、と言うが、立ちくらみにおそわれそうで、不安なのだそうだ。
耳も遠くなって、二階で啼いているネコの声が聞こえない。夜中に出ていったネコの帰りを待つのはわたしの役目となった。
彼、腱鞘炎の三度目の手術も受け、まだその痛みが完全にとれていない。
八十を過ぎて、ガンにもなり、急降下だよ、という。

テレビで、夫婦円満の秘訣は?と町中でインタビューしている。結婚五十年の夫婦が二人して、我慢と忍耐です、と言った。
わたしの場合は思いやりと応えるだろう。五十年共に過ごし、わかちあった場面を思い出せば、少々ムカっとすることがあっても、元に戻れる。

2013年2月17日 (日)

一週間

毎日出かけた一週間。
月曜、ブリッジ、一日トーナメント
火曜、イタリア語
水曜、CWAJランチョン
木曜、刺し子レッスン
金曜、ブリッジ、ウイークリーゲーム
そして土曜、ようやく予定なしとなったが、風冷たく寒い。完全武装して、返却後れた本を図書館に返しに行く。
帰り、梅の名所、西峯町へ。白梅はまだ、紅梅が八分咲き。

いつも気になっていた手打ちの蕎麦どころ、予約のみ、みたいな看板出ていたが、思い切ってのぞく。客少なく、どうぞ、と言われ、せいろを注文。おいしかった。

帰り道、いつものミモザの見事な家の前へ。ミモザは蕾を一杯つけて、薄緑にかすんでいた。いいなあ、我が家は折れないように厳重支えをしてもらったとき、だいぶ枝をとったので、今年は咲かないかも、と言われた。そんなことを思い出しながら、よく見たら、この銘木もてっぺんにざくっと折れたあとがあった。きっと去年の、あの風にやられたのだ。

夜、のどがいがらっぽくなってくる。やはり外出が過ぎたのかも。ノドヌールスプレイを丹念にかけ、風邪予防薬、PLのんで寝る。

日曜、荒療治。
まだノドがちょっと怪しい。マッサージに行くか、思い切って泳ぐか。迷った結果、ちょうど洗髪もしなければならないので、スポーツクラブへ。クロールとバック交互に水中歩行もまじえ、しかも空いていたので、仰向けに何度も浮いていられて、三十分、からだがテキメン軽くなり、帰宅。

ミモザを点検したら、蕾がついた枝を二本見つけた。生きているのがわかって、ちょっと安堵。

2013年2月13日 (水)

いまこそベートーヴェン

先週一週間のあいだに、二度コンサートに行き、はからずも、同じ曲目を二度聴く機会を得た。
ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第4番。
最初にオペラシティコンサートホールでレイフ・オヴェ・アンスネスのピアノ、オーケストラはフィルハーモニア管弦楽団、エサ=ペッカ・サロネン指揮。
次にサントリーホール、ヤン・リシエツキのピアノ、ロッテルダム・フィルハーモニー管弦楽団、指揮者のヤニック・ネゼ=セガンは突然の体調不良で、前半のこのコンチェルトは出てこられず、第一ヴァイオリンの弾きぶりという珍しい演奏となる。

アンスネス42歳、リシエツキ18歳、親子ほどの年の差だが、現代最高のピアニストの一人であるアンスネスにテクニックだけでは遜色ない追従ぶりの天才青年リシエツキ。

だが、なにかが違った。
アンスネスは言っている。「モーツアルトは天上にいながら下界を見下ろしているような音楽、反対にベートーヴェンはしっかりと地に足をつけながらも天上をあおぎ見て至高を目指す音楽」である、と。そして四年にわたり、ベートーヴェンの五大協奏曲やピアノ曲を150回も演奏してまわる『ベートーヴェンの旅』と称する偉業を続けている。

アンスネスが弾きはじめると、もうわたしは何も考えずにベートーヴェンの世界に入った。リシエツキのときは、上手だなとは思いつつ、指揮者なしでうまく合わせていけるのかしら、などと考えていた。

どれほどベートーヴェンの意図することを理解し、それを表現できるのか、そのことひとつにかかっているのだろう。テクニックだけではない何か、聴衆はその至高のなにかを聴きたくてコンサートホールに足を運ぶ。

近頃、モーツアルトは聴きたいと思わない。家でよく聴くのはベートーヴェンのピアノトリオ、いまこの不安な時代、なにが起こるかわからない、人生の最終のとき、聴きたいのは天上を仰ぎ見る調べである。


2013年2月 9日 (土)

『母の遺産 新聞小説』を読む

久々に、読み始めたらやめられない本に出遭った。
水村美苗著『母の遺産 新聞小説』
自分では買おうとしなかった本である。ぜひ読んでください、と貸してくださったMさんに感謝しなければならない。

読みたいと積極的に思わなかったわけは、実母と義母、共に85歳を過ぎてから数年以上、骨折が原因で徐々に衰弱し、認知症もすすんでいったあのころの介護の体験を思い出したくなかったからである。それでも、二人の母が、人間はどのように死ぬかということを克明に見せてくれたのが、わたしには「母たちの遺産」であったと受けとめている。

