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2012年9月に作成された記事

2012年9月30日 (日)

ああ、チンクエ・テッレ

ジャパンーイタリア・トラベル・オン・ラインのメールマガジンを開いたら、ええっつと驚くニュースがとびこんできた。
このところ、イタリアでは、大雨や嵐や悪天候が続いていることは知っていたのだが、リグーリア州の世界遺産チンクエ・テッレで土砂崩れが起きたというのである。
しかも誰もがまず行き先に定めるあのヴィア・デル・アモーレで、オーストラリア人の観光客二名がその下敷きになり、ヘリコプターで搬送されたとか。
チンクエはイタリア語で五つ、テッレは大地、すなわち、イタリアンリヴィエラの海を見下ろす断崖に立ち並ぶ五つの小さな村の総称がチンクエ・テッレ。
最終地点、マナローラとリオ・マッジョーレを結ぶ道はとりわけ風光明媚で断崖に沿った道の散策が心地よく、ヴィア・デル・アモーレ『恋人たちの散歩道』として知られている。

わたしが訪れたのは今から四年前の六月、天候は落ち着いており、快晴であった。Img_0261

リオ・マッジョーレの駅はトンネルの中で、ヴィア・デル・アモーレの標識に従って暗い階段を上がり、5ユーロのチケットを買って、そこを抜けると、息を呑むような眺望が開ける。素朴な家々が寄り添うような集落を有する山山の険しい断崖の連なりが、おだやかに波うちよせる地中海の入り江にそそりたっている。自然の作り出す風景美の極致に叫びだしたくなるほど感激を味わったのであった。
およそ二十分崖のまわりの道をめぐり、もうすぐマナローラに着くというところに小さなバールがあって、絵葉書など買ったのだが、トイレは? と訊くと上だと指さされ、のぼってはみたがいつまでたっても着かないので、あきらめて我慢することにしたのだった。
あの場所は大丈夫だったのかしら。

ともかく目下通行禁止というヴィア・デル・アモーレ。
イタリア人にそのことを話したら、二年まえにも山崩れがあったとか。
世界遺産の自然も老朽化ということだろうか。


2012年9月27日 (木)

魚料理を食べながら

入院二日目に検査を終えた夫は、点滴をされながらベッドに横たわっていたが、とても元気そうだった。
脊髄にされた麻酔の注射が痛かっただけで、三十分の検査のあとも苦痛も気分の悪さもなく、平気だったのだそうで、看護師のひとに冗談を言う余裕もあって、安心した。

そこで急遽、近距離の自由が丘で、イタリア語クラスの同級生と夕食を一緒にすることにした。フランス語の通訳をしていたひとで、独身、わたしよりは五歳ぐらい若い。中央口を出て、左手大井町線の踏み切りを越え、暫らく歩いた四つ辻の右、正面にフランス家庭料理の店がオープンしていたので、どお?とさそってみたが、きょうは和食、という希望だったので、そこから四、五軒先の魚料理の店、『川目』に決めた。
ここは五、六年まえに大学のクラスメートたちと来たことがある。大使夫人だったそのうちの一人は、外食の味に一家言あるひとだったが、とても気に入ってまた来たいと言っていたのだった。
レジの人に訊いてみると、店はもう二十余年も続いているという。変遷激しい自由が丘で、この長期間はご立派!
その日の料理いずれもがおいしかった。ワカサギの南蛮漬け、マグロとアジの刺身、米ナスの田楽、ビール一本を分け合いながら、直か箸でつつく。
話はもっぱら、語学のことと、イタリアの旅のこと、互いの話をよく聴いてはうなづき、問いかけ、笑い合い、感想を述べる。
それが心地よいのは互いに得意としているものを尊重する心と、ある程度以上はふみこまないという節度があふれているからだ。
わたしたちの年代になると、身の上が独身であろうが、結婚していようが、そういう個人的な背景には関係なく、同じ時代を共有していて、共通の関心があり、それを語ることに喜びを感じる心を持ち合わせていれば、それで十分よいお付き合いが成立する。
友人ができるのに年齢制限はない。
昔、実母が亡くなる一年まえ、整形外科でめぐりあった女性のことを、ようやく心がぴったり合うひとと会えたのに…こんな最後のころになって、と話していたことを思い出す。

