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2012年11月に作成された記事

2012年11月29日 (木)

ジャニーヌ・ヤンセン ヴァイオリン・リサイタル

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オランダのヴァイオリニスト、ジャニーヌ・ヤンセンの名を知ったのはいまから五年まえ、ノルウエー、リソールでの室内楽祭。Y子さん夫妻、T子さんと四人でレイフ・オヴェ・アンスネス総監督の、この音楽祭を訪れ、一軒家を借り切って、連日連夜、ときには昼夜まで、近くの教会で開かれるコンサートを満喫したそのときのことだ。
教会の最前列で見たヤンセン、美貌に目が吸いよされたまま、細身のからだを曲想に合わせて、弓のようにそらせ、身体全体が楽器になったような圧倒的な表現力で弾ききるドヴォルザークやマーラー、そのド迫力の演奏が忘れられず、帰国してから、ほどなくヤンセン来日のニュースにとびついて出かけたのだが、その当日になってキャンセルの報道。失望のまま、五年が過ぎたのだった。

28日、紀尾井ホールのリサイタル。伴奏者はイタマール・ゴラン。あのときの埋め合わせをするみたいな豪華なプログラム。場内もほぼ満席。
前半のベートーベン、スプリングソナタは伴奏者がちょっとガンガン弾きすぎのように思って、いっしょだったT子さんに言ったら、彼女はゴランのフアンで、伴奏っぽくないところがいいという意見。わたしがルービンシュタインのおだやかなデュオを聴きなれすぎているのかも知れない。
確かに後半のフランクのソナタはゴランのすごさがあらわれていた。互いに誘い出す、かけあいのようなテーマの歌い方は胸がはずむほど美しく、圧倒されつつ、終わったら、日本のコンサートにめずらしくブラボーの声が飛び交い、拍手が止まなかった。
そしてサン=サーンスの序奏とロンド・カプリチオーソ、十代のときハイフェッツの演奏を聴いたことがある。今年34歳のヤンセン、円熟した女性の落ち着きと優雅さをあふれるほどに演奏にあらわし、ハイフェッツを忘れさせるほどの感動を与えてくれた。
夜のコンサートはちょっと足がにぶる年齢になったが、こういう満足感を味うとやはりまた出かけたくなる。
もう少し出かけられる身体でいたい、と心から思った。


2012年11月26日 (月)

陣中見舞い

孫娘がトロンボーンのコンクールに挑戦し、なんとか五十人中のベストエイトに入ったが、そのあと、急に嘔吐してダウンしたという知らせがあった。ママは朝から仕事なので、のぞいてほしいと頼まれ、雑炊の用意をして出かける。
築後十五年の娘の家が古びて見えた。内部も未整理のものが積み上がっていたり、散乱していたり、スラム化している。
以前のわたしだったら、なんとひどい、と暗澹たる気持になるところだが、今回はそうではなかった。暮らしの戦場の場だな、と妙に納得していたのである。
すぐに雑炊を調理したが、キッチンはあるべきものがあるべきところにあって、仕事しやすい。トイレや洗面所も清潔である。要は、片づける時間がないほど、多忙な生活だということなのだろう。
孫娘はヒエピタをおでこに貼り、真っ赤な顔でベッドに横たわっていた。熱は八度七分、そのわりには朗らかである。
いつもなら、おいし~いっつ、と食べ出す雑炊を、ちょっと口をつけたあと、吐きそう、と言って、やめた。プリンなら食べられると言うので、それを食べさせ、薬をしっかり飲ませて寝させる。
雑炊はちょうど起きてきた孫息子が「メチャうまい」と全部平らげてくれた。

翌日もママは仕事なので、今度は夫がのぞきに行ったら、病人がいないと言う。ええっつ?なにそれ! 早速孫娘にケイタイメールをする。
ばぁば、ごめん。平熱になって、気分もいいからどうしても行きたい部活に出たの。オーケストラの演奏だけ聴いて、すぐ帰るからね。

帰宅した彼女が電話してきた。もう直ったみたい、ありがとね。
若さはバカさで突っ走れる。

2012年11月21日 (水)

何とかしなけりゃ

手帳を失くして困った、と思ったのだが、実はあまり困らなかった。自室のカレンダーにもしっかり約束や予定が書いてあったし、幸い手帳には重要なことなど記録していなかったし、あと、もう一ヶ月のことなので、どうにでもなる。
そこでこの際、ケイタイのスケジュールを使ってみることにした。
ブリッジのパートナーが来年の予約をお願い、というので、手帳を失くしたと話したら、そりゃ、大変じゃない、と驚くのである。彼女の手帳は約束で真っ黒。
だから、ケイタイに入れることにしたの、と、見ているまえで入力してみせたら、へえ~っ、そういう芸当はできないわ、などと言う。