この本はちょっと違った。実母から相続する遺産の金額が詳細に記されている。
もちろん著者が伝えたかったことはほかにもあることは副題の「新聞小説」からも明らかではあるが、二人姉妹がそれぞれ3500万円以上もの遺産を相続しながら、母への憎悪は消えず、幸せとは遠い状況というもので終始したことに、作者の類稀な筆力は認めるものの、少なからず違和感が残った。
姉妹の母の死までの前半257ページまでは、とてもフィクションとは言いがたいほどの著者の感情移入があらわれていて、圧倒的な描写力、表現力、構成力で目を釘づけにされてしまう。

忘れがたい文章もそこここにある。
・・・どう努力をしようと母が少しも幸せにならないという不毛な気持が、疲れをいや増しに増した。
・・・かつて多くの日本人がもっていた西洋に対するどうしようもない憧れ…藝術なり学問なりを通して、人間が少しでも高みを目指すときの、指標となっていった。
・・・五十代になると、仕事をもった女のほうが体力と忙しさの戦いのなかで老けていた。仕事をもち老親も抱えている女は悲惨であった。
あのころのわたしだ、という思いが重なった部分である。

とりわけ、主人公のパリ生活の描写は現地で生活したことのあるひとだけが書ける適確で鋭い観察に満ちていて、この作品の魅力をさらに広いものにしている。

それなのに、後半の祖母の逸話が『金色夜叉』にかかわるところから、つまらなくなってきた。身内から聞いた話を信憑性のあるものにしたいと思う気持があふれすぎていて、現実とあまりにもかけはなれている荒唐無稽な昔の名作が浮いているのである。
箱根のホテルでの出遭った人とのかかわりも底が浅く、迫力に欠ける。

イェール大学、大学院で仏文学を専攻、プリンストン大学で日本文学を教えていたという、この上ない知性派、しかも天賦の文章力に恵まれている作者ではあるが、実体験をもとにしたためか、庶民とかけはなれた生活の細部の描写が、作者自身の人生観の片鱗をあらわしているのではないかと、憶測させてしまうのは惜しかった、と思われてならない

2013年2月 6日 (水)

誕生日に

節分の翌日の誕生日、後期高齢者の生活の始まりである。いよいよ人生の最終段階にさしかかっているという気がする。
パソコンを開くと、ニフティとBIGLOBEから誕生祝いのカードが来ていた。

数年まえまで必ずカードを送ってくれたアメリカの友人二人はいま、アルツハイマーと認知症で療養中である。

元気でこの日をむかえられたことを感謝して自分に褒美をと、マッサージに行く。
帰り、自然食品店で買い物をしたら、レジでカードが差し込まれた途端、ハッピイバースデイの音楽が鳴った。おめでとうございます、10パーセント割引です、と店員が言った。
次にスーパーで野菜と果物を買った。レジでカードが差し込まれた途端、電子音楽がひびいた。おめでとうございます、300ポイント、プレゼントです、と言われた。
家にはゆうちょ銀行からマルチカード入れのプレゼントが届き、美容院のスタイリストから、おめでとうございます、次回、ヘッドスパのサービスのプレゼントがあります、という葉書が来ていた。

身よりなしだとしても、これだけ祝ってくれる世の中が存在しているのだな、と実感した。

娘から電話でほしいものを訊かれた。祝いは後日ということ、孫たちからも電話をもらう。夫からはカード、黒地の手袋(失くしたばかりで、無念がっているのをおぼえていてくれたらしい)のプレゼント、それとわたしの好きな洋菓子店、ユーハイムのケーキを用意してくれ、まずは満ち足りた一日となった。


2013年2月 3日 (日)

刺し子鑑賞旅行

刺し子の吉浦和子先生のお作品を見たくて、ご自宅にうかがった。泊りがけでいらっしゃい、というお言葉に甘えて、わたしよりずっと若いレッスンメイトのN子さんと連れ立って伊豆のお宅まで一泊旅行。
『スーパービュー踊り子号』の窓から見える海は澄んで青く、わたしたちの期待をあらわすようにきらきら輝いている。

お宅は緑多い、純和風、ツリーハウスができそうな楠の大木が見とれるほど、立派。春には白い花で満開になるというエゴノ樹もある。
お手製のパリパリ皮のアップルパイとコーヒーに舌鼓を打ち、一息ついてから、午後じゅうかかって、刺し子、アップリケ、キルトなど入り混じったお作品数十点、歓声をあげつつ、鑑賞。Photo_2


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一刺し一刺し、入魂の作品群、ひとつの道を極められた人生の迫力が伝わり、圧倒される。
夕食はキンメダイとエリンギ、ワカメ、クレソンのしゃぶしゃぶ、朝食は常備采沢山、お料理も刺し子の針目のように、あたたかく、丁寧に味付けされた整い方。
温泉にもゆっくりつかり、至れり尽くせりのおもてなし、正に癒しの一泊二日であった。

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