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2012年8月に作成された記事

2012年8月29日 (水)

快速読書

整形外科の順番待ちをしているとき、正面の書棚に目をひくタイトルを見つけた。

『達者でポックリ』こういう呼び込み型のタイトルはとかく敬遠しがちなのだが、このときの自分には身近に感じられ、これから先いつか死ぬときは、できればこういうふうにと思いつつ、本に手をのばした。

著者、帯津良一氏はわたしと同世代、同じ時代を共有しているということは、著述への信頼につながる。表紙の帯にある写真のお顔がいい。お医者さまはこういうお顔でなくっちゃ、というおだやかで、安心感を与える笑顔。

読みやすい大活字、「死」を楽しみに生きる、という最初のタイトル、いつかは訪れる自分の死について、日ごろからしっかりした心構えを持つことが大事、なるほど、それができるなら、となおも読み進む。
私たちの命は宇宙の大きな流れの中で循環している…「死」は終わりでなく、魂のふるさとである「虚空」への旅立ちである、という理論、納得できそうな気がした。
そして日々生命のエネルギーを高め続け、死ぬ日を最高に持っていくための心構えをもつべきという「攻め」の養生について、語られる。
養生の根幹は「食」と「気」と「心」だということ。
とりわけ心の養生では毎日の生活の中で「心をときめかせる」ことが一番大事であるが、人間は本来、かなしくさびしい存在だということを認識しながら、かなしみから出発して、明るく希望を持とうとして前向きになり、またかなしみに戻るという心の循環を果たしながら、命の駒を進めているという理論が素直にこころにしみた。
人間をボディ、マインド、スピリットの三つに分け、ボディに西洋医学、マインドに各種心理療法、スピリットに各種代替療法で働きかけ、最後には医療を行う者と患者の意識を統合させるという姿勢の病院、こういうところで死を迎えられるなら、死は怖くない。

本を貸し出しさせてもらい、自宅で一時間ほど、夢中で読み終わり、なぜかこころがすっきりしたので、お気に入りのスメタナのピアノ曲を聴きながら、美しい和音が上昇するにつれ、心も高揚させつつ、眠りについたのであった。

2012年8月26日 (日)

危うし

草津に一泊した翌日は軽井沢経由で、追分のホテルに移動。同伴の友人N子さんが会員であるリゾートホテルである。
ゴルフ場やテニスコート、池のある庭園、客室も二百はあるという贅を尽くした広大な場所。
人気が高くて予約がむずかしいこのホテル、ようやく一泊とれたというその部屋は二棟ぐらい建物を通り過ぎた奥の奥。
フローリングの床に段差のついた畳敷き六畳分のくつろぎの場所があり、奥にベッド二台、畳敷きの場所がベッドのすその線より、出っ張っているので、これは気をつけないと転びそう、とは思ったのだが、明かりがついているあいだはその意識が働いていてなにごとも起らなかった。
ところが明け方、トイレに起きたとき、手前のベッドに寝ていたわたしは、彼女を起こしたくなかったので、左側に足をおろし、そっと起きあがり、歩き出したとたん、畳敷きの出っ張りにつまづき、前のめりに転んでしまった。
六年前、戸外でこういう風に転んで、左足の甲の骨が折れ、二ヶ月外出できなかったときのことが頭をよぎった。ひどい痛みがないかどうか、両足首を恐る恐る動かしてみる。ともかく起き上がり歩くこともできたので、用を足してから、打ち身を感じた右足首付近に、持参のバンテリンをすりこんでおいた。

翌日は予定を早め、もう一泊するN子さんに別れを告げ、軽井沢でみやげ物など買い、早々に帰京。
行きつけのO整形外科でレントゲンを撮ってもらったが、何もうつらず、右足に少々違和感があるものの、今現在は怖れるほどの症状はない。

一人旅では自分がどのように歩くか動線を想定して、万全の用心をするのに、二人旅では相手への気遣いが優先して用心深さが半減してしまう。とりわけ夜中のトイレのときは記憶力も意思力も低下することがわかった。

大事には至らなかったが、気落ちがひどくて、右足に湿布を当てながら、外出する気分になれない。

2012年8月25日 (土)

草津音楽祭ポピュラーコンサート

今年の草津音楽祭鑑賞の日は自分の好みでプログラムから選ぶというのではなく、ホテル側のチケット入手可能かどうかで決まってしまったので、あまり期待しないで出かけた。
物事の経験からして、期待して出かけて満足する確率より、期待しないで出かけて意外な満足を得る事のほうが多い。
その夜もそんな一例であった。

