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2012年12月に作成された記事

2012年12月30日 (日)

師走日記 5

*一泊温泉旅行
原稿を書く人向きの温泉旅館という記事を見つけて問い合わせて以来、メールが来るようになり、一度行ってみたいと思っていた、四万温泉『柏屋』(0279-64-2255)。温泉街の玄関口にひっそり佇む小さな宿、という紹介どおり、こじんまりとした印象。寒い時に寒いところへどうかしら、と思ったのだが、娘が初めてのところを試したいというので、決行した。
東京駅からバスで三時間、乗客はほとんどカップル、父娘みたいなひと組もいた。
娘とは並ばず、前後にすわる。
渋滞もなく、順調に流れて、うとうとしながら、目ざめたら、窓の外は山また山、ベージュ色の落葉樹のかたまる裾野の上に、渋い緑の常緑樹の濃淡が重なり、冬山の色彩は、はっとするほどおごそかな佇まいを見せてくれる。
着いたら小雪がちらついていた。残雪が固まっている足もとを用心しながら歩く。Photo

民芸風のインテリアに、娘が、いいねえ、と声をあげる。
ちょっと歩いてきたい、というので、わたしは早速入浴。熱すぎず、ぬるすぎず、まさに適温の湯で、体の芯まであったまる。

久しぶりの母娘だけのゆったりした時間、しんみり心にしみる話をしたい、と思っていたのだが、娘は拒絶するみたいにアイポッドのイヤホーンをつけていたり、こういうときにしか読めないと言いながら文庫本のページをめくったりしているので、話かける言葉ものみこんでしまう。ま、いいか、緊急の話ってわけでもなし。

夕食は旅館の定番、刺身や天ぷらかと思っていたら、違った。女将手製の刺身こんにゃくに始まり、創作料理という野菜中心の自然食、お腹にやさしいけれど、しっかり素材の味を生かし、主張している。なかでも大根ステーキ、春菊ソースは見た目も美しく、味も二人してうなるほどの美味。胃をいたわらなければならないわたしはうれしいメニュー。Photo_2


温泉は計五回も入る。チェックアウト12時なので、最後は寒い外階段を上がる露天風呂まで試して満足。

昼食つきなので、宿を出てから二十分ほど歩き、旅館街の中心にある、『柏屋カフェ』で娘はカレー、わたしは野菜サンド、これもまた二人してうなるおいしさ。

一泊二日、往復バス代、ランチ一回付きで計20000円はこの時期にしてはお手頃価格と思う。
ただし、帰りのバスは超渋滞で、五時間近く、というのだけが、想像外であった。

2012年12月28日 (金)

師走日記 4

*誕生日のディナー
孫娘の誕生日は怖れ多くもクリスマスである。実は彼女のひいじいさんも同じ誕生日だったので、嫁のわたしはこの日のディナーづくりが何十年、かなり大仕事であった。
昨年から娘が招待してくれるようになって、主婦にとって地獄のような十二月が少し楽に感じられるようになっている。

その日の夕方、学校にいる孫娘からメールが入った。「じぃじ、ばぁば、ごめん。オーケストラ部のひとたちがお祝いしてくれてるので、八時ごろになりそう」

七時半ごろ娘の家に着くと、彼女はまだ料理の最中だった。翌日から一緒に温泉に行くので、その打ち合わせをしておきたいと話しかけると、「ちょっと黙っててよ、集中してるんだから」とおこられる。

集中しつづけた料理が次々出てきた。ペンネアラビアータ、マリネした牛肉を焼いたもの、ローズマリーポテト、そしてサラダニソワーズ、スープはアサリとクレソンにトマトのコンソメ風。Photo

孫娘はトロンボーンのケースを背負い、プレゼント一杯の特大バッグを持って帰宅。オーケストラ部全員がハッピーバースデイを演奏してくれたのだそうだ。

料理はどれも本当においしかった。フランスパンも「100度で五分だよね」とわたしに確認していたが、バターがしっかりしみて格別の味なので、どこで買ったの?と聞いたら、フォションという返事。品質第一にする気配りもできているな、と安心する。
好き嫌いの多い夫もどれも残さず食べ、ポタージュ以外はだめかと思っていたのに、こんなうまいスープは久しぶりだとか言って、アサリのスープを満足そうに飲んでいた。