さて〆くくりは焼きおにぎりとナメコのお汁、店を変えてコーヒーなど飲みたかったが、夫がいなくていじけ気味のネコのことが気になったので、再会を約束して九時前に帰宅した。

2012年9月23日 (日)

二周年

きょう九月二十三日はこのブログを始めた日である。
二年が経った現在、総アクセス数は十一万三千を越えた。去年のこの日の総数が三万であったから、およそ四倍近く増えていることに感慨深く、感謝の気持で一杯である。
好奇心が旺盛なので、扱うテーマも多岐にわたるせいか、未知の方がキーワードを探りつつ、このブログにたどりついたと言ってくださり、コメントやメールを寄せにられることも多い。
ネットという大海を泳ぐのはいささか不安があるのだけれど、こういう出会いはその醍醐味といおうか、励みにもなり、喜びも大きい。

娘時代に習った中華料理のおけいこがなつかしく、先生のお名前も挙げてレシピを紹介したら、なんとその先生のお孫さんからメール、コメントをいただいた。しかも、あまり使いすぎて解体寸前の本のことを案じて下さり、新品のご本まで頂戴することになった。
そのお孫さんも料理名人でいらっしゃるらしく、そのまたお孫さんたちに、おいしい御馳走をふるまうばぁばでいらっしゃるようだ。

辻邦生著『春の戴冠』の中のピコ・デラ・ミランデラの言葉が忘れがたい。「孤独が思索をすすめる…人目につかぬ時間が長ければ長いほど人間は成熟する」
外国に一人旅することがわたしの思索の時間であった。人目につかぬ時間がいまや人目につきすぎていることが、成熟を阻んでいるかも知れないのだが、目下それは生きがいになりつつあって、わたしにはなにをテーマに書こうかと模索する時間はむしろ孤独を楽しむ貴重なひとときになっている。


2012年9月20日 (木)

じぃじの楽しみ

夫が月一度、高校時代の友人たちとマージャンに行く日が、あいにく、週一回娘の家に夕飯をつくりに行く日と重なったので、料理当番はわたしが代わるわよ、と言いたかったが、オレの楽しみを奪うのか、という問答になるので、やめておいた。
帰ってきた夫は笑いながら、牛丼にしようと思って牛肉買ってったら、きのう牛丼だったって言うから、急遽、うちで前の日食べた、レンコンとギンナンとシメジのいためものに変えたらさ、うまい、うまいって食べてた。オレは牛丼食べたかったから、一人分だけ作ったんだけど…
突然のメニュー変更、それを億劫がらずにする八十のじぃじ、ご立派!
あと六年後のわたしに、それだけの元気と気力があるだろうか。

夫は来週、前立腺肥大のため、検査入院することになっている。
大病の経験もなく、二泊入院も初めてなので、ちょっと心配。
まったく予定なしの一週間にして見守るつもりである。

2012年9月17日 (月)

朝食あれこれ

朝食は二十数年同じもの、リンゴ、キャベツ、ニンジンをジューサーにかけ、最後にレモンを絞り入れたものをゴクゴク飲んだあと、アルペンというシリアルにヨーグルトとミルクを加え、ブルーベリーやクランベリーのドライフルーツをふりかけて食している。
去年は地震の影響か、リンゴが不作で香りもお粗末、いつ不満だった。このところようやく山形産のサンツガルが出てきて、これは安価で新鮮、ジューシー、ほっとしている。
不作の影響は深刻なのか、なんでもニュージーランド産、リンゴも出回っているとか、果物事情が心配である。