16日間の音楽祭、中日の22日夜八時からのポピュラーコンサート、曲目もアヴェ・ヴェルム・コルプス、月の光、ニノ・ロータの映画音楽、トルコ行進曲つきソナタなど。
どれも曲想をこよなく理解したソリスト、弦楽アンッサンブルの名人芸で、メロディを熟知しているだけに、聞き入るのが楽しく、心地よかった。
この音楽祭初体験の同伴者の友人はこんなに心に残る素晴らしいコンサートは久しぶりだと感動しきりであった。

中でも印象深かったのは、舞台下手にしつらえた、パイプオルガンの雛形のような楽器で奏でられたアヴェ・ヴェルム・コルプス。005_2

パイプオルガンほど壮大ではないが、音質は極めて確かな耳にやさしい小規模の完成した響きで、オーストリア、バーデンでモーツアルトが教会で演奏したときの再現のような感動が伝わった。
なんでも2002年、パイプオルガン製造で名高いイタリアのピンキ社がわざわざ来日して舞台で作り上げた逸品の楽器なのだそうである。

2012年8月21日 (火)

体調レポート

去年のいまごろ、上腕の痛みに悩んでいた。おにぎりを握るのも困難、拍手もそっと手を合わせる程度、キッチンで棚の上のものをとるのに、腕をのばすのが痛かった。マッサージに定期的に通い、水泳もしばらくしないでいた。
一年経った今、痛みはうすらいで、日常のしぐさに支障を感じることはない。水泳も痛みを感じずにできるようになった。
七十半ばでも、全治というわけにはいかなくても、回復することはあるのだ。

冬生まれのわたしは暑さに弱い。日中はなるべく外出を控えているのだが、朝の目覚めもすっきりせず、からだがだるい感じなので、十日ぶりに泳ぎに行くことにした。
自由が丘で買い物があったので、久しぶりに緑が丘の区営のプールに行く。
夏休みとあって、子供たちが大勢来ていたが、昼時をねらって行ったので、思った通り、空いてきて直線コースをゆったり泳ぐスペースが確保できた。
ところが、いつもより、息がきれる。スポーツクラブのプールは二十メートル、ここは五メートル長いので、その五メートルにアップアップしてしまっている。それにまっすぐ泳いでいるつもりなのに、気がつくと、右側通行をはずれて中央にいたりする。足の力、腕の力のバランスに狂いがきているのかも知れない。
いつもなら三十分は泳ぐのだが、二十分で、もういい、とキリをつけてしまった。

プールから駅までが遠い。中ほどで、マーケットに入り、涼をとる。幸いお気に入りの惣菜店が開いていたので、サトイモの煮っ転がし、春雨の炒め物、生揚げの煮物など、夫の好物を買って、あとはナスと豚肉の煮物をつくることにして、簡単夕食。

食事のあと、モウレツな睡魔がおそってきて、ベッドにダウン。一時間ぐらいで目がさめたが、まだ目がとろとろ、また横になって、計三時間も寝てしまった。
こういうところが年齢相応の疲れ方。
やはり無理は禁物ということだろうか。

2012年8月17日 (金)

バースデイ・ブルー?

終戦記念日は孫息子の誕生日でもある。翌々日の17日は夫の誕生日なので、毎年、合同にして会食するのだが、とりあえず、おめでとう、を言いたくて、ケイタイに電話するもかからず、自宅にもいない。メールは大嫌いなのだそうで、アドレスも知らされていない。その後も電話したが、つながらなかった。
きのうの16日、ようやく、向こうからかかってきた。「ばぁば、電話くれた?これからおかあさんたちと待ち合わせて箱根に行くんだよ」箱根で花火を見て一泊するのだそうだ。
彼らの家族旅行もそろそろ終わりに近いような気がする。
それでも母親とはけんかも含めてよく会話をする息子だ。
「メール、ツイッツター、フェイスブック、そういうコミュニケーションの全てがいやになった、こんなだとまともな就職は無理かも知れない、なんて言うのよ」娘がため息をついて話していた。やっと大学生になれたのに、心配の種は尽きないものだ。
「ねえ、ねえ、大丈夫かしら?」夫に言うと、「疑問を感じて当然さ、まともに育っているよ」と平静そのもの。
なるほど、母親がどういう反応をするか、ぶつかる勇気があるだけでもましなのだろうか。