料理の献立と味の取り合わせにはひとえに、センスが必要、これに関する主婦の技の授受はどうやら、済ませられたかな、とほっとしたのであった。

師走日記 3

娘はわたしにあまり笑顔を見せない。
娘にとって母親とは疎ましい存在なのだろうか。
まだわたしたちの母親が生きていたころ、こころ優しい友に電話したときのことだ。
終わってしばらくたってからまた用事を思い出してかけ直したら、「なによ!」とすごいダミ声で言われ、恐る恐る名乗ったら、すぐにいつもの優しい声に返って「ごめん、母だと思ったので」いう言葉に愕然としたことがある。
いまの娘にとって、わたしはそんな存在かとは思うが、はからずも年末の四日、彼女と密に過ごすことになってしまった、以下はそのリポート。


*クリスマス礼拝
このところカトリック教会の深夜ミサに行く事が多かったが、今回のプロテスタント田園調布教会の礼拝はおよそ十年ぶり。午後五時からのクリスマス礼拝。新築成った礼拝堂は満席。木造の旧礼拝堂の記憶は未だ鮮明だが、一変して、モダンではあるが付近の住宅街のイメージにマッチした落ち着いたベージュ色、石造りの建物。
一番驚いたのは、聖書や讃美歌の本が必要ではなく、正面のスペースに字幕が映写されるようになったこと、カラーの美しい宗教画付きのときもある。本が重くて手で支えられなくなった高齢者への配慮が感じられた。しかもうれしいことに讃美歌の歌詞が旧バージョン、主の祈りも、天にまします我らの父よ…。
これを一生懸命暗記した六十余年まえ、日曜学校のころを思い出して、感きわまりそうになった。

わたしは洗礼こそ受けていないが、教会にはずいぶん通った。娘は大学生のころに尊敬できる牧師に出遭ったと言い、洗礼を受け、旧約も新約も聖書をしっかり読破していて、ぱらぱら読みのわたしを軽蔑している。

その夜の礼拝は聖歌隊の合唱がとりわけ美しく、ハンドベルの効果も効いていて、キャンドルサーヴィスのおごそかな雰囲気が浸透するなか、感情移入深い礼拝を経験することになった。
娘が選んだこの、夕べの礼拝に来なかったら、こういう気持は味わえなかっただろうと、すなおに感謝する気分になれた。

2012年12月24日 (月)

師走日記 2

ディナーに出かけた翌日、右目に違和感があったので、D病院に行き、ついでにメガネのレンズを替えるべきか相談する。違和感は眼球にキズがついていたのだそうで、薬をさしてもらったら、しばらくしてよくなった。メガネのほうはメガネ専門のひととの検査を新年早々予約。
十時ごろに済んだので、ついでに胃カメラの予約も。今年の一月したつもりでいたら、それは昨年のことだった。もう丸二年無事に過ごしたことになる。この予約も新年早々。

帰宅したら、プリンターカートリッジが届いていたので、早速試したら、プリンターの動きもよく、色合いも申し分なく、年賀状三十枚無事完成。
こういう小さなことがうまく運ぶと、ウキウキしてくる。

23日、今年最後のブリッジトーナメント。
24日、娘とクリスマス礼拝に、今年は娘の選択でプロテスタントの教会。
25日、孫娘の誕生日、娘の家に招待されている。ケーキは近くの店に予約。
26日―27日、娘と東京駅から現地まで直行のバスで行く温泉一泊旅行。

正月の仕度は最低限度で、そのあと。

2012年12月22日 (土)

グルメ・リポート

在日イタリア商工会議所のクリスマスディナーに出かけた。
これまでもいろいろな催しの知らせがあったが、今回のメニューはとりわけおいしそうなトスカーナ料理。一人でも参加するつもりでいたら、以前のイタリア語レッスンメイトの若い友人Mさんが一緒に行ってくれることになって大安心。それというのも八時から、でおそらく帰りが深夜近くになりそうなので、場所も三田から相当歩くところらしいし、不案内、かつ不安だったからだ。

わたしと違って方向感覚の確かな彼女、赤羽橋から徒歩十分、イタリア大使館近くのレストランに迷わず到着。
女性ばかりですよ、きっと、と言っていた彼女の予想に反して、男性参加もかなり。お向かいさんに着席したのは老若男性、日伊文化交流関係者、コンサルタント、弁護士のひとなど。話題も豊富で話がはずむ。