八年まえ、ボローニャに短期留学したとき、ホームステイの朝食はヨーグルト、コーヒー、甘いブリオシュかビスケットのたぐいという純イタリアスタイル。
そのあと、早朝八時から開いているマーケットのベーカリーでまず、パニーニを買い、そばの肉屋で生ハムとチーズのうす切りをはさんでもらい、向いの八百屋でルッコラ、ミニトマト、ブラッドオレンジ(真っ赤なオレンジ)を買い、それを学校で食べるランチにしたものだった。Dh000084

ちょっとずつしか買わないのに、当たり前のように店主たちは愛想よく親切、朝の時間を豊かにしてくれた。


同時期の旅行の仕上げに、フィレンツェに立ち寄り、ジョヴァンナの家にステイして、親しくなった。彼女はその頃、『ヘミングウエイ』というバールを経営していて、そこはアルノ川の向こう側、サントスピリト地区の評判の店であったが、日曜のブランチが素晴らしく美味であった。生ハム、サラミ、モッツアレーラチーズ、玉子の小型オムレツやチキンロールのようなものもあり、パンも手作りフォッカッチャや菓子パン各種など、ジュースはもちろん生絞り、果物、ケーキ、ビスケットのたぐいも並んでいて、胸がドキドキするぐらいおいしかった。Dh000105

ルネッサンス料理の専門家であった彼女、イタリアの格調高い料理の本質を知りぬいていた。
彼女とはまだメールをやりとりする仲、あなたのこと、いつも思ってる、と言ってくれる優しいひとである。

2012年9月13日 (木)

『ジョルダーニ家の人々』を観る

上映時間六時間半余にもおよぶこの大作をすでに観たという、友人やイタリア語のクラスメートに、どう?よかった?と訊くと、一様に「う~ん…」と言ったきり、はっきりした応えが返らないので、迷いがあったのだが、新聞や雑誌の批評は意外にも絶賛しているので、やはり観るべきかな、と出かけることにした。
午後一時半から三回の休憩を含めて、終了は九時十分、目薬と夕食用のおにぎりを持参。
客席は七分の入り、休憩になると、疲れますね、やっぱり、と知らない人同士が会話している。

物語はすべてに満ち足りているジョルダーニ家の四人の子供のうち高校生の末息子が事故死してからの一家の変貌を描く。母親は精神を病み療養、父は逃れるように外国勤務、長男は外務省勤務だが、ゲイで、カウンセラーをしている長女のところで知り合ったフランス人男性と同居しはじめ、カウンセラーの長女も一児がありながら、患者のアフガニスタン帰還将校に惹かれ、家庭が危うくなっている。物語の主役は次男の建築志望の学生ニーノ、彼だけが父親の不倫を知っているが、家族の崩壊に目をそむけず、立ち向かおうとする。そして密入国難民の一斉検挙のときにかかわることになったクルド人女性シャーバをかくまい、行方不明の彼女の娘を外務省の兄に力を借りて探し出そうと力を尽くす。

家族の結束の固さこそがこれまでのイタリア映画の要であったのに、この映画はそれをくつがえし、家族の崩壊から国境を越えた人情の追求へと発展し、この映画の原題である。『残りゆくもの』を探ろうとする。
その視点は素晴らしかったが、あまりに広範になりすぎて、描ききれていなかったと感じた。重厚さに欠ける。深くこころを揺るがす感動がないのだ。
たとえば、ゲイの相手であるフランス人男性には薬物中毒の妻がいて、女の子を引き取ることになる。その彼が死病を患い、女の子はジョルダーニ家の長男が引き取ってみんなで面倒をみることになるのだが、非常に深刻な状況にもかかわらず、女の子は美少女でみなに愛され幸せそのもののように描かれている。そんなに都合よく問題なくうまくいくものであろうか、人生は?
カウンセラーの長女は夫にもう愛情がなくなったと打ち明ける。カウンセラーともあろうものが、そこまでいくのに、葛藤があったであろうに、安易に逃げてしまうのか、と疑問がうかぶ。
つまり映像の後ろ側にある背景までしっかり設定されて脚本ができていないと、観る者のこころはつかめないということだ。