去年は手帳を失くすなどということはなかった。だんだん置き忘れや物忘れがひどくなっている。
使うバッグを一つに決めてそれだけにすればいいのに、しゃれっ気があるので、まだ一色にこだわれず、黒や茶や、ネイビーや緑など、服に合わせてバッグを替えるから、失くしものが出るのである。
外出から帰ったら、箱をきめておいて、そこにバッグの中身すべてを入れる、ということもしていたときもあったのだが、動作ものろくなって、炊事にも時間がかかったり、ほかのことに集中していると、すべきことの順番が狂って、機能しなくなったりする。

実母がある日電話してきて、「なにがなんだか、わからなくなっちゃった」と言ったのは何歳のときだったのだろう。
わたしが駆けつけて、引き出しの中を全部整理したのだけれど、娘にそういうことは頼みたくないな、と思うし、そういう日が来ないうちに生活を簡略化しなければ、などと思うこのごろである。

2012年11月18日 (日)

『小さな村の物語・イタリア』

このところイタリア映画が精彩を欠き、イタリア文化会館の催しも以前と比べて感興乏しく、勢いがない。そんなとき、BS日テレの『小さな村の物語・イタリア』だけは、それが暮らしている人たちの人生を克明に伝えているだけなのに、心地よい感動をよびおこしてくれるわたしのお気に入り番組である。

新宿東京ガスホールで『イタリア秋の収穫祭』という催しがあると知り、トークショウで『小さな村の物語』にかかわるひとの話があるというので、若い友人のH子さんをさそっていそいそと出かけた。
番組ディレクターの小池田さんと、日伊協会誌『クロナカ』の編集長二村氏、お2人の臨場感あふれるトーク。バスも通らないような秘境に近いところまで四駆を使ってたどりつくこともあるという、もう134回も続いている、いまやBSの人気番組、きょうの聴衆もいかにもイタリア好きと見受けられる中年以上の女性が多い。
番組の裏話、おいしいレストランを知っているのはホテルのフロントよりむしろバールであるとか、そのレストランも人間関係から出た情報かも知れないので、味に保証はないとか、イタリアには化粧水がない、イタリア人はトイレにあまり行かない、トイレに便座がないところがあるが、彼らは便座に座るぐらいなら、中腰でするのだ、ということとか、若いひとたちも現在、行政側から援助資金が出るので、村に住みつくことも可能になってきた、など面白い逸話満載。
これまで取材してボツになった村の話はなし。どこも個性あふれ、粒だっている村たち。そこからなにを伝えるための番組なのか、いまやはっきりと見えてきていて、できるだけ長く続けたいというディレクターの言葉がこころに残った。

視聴者のわたしたちも望む、できるだけ長く続く事を。
ごく普通のひとたちが主役であったその人生を自信あふれるイタリア語で語るその言葉はどんな演劇の名ぜりふもかなわないと思うことがあるからだ。

2012年11月16日 (金)

刺し子のヴェスト

刺し子のヴェストがようやく完成した。Photo


仕上がるのに半年がかり。図案を刺すのは気が向いたときにちくちく三ヶ月くらいで仕上げたのだが、総裏の縫い方にこつがあるので、ミシンを出す気になかなかなれなくて、時間がかかった。
麻布十番の『BLUE & WHITE』店、月一度のおけいこは日本の手芸の古典的作品にかこまれた環境で、いつも新たな刺激を受け、がんばるぞ、という気持にさせてくれる。
Photo_2

お仲間も同年代でおしゃべりも楽しい。
次は柿渋色のヴェストに挑戦する。

2012年11月13日 (火)