シェフは全てイタリア人。カメリエーレ(給仕)もイタリア人なのだが、このひと、客とのしゃべりが多く、仕事がとどこおりがち。八時から延々三時間のディナーとなってしまった。

料理は期待どおり、家庭料理的味付けでおいしく、前菜は新鮮そのものの生ハム、サラミ、カプレーゼ、ブルスケッダなど、Photo


次にほうれん草の緑色ニョッキの入ったコンソメスープ、次に太め手打ちのタリアテッレにボロネーズソース、そしてメイン
牛肉の黒コショー煮、ポテト添え、これやわらかく、ほのかにワインも効いていておいしかったが、おなかのスペースと相談状態で、かなり残す。、Photo_2


ドルチェが期待はずれ、クレープにチーズクリームを包んだのが重たくって、半分しか食べられなかった。ショーウインドウの中のティラミスのほうが食べたかったのに、とMさんと顔を見合わせる。

いつもより多量で異質の夕食を摂ると、とかく腹痛におそわれがちの厄介な我がおなか事情が今夜は良好、帰りも三田駅まで十五分近く歩いたが、足の痛みもなく、午前様にならず、無事に帰宅でき、やれやれであった。

2012年12月20日 (木)

師走日記 1

年賀状の印刷を始めたら、スカラ座で写した写真が毒々しい赤紫色の伏魔殿みたいになってしまった。カートリッジクリーニングしたり、写真の修整を試みたりしたが、どうもインクが足りないのが原因らしいとわかり、夫に蒲田のラオックスで新品のカートリッジを買ってきてもらったのだが、試してみると今度はカラーが出ないでかすれてしまう。プリンターメーカーのヒューレット・パッカードにTEL。延々一時間の操作、やりとりがあり、結局、カートリッジが不良の可能性があるので、新品が送られてくることになった。
そんなこんなで、年賀状製作一時停止。大幅に後れそう。それに、カートリッジ高価なので、手製だからといって安上がりというわけではなくなった。
今年で年賀状やめようかと、思ってしまう。

今年残り十一日のあいだに、大御馳走食べる日がまだ三日ある。その日のために弱りつつある、胃をなだめながらの毎日。
食前に必ずセルベックス顆粒のみ、朝と晩に潰瘍の薬ザンタックを服用。お歳暮にもらったおいしいお菓子が一杯あるので、ついつい間食したくなるが、そこをぐっとこらえて、我慢、我慢。

自室は散らかっている。当座のことに追われて、整理まで手がまわらない。出したら元に戻すのが苦手。ダメなわたしと、落ち込み気分。
夫が年賀状用のハンコが見つからない。確かにしまったのだけれど、場所が思い出せない、とブツブツ言っている。
さて、こっちも、納戸に入っているはずの正月用品探すのが、ほんと億劫。

2012年12月17日 (月)

長い一日

朝十時半ごろ夫と選挙に行く。
入れたい政党も人もなし。オレもそうだけど、野党第一党がしっかりしないと政治は成り立たないから、民主党に入れる、という夫の言葉に納得。
投票所は大混雑、こんなことはここ数年なかった。階段下の道路にまで列ができている。好天のせいだろうか。関心高く、有権者が張り切っているようには見えない。夫と腕を組んで帰る。仲の良い高齢者夫婦に見えたかもしれないが、実情は、近頃足元の危ない彼を支えるためだ。

午後、イタリア語関係で知り合った、四十代の彼と彼女を引き合わせる。
自由が丘の喫茶店で、話もりあがり、いい雰囲気。一時間ぐらい話してあとは二人に。

マーケットで福引七本ひいたが、全部はずれ。ティッシュ一杯もらって帰宅。

直後、ひどい下痢。夫と息子用にドライカレーつくって、自分にはおかゆと梅干、スープ。

きのうから格闘していた、年賀状の文面の仕上げにかかる。ソフト『筆王』を削除してしまったので、ワードの差し込み文書から作成。写真も挿入してようやく完成。印刷がなかなかうまくいかなかったが、ユーザーガイドと首っ引きでようやく、満足いくものができた。住所録はメモリー倹約のため、つくるのをやめて、手書きに決める。よりすぐった友人たち、お世話になった翻訳、文学関係のひと数名、計三十名ほど、もらった賀状をしげしげ見たら、手書きの宛名がほとんど。すべて印刷にできるひとは少ないということだろうか。