『パッセンジャーズ』という映画の中で、メインキャストの男性が、訪問者の女性に、ここが自分の管制塔だ、と部屋を見せて言う。「ファックス、プリンター、パソコン、携帯、端末機器、どれも人間同士を遠ざける機器ばかりだ」
即効性に関しては、これ以上ないほど便利な機器、ではあるが、機械を通しての会話はどれほど、くわしく語ろうにも、なにか空しい。

電車の中で向い側に座っている半分以上の人たちがケイタイやスマホに夢中になっているのを見ると、異常に近いものを感じる。
あいまいな表現の多い日本語という言語、それに加えて『沈黙は金』ということわざも通用している。
人々が顔を合わせて会話する場が少なくなっていくのでは、世界に向って堂々と意見を述べる人材が育っていかないのではないかと心配になってくるのである。


2012年8月13日 (月)

オリンピック終わる

朝九時過ぎにテレビをつけたら、オリンピックの閉会式をやっていた。ロイヤルブルーの光の中で、展開する余興の数々、ついつい見入ってしまったが、ファッションショーからサーカスの軽業のようなものまで、ちょっとやりすぎじゃない? 見ていて、もう結構という感じ、新旧の歌手も総動員、この際芸能界にも売り込もうとしているのだろうか。
閉会式なのだ、もう少しいさぎよく、きっぱり、さっぱり終わってほしいのに。

それにしても北海道から帰京して、朝晩チャンネルをまわさずにはいられず、わたしのドライアイがますますひどくなった一週間であった。
日本選手団、期待以上のめざましい活躍ぶりだったと思う。毎日、新聞に何かしらの競技のメダル獲得ニュース。震災という試練のあと、各々が言うに言われぬ、意識をみなぎらせて、がんばれたような頼もしさ。

とりわけ、見入ってしまったのが、卓球女子、これまで期待を一身に背負っていたのに、思うような結果の出なかった、愛ちゃん。
団体準々決勝試合、ドイツのカットマンとの戦いは素晴らしかった。その名も恐ろしいイバンカン、182センチのがっちり大女オバサン、愛ちゃんとは大人と子供みたいな体格の差。グイッツ、グイッツとカットされて、受けるのに必死になるうち、すかさず、打ち込まれる。その手にはまって、第一ゲームはやっぱり負け。もう、これまでかと思ったが、第二ゲームから愛ちゃんはコツをしっかりつかんで立ち直り、落ち着いたプレイ、見事に勝ちをつかんだ。

四十代から五十代にかけて卓球をしていたときがある。カットマンとの対決ぐらいやりにくいものはなかった。こちらのあせりを待っているようなこにくらしい技。だから愛ちゃんの、がんばりを素直に称えられる。

よくやった、卓球女子。
中国戦は仕方がない、十二億の国民からよりすぐった人材集めて、モーレツ訓練しているのだもの。あのチーム、どうみても女子に見えない。

ともかくお疲れさま。楽しませてもらいました。
選手団の皆さん、ありがとう。

2012年8月10日 (金)

ニドム

PMFを鑑賞した.あとは、それぞれの選択で、北海道最後の一日を過ごすことになったので、わたしは迷わず、バーンスタインが絶賛したという評判のホテル『ニドム』に行く事にきめた。
ところが、旅行会社のセット旅行にも組み込まれていない場所なので、どんなところなのか、いまひとつ情報が十分でない。ホテルに電話してみてわかったのは、45ホールもある広大なゴルフ場がメインなので、ゴルフ客が多いこと、宿泊場所は全てログハウスの一軒家で、一人で宿泊すると割高になること、敷地内には石の教会と、バーンスタインが宿泊したヴィラが現在は『森の教会』となっているので、結婚式が多いなど、それで十分ペイしているせいか、道外までの宣伝が少ない、という事実だった。
割高でも、わたしは敢えて行くことにした。新千歳空港までシャトルの迎えがくるので、アクセスが楽なのである。それに札幌の中嶋公園と小樽だけでは不十分、北海道の本当の緑を目にしたい、バーンスタインが絶賛した理由を確かめたいという強い思いがあった。

新千歳からおよそ二十分、着いた場所は箱根の樹海をさらに大きくしたような茫洋たる場所であった。ニドムとはアイヌ語で豊かな森という意味だというのもうなずける
だがログハウスコテージが点在する森の中は、やさしくおだやかな緑の濃淡の中、わたしの宿泊した『リスの家』コテージはトムトム湖を見下ろす二階家、ベランダの椅子に座っていると、はるか下に湖、樹木の連なりを渡ってくるそよ風に吹かれながら、このホテルのコンセプト、何もしないことの喜びを身体一杯感じることができた。025


