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2012年7月に作成された記事

2012年7月24日 (火)

涼麺をどうぞ

蒸し暑い日にはごはん食が重たく感じることがある。イタリアのパスタ類もしつこい感じ。やはりつるっと、軽くて、それでいて、野菜も肉も入った栄養価のある夕食向きのおそば、となると、冷やし中華がぴったりだが、シマダヤのゴマだれ中華はいかにもお手軽すぎて、という向きに、井上三枝先生の涼麺(リャンメン)をおすすめしたい。
これまた、表紙のとれた茶色のしみだらけの料理本、昭和34年、実業の日本社から出版された『中国料理三百五種』のレシピ。

井上先生は戦前中国政府に招聘されたご主人と共に、中国各地10箇所ちかくに滞在されて、中国料理をマスターされた。だから、この本にのっているお料理は北京とか広東とかの限られた場所の味ではなく、先生が各地をまわられてこれは、という料理法にまとめられた、中国全国粋のお料理なのである。

四人前
中華生そば、ゆでて、シャワー水かけ、ごま油まぶしておくす。
豚肉うすぎり1パック(140グラムくらい)を線切りにする。
干し椎茸4個、水に戻してこれも線切り。戻し汁はスープ代わりに使う。
ネギ1本、うすく斜め切り、
キューリ1本、うすく斜め切りしてから線切り、
醤油、大さじ1、塩、コショー少々

スープ(中華スープでもよい)1.5カップ
醤油大さじ2、
酢、大さじ2
塩と砂糖少々

豚肉を油いため、そこに椎茸、ネギ入れ、いため、塩と醤油を加えて味つけ、さましてから、キューリ加える、
スープ煮立て、醤油、塩、砂糖少々加え、火とめてから酢をくわえて冷やしておく。
そばに具をかけ、好みで錦糸卵かけ、スープをかけて食べる。

酢は大さじ2としたが、これは「やさしいお酢」の場合、好みで加減したほうがいい。
さっぱり、でいて必要なものが全て入っている見事なレシピである。

2012年7月20日 (金)

おすすめです!

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脱水対策用の飲み物は甘みと香りにくせがあって、嫌いだったのだが、電車の広告に出ていたのが目にとまって、買ってみたら、これがとてもおいしかった。ライチの香りがよく、甘さもほどよく、ずっと飲んでいたい気分になる。でも、これ、どのコンビニにもあるのかどうか、確かではない。

このビール、アイスプラスビール、アイスを入れて飲めるビール。缶のデザインの色がいいので、買ってみたら、この味、気に入ってしまった。乳糖が加えてあるとかで、ビールの苦味がほどよくおさえられていて、それでいてコクがある。わたしの好きなハイネッケンはおいてあるところが限られているが、これはたいがいのコンビニにあるので、便利。

どちらもKIRINの製品。

2012年7月16日 (月)

フランス風ドライカレー

週末、ブリッジのトーナメントに出かけるときは、夕食を夫に頼むことが多い。お弁当は、自分手製の梅干のおにぎりと卵焼き、漬物と決まっているので、依頼メニューは洋食か中華、きょうは、「久しぶりにドライカレーが食べたくなったから、それにするよ」と言われて家を出た。

我が家の定番、ドライカレーとは、いまから五十年まえに出版された伊藤由里子先生の『フランス風家庭料理』のレシピ。
伊藤先生は戦前パリに商社の駐在員の奥さまとして滞在され、フランス刺繍と料理をマスターされた。実母はフランス刺繍を出稽古していただいて、習い、そのあと、先生のご自宅に通って料理を教えていただくようになった。覚えた料理が夕食に並ぶ日々、どのレシピもレストランでは食べられない、フランスの主婦の本格家庭料理で、心のこもったおいしさに満ちていた。
戦前のパリ、日本人がパリに住むなど、稀有な時代、おそらく見るもの聞くものすべてに感動し吸収されたのだと思う。フランス人女性も衣服も料理も手作りすることを楽しみ、専念していた。そういうときのレシピは贅沢な素材でなくてもおいしく食べる工夫に満ちている。
近頃の料理本のどれを見ても、これに優るものは見当たらない。だから、この五十年まえの茶色に変色し、表紙もとれた本はわたしが死ぬまで、辞書みたいな存在でいてくれると思う。