ネットからヴィデオカードを送るひとも数名。海外に数通のクリスマスカード。これが今週、済ましておかなければならない仕事。

夜、昼間のペアから電話、好感触。お二人でお付き合いをどうぞ、と言ったら、三人でも時には会いましょうよ、と言われてうれしかった。

2012年12月13日 (木)

ウディ・アレン賛

ウディ・アレンの映画をたて続けに三本見た。
まず、現在上映中の『恋のロンドン狂騒曲』を日比谷まで見に行き、あまり面白かったので、TSUTAYAに出かけ、『ミッドナイト・イン・パリ』と『ブロードウエイの銃弾』をレンタルしてきて、見続けたというわけである。

天才映画監督はほぼ一年に一作を世に出しているが、ときどき狂ったように暴走するので、『マッチポイント』のような作品はちょっとついていけなかった。

でも今回の『恋のロンドン…』はご本人の登場しないおだやかな画面で、高齢者夫婦とその一人娘夫婦の危うくなった家庭生活を軸にして生ずる日常のドラマをこれ以上ない快テンポでひとりひとりの心の動きにしっかりと食い込んで、描写してくれる、ウデイ・アレン節健在、何度も声をたてて笑ってしまった。
人食い博士レクターが当たり役のアンソニー・ホプキンスもわたしと同年代、さすがに目力も弱くなった、その彼があらたな恋に挑もうとするこっけいな努力も笑わせてくれる。
しかもラストは予想もしなかった事件が起き、未解決のまま、観客の想像にゆだねられて終り、あれあれ、と煙にまかれる。

『ミッドナイト・イン・パリ』は昔の偉人たちとの再会という幻想的な話かと敬遠していたのだが、いかにも監督好みと思われるパリのよりすぐりの風景を十分ぐらい流す導入部といい、おだやかだけれど皮肉たっぷりのスノッブの扱い、ウデイ・アレンの若いときそっくりのせりふまわしをする主役を心憎いほどの表現力で追うカメラ、そして幻想場面をくっきり浮きたたせるギターの調べ、製作の順番で行けば、『ミッドナイト…』のほうがあとだというのも道理、最近作に近いこれはやはり完成度において、『恋のロンドン…』より一歩抜きん出ていると思った。

『ブロードウエイの銃弾』は彼の映画人生中期の作品、まさに独特の映画藝術を極めた最高傑作のひとつではないかと思われる。売れない脚本家にようやくチャンスがきて作品が上演されることになるが、そのスポンサーがギャングの親分、条件として情婦であるコーラスガールを主役の一人にしろという難題と戦いながらの舞台。ドラマ性、ユーモア、サスペンス、すべてに彼の才能の最高とも言えるひらめきがこめられていて、目がはなせない。

この三作品、いずれも小説家、脚本家という、もの書きが主人公、一つの作品を生み出す苦労にまつわるエピソードが現実味を帯びていて、アレン監督自身の経験がこめられているのではと推量した。

いずれの作品も主役キラーの脇役の顔ぶれがすごい。『恋のロンドン…』の母親、ジェマ・ジョーンズ、『ミッドナイト…』のガートルード・スタイン役、キャシー・ベイツ、『ブロードウエイ…』の大女優ヘレン・シンクレア役、ダイアン・ウイースト、日本の杉村春子みたいなひとたち、このひとたちが出てくるだけで、映画の面白さが倍加する、それを監督は心得ていて、登場のさせ方に工夫が凝らされ、観客の期待を裏切らない。

74年生きてきて、話題の映画はほとんど見逃さずにきているが、これほどまでに楽しませてくれるウディさん、しかも同年代なのに、まだ現役で、来年にはローマが舞台の期待作まで送ってくれるという。うれしくて有難い、ニュースである。

2012年12月 9日 (日)

常備のレシピ

先日、夫と徒歩距離の店にうなぎを食べに行った折、お通しに出された小鉢のものを、夫がめずらしく、これ、おいしいね、とコメントした。薄味に煮たシラタキにタラコがまぶしてある。わたしもおいしいと思ったので常備菜の候補にと考えていた。

五十年も家庭料理をつくっているが、メニューを極めたとは言えない。食べものの好みの異なる夫との夕食をわずらわしく思うこともある。
メニューは極められなくても、料理を見極める勘は極めているなという自負はある。