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夜は炉端焼きのレストランで野菜、チキンなど串焼き数本を食べ、焼きおにぎり、モロキュウなどですでに満腹。隣席のカナダ人夫妻と話をした。一ヶ月かけて、東京、京都をまわり、最後に北海道を選び、レンタカーでユースホステルに泊り、最終日ここに来た、という。すべて満足したけれど、このホテルは日本人にはどういう評価か、と訊かれたので、『一度は泊りたい宿』という本の筆頭に名前があったというと、うなずいてはいたが、でもログハウスはカナダに一杯あるのでね、と言われて笑ってしまった。

バーンスタインは1990年の夏、車椅子でここに到着したが、心身を癒され、一週間後、タクトを振ることができた。「ニドムが私を生き返らせた」と喜びを語り、ニドム賛歌のテーマを作曲したということである。

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2012年8月 7日 (火)

小樽行き

札幌にいるあいだにぜひ行きたいところがあった。
小樽である。目的はちょっと、低次元。というのも五月のクラス会で隣にすわったオシャレさんが何とも不思議な美しさの幅広の指輪をしていたので、ちょっとはめさせてもらうと、それがガラスだというのに、実にはめ心地がよい。値段も四千円以下というので、なんとかしてそれの販売地、小樽のヴェネチア美術館に行きたくなったのである。

目的が決まればあとはアクセスを探すだけ。時間があれば、お昼にお寿司を食べて、というわけで、ひとり、札幌から快速に乗った。

南小樽まで三十分、進行方向に向って右側の席に座ったのが大正解。手稲駅から小樽築港駅までの十分ぐらいを海岸線すれすれ、日本海の海が広がる。
おだやかな夏の海、ところどころに海水浴場があるが、東京近郊のそれとは混雑ぶりが比較にならないゆとりの場所。海面から突き出た岩のどれにも、なぜかカモメがとまっている。この景色を見られただけでも小樽行き決行は大あたりと納得。

南小樽で下車、北一硝子の店までかなり歩く。その日も三十度の暑さだったので、これ以上はもう辛い、というところにオルゴール館があった。中に入ると、突然まわりが全て日本語ではなくなり、客の全てが中国人だと知った。
そこからヴェネチア美術館まで北一硝子の店をすべてチェックしたが、硝子細工のアクセサリーはやはりヴェネチア美術館のイタリアのデザインという、指輪が一番すぐれていて、早速二個購入、あと北一硝子で色が変わるという醤油挿しと、ペンダントヘッドを買う。
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昼食の寿司店はホテルでおいしいところを訊いてきたのに、方向音痴ぎみのせいか、どこがどこだかわからず、さほど違いはないのでは、と店構えがよさそうな一軒で、旬の白身、ハマチ、甘エビ(グリーンの玉子のせ)トビッコ~どれもピンピンの新鮮さ~、など食べ、サービスのカニ入り味噌汁ものんで満腹。
店を出て、写真スポットなる倉庫群を撮り、もう歩くのがしんどくなって、駅までタクシー500円、ふたたび今度は左側に座って海岸を見ながら満ち足りた気分で帰途についた。006_2


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2012年8月 5日 (日)

PMF異聞  2

26日付けの北海道新聞夕刊にPMF芸術監督のファビオ・ルイジのインタビュー記事が掲載された。芸能欄の紙面半分を占める扱いだったが、首都、東京の新聞にこのような記事が載って、同時にPMFの紹介をあらためて詳しく報じたならば、よい宣伝となって、観客を動員できたのではないか、という思いがよぎった。
東京でPMFに行くと友人に話しても、何、それ?と言われるほうが多い。羽田―札幌は飛行機でわずか一時間半だが、札幌で起きていることを知るにはやはり距離がありすぎるのである。
北海道内のクラシック愛好者だけでKITARAホールを満員にするのはむずかしいだろう。東京どころか、関西、いや、それ以外の大都市でもよい音楽を聴きたいという人たちはいつも、情報を求めている。マエストロ・ルイジが去るこのときこそ、組織委員会は道外まで、観客動員の働きかけをすればよかったのにと思われてならない。

滞在二日目から札幌も30度を越す猛暑となって、日中の外出は控えていたが、三日目の夜、花火大会が催されて、中島公園内の丘の上やKITARAホール前の広場から夜空の絵模様を楽しむことができた。東京都内の花火大会のあの混雑がうそのようなゆったりした空間で涼風をあび、夜空をあおぐ、まさに憩いのひとときであった。