最近、レストランで出てくるドライカレーとは汁気の少ない、ひき肉カレーみたいなものと決まっているようだが、これは違う。

ニンニクひとかけをみじん切りにしてバターまたはオリーブオイルで少し色づくまでいため、そこに牛ひき肉、四人前で300グラムぐらい加えていため、カレー粉小さじ二杯、塩小さじ山一杯加えてよくいためる。
あとはじゃがいも一人一個あてぐらい、紙のように薄く切り、さらに針のように線切りにし、よく水にさらし、絞って、うすく色づくまで油で揚げる。
その両方をを白いごはんにまぜて食べるのである。
昔はこのじゃがいもの線切りを包丁でやっていたので難儀だったが、いまは皮をむいたじゃがいもをごしごしやれば線切りが出てくる道具があるので便利になった。
夫はこれを大層好み、作り方も覚えて、今ではわたしよりずっと上手につくるようになった。

そして、きょうはまた、格段の出来栄え、ブロッコリーのサラダと一緒に舌つづみ。
後片付けは息子が引き受けてくれ、主婦の休日にさせてもらったのであった。

2012年7月11日 (水)

『渇き』と『旅情』

昼過ぎ、ムーヴィープラスをつけたら、『渇き』という2009年カンヌ映画祭グランプリ受賞作品が始まっていた。題名からしてなにか深刻なストーリーかと思ったら、なんと韓国の吸血鬼映画なのである。場面転換が早くて、おっそろしくも、おぞましい、グロテスクな場面が続出する。主人公は神父なのに、血を吸わないと生きていけないヴィールスにおかされた呪われた男、死んだ恋人に自分の血を与えて生き返らせ、女吸血鬼にする。その女は裁縫用の握りばさみで出会う人間の首の下をジョキジョキ切って、チュウチュウ、ゴクゴク血を吸うのである。
五十年まえ、クリストファー・リーというイギリスのバンパイアー映画に驚愕、目が離せなかった。十字架と日光に弱くて体が溶けていく場面がすごかった。
ロマン・ボランスキーのバンパイアー映画も美しく、これも怪しい魅力に見とれた。
でもこのアジア、バンパイアーはすさまじく、現実味がありすぎて、いやらしく、怖いのだが、やっぱり目が離せなくて、とうとう最後の場面、日の出と共にふたりの足が黒こげになってぶらさがるところまで見てしまった。
韓国映画はここまでやるか、という感じだったが、なんと原作は日本のマンガなんだそうである。

やれやれとまたチャンネルをひねったら、BSプレミアムで『旅情』をやっていた。何度見たかわからないのに、場面ごとのディテールは忘れてしまっているので、ロッサノ・ブラッツイーが出てくるところまで見ようと思ったら、見落としていた細かい小道具や、せりふの端々が楽しくて、これも最後まで見てしまった。
キャサリン・ヘップバーンの衣装がステキだ。色もいいし、形も古さを感じない。なんとエレガントなのだろう。あの当時はスタイリストはいたのだろうか。ヘップバーンの衣装はどの映画でもステキだから、きっと彼女の趣味ではないだろうか。
ブラッツイーは実に魅力的。出会いのとき、広場のカフェで新聞を読んでいるふりをしながら、彼女の足などを見る、男の視線がセクシーでぐっとくる。彼、ボローニャ出身だそうだが、ヴィットリオ・ガスマンもそうである。
ボローニャというところには別の魅力のイタリア男が確かに存在する。
最初のデートのあと夜のテラス、そこに彼女がはいていたミュールの片方が残っていて、カーテンがゆれる。あのあとはメイクラブにきまっているが、そこを写さないところがいい。
ブラーノ島へのショートトリップ、野原でラブシーンしながら、夜も昼もなく愛し合ったことをほのめかすけれど、その赤裸々な描写はない。
いまの映画は全部見せる。あられもない姿など、見たくないのに、美しくもないのに、見せることに決まっているみたいに、見せちゃう。あれがいやだ。

秘すれば花などはいまや昔の話なのである。

2012年7月 8日 (日)

焦げめのブランチ

001


朝六時ごろ目覚めて、新聞を読み、また横になったら、九時近くまで寝てしまった。
いつもの定番朝食ではなくて、ブランチにすることにする。

このところ、おいしい~っつ、と感激することが少なくなっている。それを夫に言ったら、そろそろ味ライがイカレてきたんじゃないか、オレなんか何を食べてもおいしくないもんな、とさみしい応え。