同じ六時間余の大作『輝ける青春』はイタリア史をたどりながらの、37年の家族の年代記であった。その家族と一緒に人生の旅をしているような臨場感に満ちていたという記憶がある。自国の歴史や出来事がしっかり描かれていたからこそ、感動も深かった。

“残りゆくもの”は心の中に持ちつづけてゆく奥深い感情であって、兄弟愛、平等、自由、扶助、知、認識のような…と、脚本家は語っている。
申し分ないテーマだけに、この物足りなさが残念であった。
唯一収穫は難民や外国人の話すイタリア語が多かったので、今回は会話の聞きとりがしやすく、何よりのイタリア語の勉強になったということである。

2012年9月10日 (月)

ミスター・ナイトリー

テレビの録画は見終わるとすぐ消去することにしているが、いつまでも保存しておきたい映画の一作品がある。
ジェーン・オースティン原作の『エマ』
エピローグ近く、愛の告白場面は何度見ても、うっとりする。
ミスター・ナイトリー役のジュレミー・ノーザムが実にいい。37歳独身の領主、こんな美男がこの歳まで独身でいるはずがない、などと思ってしまうが、いらだちや、慈しみや、そのときどきの感情をこまやかに見せる表情のすべて魅力的、映画の大画面では見とれる容姿であってほしいし、ミスター・ナイトリーはそんな存在なのだ。

『ジェーン・オースティンの読書会』という映画もついでに見た。メンバーが口々に言う。数ある作品の中でミスター・ナイトリーが一番、かっこいいわ、と。

BBCのテレビではこのナイトリー役、もっと平凡な容姿のひとが演じたらしい。それでも見ているうちにステキに見えてきた、なんていうコメントもある。
you tubeにはこの作品の見せ場、すなわち、エマとナイトリーが踊る場面、愛の告白場面が抜粋で見られる。
そこだけ見たいというひとがどれだけいるかがわかるのである。

ジュレミー・ノーザムは数少ない英国の美男俳優だが、ただの美男ではない。素晴らしい美声の持ち主でもある。
『ゴズフォード・パーク』というロバート・アルトマンの群像劇の傑作で、往年の美男歌手アイヴォア・ノヴェロに扮して、素晴らしい弾き歌いを見せてくれている。只者ではない美男である。
それを知っているので、映画の中でエマが弾き歌いをしていると、ライバルのフランク・チャーチルが出てきて一緒に歌う見せ場で、悔しそうな顔をするナイトリー、なんだかぴったりなのである。

何度目かの『エマ』を見て、原作を読んでみようという気になった。以前は難解に見えたオースティンの英語が結構すらすら読める。
これも年の功なのであろうか。

2012年9月 6日 (木)

食難事情

暑さ疲れでげんなりの毎日、夏もようやく終わりに向おうとしているが、我が家の食事は依然、簡略化、簡素化から抜け出せないでいる。
なるべく火を使わないように、簡単にできるもの、皿数の少ないもの、けれども味にはこだわりたいので、肝心なところは手作りで、というようなものばかり。

それというのも、夫はチキン、魚がダメ、味も濃いめを好み、ドレッシングもクリーム系、酸っぱいものもダメ、とにかくメニューが制限されるのが難。

簡略化は主に出汁類、一番出汁などは本格的にせず、アゴ出汁のパックとか顆粒などで済ます。スープもイタリアから買ってきたキューブ、材料もすべてレシピどおりではなく、あり合わせですます、などなど、手抜き、間に合わせが多い。
きのうも五目チラシが食べたくなったのだが、干瓢なかったので、椎茸、油揚げ、ニンジンのみの具、錦糸卵はつくったが、青みに三つ葉がほしいところ、カイワレで済まし、茶碗蒸しの具もかろうじて、ササミ、銀杏ないので、枝豆を数粒、飾りにこれもカイワレにしたら、なんとかそれらしくはなったが、何か物足りなかった。そのうち錦糸卵の線切りも億劫になるのかも、と薄ら寒くなったりする。