ガラコンサートは二部構成で、午後三時から八時まで一部は室内楽名曲集、そして第二部がいよいよ、ファビオ・ルイジ指揮、ブラームスのヴァイオリンとチェロのための二重協奏曲、そしてR.シュトラウスのアルプス交響曲の二曲である。
第二部の初めには観客を総動員してホルストのジュピターに歌詞をつけたPMF賛歌を歌わせて、観客の意識を盛り上げようとする試みもあったが、入りは八分強といったところ。およそ2000人を収容するホール内を圧倒するほどの歌声にはならなかった。

今回の席は二階の左前方、舞台を見下ろすところで、指揮者を前方から見られて、一段と迫力が増した。クレッシェンドからフォルテッシモに至る高まりが身体をつきぬけるように陶酔をさそう。目を閉じていると、とても若者中心のオーケストラとは信じがたいほどの充実ぶりであった。
とりわけ『アルプス交響曲』はアルプスの夜に始まり夜に終わる、長い長い、音模様。池辺晋一郎氏によれば音の洪水という形容がされているが、それが実にめりはりがきいていて、指揮者がイタリア人であるだけに、アルプスを好んで描いたセガンティーニの絵をみるようでもあった。

終演後、地元のPMF会員の人たちと、会食する機会があった。その席で、組織委員会への不満と、非難の言葉があまりにも激しくとびかうのに驚いたのであった。23年にも渡るPMFの経過を見聞きし、PMFを愛し、応援し続けた人たちが冷遇されている事実も明らかになってきた。

来年は新たな芸術監督が就任するのであろうか。PMFを知ってわずか二年であるが、知れば知るほど、音楽の精神を尊ぶ創設意図の素晴らしさに感動を覚える。
どうか、この、ほかに類を見ない、音楽祭の企画がよい形で継続していくようにと、切に願わずにはいられない。

2012年8月 1日 (水)

PMF異聞  1

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今年もクラシック音楽同好のお仲間、T子さん、Y さんご夫妻と共に、札幌で開催されたパシフィック・ミュージック・フェスティバル通称、PMF を聴きに出かけた。世界中の若い音楽家を教育する目的でレナード・バーンスタインが創設したこの音楽祭も今年で23年目となる。
この三年間藝術監督をつとめたイタリアのマエストロ、ファビオ・ルイジの集大成を聴くのが楽しみで、ガラコンサートのチケットは早めに手配したが、小ホールで開かれるコンサートの情報が不確かなまま、説明不足を憂いつつ、現地に着いた。

今回のPMF アメリカコンサートとは何なのだろう。アメリカの作曲家を特集したものだろうか、などと想像していたのだが、そうではなくて、オーディションで選ばれた若者たちを指導する、アメリカ各地の主要オーケストラの主席奏者を集めたファカルティ・コンサートという意味だと判明した。

去年ほどじゃないかもね、などと、語り合い、期待もせずに、聴きに出かけたのだが、これが、個々の楽器がかもし出す音色に魅了され続ける、素晴らしい夕べとなった。パーカッションとヴィオラのデュオ、トロンボーンの独奏、圧巻だったのはフィラデルフィア管弦楽団の首席コントラバス奏者ハロルド・ロビンソン氏の独奏二曲。音色もチェロを上回るほど冴え渡ったが、弦をはじくだけの、コントラバスをまるで巨大なギターのよう変貌させる、フランソア・ラルトの『スペイン領歌』。拍手、口笛、ブラボーが鳴り止まぬほどであった。

それにしても勿体ない。Kitara小ホールの客席の半分近くが空席なのである。

翌日のアンサンブル演奏会~ベートーヴェンの夕べ~はセレナード、八重奏曲、七重奏曲もファカルティが結束してその音色の粋を聴かせてくれたが、このときもKitara大ホールは七分以下の入りであった。

世に、ソリストがチャレンジする催しは多々あるが、いわば脇役のオーケストラの一員の技を極めるためのチャンスは稀有であろう。そしてこれをバーンスタインという偉大な指導者が創設した意義を、組織委員会はもっと重視してほしい。
脇役を極めれば、主役の影を薄くさせるほど、聴衆の心をつかむこともあるということを、若者に知らしめ、また聴衆自身にも説得できるという、人生の生き方にも通じる意味の大きさを悟ってほしいのだ。

あまりにも広報がおざなりになっているのを目の当たりにして、ため息が出たのであった。


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