「愛の調べ」シネマ&リサイタル

シューマンの生涯をこれほどリアルに知ることになろうとは思わなかった。『愛の調べ』いまから六十年以上も前の映画なのに、少しも古さを感じさせない。画面は美しく、ストーリーのテンポもなめらかで、せりふも心に染み入るものが多く、出演者も適役である。
作曲家の伝記にはこれまで関心がなかったので、クララが八人もの子供を育てたことは知らなかった。映画ではブラームスが初めてシューマン家を訪ねたとき、末の子供がハイハイしながら客間に入ってきてブラームスに抱かれるシーンや、クララが『謝肉祭』を演奏している最中に、授乳の時間になり、舞台の袖から家政婦が赤ん坊を抱いて知らせるので、曲をはしょって演奏を終えるという場面があり、しかもそのあと母乳を吸う赤ん坊の満足感を伝える裸足の足の表情までもとらえている。
キャサリン・ヘップバーンは勝気なイメージが邪魔しないかと思ったが、絶頂期の美しさと演技力で見事にクララになりきっていた。
それにしても、なによりも素晴らしかったのは、吹き替えのルービンシュタインの演奏である。『献呈』が三度演奏されるが、シューマンの演奏、リストの編曲の演奏、その派手さを嫌ったクララがリストにあてつけるように弾く、彼女自身の演奏、その弾きわけが忘れがたいほど見事だ。

シューマンの『子供の情景』はわたしが一番すきなピアノ曲集で、第一番の『異国から』はいまでも唯一暗譜で弾けるオハコなのだが、子供の遊びや生活の細部を描いた曲想が何故あれほど心にひびくのか、シューマンの家庭生活を知って理解できた。

だが、天才作曲家の最期の悲惨なこと、映画ではぼかしていたが、ネットで調べてみると青年期に娼婦と交わったことがもとで罹った梅毒による精神障害、精神病院に二年も隔離されて、クララとも会えなかったと記されている。
八人の子供の子孫は?となおも調べてみたら、七人の写真が出てきた。中には1930年代まで生きたひともいるので、現在も子孫のひとは生存しているに違いないと、検索したら、日本シューマン協会がシューマン氏を招いたという記事が出てきた。

この映画のあとの伊藤恵さんの演奏も映画に出てくる調べの再現が巧みに表現されており、とりわけクララの作曲が披露されて興味深かった。

このコンサートを見つけて、誘ってくれたY子さんに感謝!!彼女の耳はたぐい稀、よいコンサートを見つける名人、こうした才能は人生の特筆すべき技である。そういう友人を持って幸せだとつくづく感じた一日であった。

2012年11月10日 (土)

とつおいつ

前立腺の検査のときも転移の検査のときも、夫は断固付き添いを拒否した。女房が付き添ってきている患者なんかいないよ、と言うのである。付き添いが必要なら医師から指示があるから、そういわれてしまうと電話を待つより仕方がない。昔だったら、こんな一大事の検査のときは連れあいが付き添うのは当然だったのに、いまはそれだけ、ガンが多いということ、しかも治療が進歩しているから、重病のような扱いではなくなったということなのだろうか。

この一ヶ月、食べるものはずいぶん制限した。夫の大好きな揚げ物は避けたほうがいいと言われたらしく、転移の検査がすむまで、やめとく、というので、肉や玉子も少なくして、蛋白質は大豆製品からをこころがけた。
朝はベーコン、卵、ソーセージなどが常食だったが、野菜サラダだけになった。そこで、そのサラダにレトルトのミックスビーンズというヒヨコ豆、青えんどう、赤いんげんなどを混ぜたり、コーンを加えたりしてみた。朝、味噌汁とノリ、佃煮、納豆という日本食も多くなったりした。

でもそれが続くとモノ足りないらしく、うまいものを食べられないで生きるより、うまいもの沢山食って死んだほうがましだ、などと言い出す。

PSAの値が劇的に下がったので、食べたいものが食べられないと医師に訴えたら、いいですよ、食べても、と言われたそうで、やっぱり思ったとおりだ、あの医者はいい、などとほめるのである。

夫が病人になると、妻は食事のことでいろいろ苦労しなければならないだろうな、とつくづく感じた一ヶ月でもあった。

2012年11月 7日 (水)

検査結果

夫の前立腺がガンに冒されていることがわかり、転移の有無を調べる検査を二度することになった。
最初の骨の検査が白とわかり、まずは安心したが、それから三週間目のきのうは内臓のCTを撮る予約が入っていた。
あいにくの大雨、暗い予感をふりきるように、イタリア語授業に向う。歩いていたら、左の靴の中がじとじと濡れだして、おかしいなと思って裏をみたら、亀裂がはいっている。およそ七年、気に入ってはいているハッシュパピーの靴、こういうことになるとは想像もしていなかった。高田馬場から徒歩一分の教室なのがせめてもの幸い。
五人の生徒のうち一人はご主人の病気で当分欠席の知らせ、もう一人は旅行中で三人だけの授業。しかもパスカルの『パンセ』とモンテーニュの『随想録』、嘘についての著述を比較するという講読。むずかしい構文の解説は理解できたが、良い嘘、と悪い嘘を例をあげて討論するとなると、四苦八苦、夫の検査を気遣うことをしばし忘れて集中する。
終わってクラスメートと初めての昼食を共に。ロシア料理、ボルシチとピロシキ、サラダ、ロシアンティーがついて920円。
先生たちの情報がかなりくわしく教えてもらえた。どの先生もパートナーがいるらしいこと、十年以上の日本の生活が安定しているゆえのよい授業がうなずける。