『あなたのために』という辰巳芳子さんの本が出版されたとき、狂喜してすぐ買い求めたが、一度もレシピを活用したことがない。ともかく本格的過ぎるのである。一番出汁、二番出汁、イリコ出汁、すべて手間と時間がかかるし、タマネギのヴルーテがあったら、さぞ、とおいしさは想像できるのだが、タマネギいためて味噌状になるまで、なんて、とても無理。

世の中には、たちどころに献立のアイディアが湧き、それをパーフェクトにおいしく作る高齢女性名人が大勢いるのかも、と、そういうことが億劫になってしまった自分に劣等感を抱き、それじゃあやってやろうじゃないの、という意欲も出てこない、高齢度を淋しく思うこのごろである。

2012年9月 2日 (日)

映画のあと

映画館は銀座ルミネの七階だったので、八階にある京都おばんざいの店で夕食をとることにした。

孫娘も高二だが、映画の中の女生徒より、ずっと地味。きょうも黒地に白の水玉のブラウスの重ね着姿で、まったくの素顔。リングをひもに通したようなネックレスをしきりといじっているので、それなあに?と訊くと、お父さんの結婚指輪、という応えに、ええっつ!!。
あなたのアイディアなの?
うん。
父親が亡くなったのは、一歳のとき、顔も知らないのだ。

話題を変えた。
料理することある?
明日、おかあさん仕事だから、頼まれてる。
わたしが高二のときは住み込みのお手伝いさんがいた。
娘が高二のときは、わたしが全てしていて、手伝いさえしてくれなかった。

おばんざいはどれもおいしかったが、お酒の肴的だったので、最後にごはんと赤だしを頼んだ。運んできたのは、ごはんと赤だしだけ。
漬物ついてないの?普通はつけるんじゃない?

孫娘が小声で言う。
ばあば、やめなさいよ、悪いよ、そんなこと言っちゃ。
彼女はバイト青年の味方なのである。

2012年9月 1日 (土)

『桐島、部活やめるってよ』を観る

娘のうちに夜、電話したら、孫娘がひとりで留守番していた。お母さんは仕事、オニイチャンはバイト…
まだ、夏休みなの?映画にでも一緒に行く?
うん、うん、見たい映画ある~
わたしもぜひ見たい映画だったので、すぐ約束がまとまった。高校生向き映画なのに、このバアサンが行きたいというのは、つまり見たい男の趣味が一致したのである。
神木隆之介、子役のときから、ずっと見守っている。どんな難役もこなす天才少年は、孫息子と同年代、繊細でクールな美青年に成長しつつある。

スバル文学賞に輝いたベストセラー小説が原作、今回の神木くんの役どころは、ダサい、オタクっぽい、映画部部長。
タイトルに出てくるバレー部のスタープレイヤー桐島が登校しなくなってからの、金曜から火曜まで、そのことにふりまわされる各部活の様子がめまぐるしくもすさまじい快テンポで描かれる。
高校生活にあらわになる、容姿のヒエラルキー、運動能力のヒエラルキー、それをめぐる男子生徒と女子生徒の葛藤、心理描写、過ぎし日の記憶を越えた、もっと深い、鋭い、人間関係の核がしっかり伝わる演出に目を釘付けにされてしまう。
いい映画とはこういうものだ。
吉田大八という監督、スゴイひとだ、これからの日本映画が楽しみ。

神木くんはダサさを見事にあらわしつつも、クライマックスの大写しでは太ぶちメガネもなんのその、ここぞという凛々しさがきりりと現れていて、ばぁばと孫、老若共に満足。

いい映画だったね~。久しぶりに大きな感動の溜息が出た。

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