なにか目新しいメニューを、と、ひさしぶりにワッフルに挑戦してみた。
一年ぐらいワッフルメーカーを使っていなかったので、まずはよ~く油をしませる。
アメリカ製、赤ランプとグリーンランプがあって、焼きあがると赤が消えてグリーンが点灯する仕組み。
分厚いワッフルじゃなくしたいと、生地を薄くして少なめに入れたら、グリーンが点灯せず、あわてて、取り出したら、焼きすぎてしまった。

サラダはレタスとキューリ、レッドオニオン少々、それと大根、塩コショーし、もらいものの上等オリーブオイルをかけるのが好み。
あと、はカリカリに焼いたベーコン、ところが、近所で調達したベーコン、カリカリになってくれない。
しかも遅く起きてきた夫のために焼いた二度目のワッフルは再度オイルをなじませたにもかかわらず、くっついてしまって、悲惨なことに。
これはベルジャンワッフル用だから、もっと多めに生地を入れなきゃ、と言われて、すぐ平謝り、ごめん、不出来で。
いいよ、なにか新しいことに挑戦してくれただけでも、という応えに救われたが、焦げ目のワッフルは結構香ばしくて、おいしかった。

2012年7月 5日 (木)

一年過ぎて

四十年住んだ土地の三分の二を売却し、残り三分の一に家を建てて引越したのが一年前、庭はなくなったが、どうしても植えたい木を隣家との境に数本植えた。
ミモザ、キンモクセイ、ローリエ、チンチョウゲ、ハナミズキ、そして自室のまえのウッドデッキと隣家の境のフェンスにモッコウバラを。
梅雨はほぼ終わって、猛暑となり、せっかく植えた木が枯れるのではないかと、毎日水やりをした。あのときは何もかにもが未知数で腕の痛みをかかえながら、不安の日々だった。

人間が住まいに慣れるように、木々も新しい土に慣れてくれて順調に根付いたが、ミモザは発育すさまじく、枝が垂れ下がるほどどんどんのびて、隣家を侵略しようとしている。モッコウバラも新しい枝がニョキニョキ伸び放題で、対処がむずかしい。
植物の成長にいちじるしく差があることをあらためて目にしている。

植樹をした造園業者に電話したが、植物に対する愛着がないのか、近くの店なのに、見にきてくれもしないので、バラが専門という造園業者をイエローページで見つけ、見積もりにきてもらった。
モッコウバラは支柱を高くしなければならない、見た目も美しいものにして、木の刈り込みもすると、五万円から七万円という値段を提示。

元の家に三十年近く出入りをしてくれていた植木屋さん、もう引退しちゃったかも、とあきらめかけていたのだが、電話してみた。六十代だけど、思ったより元気そうで、見に来てくれて、支柱をたてることも、刈り込みも、肥料やりも全て引き受けてくれた。
そして数日後、午後数時間で、なにもかも手際よく仕上げてくれて、請求額は二万円以下。
こういう良心的な仕事もまだ存在していることで晴れやかな気分になれた。

それにしても、息子の部屋の出窓のカーテン、追加で頼むことになったのだが、日光を遮断する効果のある、二メートルに満たない、裏つきカーテン二万五千円は高い。

相場というのがわかりにくい、昨今である。

2012年7月 1日 (日)

追悼、地井武男さん

『北の国から』の中畑のオジサン役のときから地井さんのフアンだった。家族の葛藤、外圧にゆらぐ黒板家の守護神のような存在、地井さんの眼光は鋭いからこそ、その笑みは人の心の奥底まで届く優しさを秘めていた。
そして、ああ、あの『ちい散歩』
地井さんが中野の住宅の裏道で見つけてくれた、時計修理の名人を知って、わたしたちはそこを訪ね、四十年まえアメリカから持ち帰ったアンティーク柱時計はふたたび時を刻むようになったのだ。
ちょっと斜めに腕をふりながらの歩きかたで、市井の生活の主役を見つけ出して、語り合う会話が楽しかった。
最後に休憩し、その日一番心に残った場面をスケッチする、その作品がいつもとても素晴らしくて、イメージに違わず、多才な人なのだな、と感じ入って見ていた。
視野が狭くなる目の病気から、療養と記事に書いてあった。もっと早く気づかれていたのなら…でも、それほどにこの番組や演じる仕事にこころを注がれたのだな、と思った。
ある映画のせりふに「空っぽの長い人生より、三十分の充実したときを」というのがあったが、まさに地井さんの人生は充実したときの集計だったのだろう。

あと番組、自分の持ち歌を流しながら、主役気取りで歩くのを散歩だと思っている後継者など、見たくもない、ますます地井さんが惜しまれるのである。

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