帰宅して一時間後、電話が鳴った。
「すべてクリア、PSAの値も驚異的に下がって、薬を減らすんだって」
「よかった~っつ!!」涙声で叫んでいた。
毎日、神様、仏様、ご先祖様にお願いしていた。
すぐに仏壇にお礼参り。
感謝の気持を忘れず、お互い、毎日、一刻、一刻を大切に生きていきたい。

2012年11月 5日 (月)

イタリア語、いま

10月から高田馬場のリンガビーバでイタリア語を学び始めた。すでに六か月分の授業料を払い込んである。
コースをどれにするか決断するまえに二つの上級コースを見学したのだが、驚いたのは、難関の講読のクラスに七人も生徒がいて、全員高齢者だったことである。毎回7,8ページの予習をしなければならない。すごいなあ、よく続けていられるなあ、と感心するばかりだ。わたしはまだ語彙不足なので、辞書引きがハンパでなく、とりあえずは敬遠することにした。
六ヶ月のあいだに一度はコース変更可能なので、最終的には挑戦したいと思っているのだが、まずは読み、聞き、話す、を平均して学べる一般コースを受講。このクラスも高齢者ばかり、五人。クラスメートが同年齢であることはとても居心地がいい。
休憩をいれて二時間授業、トリノ、ヴェネチア、ナポリ出身の三人の教師が担当するのでその教え方もそれぞれ個性豊かで、変化があって楽しい。
どんどん名指しで意見を言わされる。授業と言うのはやはり、こういう緊張感が必要だとつくづく実感した。即答できなかったり、あせったりすることで、学びが強まるのである。

イタリア文化会館で知り合った若い友人が電話してきた。教え方の一番上手な人気の先生のクラスでラッキーと言っていたひとだ。
―それがね、あの先生、慶応や上智で教えるようになってから、このごろ態度が変わってきたんですよ。わたしたちを馬鹿にしたり、日本の悪口言ったりする、なんだかいやになっちゃって… 
それにクラスメートの若いひとのマナーが悪い、平気で遅刻するし…オジサンの生徒が一人いるんですけどね、このひとが問題、ときどき怒りだしたり、怒鳴ったりする。
こういうときって、本当は先生が上手に対応するべきじゃないですかね。それをしないんですよ、あの先生。
―困ったわね~。事務のひとに言ってみたら?
―でもね、不親切でしょ、あそこの事務。だからだれも言おうとしないんです。

わたしもこういうことは経験ずみで、学校を変わってきたのだ。
彼女はなおも言った。
―なんだかイタリアの景気の悪さがどんどん反映してきているみたいに、イベントもお粗末になってます…


2012年11月 1日 (木)

ふたたび朝ドラ『純と愛』のこと

朝から不愉快になるドラマは見るのをやめようと思っていたのに、どのくらいひどいことになっているのか、とついついのぞき、そのまま見続けてしまうという悪循環にはまってしまっている。

ともかく現代社会のネガティブな材料が総ならべである。親子の不和、成人した娘や息子の交際相手にかかわる問題、職場のいじめ、不適応、上司との争いなど、それが気持良く解決して一話の終わらせることはまずない。そこにヒトの心が読めるという特殊能力を持つ男が出てくるから問題はさらにややこしくなる。

これまでの朝ドラには必ずでてきた好感度抜群の高齢者もでてこない。ただ毎回ヒロインがとってつけたように呼びかける「オジイ…」で間に合わせているというところがまたカチンとくる。

ヒロインの職場不適応だけでも大テーマなのに、この相手の男の特殊能力、これをどういうふうに料理するのか、連続ドラマの作者も大変だろうな、などと思ってしまうのはもう、この作者の術中にはまっているということだ。

しかたがない、こうなったら、正義感ふりまわして不愉快度を深めず、いまどきはこんなドラマにならざるをえない世の中、と割り切って、見るしかないか、と思いながら、それにしても、よくまあ、好感の持てない登場人物ばかり集めたものだとあきれながら、こういうことにかけては、この作者やはり、そっちのほうのプロに違いないと納得しかけている、自分までもがいやになってくる毎日である。

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