イタリア語、その後
よせばいいのに、またやってしまった。
イタリア語授業に「もの申す」を、である。
去年の九月のブログを開いてみると、高齢者だけの居心地よいクラス、難易度はちょっと低いけれど、教科書中心、文法解読の授業を復習のつもりで続けるという意思を記している。
だが、90分の授業、テキストの問題のみをやり、答え合わせをして、質問があるなら、どうぞ、というだけの授業、およそ、二年、惰性で続いているような、その物足りなさが積もり積もって、爆発しそうになってきた。
英語教師、日本語教師、十年以上を経験している。教授法習得のときには語学教師はどうあるべきか、を叩きこまれた。教科書を教えるのではない、教科書で教えるのだ、すなわち、教科書を道具として語学を教えるということ。
つまり、その日のテーマを明白にしてから、文型練習、主語、目的語、シチュエーションを変えて運用、活用を十分してから、教科書を開かせるということ。
イタリアという国は好きだが、イタリア語の教師は二十数人出会ったうちで、好ましいひとは少なかった。教授法をしっかりマスターしていないひとのほうが多かったから。
日本に来ているひとも、いわゆる出稼ぎみたいなひともいるのでその傾向が強い。
ともかくよくしゃべる民族だから、生徒にしゃべらせるより、教師がしゃべるほうが多い。それでは語学の授業とは言えない。語彙の少ない生徒にいかにしゃべらせるか、それを創意工夫してくれなくては。
『Espresso 2』というテキストが終わり、いよいよ最上級に近い『Espresso 3』に入るに当たって、クラスメートもこのままではいけないということで合意、教師に復習を依頼した。その際、よせばいいのに、わたしの意思でクラスメートと協議したことに自分の意見も加えて、授業のやり方を再考してほしいと依頼項目を添えた手紙を出したのだ。
それがどう受け取られたか、教師の態度がちょっとこわばったものに変わった。
今、わたしは白い目で見られているという気がしている。
« ロイヤルビジネス 2 | トップページ | イタリア語、授業エピソード »
「学問・資格」カテゴリの記事
- 英語を話す(2022.05.26)
- 横浜で受講(2019.06.02)
- 天城山荘、「旧約学セミナー、詩編のABC」に参加(2018.03.06)
- 二度目の待遇表現授業(2018.01.30)
- 久方ぶりの講師体験 4(2017.06.25)
Cannellaさん、現役ですね!! お若いです!!
日本人の99.99%はガイジンに甘いです。 特に白人に。
たまには、がつんと言う人が居てもいいのではと思いますよ。 Cannellaさんのような妙齢の知性溢れるご婦人からなら、相手も考えざるを得ないでしょう。 この方、ただものではないと思ったに違い有りません。 お金払って習っているのなら、当然の権利なのですが。
外人に媚びて国益を損なうおばか政治家に、爪の垢送ってあげて下さい!!
投稿: れいこ | 2012年6月15日 (金) 22時00分
れいこさん
お励ましのお言葉ありがとうございます。
落ち込んでいた心に灯火がともりました。元気出します。
投稿: cannella | 2012年6月16日 (土) 09時51分
考え方も行動も全く衰えを見せない真面目な姿に感心しています。
経験からすると、惰性に流されることは簡単で、居心地がいいときすらあります。
でも心のどこかで何かが叫んでいるのを封じ込めているのです。
教える方も、教わる方もお互いに高め合うことを基本に於けば、さらに進展する
事になるでしょうに。
ケチをつけられたと思うか、進化の過程にするか、でその人の人間性が出て
きますよね。
「やっぱりやってよかった!」の方向に進むといいですね。
次の「授業エピソード」に答えが出ていればいいけど・・・。
今から読みます。
投稿: ちゃぐまま | 2012年6月20日 (水) 11時54分
ちゃぐままさん
生徒が大人であるときの、語学の教授法はむずかしいのですが、人生半ばの大人であるからこそ、やり方ひとつで、相互理解が増し、授業がより楽しくなることもあるのですけれどね。
投稿: cannella | 2012年6月20日 (水) 20時39分