何も予定のないゆったりした一日、書店に入り、平積みになっている本を見まわしたとき、『常備菜』という小型の料理本が目に入った。これは使えそう、と直感するレシピがいくつもあり、その中にあのシラタキの「たらこしらたき」の項目を見つけたので、即、購入した。
著者は飛田和緒さん、身近な食材でつくる無理のないレシピが人気らしい。表紙がマカロニサラダ、これをつくるとご主人のご機嫌がすぐよくなるという絶品もの、マヨネーズ好きの我が夫にも早速、試してみようと思った。
ニンジン、紫玉ねぎ、ピーマン、ロースハムの線切りが入り、味付けに寿し酢(手製)をふりかけるのがコツ、マヨネーズも手製を使うのがおすすめらしいが、その時間はなかったので、市販のもので間に合わせた。
三日持つというので、マカロニ一袋分を使う。どちらかと言えばあっさり風の味付けで、わたしはおいしいと思ったが、夫はノーコメント。無視したかったけど、今後のためにとしつこく感想を迫ると、マヨネーズが足りない、と一言。
とたんに、近頃盛んにコマーシャルに出てくる、あの菅野美穂が茹でポテトにマヨネーズをあふれるほどに押し出してかぶりつく、「マヨマヨと…」が目に浮かび、ため息をついたのであった。

2012年12月 5日 (水)

中村勘三郎さんの訃報

歌舞伎の天才役者の早世、残念でならない。難聴から始まった大病とか、あまりにも才能がありすぎて、多忙になり、過労が元となったのではないだろうか。
生きながらえたならば、必ず文化勲章受賞し、人間国宝になったひとであろうに。

勘九郎ちゃんと言われていたデビューの頃から、見守ってきた。青年になってからはモテモテで、どれほど美人女優と噂があったか知れない。
それなのに、身を固めねばというほどの年齢になったとき、そちらのほうはぴたりと終結し、歌舞伎の名門中の名門、先代の中村福助丈の令嬢と結婚。この女性から生まれる赤ちゃんはさぞかし眉目秀麗の歌舞伎顔と想像できる純日本美人。その選択、その身の納めようが、スゴイと当時思った。
あまり大柄ではないのに、華がある。舞台に出ただけで、その場をさらってしまう、芸、表情、姿、ああ、なんと惜しいひとを失くしたことか。
午後のワイドショーを二時間見続けながら、思った。

2012年12月 3日 (月)

師走入り

十一月末締め切りの同人誌(婦人文芸)原稿仕上げに忙しく、年賀状用住所録もできないまま、師走に入る。それというのも初めて小説に挑戦しようかと、古今東西の短編など読みくらべて、準備を試みたが、小説のタネは山ほど持っていても、それを展開する創造力に欠ける自分というものがつくづくわかって、断念。結局『孫育てのころ』というエッセイに落ち着き、締め切りギリギリに仕上げて編集者に送る。

師走一日目はブリッジトーナメント、前回一位の優待券持参、無料で遊べたわりには、がんばって四位入賞。帰宅後、夕飯に夫がつくっておいてくれたボルシチがあまりおいしいので、お代わりして食べ、デザートに、自分が前日焼いておいたクッキーをまたボリボリ食べたら、それが祟って、胃がシクシク、胸やけボーマン状態。

師走二日目、前夜、薬をたっぷりのんだのが効いて、なんとかオナカもすっきりしたので、ウッドデッキに出て、まずはアサガオの引き剥がしから。遅咲きはやはり長続きしなかった。それでも二週間ぐらい、毎日十輪ぐらい咲いてくれていたのだが、だんだん色が薄紫色に変化していって、葉がしおれてきた。つぼみは山とついているのに、可哀相に。もう一度園芸電話相談にかけ、霜が降りてきたら、もうダメというのを聞いてはがす決心を。70リットル入りの大ゴミ袋いっぱいの残骸。

朝日新聞の『天声人語』の一節がこころに残る。「枯れて黙したような身の内に、木々は深く春を抱く」

我が小庭部は冬のあいだ陽もささず、忍の一字の環境。もしかすると、というかすかな希望で、強いと言われたゼラニュームを植えてみたが、どうなることか。
まだ二年目の新居、なにごとも実験の段階である。

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